女の坂 (おなごのさか・おんなのさか) 長崎市深堀町5丁目〜長崎市大籠町善長谷  
お地蔵様 1997/12/31撮影
お地蔵様、顔の部分が欠けていました
 
女の坂 1997/12/31撮影
お地蔵様を見つけられず案内して頂きました

長崎市深堀町5丁目から長崎市大籠町(おおごもりまち)善長谷(ぜんちょうだに)の間に通じる坂道を、いつのころからか「女の坂」と呼んでおり、道ばたには古い石の地蔵があります。


 
旧藩時代、領主の命を受けて注進の文箱を携えてこの道を往来するとき、もし途中で妨げる者があれば斬り捨てご免を許されていた。 ある夜、急ぎの使者がこの坂道にさしかかったとき、たまたま一人の身重の婦人が路傍で休んでいました。
婦人は注進と知るや「決してあやしい者ではございません・・・・」との言葉も終わらぬうちに、一刀のもとに斬り捨てられてしまった。
その後、夜ここを通りかかると、恨めしそうな姿をした女があらわれ通行人に声をかけるようになった。「女の亡霊!女の坂」と、いつとはなしに「女の坂」と呼ぶようになったそうです。
領主のお声がかりで、同志相寄りここに地蔵尊を迎え、女の霊を慰めることになったという。

長崎県大百科事典 (辻本義典 担当)長崎新聞社 昭和59年
参考文献 「西海の伝説」 山口麻太郎著 第一法規出版 昭和49年



書籍では「おんなのさか」となっていますが、地元の人は皆「おなごのさか」と言っておられました。



1997/12/31 女の坂・深堀〜善長谷(隠れキリシタンの村・善長谷教会があります)まで、実際に歩いてみました。
深堀小学校の南側にある、川内公民館前の道を墓地の方へ登ります。 山腹の途中にある「キリシタン墓地」の前から、右に行きます。 杉林の先の谷間にお地蔵様がありました。 お地蔵様の前から右にまいて登っていくと、途中に「大きな石」が左手にあります。さらに右の方向へ登っていきますが、この先からが途中でけもの道になりイバラが道をおおっていたりで、 山歩きにかなり慣れている人以外は、女の坂を善長谷まで登るのは今では無理です。

善長谷のお婆ちゃんに話を伺いましたが、海岸の新道が出来るまでは、女の坂を通って深堀小学校に通学されたそうです。
お地蔵様を一人では見つけることが出来ず、お地蔵様まで深堀町5丁目の高比良せいの様に案内して頂きました。 高比良さんはかつて郵便局にお勤めで、女の坂を登って善長谷まで速達の郵便を届けておられたそうです。

地元の人は、この道を「とのさん道(殿様道)」と呼んでおられましたので、この道も「御崎道」の一部なのでしょう。


   長崎坂づくし に戻る