昔からの水の神を祭る習俗は、川祭りの形で受け継がれてきた。川祭りには、ひょうたんと胡瓜(きゅうり)はつきものである。
川祭りの起源は何時の頃かよくわからないが、「日本書紀」仁徳天皇十一年(323頃)のなかに次のような記事がある。
冬十月、茨田堤(まむたのつつみ)(今の大阪の枚方(ひらかた)の堤)を築く時に、強頸(こわくび)・衫子(ころものこ)の二人を人柱に立てることになった。
強頸は水中に入り人柱となって死んだ。
衫子は、河神の崇(たた)りをしずめるために「ひさご」を水中に投げ入れ、ひさごが沈まないなら偽りの神であると宣言した。
ひさごは、つむじ風にも沈まなかったので、衫子は人柱になることなく堤が出来上がったということである。
これが、川の神を祭る時には、必ず「ひょうたん」をささげるようになった起源であるといわれている。
「仁徳記」の古事のようにひょうたんをさげていると川に溺れないという伝承は、九州各県の河 童物語の中には必ずでてくる。
旱魃(かんばつ)のために田に水が入らず、困り果てた百姓が、河童のおかげで田に水が入り、そのお礼に娘 を嫁にやる約束をした。娘はひょうたんを持って行ったおかげで、河童の嫁にならずにすんだという話は、各県共通したすじの民話である。
⇒五島に、「ガータローとチョッパゲ」
⇒西彼杵郡外海町に、「川ぼうずの婿入り」の話があります。
⇒長崎県では、島原の北有馬に同じ様な「瓢箪と河童」
河童の嫌いなものには、「瓢箪」の他に、「金物」(鉄や刃物)や、「仏さまにお供えしたご飯」などがあります。
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