◎魔の川( 中島川 )唯ーの泳場と、周辺川原明治より大正7年頃まで水泳場として最も親しまれた場所は、現在の丸川公園横消防八分団裏の水域で長さ12m幅6m余の長方形の水溜りで、深い所は2m半石垣より水面の上2m位の高さに大木榎の幹があたかも飛込枝の如く横たわり夏場になると、桜馬場、新中川、伊良林、中川町、矢ノ平方面の腕白盛りの青少年の唯一の水泳場として親しまれた。
昭和45年の丸川公園横の中島川 不幸にして犠牲者が此の間四、五名に及び、その当時はカッパや川獺(かわうそ)が棲息する魔の川として恐れられ、厳しい保護者は絶対に泳いではいかぬと命令していたが、遊び盛りの子供は他に泳ぎ場所がないので禁をおかして泳いだものだ。
祖父は注意してくれた。いわく、「仏飯を食べて行けカッパは引かぬ」と。
平成10年の丸川公園横の中島川 50年経た現在では、土砂の流入集積により浅くなり、今思い浮べると全く変貌し、水の流れも少くなった。その頃までは丸川公園になっている場所は、蜆貝(しじみがい)の沢山取れる川砂の多い楽しい川原であった。
又鯉(こい)や鮒(ふな)、鰻(うなぎ)ドンポ、ホージョミナ(細長くしりのとがった貝)等を取り、食べたものである。まことに清き流れの中島川であった。又蛍が多く蛍採りや、トンボ採り等で年中子供の楽しい遊び場であった。長方保雄 著 <桜馬場町今昔誌 桜馬場町二組自治会編 昭和46年6月発行より>
河童の嫌いなものには、瓢箪(ひょうたん)、金物(鉄や刃物)や仏さまにお供えしたご飯などがあります。仏飯を食べて河童と相撲を取ると負けない、仏壇の灰をつけて相撲をとると負けない(有川町)という話など、九州各県に共通した河童話があります。
ご先祖を大切にするという教訓を、語っています。
長崎坂づくし | 対州馬 | index |