河童小屋より |
河神、水の神の精霊の零落した姿が河童だといわれている。
その河童が夏作の野菜を荒らすというので、胡瓜やなすを供えて機嫌をとるように川祭りをするという言い伝えがある。 川祭りは、水の神の精霊を鎮める祭りである。水の神の精霊祭りが河童祭りに変化したものである。 胡瓜(きゅうり)については、地方地方によっていろいろの伝承がある。満月の日には胡瓜を食わないとか、胡瓜を食ってその臭いのする間は、川で泳いではいけないとか伝承されている土地もある。胡瓜は、筑後のペルシヤ河童の物語の例のように、胡瓜を食って力をつけ戦いに勝ったとか、霊食として河童物語の中に取り入れられている。 昔の人は、旬(しゅん)の初物(はつもの)にであうと「七十五日長生き」と言って、旬の初物の果物野菜を神に供えたり、手を合せていただき、じっくりと物の旬をかみしめたものである。旬の味をかみしめることが少なくなり、物に対する有難さ がなくなってしまったのである。 昔の人は、旬の物の有難さを河童物語の中に現実的に活かしてくれている。満ちたりた生活、逆説的に云えば荒廃しつつある家庭の食生活の中に、日頃忘れていた食物の裏にひそむ人間の心を思いださせるものが昔話である。 胡瓜、茄子(なす)などは、水の神に供える季節の節目であった。水神に供えないと、畑の胡瓜、茄子に夜、爪あとをつけて悪さするといわれていた。 旬のものを「初物七十五日長生き」と神仏に感謝して食べる人間本来の姿に、立ち返りたいものである。 いまは、一年中胡瓜を食べているから、自然の恩恵による食べ物への感謝の心がうすくなるのも当然かも知れない。或る意味では悲しい世相である。 |
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