稲作民族である我々の先祖は、古代より水にかかわる天然自然現象に深い関心を持ってきた。自然界に神の精霊の存在を知り、農耕生活に最も関係の深い水の精霊を恐れもし、また崇(あが)めてもきた。
河神、水の神の精霊の零落した姿が河童だといわれている。その河童が夏作の野菜を荒らすというので、胡瓜を供えて機嫌をとるように川祭りをするという言い伝えがある。
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川祭りは、水の神の精霊を鎮める祭りである。水の神の精霊祭りが河童祭りに変化したものである。
筑後川流域の平野や佐賀平野などは、クリークや沼などが非常に多い。昔は、これらクリークや沼などの水は、灌漑用水、飲料水としていたのである。水神は、人間生活を司るものと考えられていたのである。
クリークで起る水難事故は、河童のせいとされ、事故防止のため川祭りが年中行事のように行われてきた。
・【 福江市と小長井町の川祭り 】
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