石川虚舟
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石川虚舟 《 天地の狭間で 》(葉書/煉瓦) 2011
 
夏草や天地分け目を靴がゆく   虚舟
 
作品を看ること(Bewahrung)は、作品に生起する存在者の*「誠」(Offenheit)に身を置くことである。 看ることの切実感(Inständigkeit)は、ひとつの知である。 しかし、知は何かを単に知ることや表象することではない。 存在者を真に知る人は、存在者のまっただ中で彼が**意思する何かを知る。
マーティン・ハイデガー『芸術作品の根源』1935/36
Martin Heidegger, Der Ursprung des Kunstwerkes, Reclam, Universal-Bibliothek(2010), S.68.
 
【虚舟訳注】*「誠」(Offenheit)は、「物を物としてあらしめている理」。
 cf. 三浦国雄訳注『朱子語類」抄』講談社学術文庫、p.284
**「意思する」(wollen)は、何かを「しようと思う」こと。「意思」(Wollen)
 cf. 前掲書、p.269~271
 
 
 
2011年1月初旬、ライン河の流れに沿ってアウトバーンを突っ走り、アムステルダムへ。途中、オランダ国境に近づく頃、激しい雨。ライン河は国境を越えると西に向きを変えるが、その辺りは『ニーベルンゲンの歌』の主人公、ジーフリトの故郷である。
    ホテルは赤煉瓦の大きな館、個室は超モダンにリフォームされている。 翌日、路面電車でゴッホ美術館に向かう。最寄りの停留所で降りると、レンブラントの《夜警》を蔵する国立美術館。外装工事中のため、背後へ迂回。今回の目的は、 マーティン・ハイデガー著『芸術作品の根源』を熟読すべく、 まずはゴッホの作品《一足の靴》(1886)を*「看ること」(Bewahrung)から。
    ハイデガーはその著作で、芸術作品を「看ること」は、「作品に生起する真理の中にとどまるために、天と地に対する慣習的諸関係を変更し、今後は日常的な行為と評価、認識と見方のすべてを抑制すること」であるとする。
cf. マーティン・ハイデガー『芸術作品の根源』1935/36
 Martin Heidegger, Holzwege, S.54.
    美術館を出て、運河と交錯する画廊街を散策。この辺りはベルナール・ビュフェの絵画に似た光景。繁華街に出て、建物や歩道だけでなく、車道や路面電車の敷石も赤煉瓦であることに気付く。「低い土地」を意味する国名が示すように、南の一部を除いて、オランダには山がほとんどなく、したがって石が希少である。
    「炎の画家」ゴッホが情熱を注いだ「農夫の靴」は、天と地の狭間を明けても暮れても行き来する。歩行する芸術家、リチャード・ロング(1945~)は、ゴッホの《一足の靴》を「看」たのであろう。ライン河で採集した、摩耗した古い赤煉瓦の断片に、出身地オランダで育まれたゴッホの、さらにはジーフリトの若き情熱を宿す。