夏祭ナツマツリ

 優が帰省してもう数日、水生は誰が見ても判る空元気を発揮していた。少し痩せたかもしれない。たまに背中がとても淋しそうで、それでも優しい言葉を掛けあぐねていた。それは俺の役目じゃない。
  「夏祭?」
  「そう、行こうよみんなで。カオルさんに車だしてもらって、でっかいシート持ってさ。今日これから時間あるだろう?」
  昼少し前に陽一の電話で起こされる。モーニングコールにしては三流だ。低すぎる声がまた暖かな眠りの中へ誘う。
  「酒井!おれの話聞いてた?」
  「・・・・・・悪い。何だって?」
  「水生ちゃんに電話してくれって言ったんだよ。二時井の頭公園のいせやの辺り。判った?それからおまえの家行くから」
  「おう」
  「じゃあ後で」
  「おう」
  掌に収まる大きさのケイタイを暫く持ったまま、ベッドに倒れ込む。妙な催眠効果のあるあの声のせいで、すっきりと目は覚めてくれない。アサガキアサガキと、水生の名字を胸の内で呟きながらケイタイのディスプレイを眺める。ふと気付くとそれはとっくに過ぎていて、俺は改めて一番最初の、アサガキに向けて発信する。
 「もしもし」
  「あ、俺酒井・・・・・・寝てたのか?」
  「ううん、起きてたよ」
  2コール目で水生は電話に出た。意外に早くつながったので、俺はつい思ってもいないことを聞いてしまう。改めて声を聞くと、それは気怠そうに感じる。
  「具合悪いのか?」
  「どうして?そんな風に聞こえちゃう?元気だよ、おととい会ったばかりなのに、早々悪くなんないって。どしたの?」
  「いや、声がいつもと違うから」
  水生が電話の向こうで笑う気配がした。小さな声が届く。
  「違うの、そうじゃなくって、何かあったの?ってこと」
  「あぁ、じゃ本題」
  照れを隠すように、俺はなるべく簡潔を心がけて用件を言った。その後で改めて午後の予定の有無を確認する。
  「うん、全然オッケー。二時に公園のいせやだね、はーい」
  「なぁ昼飯食ったか?」
  「まだだよ、ちょっと前に起きてアイスコーヒー飲んだだけだもん」
  「じゃあ俺今からそっち行くから、どっか行こうぜ。支度しろよ、十二時半にひつじ時計の前いけるか?」
  「うん、大丈夫だけど、どしたの?」
  「さっき陽一から電話で起こされたばかりなんだよ」
  腕を何回か回しながら話していると、電話を落としそうになってしまう。気付かれないように懸命に堪えて続けた。
  「判るだろ?あいつの声はモーニングコールには向いてないんだよ、何かをがーっとやってないと意識がふー…っとな」
  「あはは、陽一君に言いつけてやるもんねー」
  水生は声を立てて笑っている。やっといつもの水生か。
  「よし、じゃあな。遅れるなよ」
  「酒井もね」
  「おう、じゃあな」
  水生が切るだろう頃に、俺も電話を切って急いで支度する。バスに飛び乗れば、約束の時間よりも早く着いて、水生を待ってやれる。と、出掛ける間際に牛乳をコップ一杯一気飲みしてそう目論んだ筈なのに、バス停から走った俺よりも早く水生はそこに立っていた。地元有利。
  「あらごきげんよう」
  「おう、早かったな」
  「酒井だって!ねぇねぇ何食べるの?」
  口に出しては言わなかったが、水生の顔色は本当によくなかった。ちゃんと食べてゆっくり眠っているのか、思わず心配させられる。
  「そうだな、空いてたらシェーキーズ。ダメなら惣材とゴハン買って公園だな」
  「うわっそれ凄い!酒井いつもそんな食事してるの?」
  「んーまぁ、とりあえず見に行ってみよう」
  サンロードを歩く。少し緩い歩調で。水生は誰と歩いても必ず左側にいて、右斜め上を見て話をする。そう、相手が優だともう少し視線は低くなるのだろうか。
  「空いてるぞ、ここでいいか?」
  「うん」
  「俺の奢りだから、モトは取れよ。腹一杯食うんだぞ?いいな?」
  「えー・・・・・・はーい頑張るよ」
  「やけに素直だな。何飲む?」
  「んー、アイスコーヒー」
  「おまえバカだなー、ピザっつったらシュワーだろ!」
  グラスを傾ける素振りをしても、水生には何のことだか判っていないらしい。呟くように、しゅわーって何?と言う。
  「シュワー!炭酸!ビールかコーラのこと!どっち?」
  「・・・・・・」
  水生が不満顔で見上げてくる。少しやり過ぎたのかもしれない。それでも何も考えていないフリをして、勝手にコーラをオーダーする。
  「嫌なら俺のビールと替えてやる」
  「ううん、でも一口飲ませてね」
  「おう、先座ってろよ」
  レジで会計を済ませてから、水生の居る窓際に座る。と、言っても見えるのは階段を降りてこの店に入ってくる人だけで、実際ピザ屋以外に営業している店はないようだ。両手で皿を大儀そうに持って、水生がピザを取りに行く。俺も後をついて、せっせと水生の皿にピザを取り分ける。スパゲティも勿論ポテトもしっかり入れてやる。席について、まず一口と思って伸ばした手は水生に遮られ、ビールを横取りされてしまった。小狡賢そうな瞳が嬉しそうに一瞬煌めく。
  「いただきまーす」
  「よしよし、たーんと食え」
  空元気じゃない水生の笑顔を見たのは久しぶりだったが、それは手放しで喜べる種類のものではなかった。あんなによく笑っていたのに、もしかしたら笑い方を忘れてしまったのではないかと、思わず疑う。でもみんなといた時の、おとといのあの空元気笑顔とは根本が違うから、こうやって水生自身が意識していない淋しさを紛れさせてやりさえすれば、水生は普段通りの元気になるのだろう。なるのだろうか。
  優のいる時でもいない時でも、それは俺の役目じゃないけれど。
  「美味しいねぇ」
  「…おう。吉祥寺にお住まいでここのウマさを知らなかったとは・・・・・・絶対損してたぞおまえ」
  「ホント、ビールに合う合う」
  「素人が何言ってんだよ」
  それでも大分普通になってきた水生を見ていると、昼食を誘って良かったと思えてくる。大事なのはこういう気分転換なのだろう。何回目かのおかわりとビールの追加から戻ってみると、心なしか水生の顔は赤かった。空腹にビールが効いたのかもしれない。
  「おまえもうビールだめだぞ」
  「どうして?」
  「酔ってるじゃねーか、やめとけ」
  「ケチだ!酒井けちけち」
  「あーはいはい。残すなよ、皿のものは全部たいらげてしまえ」
  すっかり冷えたスハゲティをフォークでつらなさそうにつついた後、水生は多少の無理はみえるものの、きれいに食べてしまった。コーラの入っていたグラスも、今は溶けかけた氷と白いストローだけになっている。
  「ゴチサウサマデシタ。文句ある?」
  「ゴザイマセヌ」
  ビールを流し込んで、俺もフォークを置く。ピザを昼飯に食べたのは久しぶりのような気がする。もっとも気がするだけで食べたのはほんのおとといだったかもしれない。優のせいで生活のタイミングが微妙にズレ始めているのは、何も水生に限ってのことではない。帰ってこない優を心配して連絡を待ち続けて日に日に衰えていく水生を心配して気遣って、こっちまでおかしくなってくる。それで何もなかったような顔をして優が帰ってきたら、今度はその日常に戻るのが難しくなりそうだ、実際。
  「行こう」
  「まだ早いよ」
  「散歩しよう。公園に行く」
  水生の緩い歩調に合わせて、人込みの細い路地を歩いていく。階段を降りて少し進んで、池のすぐ端のくぼんだ場所に置かれたベンチに腰掛ける。木々が直射日光を遮る。水生は何も喋らない。時間も心配ない。ここからいせやまではすぐだ。 暫くそのままじっとしている。ただやたらに暑い。何もしていなくても玉の汗が浮かんでこめかみを伝い流れる。忘れた頃に通る風が濡れた前髪に気持ちいい。昼を過ぎてかなり経つというのに、池の散歩道を(この蒸し暑さだというのに)ジョギングしている人がいたり、スーツを着たサラリーマン風の男が読書をしていたり、大きな声でケイタイで話しながらゆっくり歩く女がいたり、ここは無国籍地帯の極であるらしかった。かくいう自分達もここに座るだけでこの無国籍達の一員であることは確かだ。だから余計に心地好い。
  そんな風にお互い無言でじっとしていると、不意に水生のケイタイが鳴り出した。
  「・・・・・・カオル君からだよ、何だろう?」
  かわいい声を作って、水生は電話に出た。ふと自分のケイタイを見ると、二時を少し過ぎていた。カオルからの催促の電話があって当然だろう。俺はその手で電源を切る。次呼び出し音が鳴るのはこれに決まっている。
  「えー嘘っ、ごめんねすぐ行くから!!じゃあっ」
  水生は電話を切って、もう立ち上がっていた。二人でいせやの前に現れるのは少し気が重かった。誰も何も言わないからこそ余計に。
  「そう慌てるなって。汗が出るぞ」
  「ばかー悠長なこと言ってないで早くしてよー!二人共待ってるんだよ」
  「ハイハイ」
  今にも走り出しそうな水生の後を歩く。それでも静かなのは緑が多いせいだろう。 シャッターの締まったいせやの前に緑のステップワゴンが停まっていた。ナンバーは間違いなくカオル所有のもの。後部座席の陽一が気付いたらしく、カオルの肩をつついて後ろを向かせる。穏やかな笑顔が俺達を快く迎える。
  誰も言わない。何も。優の名前はこの夏一番の放送禁止用語。
  「ごめんね!ホントにごめんなさい」
  「ふんふん、こうしよう。遅刻の罰として君達に買い出し班の大役を」
  「異議なし」
  陽一も何度か頷いて同意した。笑顔とは裏腹に、言うことはシビアだ。
  「ビールとおつまみ各種。そうだね、三十分後に図書館の前に行くよ」
  「うん。今度は絶対遅れないから!」
  「期待してるよ。いってらっしゃい」
  カオルは俺の方をちらっと見て、手を上げる。何も尋かないのは、何もかもお見通しだからか。 うだるような暑さを黙々と歩く。十分とかからない道なのに、延々と長く感じる。クーラーの利き過ぎた渇いたフロアの、ベンディングコーナーを目指す。土手はどうだろう、気持ちいいだろうか。
  「ピザのお礼。何がいい?」
  「ブラック」
  「了解」
  水生に手渡されて、紙コップのコーヒーを飲む。熱いコーヒーが喉を通過して、体温が一瞬上昇するような心地好い爽快感が残る。猫舌の水生はアイスココアを飲んでいた。買物をさっさと済ませて、重いビールの袋を両手に炎天下を再び歩き出す。水生はつまみの入った袋を下げて俺の前を行く。アウトドアシッョプの前の、図書館の花壇に座る。今回は俺達の方が早かったようだ。
  「こんな奥まった所に図書館なんてあったんだ。利用者いるのか?」
  「多いよ!いつ来ても椅子一杯だし、新刊なんて絶対借りられないんだよ」
  「この近くか?おまえんち」
  「うん、すぐそこ。教えてあげるよ」
  急に元気になったように、水生は立ち上がって歩き出した。ビールが重いなんて死んでも言えない。"馬刺し"の看板が上がる一品料理屋を日焼けサロンを裏ぶれた病院を見て、角にアパート。
  「三階の一番端の部屋なの。この道真っ直行ったら沖縄料理屋さんがあるんだけど今度みんなで行こうよ」
  「おう。なぁそろそろ戻ろうぜ」
  ゆっくり歩いて図書館まで戻ると、緑のワゴンが徐行して近付いてくる。かろうじてカオル達を待たせずに済んだらしい。
  「お疲れ様」
  「暑ーい!」
  水生はさっさと助手席に乗り込んでしまった。なんて奴だ。
  後ろの座席に大きなクーラーボックスが積まれてある。この重いビールをこの中に入れれば、合流は無事完了ということになる。車に乗って宝箱のように大きいそれを開けると、透明の氷が半分を占めていた。この東京のどこで買ったのだろう。順に詰めて入れる。何度入れ直しても一缶だけどうしても入らない。仕方がないので一番奥のを出して開けた。それでもまだビールはぬるい。
  「アル中!」
  水生の声が飛んでくる。一気に半分飲んで息を吐くと、陽一が横取りした。ぬるいことが判ったからか、すぐ俺に返す。
  「水生ちゃんはダメだよ、僕も欲しくなるからね」
  カオルが先手を打つ。ステップワゴンは漸く発進する。不服そうな水生の返事。カオルが目指す"健全なファミリーワゴン"のせいで、スモークの張られていない車に日光の容赦はない。クーラーがフル活動している証のモーター音で、話声がいつもより大きくなる。ラジオから流れる曲も代表的な夏の歌ばかり。ああ夏がいる。
  「花火が終わったらビアホールに行こう。冷たーいビールをぐーっとね」
「ホント?あたし実はビアホールって行ったことないの。泥酔して電車とかバスってヤだもんね。なんか吉祥寺のビアホール変な奴とサラリーマンばっからしいし。だから今まで行く機会がなかったの」
  「はは。今日は安心して飲んでいいからね」
  またさりげないフェミニストぶりを発揮するカオルは、実は全く酔わない。ドライバーとしてはそうでないと困る。今まで一度もないが、カオルが何かの原因で運転できなくなってしまったら、ドライバーに任命されてしまうのは俺に決まっている。ペイのいい配送のバイトをしているせいだ。カオルのように運転することが好きな訳ではないのに。
  三時を過ぎたばかりだというのに、もう目的地に向かっている。駐車場を探して、シートを広げる場所を確保すればすぐに花火は上がるか。
  優の穴は不自然な程自然な埋まり方をしている。誰もがその名に触れないことで、あたかも最初からそれそのものがいなかったように。こんな風な抹殺のされ方ってあるだろうか。気の毒な優。もっと気の毒な水生。これからどうなるんだろう?
  −−まだ日は高い。にも関わらずポツポツ人はいる。東京は人だらけだ。人によって殆どが構成されている。何処へ行っても何処にいても。
  「あたしね、ずっと東京で育ってきて、学年代わる度に友達も代わっちゃってこんなに仲良しの友達って実は初めてかもしれない。みんなで色々出掛けたりするのってホント楽しいよね。今まで無かった訳じゃないのに、凄く新鮮。冬になったらスキーとかボードとか絶対みんなで行こうね!」
  「じゃあ手始めにこの夏海に行こう?午前中に出発して遠出しよう。お弁当作ってくれる?夜はバーベキューと花火だね」
  カオルは水生と話しながらも、注意深く要領良く駐車した。ディープグリーンのステップワゴンは行儀良く静止する。
  「さぁ場所の確保に行こうか」
  サイドフレーキの音を確認してから、扉をスライドさせる。外のうだるような熱気が押し寄せてきた。車内が涼しかったので余計に暑く感じる。車を降りると遠慮なく放射するそれで一気に汗が飛び出してくる。クーラーボックスを陽一と二人で持つ。かなりの重さに身体中の汗が絞り出されるようだ。手際良くソーラーシェイドをフロント部に張って、水生は片足ずつ慎重に車から降りた。かかとの高いサンダルを、俺は初めて見た。身長の高くない優を気遣って普段は靴箱の中か。続けてシートとツマミの入った袋を取り出して、扉を締める。キーレスでロックして、カオルはそれらを持つ。水生様ご一行は良い場所を求めて、重い荷物を連れて歩く。キャリーの存在を懐かしく思ったが、もう手遅れだ。せいぜいビールを飲んで帰りに楽しよう。屋台が出る場所からもすぐ前で花火が上がる広場からも遠く離れて、漸くカオルがシートを下ろした。緩い斜面になった芝生の上だ。首が疲れて肩が凝る程上を向かずに、普通の視線で花火を楽しめる。しかも灰に降られて白いTシャツが焦げる心配もいらない。ただ買い出しには距離がある。俺はまだ買い出し班なのだろうか?水生とカオルがシートを敷いて、風上側の隅にクーラーボックスを下ろす。陽一がその反対の端に寝転がった。蹴飛ばすようにサンダルを脱いで、俺もクーラーボックスの隣に足を投げ出して座る。腕で触ると微かに冷たい。回りを見ると、水着で日焼けしている人がかなりいたので、驚いてしまう。夏の達人達。大きく息をついてカオルが陽一の隣に座った。水生もサンダルを片足ずつ脱いで、俺とカオルの間に座った。ゆったりと座れる広いスペースに4人だけというのは、仲々の贅沢だ。あと一人入ればもしかしたら狭いのかもしれないけれど。
 「こんなのはいてくるんじゃなかった。日焼けしちゃうしゴローンてできない よ」
  膝上のスカートの裾を気にしながら足を投げ出す。その言葉を受けて、つい盗み見てしまう。デニムのミニスカートから伸びる、焼けてない素足。
  「ハーフパンツはいいぞ、健康的だしな」
  自分でも訳の判らないことを言って、起き上がる。カオルも陽一もこの暑さに放心してしまったように、黙ってじっとしていた。 広い河川敷に時折涼しい風が通る。水生は音もなく起き上がって、俺の足元のクーラーボックスからミニペットボトルを取り出す。スプライト。透明な炭酸がノドを滑るのに見入る。大仰に息を吐いて口元を拭うと、俺に手渡す。
  「何?」
  「え?だって欲しそうな顔してるもん」
  「…あぁうん、サンキュ」
  少なからず狼狽して、俺はそれに口を付けた。汗をかいたボトルから滴がこぼれてTシャツににじむ。やがてそれも汗と共に蒸発するだろう。
  「カオル君陽一君、何かいる?」
  「ビールもらえるかな」
  「おれも」
  「おつまみ選んでてね」
  座ったままツマミ袋を引きずる水生に、ビールの缶を渡す。そのまま中継して、手についた滴を振り払って、カオルから手渡されたプリッツを受け取る。銀色の袋の封を切った時、ケイタイの呼び出し音が鳴り始める。無表情に水生は俺にグリーンの箱を持たせて出る。
  「もしもし−−…あ、元気?何処から?何してるの?」
  目は少し遠い所を見ている。水生は落ち着いた声で、まるで何事もなかったかのように話に応じている。
  「うん、元気。別に何も変わりとかないし。うん・・・・・・え?あーそうなんだ?ねぇ小倉のお祭りってこれ位の時期じゃなかったっけ?」
  相手は言わずと知れた優だ。疑問符だらけの水生の電話。きっともっと言いたいことは沢山あるのだろう。喋り方が簡潔なのは俺達がそばにいるからか。俺達がどれだけ気遣っても、何も知らない優はこうやって平気な顔をして電話を掛けてきて、水生とその周辺の俺達の生活のリズムを狂わせていく。雨の日土足で上がられたような、そんな怒り。そんな失望感。
  「そう、じゃあまた。バイ」
  「水生ちゃん、買い出し行ってきてくれるかな」
  切る前にカオルが声を掛ける。福岡にも聞こえているだろう。優しいカオル。陽一はビール片手に身を乗り出した。優しい陽一。
  「おれタコ焼きとトウモロコシ」
  傷付いた仲間の為に、俺は、俺達はきっと大したことなんてできないだろう。できなくてもやりたいことは沢山ある。ケイタイを鞄の中に乱暴に投げて、明るい声がカオルを向く。
  「カオル君は何食べる?」
  「うーん、焼き鳥と焼きソバ…そんなモンかな。食べたいものがあれば買っておいで、みんなで食べよう」
  「うん。酒井行こう!」
  笑顔の水生が俺を振り返る。本当に嬉しそうに。あぁかわいそうに。夜ほろ酔いで解散した後、独りきりの部屋で何を考えるのだろう。何を想うのだろう。
  俺は自分に不審感を抱く程強く、水生に惹かれている。愛だの恋だのを一心に避けていた少し前の俺からは想像もできない。守ってやりたい、これ以上傷付かないように。
  「タコ焼きと焼きソバと焼き鳥とトウモロコシだよ、覚えた?」
  「おう」
  飲みかけたスプライトをクーラーボックスに入れて、サンダルを履く。太陽に晒された金具が熱い。そうか。
  そうだ夏なんだ。そしてもうすぐ花火。
  砂埃の舞う舗装されていない道を二人で行く。屋台へと続く道はもう沢山の人がいて、真っ直歩けない程だ。簡易トイレは比較的基地に近い。
  「あのね、酒井。今から言うことすぐ忘れてくれる?」
  「おう」
  「さっきの電話、優からだったの。ケイタイのバッテリー切れてて、充電機持っていってなくて、ずっと電話できなかったんだって。その辺いくらでもあるのにね、公衆電話。家の電話だって。お盆過ぎてからラッシュ避けて帰ってくるんだって。前ね優と約束したんだ、今度の小倉のお祭り連れてってくれるって。それ今日らしいの。忘れちゃってるのかな、それとも冗談だったのかな・・・・・・あたしだけなのかな、こんなに考えちゃってるの。なんか疑うよね。故郷とか親元とかって、たまに会ったらそんなに離れられないものなの?よく判らないけど。何で早く帰ってきてくれないんだ ろ?」
  「・・・・・・」
  呟きが雑踏にかき消されていく。でも水生の小さな声は確実に俺の耳には届いている。水生はやがて俯いて、足取りが緩くなる。微妙に動悸が強くなる。迷った末に、水生の肩を抱く。
  「元気出せっつっても無理だろうから、これ以上沈まないように自分で頑張れ。カオルも陽一もいるだろ?あんまり深く考えるなよ。な、ほら、盆なんてもうすぐだし、今度海行ってバーベキューだぜ。体力つけてないと溺れるぞ、な?」
  「うん…うん!そうだよね。ありがとー酒井がいてくれて良かったー。あー頑張ろうっと!」
  賑やかな通り。ちょうど隣が綿菓子屋台だったので、俺はピンクのキティ柄を一つとよく判らないヒーロー柄を三つ買った。
  「ご褒美だ。食え。血糖値を上げてシャキッとしろ」
  「…血糖値上がったらシャキッとするの?」
  「いや知らない」
  「嘘つきー!」
  益々込んでいく人だかりの中で、行きがけに綿菓子四つも購入してしまったことを大いに悔やんだ。なにせ基地に戻るまで三十分以上かかったからだ。でもまぁいい。少しでも元気になったのなら、それでいいんだろう。きっとカオルだって陽一だって同じようなことをしたに違いない。
  天気は快晴。こめかみの横を汗がまた新しく筋を作って流れた。

第一章  SOUL MAN
第二章  GOD BLESS YOU
第三章  今日が終わる前に
第四章  それでも恋はやってくる
1     夏祭ナツマツリ
2     なつのひと
3     夏の神
4     ナツノヒト
5     夏の男
6     夏の女
7     サマーピープル
8     サマーバケーション

Atlas あとがき


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