PassionateBlue2.7 つりにゆこう


  「つりにいこう!」
 と脈絡もなく宣言した由良は、得意げに二人を交互に見た。誠は瞬時に目を逸らし、煌はじっと由良を見つめる。由良はふくれた表情で手に持っていた旅行のパンフレットを丸めて誠の頭に軽く振り下ろした。大袈裟に仰け反って誠は反論する。
  「あのなぁ、釣りったってよぅ、おまえ道具から何から揃えなきゃ出来ねぇんだぞ?知ってんのか?」
  「借りればいいのよ。持ってる人いるでしょー?」
  「誰に?」
  「それは判らないわ。わたしの友達で釣りが趣味の人なんていないもの」
  「あああああ!」
  誠は大きな声で叫んで立ち上がった。クラスメイトが一瞬奇異な目で誠を見たが誠は気にせずに伸びをしてまた座った。一番驚いたのは他ならぬ煌と由良だろう。
  「じゃあわたしが全部コーディネイトするから、身ひとつで行きましょうよ。それならいい?」
  「おまえがぁ?オヤジさんに頼め!な、悪いことは言わねぇから川沿いの宿でも紹介してもらえって」
  「なんでぇ?じゃあそれなら行くの?」
  「行く行く、つりでもなんでも行ってやるさ!な、煌」
  「・・・・・・俺、釣りなんて子供の頃少ししただけだ」
  「え?わたししたことないよ、二人とも経験者なのね?心強―い」
  由良は満面の笑みでおっとりと微笑んだ。誠と煌は目配せし合って密かな溜め息を逃した。予鈴が鳴ったので由良は自分のクラスに帰っていった。と、また戻ってきて、放課後までに話を纏めると二人に約束して行ったのだった。由良のことだから、授業中に父親にコンタクトを取って、至急ツアーを組むつもりだろう。昔からあの父親は一人娘には甘過ぎる傾向にある。由良の父親は国内でも有数の、高級旅館のオーナーだ。旅行業界にはとても顔の利く人物なので、夏休みなどにもよく連れて行ってもらったものだ。国内外の各リゾート地には必ずと言っていい程菱永家の別荘があり、常駐の管理人が住んでいる。今すぐ行っても快適に食事をして休めるようになっているらしい。世の中にはこういう生活をしている人もいる。
 期待の放課後、由良は自分のクラスが終わると廊下で二人を待っていた。窓にもたれて時計を見る。男子生徒が憧れの目で密かに見ているのを、由良は気付かない。何かと有名なのは誠と煌だが、実は由良にも隠れファンは多い。あくまで噂だがファンクラブもあるらしい。が、その具体的な活動内容は不明だ。この学園には部活の他にも大小様々なサークルや研究会、ファンクラブがある。一般に部員が10名以上いて生徒会に申請していれば部活と認められ予算が宛がわれるが、部員の数が20名に満たないものや未申請のものはサークルと呼ばれて、その数は100とも言われている。日常なにがしのサークルが発足し、また解散しているので誰にもその実態は掴めない。文化祭の時に毎年出品しているものは比較的目に触れやすいが、個人のファンクラブ等は最早幻と呼んでも支障はないだろう。公式HPを立ち上げているCLUB−Shumi1000(シュミセン)などは別だが。学校側は生徒の自主性を誘導する為に部活・サークル・ファンクラブFC問わず学校のHPにリンクを許可しているが、ひとつだけ条件をつけていて、1週間に一度は必ず更新することを挙げている。由良のFCも噂ではHPを運営しているが、極秘会員制であるらしく見た者はいない。由良の友達の唯にもFCがあったのだが、仁と付き合うようになって即解散したらしい。今度は転校してきたファランのFCが発足し、会員を募っているということだ。由良も唯も煌たちもあまり興味がないので、そのアンテナにこれらの情報が引っ掛かることはない。三島学園という世界は狭くても、中々に味は濃い。因みにCLUB−Shumi1000は校内公式FCとしては最大で、正式に申請をしているので予算も下りている。れっきとした文化部の扱いを受けている。もうひとつ、部活とサークルの違いは文化祭などの校内イヴェントで教室を宛がわれるか申込後抽選になるかの違いがある。なので文化祭実行委員会が起動する2学期になると、どの部も部員の確保に忙しくなる。
  煌たちのE組のHRが終わったようでまばらに生徒が出てきた。由良は5・6時間目を犠牲にして作った旅行のしおりを鞄から出して、煌の席に歩いていく。嬉しそうに煌に手渡して笑顔になる。
  「煌くん!見てみて、作ったのー!」
 「・・・由良、学期末テストどうなっても知らないぞ」
 「大丈夫、頑張るから教えてね?」
 「はいはい」
 「せーいくーん!こっちこっちー!」
 由良は誠を手招きして、大きな声呼んだ。こめかみの辺りを指先でかきながらショルダーバッグを襷掛けに掛けながら誠がやってくる。鞄にはノートPC以外何も入っていないのは明白だ。
 「おーおー、おまえは元気だなぁ。さっきの授業はつまんなかったからオレは眠いんだ」
  「あらあら、学期末テストどうなっても知らないからね?」
 「ノープロブレム!煌ちゃん頑張ろうなっ!」
 「イヤだ」
 煌は冷たい目をして即答した。煌は何だかんだ言ってちゃんと勉強しているらしくて成績は常に一桁だ。三島学園以外の医学部を受験するつもりでいるので、3年のクラスは由良とも誠とも一緒にはならないだろう。1年の時に由良と同じクラスになれたから、それについては余り心が残ることはない。由良と誠はこのまま付属大学に進学するので勉強に関心を持っていない。9割以上の生徒がその進路なので、3年になっても緊迫感はない。修学旅行も5月に行われる。そんな状況なので誠も由良も煌の家庭教師を期待している。特に数学が苦手な由良は煌がいないと試験がピンチなのだ。誠は特別成績が悪い訳ではないが、真面目に授業を受けないので斑がある。
 「はいっ!誠くんの分」
 由良は旅行のしおりを誠に手渡した。帰ってしまった煌の隣の席に腰掛ける。黙々と一通り目を通して目を輝かせて由良に質問する。
 「気合入ってんなぁ。でもこれ日付が抜けてるぜ?」
 「じゃじゃーんっ発表しま〜す!今週末でーす!」
 「今週末!?ってあと2日じゃねぇか、おまえいつも急だなぁ。煌は予定とか何もねぇの?」
 「別に。俺はいつでもいい」
 「ああそう」
 誠は溜め息混じりに半笑いで突っ伏した。不意に不敵な含み笑いを漏らすと、勢い良く立ち上がった。びしっ、と口で言いながら天井を指差し高らかと宣言する。
  「よしっ、おまえらに美味い魚食わしてやるっ!オレ様に任しとけー」
 「きゃあ、誠くんかっこいいー!わーいっ」
 由良は満面の笑みで盛大は拍手をして誠を称える。煌はついていけない様子でそっと溜め息を吐いた。かくして2年生最後の3人旅が決定したのである。

 場所は箱根。厳密に言えば箱根の北東の位置する強羅という辺りで、箱根裏街道が走り早川が山の水を相模湾に伝えている。由良が―正確には由良の父親が―用意したお座敷バスで、山道をひたすら走りながら由良と誠はカラオケに熱を上げていた。普段あまりカラオケをしたがらない誠も、他にすることがないので半ばやけになって由良のリクエストに答えている。煌は耳栓をして本を読んだり勉強したり、それに飽きると眠ったりして道中を過ごした。お世辞にも上手と言えない由良の歌声に一番迷惑を被ったのは他ならぬドライバーだろう。週末の第一歩、金曜日の9時過ぎに宿に漸く到着した頃には、寝過ぎた煌はやけに目が冴えて時差ぼけのような妙な感覚に見舞われている。
 由良が父親と相談してこの葉双亭に決めたのは貸し切り露天風呂があるからだ。二人には言っていないが、どうしても3人で露天風呂に入りたかったのだ。上手いこと二人を露天風呂に送り出して、由良は後から乱入するという秘密の計画を企てている。
  女将に案内されて部屋に入ると、すでに布団が敷いてあった。仲良く3つ並んだそれは、勿論由良の指示通りである。女将はお茶を入れて露天風呂の場所を説明すると部屋を退出していく。由良は小さな頃から布団で寝た経験が殆どないので、掛け布団の上を面白がって転がり回った。誠はギターを取り出して音が大きく鳴らないように爪弾いて、呆れたように由良を嗜める。
  「由良、恥ずかしいからそうアカラサマにはしゃぐのはよしてくれ」
 「えー?だってお布団大好きなんだもん。あと畳も素敵」
 「座りっぱなしで疲れたなぁ。とりあえずひとっ風呂浴びてくるとすっか」
 「せっかくだから二人で行っておいでよー。わたしはここでお布団遊びするから」
 「お布団遊びって・・・」
 誠は異常にテンションの高い由良に終始圧倒されっぱなしで、半笑いになる。煌は着替えを備え付けの袋に入れて用意を済ませた。必要なものは各々の着替えだけであとはあちらに常備されている。誠も支度をして、二人で出て行った。由良は急いで跳ね起きて、持ってきた水着に着替えた。バスタオルから透けないように地味な色のビキニだ。ついでに驚かせるつもりでストラップレスのものを選んでいる。用意周到。由良は笑いをかみ殺しながら、誰もいないというのに何食わぬ顔でまた服を着た。
 廊下に出て歩く足が自然と軽くなる。荷物を胸の前に抱いて、目的の露天風呂の扉をそっと開けた。脱衣所には誰もいない。由良は二人の驚く姿を想像しながら急いで服を脱いで、持参してきた大判のバスタオルを纏った。すりガラスをそっと開けて、中に入る。
  「お邪魔しま〜す!」
 「由良!!」
 煌は心底驚いた様子で目を白黒させた。湯に浮かべた桶の中でぐい飲みが倒れる。誠は口を開けたまま由良の方を見て固まっている。由良はトレンチコートのヘンタイのオジサンがやるように、バスタオルを大きく広げてポーズをとった。煌は憤りを精一杯押さえて穏やかに告げる。
 「由良・・・・・・頼むからバカなことしないでくれ」
 「いいのよ、バカをやれるのは若いうちだけなんだから」
 「おまえホッントやってくれるよなぁ。おかしいと思ったんだよ、二人で風呂入ってこいなんて言うから」
 「うふふ、超楽しい」
 ハートマークを5つ位語尾につけて、由良はかかり湯をしてバスタオルのまま湯に浸かった。檜の風呂は間接照明が緩やかに燈っていて、とても幻想的だった。外は良く晴れた夜空で満面の星が山の形をくり抜いていた。暗くて判らないが、その肌には雪が惜しみなく積もっていることだろう。鼻歌を歌いながら由良は無邪気に透明な湯の表面に波を立てた。波紋が煌や誠の胸まで届く。
  「カミングアウト温泉みたい!」
 「どこら辺が」
 「誠くん何で怒ってるの?いいでしょう別に。今だけじゃない、3人一緒に遊んで回れるのって。楽しもうよー、ねー?」
 「おまえはキラクでいいよな。いいやもう、おまえといると怒ってんのがばかばかしくなる」
 「そうそう!だから煌くんもスマイルスマイル、ね?」
 「おまえ由良に触れるなよ、マジで殺すからな」
 煌は由良相手に怒りをぶつけられないので、誠に凄んだ。両手を挙げて誠は何度も頷いた。煌のこういった態度は1年通しても1度あるかないかだし、本気なので誠は決して逆らわないことにしている。煌は憮然とした態度で何度もぐい飲みを煽った。湯のかからない所にはワインも置かれている。深緑色のスリムなボトルのシルエットが落とす僅かな影は、天然大理石の上に淡い色を差す。湯の注がれる音以外は奇妙な程に静かだった。煌は本格的に酔う前に飲むのを止めていた。誰も何も言わないまま、時間が優しく流れていく。湯の温度は熱いくらいだったが、外気の寒さにいつまでてったも上せない。由良はふと、これは一生残る思い出だと思った。でも口には出さない。言葉にすると途端に嘘になってしまうような気がしているからだ。大好きな煌と大好きな誠がいることだけで、この世が愛しい。全てに優しくなれる予感がする。
 「誠くん煌くんアリガトウってカンジ」
 「何だいきなり。上せたか?」
 「ううん、上手く言えないからもうパス!」
 「由良はかわいいよ、俺の宝物だ」
 少し赤い顔をして煌は由良を抱き寄せた。由良は嬉しそうに目を閉じて肩にもたれる。それが引き起こす波紋が誠に届くより早く誠は水を手のひらで叩いて、些細な妨害工作を施した。
 「おいおいおいおい、オレがいること忘れていないだろうな?酔っ払った煌はヤバイからなぁ、何をしでかすやら」
 「素面のおまえよりもマシだ」
 煌は平然と言いながら由良を解放して誠の方に湯を飛ばす。由良はさもおかしそうに声を上げて笑い出した。静かな山荘に明るい声がこだまする。やがて大人になることが判っているから、今が楽しいのだろう。大切な人と過ごす大事な時間。由良は一瞬々々をしっかりと胸に焼き付けて笑いつづけた。月が明るくその表情を照らしている。



File2.0  時の扉
File2.1  幼馴染み
File2.2  高校生。
File2.3  大事なこと、信じているもの。
File2.4  バトルロワイヤル
File2.5  青春X3!
File2.6  When we were green.
File2.7  つりにゆこう
File2.8  空が青い日
巻末付録(ミニデータベース)
公式HPより抜粋記事
言い訳ついでにあとがき




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