PassionateBlue2.3 大事なこと、信じているもの。
血相を変えて誠が由良のクラスに飛び込んできた。昼休みの雑踏をかき分けて、誠はぶつかった人に謝りもせずに由良の元へ走る。
「あら誠くん、どうしたの?」
由良はいつものように極めておっとりと誠に微笑んだ。一緒にパンを食べていた唯も軽く会釈する。誠は大きく息をついて呼吸を整えて、深刻な顔つきで由良の顔を覗き込んだ。
「いいか?落ち着いて聞けよ」
「・・・うん?」
「煌がいなくなった」
瞬時に由良は青ざめた。口元に手を当てて、深く息をする。引き結んだ唇からは何の言葉も発されない。誠は由良の様子を注意深く観察しながら続ける。
「赤堀のじーさんとさ、一緒に発掘に行ってたんだってな。そこで土砂崩れがあって、作業員も何人か行方不明だそうだ」
「ぜ・絶対生きているわ。わたしのこと置いてどこかへ行ってしまう訳ないもの、ねぇ?」
由良は正面に座る唯に同意を求めた。曖昧に頷いて、唯は不安そうに誠を見る。由良は震える指先を組み合わせて、周りのことが目に入っていない様子で何度も唇を噛んだ。
「逐一オレんとこに報告が入るようになってるから、そう心配すんなよ、な?おまえがさっき言ったように、煌は絶対おまえを置いてどっか行ったりはしねぇ。な?オレの言うこと判るな?」
「大丈夫よ」
由良は言うなり、いきなり誠に抱きついた。押さえようもなく体が震えている。信じられないのに、頭は急速に悪いことばかりを考えようとする。今にも狂ってしまいそうで恐かった。誠は思い切り抱きしめてやりながら、心情は由良と同じだった。でも由良より幾分マシだったし、何より由良を支えてやれるのは自分しかいないという自負が誠の冷静を辛うじて保っている。
「大丈夫だ、だからおまえもう寮帰れよ。早退した方がいい」
「いや!独りでいるの怖い。ここにいるほうがまだマシだわ」
「じゃあ家に戻れ、送ってってやるから。そうしろ、な?その方がオレも連絡入れやすい。帰ろう」
「・・・・・・」
由良は誠の腕の中で強く頭を振った。誠は構わず鞄を持って、由良の腕を引く。溢れた涙に視界を奪われて、由良は呆然とされるがままになっていた。そのまま連れ出して誠は、門の外を歩いてタクシーをつかまえて由良を押し込む。行き先を告げてシートに身を沈めた。ジャケットのポケットの携帯電話を取り出して、執事に学校に連絡させた。由良の家にも電話を入れて簡単に事情を話し、同様の措置を執らせる。
溜め息を吐いてまたシートにもたれると、由良が手を握ってきた。子どもの頃以来だ、由良と手を繋ぐのは。掛けてやる言葉が見つからない。お互い何も話さず、じっと前だけを見つめる。唯一確かに二人を繋ぐのは手の温かさだけだった。
広い屋敷に着くと、由良はまた呆然とした表情で涙を流し始めた。事情を聞いていた母親が優しく肩を抱いたが、由良はそれすらも気づかない様子だ。誠はどうすることも出来ずに、ただ手の中に携帯電話を握り締めていた。
緊迫した空気に、誠の携帯電話が鳴り出す。聞きなれた軽い音楽もこの時ばかりは場を和ませない。誠は低い声で電話に応じる。由良はじっと誠のやり取りを見守っていた。逸る気持が押さえられなくて、何度も手を組みなおす。じっとりと汗ばんでいたが、今は気にならなかった。
「何か判ったらすぐかけてくれ」
誠は暗い表情のまま電話を切った。捜索の人員が増員されたという電話だった。由良は落胆して誠を見たまま涙を零す。目の周りが赤に縁取られて、見ていてとても痛々しかった。
「そんなに泣くなよ・・・オレも辛いだろ?煌が戻ってきたらビックリするぜ?な、由良」
「・・・・・・判ってるのに、涙が止まらないんだもん」
由良は情けない顔をして、覚束ない足取りで誠のところに歩いてきて抱きついた。母親の手前素直に抱いてやるのも気がひけたが、だからといって突き放せない。幸い母親とも古い付き合いだし、彼女が何のリアクションも示さなかったのが救いだった。何度か優しく肩を叩く。
「よしよし、おまえはいいコだよ」
「ありがと」
由良は誠のシャツに涙を擦りつけると、誠の顔をゆっくりと見て不意に笑った。呆気にとられて誠は由良の瞳を見つめる。
「もう大丈夫になった、ありがとう誠くん」
「お・おぅそうか、良かったな」
「うん!お茶しよう、お茶!」
由良は元気にそう宣言すると、部屋を出て行った。誠と由良の母親は言葉もないまま、扉の向こうの娘に心を持っていかれたままだ。
「いやだわ、ごめんなさいね、誠ちゃん」
「いつものことだから、別に気にすんなよおばちゃん。由良はいつだってああいうヤツだって」
「赤堀センセイって、発掘もしてらっしゃったのね、わたし知らなかったわ」
「オレも。またいつものマイブームじゃねぇの?付き合わされた煌がキノドクっつーか」
「悪い人じゃないんだけどねぇ、困った方だわ」
おっとりと溜め息を吐いて母親は軽く首を振った。俯いたら由良によく似ている。いつまでも綺麗だし夜なら姉妹に間違われるかもしれないと、誠は密かに思った。
由良がお盆にカップとポットを乗せて戻ってくる。顔を洗ったのか、先刻までの悲痛な表情はどこにもなかった。誠も母親も安堵する。見ていて辛かったし、捜しに行くと今にも飛び出して行きかねない。由良ならやるだろう。大人しく連絡を待つ気になったのかどうかは疑わしいが、今すぐ回りを困らせるような行動には出ないだろうと、誠は考えた。
由良の煎れたコーヒーは少し苦かったが頭が冴える。居間で夕方まで連絡を待っていたが、あれ以来携帯電話は鳴らなかったので由良は部屋に戻って着替えた。誠はテーブルの上に電話を出して、ソファに深く沈みこんでいた。冬は瞬く間に昼を連れ去り夜の世界を展開させる。いつの間にかしてしまったうたた寝から目覚めると、すっかり夜になっている。勧められるままに夕食を食べて、誠は自宅に戻る旨を由良に告げる。由良は眉間に皺を寄せて、反対した。
「だめ。帰っちゃだめったら絶対だめ」
「あのなぁ由良ちゃんよ、オレんちはここじゃねぇの!ガキの頃ならいざ知らず、幾ら幼馴染みとはいえ女の家にホイホイ泊まれるかっつーの」
「そうよ、誠ちゃんを困らせちゃだめよ」
「ママは介入しないで!わたしと誠くんの話し合いなんだから」
「違う!そもそもそれが間違ってる。あのなぁ由良」
「やだっ!!電話があったらどうするの?夜中だからってわたしには知らせないつもり!?」
誠の言葉を遮って、由良は声を張り上げた。戸惑う母親を無視してさらに続ける。誠は言い出したら聞かない由良の性格をよく知っていたので逆らわずに聞くことにした。
「誠くんのことだから寝てて気づかないかもしれないし、お風呂入ってる時にだって連絡あるかもしれないじゃない。そんなのやなの!だから帰っちゃだめ!」
「じゃあこうしよう。ケイタイは置いてくし、明日朝一番に来る。な?それでいいだろ」
誠は弱い言い分だと感じながら、テーブルの上に携帯電話を置いた。ギターの飾りの付いたストラップが乾いた音を立てる。それでも由良は首を縦には振らなかった。誠は大きく溜め息を吐いて、早々に降参した。泣く子と由良には勝てない性分だ、昔から。
「ホント?わたしが寝たからってそっと帰ったりもしない?」
「絶対しません」
両手を上げて誠は真剣に誓った。母親の方を見ると、困ったように微笑んでいた。どうやら誠と同じ主義のようだ。由良はお手伝いさんに誠の着替えと布団を用意するよう、てきぱきと指示している。いつもはおっとりしているのに、恐るべき行動力だ。
また勧められるまま風呂に入って、ビールを出してもらう。季節を問わず、やはり風呂上りにはビールが一番だと誠は思っている。由良は誠が席を外している間もずっと、携帯電話を見張っていた。入れ違いで風呂に入って、由良は戻ってくる。誠が何個目かの缶を開けたその時、携帯電話が鳴り出した。由良の瞳に一瞬強い不安が走る。誠はそれに気づかない振りをして電話に出た。雪が降ってきたので、捜索は一時打ち切るということだった。また明日の朝に再開するらしい。慎重に言葉を選んで、また誠はそれを気取られないように由良に説明する。動揺を隠せない様子で由良は言葉なく頷いた。
「何て顔してんだよ、大丈夫だって。別に煌たちだって素っ裸で作業してた訳じゃねぇんだから、な?」
「でもかわいそうだわ、雪が降ってきたのね・・・」
「あのじーさんもこれに懲りておとなしくなるだろうよ、そう心配するなって」
「そうかしら?そうなるといいんだけど」
「さぁもう寝ようぜ、今日は疲れただろ。そんな真っ赤な目で夜更かしすると目ん玉溶けちまうぞ〜」
「馬鹿なこと言わないでー」
由良は頬を押さえて上目遣いで誠を見た。風呂上りの血色のいい肌。一瞬誠はこんな時だというのに善からぬことが頭を過ぎって、一人密かに焦った。誤魔化すように先に歩き出す。
「ほら寝た寝た!あ、オレはどこで寝るんだ?」
「わたしの部屋よ」
「はぁっ!?おっまえちょっといい加減にしろよ?幾らなんでもそれは合意できねぇ」
「しーっ!大きな声出さないで、ママには秘密なんだから」
「当たり前だろ!じゃなくて、おい待てって!」
由良は居間を出て階段を上り始めた。慌てて追いかけると由良は振り返って、晴れやかな笑顔を見せた。誠は頭痛を押さえるようにこめかみに手を添えて、由良に従った。こうなると誰も由良を止められない。むしろこれ以上無理難題を言われないうちにこれで手を打つしかない。
久しぶりに入った由良の部屋は、思ったよりも乙女チックなものではなかったことに誠はまず驚いた。シンプルというべきか、むしろ殺風景なのもとして映る。最低必要な物しか置かれていない。ベッドとソファ・本棚、あとは壁に据え付けられたスピーカーは有線放送だろうか。無遠慮に部屋中を眺め回して、誠は思った通りのことを口にする。
「そう?殆ど寮に持ってっちゃってるから・・・わたしこう見えても学園生活に命かけてるのよ、離京の相があるから、部屋には心残りするようなものを置かないようにしているの」
「ん、まぁ仕方ねぇか。じゃあお休み」
誠はソファの上に身を投げて、だんまりを決め込むつもりで両腕を顔の上に組んだ。それと反して由良は灯りを落として、おとなしくベッドに入る。誠は肩透かしを食らったような心境になったが、黙って目を瞑った。ポケットを探って床に携帯電話を置く。フローリングは冷たい音を返した。
寒くも熱くもない、奇妙な空間。
誠はうとうとと眠りかけて、夢か現かに由良の声を聞いた気がした。耳を澄ませても声は聞こえない。また目を閉じると同じようにあるかなしか耳に届く。誠は静かにソファのそばに立って、由良のベッドを見下ろした。由良もゆっくりと上体を起こす。誠を見上げて、薄闇の中微かに笑う。涙で濡れた瞳が緩い光を受けて少し光ったような気がした。惹きよせられるようにして、誠は由良を抱きよせた。腕の中でただ嗚咽をかみ殺す由良を、力一杯抱きしめる。由良の髪の香が誠の理性を押しやる。誠は腕の力を緩めずに由良と共にベッドに倒れこんだ。薄い暗闇で頬に口づける。由良は身を固くして腕を突っぱねた。
「だめっ!誠くんてば!やだっ、何考えてんのよ」
「何って・・・おまえそりゃあんまりじゃねぇ?」
「あんまりじゃないわ、ちょっともうっ!誠くんちょっと聞いて。ね?わたしの話を聞いてくれる?」
「・・・・・・あぁ」
すっかり理性の戻った誠はばつの悪さをぶっきらぼうに替えて頷いた。ついでのように由良を解放したが、二人ともベッドに横たわったままだ。
「わたしね、中学の3年間、フランスに住んでたでしょ?その時煌くんは毎月会いに来てくれたの」
「毎月?マジで?」
「マジよ。数えたことないけど30回以上来てくれたのよ。30回よ、30回。中学生なのになんてマメなんでしょうね。わたし、本当に煌くんに大事にされてるの、判ってる?でも誠くんが思うよりもずっとわたしと煌くんは深く繋がっているのよ。わたしが一番よく判っているわ。ずっと昔から煌くんはわたしに何でも聞いてくれたし、何にも強要されたことなんてないわ。本当にわたしを大事に愛してくれているの。だからわたしは安心して誠くんと同じ部屋で眠れるのよ、誠くんはそれに敬意を表さなきゃ。それでもまだこんなことしようと思う?」
「・・・・・・いや、ゴメンナサイ」
「だから誠くん、いくら誠くんにでもヤラしてやんない」
「おい、おまえ下世話な言葉知ってんなぁ・・・オレの前以外でそんなこと言うなよ」
「当たり前でしょ?煌くんにだって言わないわ、誠くんだからよ」
「はいはい光栄ですとも」
誠は笑いながら溜め息を吐いた。少しはいつもの由良に戻ったようだ。この調子で明日には煌が無事発見されて、何事もなく廻っていくのだろう。何も起こらない平和な世界も、たまにはいい。
「もう大丈夫そうだな、おまえ」
「・・・そうね、大丈夫かも。どうしてあんなに取り乱してたか今はちょっと判んない」
「それが繋がってるってシルシか?」
「シルシなの、煌くんは大丈夫よ。明日捜索が再開されて、赤堀センセイとその仲間たちと共に無事発見されるのよ。ついでにスゴイ発掘もね」
「良かったな、まあおまえがそう言うんなら間違いはないだろうーな。一応大団円だ」
「そう、だからもう寝ましょう」
「そうだな」
誠が上半身を起こしかけたのを、由良が引っ張って制した。心細そうな、子どものような瞳が誠を見る。誠は嫌な予感に襲われて、溜め息を密かに逃がした。
「折角だから一緒に寝ようよ。二人の方があったかいよ」
「おまえ、また性懲りもなく・・・あのなぁ、オレはオンナを知ってから女と一つ布団で寝て何もなかったことは今までないんだぞ?」
「じゃあいいじゃない、第一号がわたしで」
「よかぁねぇっつーの・・・」
「ほらぁ、掛け布団の上で寝ないでー」
「はいはい、ちくしょー」
促されるままに、誠は由良のベッドに潜り込んだ。間髪いれず微笑んだ由良が身を寄せてくるので軽く抱き寄せる。間もなく由良の規則的な寝息が誠の耳に届いたが、当然誠は中々眠れなかった。だが、不思議な感覚だった。こういうのも悪くない、ただし一度きりなら。
そっとベッドを抜けて誠はソファに横になる。頭の下で手を組んで、溜め息を吐いた。由良が寝返りを打つ。息を潜めているのに気づいて、誠は口元だけで笑った。大事にしているのは何も煌だけではないということが、誠にはおかしかった。
File2.0 時の扉
File2.1 幼馴染み
File2.2 高校生。
File2.3 大事なこと、信じているもの。
File2.4 バトルロワイヤル
File2.5 青春X3!
File2.6 When we were green.
File2.7 つりにゆこう
File2.8 空が青い日
巻末付録(ミニデータベース)
公式HPより抜粋記事
言い訳ついでにあとがき