一汁一菜 我が家の歳時記 4
(2002.3〜
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 最終更新日 2011/01/31


我が家の歳時記  もくじへ メニューへ戻る

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M  2002.4.13 配偶者の実家でお祖父さんと姉さんの50回忌の法要が営まれて、家族で参加しました。
N  2002.4.20 高槻市のハイキングクラブが田上山へのぼりにきましたので地元として迎えました。
O  2002.8.31 今年初めての『松茸山』を楽しみました。
Q  2003.1.2  毎年行っているT商店主催の新年会が今年も開催されました。
Q 
 2003.10.5 姪の森田千香ちゃんの結婚の内祝いの宴がありました。
R  2003.11.22 甥の多田秀介くんが結婚式を挙げました。南浦和へ都合16名で旅行しました。
S  2004.1.2 多田商店で恒例の新年会がありました。
21  2004.4.11 母親の7回忌を行いました。
22  2004.4.18 長女の誕生祝いに買い物と夕食に出かけました。
23  2004.6.27 4人揃ったところで、映画鑑賞と夕食会に出かけました。
24  2004.7.17〜18 多田商店旅行、今年は蒲生田岬へ2泊3日の旅に出かけました。
25  
2004.9.19 森田家に集合して、恒例の「マツタケ山」でした舌鼓を打ちました。
26  2004.11.23 我が家に「ホンダフィット」が仲間入りしました。
27  2004.12.30 恒例の餅つき大会を我が家で行いました。

 


27  2004.12.30 年末恒例の餅つき大会を我が家で行いました。

 毎年のお鏡餅をつくための餅つき大会を我が家で開いています。今年は配偶者の腕の調子が悪いので開催するかどうか検討しましたが、力仕事をしないという条件で開くことになりました。
 関西フィルの平野さんが丹精込めてつくったもち米を13キロ購入。このうち10キロを前々日から洗って水に漬けておきました。蒸し器と餅つき機を多田さんから借りてきて、午後6時から開始。鏡餅が1番目。次に丸餅・伸餅と作りました。我が家プラス西田家4人+多田のばあちゃんの合計8名(長男はバイト)。コタツでかに鍋をつつきながらつきあがった餅を丸めていきます。黄な粉と大根おろしと小豆あんこと砂糖醤油とがあって、好きな食べ方でつきたての餅を食べるのが本当に美味しい。
 全部で
五うすついて、丸めました。


26  2004.11.23 我が家に「ホンダ・フィット」が仲間入りしました。

 今までは、ホンダ・ドマーニが我が家の愛車でしたが、5段ミッションのため、配偶者が頚碗障害ということで運転しにくくなり、この際新車購入と相成って、「ホンダ・フィット」が家族の仲間入りとなりました。
 今までのホンダ・ドマーニは長男がそのまま乗るということで、2台保有することになりました。
 フィットの売りは
燃費の良さ。試してみましたが、高速では19km/gが実現しました。普通の道ではこれからです。色は長男の好みでブルー。不景気な世の中ですので、原色がいい?


25  2004.9.19 森田家に集合して、恒例の「マツタケ山」で舌鼓を打ちました。

 いろいろな料理法でマツタケを楽しむ「マツタケヤマ」が今年は3連休の中日19日(日)の夜に森田家で開催されました。
 今年は横浜から知恵ちゃん一家が里帰りしていたので、林田家2名・松村家3名・森田家3名・西田家4名・多田家2名の
合計14名が集合しました。
 
土瓶蒸と焼きマツタケとマツタケご飯の3種類が出てきました。ビールは飲み放題で、うまい、うまいとよく飲みました。
 持ち上げているのがマツタケ山。一人1本半当たる勘定で購入してきたとか。傘が直径20cmもある大物そろいでした。


24 2004.7.17〜18 年一回恒例の多田商店旅行 、今年は徳島・蒲生田岬2泊3日の旅に出か
  けました。


 毎年夏に行っている『
多田商店旅行』。今年の幹事は次女の森田家でした。7月17日から『徳島・椿泊−蒲生田岬2泊3日の旅』。企画が早く8ヶ月前から話があったこともあって、参加者が多かったのが今年の特徴でした。
 大津からは、多田家2名、森田家3名、松村家3名+1名、西田家4名、石塚家2名、横浜から林田家2名、上尾市から多田家2名、これで
総勢19名の参加です。大津市から7月17日に車4台(翌日の参加者3名で1台)で出発です。途中で高速道路が混雑することが予想されましたので、早朝5時発となりました。京滋バイバス−名神高速道路−中国自動車道−三陽自動車道から淡路大橋を経て淡路島へ。周りが見渡せるサービスエリアには7時頃に到達できました。軽く皆で朝食。そこから徳島空港へほぼ1時間で行けました。飛行機で来た関東組と合流して、4台の車に分乗しました。上尾の多田家は3時過ぎに出発、横浜の林田家は4時過ぎ、いずれも早い時間から出発して高い交通費を出して旅行に参加してくれたということで、感謝です。
 空港からは国道11号線で徳島へそこからは国道55号線で一路南へ向いました。
椿泊方面へ左折してからは細い道で蒲生田岬へ行く道は車同士の離合も困難でした。岬には10時半頃に到着しました。
 炎天下、雲一つなくて暑いこと。海岸に立つだけであごから汗がこぼれ落ちます。さっそく砂浜に
テントをたてる作業に着手。二はりはってその中でホッとできました。今回の食事の準備は全て幹事の森田家が車に積んでの移動でした。たくさんの荷物が積まれた車は夜逃げのようだと形容されていました。
 昼食はテントの中で森田家中心に準備。
バーベキューパーティです。森田さんが海に出て行って天然のサザエを取ってきたのにはびっくりしました。素もぐりで取れる位置にサザエがいるくらい蒲生田岬には人工化されていないということです。暑いから飲み物も良く売れました。ビールを飲むこと、飲むこと。釣り道具を持参しましたので、竿を出してキス釣りに挑戦しました。餌はゴトムシ。投げ釣りですので、タイミングが難しいのですが、うまくいくようになりましたが、あたりがないのが残念でした。
 昼食時には森田晴美さんの生まれ在所からお母さんと長女・孫・ひ孫の
4名が加わりました。椿泊からの参加です。これだけ多いとにぎやかで楽しい。
 昼からは、泳ぐ人、昼寝する人、釣りをする人、それぞれ思い思いのやり方で過ごしました。夕方5時ことになって、近くに
温泉があるということで、海水を洗うことも兼ねて入浴に出かけました。一人500円で身体を洗ってさっぱりとしました。
 そこから
民宿へ移動。『あたらし屋』という民宿は海岸から歩ける距離にありました。大きな日本造りの家で今日の宿泊者16名で貸切でした。夕食は魚料理中心でどれも美味しいものでした。部屋は5つ準備されていて、7家族組合せで部屋割りがありました。
 夜10時まではゆっくりしてそのあと海岸へ出かけました。

 蒲生田岬は「アカウミガメ」の産卵の地として知られています。徳島県の指定も受けていました。それで、みんなで産卵を見におこうという計画です。カメが驚いてはいけないということで懐中電灯は一切無し、月明かりが頼りの見学となりました。

 海岸へでてもどこにカメがいるかは全く見当がつきません。水際を歩いてみても全くわかりません。仕方なく帰ろうとしたところに見知らぬ人から「ウミガメをみにこられたのですか?」と声が掛かってそうですと答えると、「それでは私についてきてください」。
 皆が黙ってついていくと遠くで
カサカサというかすかな音が聞こえました。「今、ウミガメが産卵場所を物色しています。静かにしていないと驚きます」。そのまま、ずっといること40分くらい。「もう大丈夫です」「産卵をはじめたら近づいても大丈夫です」ということで、恐る恐る近寄ると、大きなカメが海中電灯の明かりに照らされていました。まるで竜宮城のカメです。これにはびっくりしました。写真を4枚取りました。声をかけてくれた方は東京から来た研究員とのことで、カメに鑑識票をつけたり大きさを測ったりしていました。一同、アカウミガメの産卵という場面に遭遇できて大満足でした。

(つづく)
           

 


23 2004.6.26 映画『ハリーポッターとアズカバンの囚人』鑑賞と夕食会に出かけました。

 配偶者の勤める職場の互助会から10周年記念の食事券が配付されたということで、「ケイブン」(滋賀銀行が行っている文化行事)の映画の券とを組み合わせて、「映画と夕食の夕べ」を我が家主催で開催しました。
 長女は一人暮らしする家から直接参加、長男は夕方以降は熟の講師のアルバイトがある、ということでバイクで参加。我々夫婦のみ自動車で先ず、otsuセブンシネマに向かいました。席はすでに予約してあったので、2時20分に入りました。映画は2時間を越えましたが、家族全員が好きな映画ということで、楽しんで鑑賞しました。

 そして、午後5時からの大津プリンスホテルのレストランへ移動。バイキング方式で、なかなか美味しい物を食べさせてくれるということで期待して出かけました。丁度、5時到着となって、未だ空いている席で、ゆっくりと自分で取って来ては食べました。

 長女の仕事も今はひと段落ということで、また別の仕事を貰うと忙しくなるとか。ボーナスが思ったより手取りが少なかったとぼやいていました。長男はもっぱら食べることに精出していました。

 1時間強の夕食会でしたが、会話しながら美味しいものを食べるのはいいものです。
 次は7月17日〜19日の旅行です。
 


22 2004.4.18 長女の誕生祝いに買い物と夕食に出かけました。

 4月13日が誕生日ですが、初めての日曜日ということで、買い物と夕食に出かけました。誕生日プレゼントは、私からはジーンズでした。ただし、何とか言うメーカーのもので、一着13,000円もするという品物でした。(プレゼントの上限は10,000円、残りは自前)。母親は夕食と、上着の買い物の半分負担。長男からは今回はありませんでした。

 夕食にいったのは、瀬田にある『ロイヤルオークホテル』内の中華レストラン「湖園」。予約をいれて午後7時からの食事でした。選択コースでしたので、長女が選択権を行使して、皆は従いました。料理の名前を覚えていないのは料理オンチの故でしょうか。
とにかく沢山の品があって、おなか一杯になりました。値段もたっぷりでしたが、年に一回のことと、大蔵省(今なら財務省か)も太っ腹で、満足しました。

 この一年、クソ忙しかった北海道の仕事もひと段落ついて今は、ちょっとゆっくりしているとか。また、新たな仕事が始まる予定はあるそうですが、ちょっとゆっくりすることも必要なことです。

 話題は長男の運転免許証のことと、どの道に進むかということ。ゼミは「企業法務」を取ったということで、随分と実践的な内容ではないか、と思っています。そんなのがいいのかも。
 長女が今付き合っている彼氏を、七月の多田商店旅行に来てもらうかどうか、もいろいろ意見がでました。皆にいじめられるとか大丈夫だとか。多田さん夫婦をうちの車に乗せて、長女は2人乗りで車を出してもらえば全体として楽になるとは思います。

 


21 2004.4.11 身内に集まってもらって、母親の7回忌を家で行いました。

 1998年(平成10年)の4月に母親が亡くなって7回忌を迎えるということで、ささやかながら、身内の者に家に集まってもらって、法要を行いました。声をかけたのは、多田家と森田家と森田家の3家族。午後5時に集まってもらって、お経と焼香とお茶。夕ご飯を皆そろって食べてもらいました。
 今年は、多田家のお母さんが同窓会のため、料理は森田家に依頼。おいしい会席をいただきました。畑とか野菜の話とかに花が咲きました。


 


S 2004.1.2 多田商店で毎年開催されている新年会に今年も家族で参加しました。
            
 
今年は 多田家2人に、松村家4人、森田家3人、西田家4人に新しく石塚家2人(森田家の次女が昨年の11月に結婚)が加わって総勢15名の新年会となりました。林田家は香港へ旅行中で3日に合流予定。
 今年も、たくさんの食べ物に囲まれて、わいわい騒ぎました。今年はカラオケに人気が集まっていました。お年玉が交換されて子供たちにとっていは、大事な日のようです。


 
 



R 
2003.11.22 甥の結婚披露宴が埼玉・南浦和で開かれ、多田の親族14名が
         そろって出かけました(横浜からは林田夫婦が参加)

 11月22には、埼玉県の南浦和で結婚披露宴が開かれることが決まっていましたので、今年の多田商店旅行は、この披露宴への出席を兼ねて、東京旅行することになりました。
 今年の幹事は、松村が当番でした。多田家2人、西田家4名、森田家3名、石塚家2名、松村家3名(配偶者用事で欠席)の14名と横浜から林田家2名参加で、都合16名の旅行となりました。
 式場での写真撮影の関係で10時20分には入って欲しいとのことでしたので、京都発6時15分の新幹線を予約。朝5時20分出発となりました。 東京まで2時間15分間。ちょうど8時半につきました。そこから京浜東北線に乗り換えて35分、無事南浦和駅につきました。
 そこから迎えのバスがあって、会場へ。大きな会場でした。多田のおじいちゃんたちは一日早く来ていました。服を着替えて会場へ。11月22日は「いい夫婦の日」でしたので、12組の結婚式がありました。
 10時半には親族紹介。大津と浜松(秀ちゃんのお母さんの出身地)と日立(お嫁さんの出身地)という遠くから駆けつけた親族の紹介がありました。

 11時には開宴。95名の招待客という大きな披露宴でした。人前結婚式の形をとった誓いの式があって、そのあと、披露宴。乾杯の音頭のあと、早速、お祝いのことばに入って、主賓あいさつが回ってきました。

 新郎のお父さんが長男で我が配偶者が長女、新郎側ではおじのトップという位置だから、と挨拶を頼まれて、初めての主賓挨拶となりました。一緒に出席した子どもから、はや口になるな、と何回かクギを刺されました。私のクセです。

 私の挨拶は2点。家庭とは「自立した個性が共存し励ましあう場」。自立とは先ず経済的自立で、今の大変な世の中にあって働いて収入を得る以外に生活糧は稼げないのだから二人が力を合わせて何としても経済的自立を勝ち取ってほしい。そして精神的自立。新郎は「小説家になりたい」という夢に向かってまい進してほしい(ホームページとその内容を紹介)、新婦は高校時代に弓道で国体に出たというスポーツマン。そのスポーツマンスピリットを発揮して、なにくそという精神、陽気にいこう、何とかなるかという積極的な考えを発揮してほしい。
 もう1点はあなた達にはふるさとがある、ということ。今日は大津・浜松・東京・日立から親族縁者が集まり祝ってくれている。「男はつらいよ」の寅さんは葛飾・柴又がふるさと。旅に疲れたらふるさとに「おいちゃん・おばちゃん・さくら・ひろし」がいる。いつでも暖かく迎えてくれる人たちがいる。あなた達二人も同様。「おいちゃん・おばちゃん・さくら・ひろし」がいて、いつでも待ってきてくれる、ということ、をわすれないでほしい。

 そんな趣旨のあいさつをしました。大上段の話は出来ませんので、語りかけるように話しました。とにかく終了して席に戻ってホッとしました。最後まで聞いてもらえたあいさつになって、よかった。

 あいさはあと新郎のおじさんが詩吟を披露して、アトラクションや唄になりました。あとはゆっくり料理を味わいながら、楽しみました。

 式が終了してからは、一同、池袋まで引き返して、サインシャインシティプリンスホテルに宿泊しました。そして夜の宴会は「笑笑(わらわら)」で16名が集まって3時間コースを楽しみました。飲み放題のため、飲むわ飲むわ、元は充分に取ったと思う。

 翌日は、ディズニーランドコースとはとバスコース分かれて、一日楽しむことに。しかし、観光地はとに角人の群れ。はとバスでいった浅草・浅草寺、東京タワー、隅田川クルージングいずれもいっぱいでした。人ごみで酔う気がしました。
 夜、8時の新幹線に集合して、帰途へ。大変な一日でしたが、旅行は無事終わりました。

来年は予定では、四国・徳島へ行きます。


Q 2003.10.5 姪の森田千香ちゃんの結婚の内祝いの宴がありました。

 森田家の次女の千香ちゃんがこの11月1日に結婚することが決まりました。
 そこで、親戚一同が集合して内祝いの宴が開かれました。
 森田家に集まったのは森田家を含めて
14名。各家族からお祝いをしたのち、森田家による歓迎の宴へ。
 秋の季節らしく、
マツタケパーティでした。土瓶蒸してんぷらマツタケご飯焼きマツタケと。全員がテーブルを囲んで昼間でしたが、ビールもいただいて、大いに盛り上がって祝いました。

 式は大津市内で、
新居は草津市に決定しています。親の家から車で10分もあればいける相手のお披露目は当日のお楽しみです。


P 2003.1.2 毎年開催されているT商店主催の新年会に今年も参加しました。

 今年集合したのは、T商店夫婦、我が家から全員の4名、MO家から4名、NI家から4名、HA家は新婚で2名と、総勢16名となりました。お店の2階で、セット。鍋はアンコウとしゃぶしゃぶ、寿司に鮒寿司に刺身船盛、コノワタ、漬物は白カブに赤カブに白菜漬け、ビールは業務用のジョッキの生ビールなどと、毎年豪華な料理が並んでいます。

 今年も無事に新年を迎えることが出来た、と店主の第一声で乾杯。あとはわいわい、がやがやの宴会となりました。お目当てのお年玉は、大学生まではもらえたようで、大変喜んでいました。成人式を迎える2人はその分の+αもあったようです。

 姪の3名が何れも和服で参加して非常に華やいだ雰囲気の新年会でした。


O  2002.8.31 毎年行っている『松茸山』パーティーですが、今年は少々早めに楽しみました

 今採れる松茸はきっと寒い地方のものですから、北朝鮮あたりではないか、と思われますが、それでも味は松茸に間違いありません。

 M家の屋外会場に4家族(親元と配偶者の3人姉妹の家族)12人が集合。今年のメニューは、「土瓶蒸し」と「焼き松茸」と「松茸ご飯」、それにサラダとゴーヤチャンプルとナスの煮付けと、焼き肉(牛と塩タン)。業務用の焼き肉器が威力を発揮しました。

 土瓶蒸しと焼き松茸は一人1本当たりました。焼き上がったのを縦に裂いて、醤油をかけて酢橘を絞ってそのまま食べる豪快な食べ方です。この家には業務用のビールサーバーが設置されていて生ビールが格別に美味しいのですが、この日ばかりはビールを飲んでも全員が松茸ご飯を食べました。

 我が家は4人全員で参加。美味しいものにはめざとい家族ならでは、だと思う。午後6時半から始まった宴会が9時半まで3時間、わいわい騒いでも近所には聞こえない程度に離れているという地の利ならでは、の屋外宴会でした。



N 2002.4.20 田上山ハイキングに来た高槻市のクラブを地元として迎えました。

 天候は生憎の雨でした。前回の11月に迎えた時にも雨でしたから、これで2回連続。何かの加減でしょうが、クラブの人たちはこれで普通と言った感じで、カッパを来て、湖南アルプス登山口まで、タクシーを乗り付けました。全部で13名。雨にしてはよく集まった人数ではないかと思いました。

 最初は全員で、ゆっくりと迎え不動まで上りました。道はアスファルトで、のぼりも急ではないため、話をしながら上りました。問題はその後に起こりました。メインの道路から登山道へ入る入り口を間違えてしまったため、その後は道が急に細くなったりして、色々の所を上ったが、最後は頂上まで行くのを諦めたとのことでした。これは悪いことをした、と反省しています。こちらから上ったことが一度もないために、入り口がここだと、思いこんでいたところが実はそうではなかったということが後から分かりました。

 女性3人と男性2人は迎え不動から引き返して、下のキャンプ場で昼食の準備をすることにして、引き返してきました。材料などは我が家で準備しました。オーストラリアビーフ肉と、焼き肉用の肉、野菜と五平餅。バーベキューセットと炭と薪と。材料は配偶者が我が家の自動車で運びました。

 12時半ころに皆が下山してきて、昼食タイム。外はずっと雨が降っていましたが、ココは屋根があってバーベキューには最適の場所でした。ビールで乾杯のあとは、肉を焼いたり、五平餅を食べたり、わいわいがやがやの時間。食料は沢山あって、みんな満足した様子でした。そのことはよかったのですが、道案内を失敗したことが、誠に申し訳なく、反省でした。

 あとは、直接帰る人はJR石山駅まで車で送りました。また、南郷温泉で一風呂浴びる者は「双葉荘」まで送りました。

 反省とよかったが、半々の接待でした。今度の11月はきっと3度目の正直となるでしょう。


M 2002.4.13(土) 配偶者の実家でお祖父さんと姉さんの50回忌の法要が営まれて、家族で参加しました。

 配偶者のお父さんは現在79歳。従って、29歳の時に「お父さん」が亡くなったことになります。お姉さんは25歳で亡くなられたということでした。その両方の「50回忌の法要」があって、親類縁者が集まって、供養しました。

 浄土真宗のお坊さんが話しの中で言っておられましたが、50回忌の法要ができるのはそう滅多にあることではない。「めでたい」と言ってもよいことだ、そうです。仏壇に灯してある蝋燭も今日は赤でした。

 仏事が終わって、お墓参りはなし、ということで、一同、昼食をご馳走になりました。20畳の部屋があって、テーブルに3人づつ並んでいって6つのテーブルという設定でした。料理はそれは食べきれないほど並んでいて、二時間余り話しをしながら、いただきました。この辺の食事は食べられないほど出すのが接待ということで、食べてしまうと、料理が足らなかったということになるということです。ちょっと、不合理ですが、そういうしきたりになっているということです。業務用の生ビールセットから、ジョッキのビールが注がれて、大変美味しく飲みました。

 食べて、飲んで、しゃべって、が供養という、一日でした。

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