つれづれ日記4(2004.1〜12)   

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目  次


2004年
2月14日(土)   有田正三先生お別れの会が開催されます。
3月26日(金)  同期の『 田中さんを送る会』を開きました
4月4日(日)   職場の人たちが石山寺見物とバーベキュー大会に大津へ来てくれました。
4月10日(土)   有田正三先生を偲ぶ会が長岡京市中央公民館で開催され参加しました。
4月17日(土)  上田上学区体育協会の総会がありました。
4月25日(日)  職場のハイキングサークルが湖南アルプスハイキングを企画・地元でお手伝いしました。
4月29日(木)  配偶者の職場の友人・中村さんの実家(芝原)へ筍掘りに出かけました。
6月6日(日)   市労組バスツアー「邪馬台国の旅」に参加しました。
6月13日(日)  町対抗のソフトボール大会があり、自治会から参加しました。
7月10日(土)  白百合自治会主催の『パソコン講座』が始まりました。
7月25日(日)   中学校の同窓会(岐阜県恵那市立武並中学校)があって参加しました。
8月8日(日)   びわこ花火大会が日曜日と重なったため、ゆっくりと鑑賞できました。
8月21日(土)   白百合団地の納涼パーティーがありました。
8月28日(土)  白百合自治会でパソコン教室を開いています。
8月28日(土)  新免町の森田家で開催されている月一回の飲み会に参加しています。
10月17日(日) 上田上学区の大運動会があり、自治会として参加しました。
12月11日〜12日 職場の慰安旅行で小浜へふぐ料理を食べに行きました。
12月29日(水) 団地のゴルフ同好会で
忘年会を開きました。

 

2004.12.29(水)  

団地のゴルフ同好会で忘年会を開きました。

 29日は今年最後のプライベートコンペのため、団地を出発してジャパンクラシックゴルフ倶楽部へ向かいましたが、信楽に入ると雨が雪に変わってゴルフ場は一面雪の原。クローズとは言わないまでもプレイは実質上無理で別のゴルフ場に回ったりして努力しましたが、結局プレイは諦めて帰ってきました。
 夜の部は、午後5時半に集合。南草津にある料理屋にむかいました。今日は夫婦同伴ということで全部で8名です。鍋を突付きながら一品料理も取って一年の「健康に感謝」(?)しようという趣向です。
 そのあと、石山のカラオケ店へ移動して思い思いの歌をみんなで大合唱。一年を楽しく締めくくった夜でした。


2004.12.11(土)〜12(日)  

職場の慰安旅行で小浜へふぐを食べに行きました。

  職場の忘年・慰安旅行で福井・小浜へふぐを食べる旅行に行きました。毎年、グルメ旅行と銘打った旅行ですが、今年は「ふぐ料理」が目当て。下関に行かなくても福井で食べられるということで小浜・アオウ地区の民宿「川原」に宿を取りました。
 京都駅に12時過ぎに集合して、特急サンダーバードに乗って敦賀まで一時間。今年の参加者は12名。にぎやかな旅でした。車内では駅弁とビールで昼食。
 敦賀からは小浜線の鈍行に乗って一時間。一両編成でした。小浜駅から5時のバスまで2時間程度の時間があったため、
市内観光で神社めぐりをしました。小浜はとにかくお寺が多い。小さいお寺の維持管理が大変だと、心配しました。
 路線バスに乗りましたがバス会社は既に撤退していて、小浜市が委託して一日2往復のバスを確保しているとのこと。民宿は土曜日だけあって満員でした。
 お風呂のあとふぐ料理の夕食。刺身・焼き物・揚げ物・鍋物・かきの煮物と盛り沢山でヒレ酒もあって3時間の格闘でした。恒例の手品大会は私は半分で寝てしまって参加できずでした。
 翌日はよい天候に恵まれて海岸を散歩。細かい砂の浜に猫が2匹日向ぼっこをしていました。
 タクシーで小浜市内まで帰って「ソトモめぐり」の遊覧船に乗りました。冬は海の波が荒くて、船酔い寸前でした。
 そこから駅まで徒歩で向いました。途中に食事の場所を見つけて昼食なのに生ビールで乾杯。地元の食事を楽しみました。
 鈍行で小浜から敦賀まで出て雷鳥で京都へ。乗りながら、歩きながら、食べながらとにかくいろいろ話することで時間が経過する
楽しい旅行でした。


2004.10.17( 日)  

上田上学区運動会があって自治会として参加しました。

 今年の大運動会は晴天に恵まれて青山小学校で盛大に開催されました。私は毎年体協役員として、「競技準備」を任されています。自治会のテントに座ることはできませんが、今年は応援に写真を沢山撮影しました。若い2世が今年は沢山参加してくれて、自治会としては若返りもあって、よかったと思います。全体の成績は17町中11位と高年齢自治会としては堂々とした成績でした。
 17町8200人余が暮らす連合自治会の運動会。参加者も多くてよく盛り上がったのではないかと思います。小学生以下が300人余、小学生がまた300人余と子どもたちが沢山参加してくれ、昼休みにはスポーツ少年団の紹介があって、未来を感じました。


2004.8.28( 土)  

新免町の森田家で月一回飲み会やっています。

 昨年から上田上新免町の森田晴美宅で、月一回『飲み会』が開催されていて時間が許せば参加しています。
 会費制で3000円飲み放題の気楽な会合です。もう一軒の森田さん夫婦も常連で、楽しい酒を飲んでいる雰囲気です。


2004.8.28( 土)  

白百合自治会主催のパソコン講座も今日が4回目です。

 パソコン教室も4回目、今日は「エクセル」ソフトに挑戦しました。今日の「受講生」は5名。問題集を事前に作成しておいてみんなで解いていくことを通じてパソコンを覚えてもらおうというやり方でやりました。2時間の予定が3時間になりました。写真からも熱心さが伝わってきます。

2004.9.5(土)
パソコン教室も今回が最終回。総復習をしました。

 
ウルトラ入門講座は今日が最終回。レジメに基づいて総復習をしました。


2004.8.21(日)
  
7年ぶり(?)に白百合団地の納涼パーティー(夏祭り)がありました。

 今年は自治会主催の納涼パーティーが復活しました。動転に取り上げました。楽しい祭りでした。

「ごへいもち」をご存知ですか。「五平餅」が一般的ですが「御幣餅」「五兵衛餅」とも書かれています。高速道路のサービスエリアなどでよく売られています▼生活の中で五平餅が作られる地域は長野県の木曽・伊那地方を中心に天竜川水系・木曽川水系のようです。形はわらじ形が一般的ですが、馬篭宿では丸い団子が三つ串に刺して出てきます。タレは地域によって薄醤油味・味噌味・ごま味・胡桃醤油味・ピーナッツ味と多彩でいずれも美味です▼この週末に自治会の「夏祭り」があって、我が家は食べ物屋台を出店、その五平餅つくりに挑戦しました。ご飯を炊いてすりこぎで半殺しにします。そして予め作っておいたわらじ形の木枠にサランラップを敷いてご飯を詰め、割り箸を芯に入れて形を整えます。我が家のタレはピーナッツベースに醤油・味噌・砂糖・みりんを加えた秘伝の味です。下ごしらえはここまで。屋台では、バーベキューセットに炭を熾して網を敷いておきます。五平餅にタレを塗って炭火であぶると香ばしい香りが付近に漂います。「五平餅はいかがですか」と声を上げるとムード満点。近所の人がほお張って食べてくれるのを見るのが楽しい▼七年ぶりに復活した夏祭りの楽しいひとときでした(M)


2004.8.8(日)
  
びわこ花火大会は例年8月8日ですが今年は日曜日と重なってゆっくり鑑賞できました。

 今年は日曜日だったため、家を6時過ぎに出かける準備に。長男はバイト、長女は近江八幡で映画鑑賞ということで、配偶者と二人で出かけました。この日ばかりは自動車は駄目、バイクと自転車が乗り物です。私は自転車で大津へ向かいました。
 瀬田ゴルフコースの峠を越えて建部大社から瀬田の殻橋へ、そこから青嵐を経て膳所城跡から大津プリンスホテルへ。ここまで家から自転車で50分かかりました。
 県立武道館付近からの
なぎさ公園はすでに人が沢山出ていました。浴衣がけの女性が目立ちました。公園の通路の湖側にシートを敷いて陣取りました。花火は7時45分から。あと小一時間はあるということでゆっくり夕食です。購入してきた寿司とつまみ、ビールを楽しみました。こういうところで食べる食事は格別です。
 
7時45分〜8時45分の1時間が花火時間。連続して打ち上げ花火が上がって、堪能しました。大きな花火大会ですので殆ど切れ間なく上がっていました。写真も何枚か撮りましたが難しい。
 一斉に帰る道は大変に混雑していました一時間かかって帰りましたが、自転車は比較的スムーズにいけたように思います。
 
食事とビールと夜風と花火。夏の夜にはいい組み合わせです。


2004.7.25(日)
  
中学校の同窓会(岐阜県恵那市立武並み中学校昭和39年度卒業)があって参加しました。

 中学校の同窓会4年ぶりです。そのとき参加した者はある程度名前と顔が一致しましましたが今回はじめて合う人は名前を聞いてもピンとはきませんでした。
 左の写真はそのときの集合写真です。ちょっと暗い感じがしますが、
参加者30名と先生2人が年相応の雰囲気を持って写ってい ると思います。
 せっかく恩師が参加ということで
恩師の写真を撮りました。定年を過ぎて悠々自適の生活を送っておられるように感じました。(写真上から鈴木先生・技術、下は小阪先生・化学)
拡大写真へ

 会場は恵那峡国際ホテル。初めての場所でした。同じ恵那峡内にあって、前回の会場だった恵那峡グランドホテルと比較して宴会場が沢山ある感じがしました。

 とにかく、12時に始まった同窓会が一次会で4時まで二次会で5時まで、5時間話し詰めですから大変なことです。とにかく話し疲れた感じ。会場の声がこだまして大きな声で話す必要があった分疲れました。

 今回は日曜日でしたので新幹線を使って京都ー名古屋ー恵那の電車移動 で往復しました。殆ど寝ていました。
 次回は
北京オリンピックの4年後ということです。


2004.7.10(土)
  
白百合自治会主催のパソコン講座が始まりました。

  今年の自治会の活動方針に「パソコン講座の開催」があって、その段取りを頼まれていました。6月に全員にチラシを配布して、ウルトラ入門講座と入門講座の募集を行った所、全部で15名の応募がありました。

 そこで、全体を4つに分けて、
ウルトラ入門・昼と夜の部、入門・昼と夜の部としました。今日は、そのうちのウルトラ入門・昼(1:30〜3:30)夜(7:00〜9:00)の第一回を開きました。

 昼の部は、午後1時半から開会。自治会館には全部で4名が参加しました。。一人を除いて三名が
自分の家からパソコンを持ち込んでの講習となりました。一応3台のノートパソコンを準備していましたが、一台の使用にとどまったことになります。5年前の講習では全て準備しましたから、それだけパソコンが普及したということです。

 
は今一人暮らしをしていますが、今日の講習会のことは伝えてあって、時間があればきてほしい旨依頼していましたので、今日は参加してくれました。それに自治会からは金守さんが参加してもらって、4名の生徒に三名の講師ということで、だいぶ丁寧に出来ました。

 ウルトラということで、パソコンの
起動と終了、画面の説明、クリック練習(電卓とペイント使用)、文字入力の練習(メモ帳使用)をしました。ウルトラとはいえ、何とか皆さんキーボードはたたけそうで、思ったより早く進みました。あっという間の2時間でした。次回は、ワードの練習が出来そうです。

 夜の部は3名のうち2名の参加(一人は忘れていてすでにお酒を飲んでいるということで不参加となりました。)でした。それで、娘は途中で抜けまいた。ここの所はキーボードに慣れていないようで、キーボードでの日本語入力の練習が基本となりそうです。

 こうして始まったパソコン講座。何か楽しく覚えてもらえそうで、よかったのでは。次回は2週間後です。


2004.7.24(土)
  
パソコン講座(第2回目)
 
 2回目となって、ウルトラ入門とはいえ、前半はタイピングソフトを使用した入力練習。インターネットのフリーソフトを入手して、全員のノートパソコンにインストールしました。入力は練習すればソノ分成果が現れるので、提供した次第です。
 
 後半は、
ワードを使った基本練習。出来あがっっているチラシを見本にして、上から順に作っていきました。ワードの場合は殆どボタンが準備されているので、そのボタンを呼び出して加工していけばよい、ということを強調しました。

 3時間があっという間に過ぎて、やっている間は面白いけれども覚えられるかな、という声が上がっていました。

 次回は8月6日(土)です。

 


2004.6.13(日)  
上田上体協主催の町対抗ソフトボール大会があって、自治会から参加しました。

 このソフトボール大会について体験記をコラムに取り上げました。体協のホームページに記事あり

 自治会などが取組む親睦スポーツ大会は住んでいる地域の人たちと交流するいい機会です。皆さん声が掛かった時は積極的に参加していますか▼過日、私の住む学区の体育協会主催でスポーツカーニバルが開催され、卓球・インディアカ・ソフトボール・バレーボール・グラウンドゴルフの各競技を楽しみました。学区には十七の自治会がありますが、基本は自治会対抗です。私は五年前からソフトボールを担当しています▼今年は過去三年間の成績からABCの三リーグを編成。各チームが二試合を戦って、上位二チームがリーグ決勝戦を行い、優勝チームを表彰することにしました。地元の野球グラウンドと小学校グラウンドで三面を確保、事前に抽選を行い試合時間と対戦相手を決定して選手を集めやすく配慮しました。さて当日、出場辞退する自治会はなく十七町全町参加となりました。初めてのことでうれしい悲鳴、全二十試合を一日で消化する強行日程となりました。我が自治会のチームは完全な親睦チームですが、リーグに分けたことで実力が近くなり一勝一敗とそれなりに試合を楽しむことができました▼昼食は各自治会ごとに各競技の参加者が集まって話の輪が出来ていました。天候に恵まれて楽しい一日でした。(M)
              


2004.6.6(日)  
高槻市労組が企画したバスツアー『邪馬台国への旅』に参加しました。

  このツアー体験記をコラムに書きました。
 

 市労組のバスツアー『邪馬台国の旅』に参加しました。専門のガイドさんの案内で天理市と桜井市の古墳群を見学する旅です。三三枚もの「三角縁神獣鏡」が出土した黒塚古墳とその展示館、崇神天皇陵となっている行燈山古墳(皇太子がお忍びの参拝をしたとか)、出土品から三C初頭と言われる箸向石塚古墳、最古の前方後円墳であるホケノ山古墳、そして卑弥呼の墓が「噂される」箸墓古墳の合計五カ所を回りました▼古代史は墳墓とそこからの出土品が手がかりのほとんどを占めます。古墳を回ってもその明快な解説なしには「邪馬台国」論争の現段階を知ることはできません。「畿内説」を採る論者は現存する前方後円墳と卑弥呼とを結びつけます。四〇を超える大和前方後円古墳群の中から、卑弥呼が没した二四八年頃に作られた巨大古墳を探していました。今までは五〇年位のズレがあって当てはまる古墳がなかった。それが石塚古墳の出土品が年輪年代法で五〇年遡ることが示されて俄然勢いづき、箸墓古墳こそが「卑弥呼の墓」だと▼いずれも周りの状況証拠です。本体は宮内庁所管でどうにもならない。今後周りの古墳の発掘がすすめば五〇年後には決着するだろうと、ガイドさんの言葉が印象的でした(M) 


2004.4.29(木)
  
配偶者の職場の友人・中村さんから声がかかって実家(芝原)へ筍掘りに出かけました。

  配偶者の職場・つくし保育園の先輩である中村さんから声がかかって、中村さんの実家がある上田上・芝原町の竹林へ筍掘りに出かけました。

 芝原地区には孟宗竹の竹林があって、よい筍が採れます。竹林は普段の手入れが大変で、倒れた竹などを綺麗に整理しておかないと、足の踏み場もなくなってしまいます。電話を貰って、出かけると、竹林の入り口で会うことが出来ました。丁度、実家へ帰っていたとのこと。

 実家である中野さんの竹林はよく手入れがされていました。父親は80を越えているということですから、大変だと思います。力仕事の作業がよくできたものだと思います。娘さんと一緒で、今から買い物に出かけるから、「気軽に掘って全部持って帰ってください」とありがたい言葉。お礼を言って、早速掘り始めました。

 ちょっと頭が出ている程度なのが柔らかい。掘り起す方向があって、根っこが行っている方向を見定めて、そのほうから鍬を下ろすのがコツです。汗が出るくらいの重労働ですが、本当に久しぶりの筍掘り、子供時代以来ではないでしょうか。太いのが沢山採れました。

 12〜3本採れたでしょうか、袋が重くなったので、その場を失礼して、バイクで配偶者の実家へ。そこで、今回貰った筍を半分分けしました。重宝する、と喜んでもらえました。そこで、米ぬかを貰って家に帰り、早速、皮むきです。

 筍は新鮮度が勝負ですから、早く料理をしてします必要があります。綺麗に皮をむいて、水から煮て、米ぬかの中に一晩つけておくと、あくが抜けて美味しくいただけます。この辺の手際は配偶者まかせです。

 翌日の夜さっそく料理したものをいただきましたが、非常に柔らかくて美味しい味でした。中村さんに感謝、感謝。


2004.4.25(日)
  
職場のハイキングサークルが湖南アルプスハイキングを企画・地元でお手伝いしました。

  編集長の職場のハイキングサークルが湖南アルプス・太神山ハイキングを企画、地元でもあり、歓迎の意味を込めてお手伝いしました。
 過去、2回来てくれていますがいずれも雨、今回は3回目の正直とばかり快晴の天候に恵まれました。
 
 一行は石山駅に9時15分到着。タクシーに分乗して湖南アルプス登山口へ向かいました。総勢19名。久しぶりの大所帯です。登山口から迎え不動まではアスファルトの道です。若芽が香る木々からの木漏れ日が心地よい。迎え不動は小川が合流していて絶好の食事場所であることから、今日は川原で食べる客が間違いなく多いだろうということで朝シートを敷いて場所取りをしました。

 その場所までの人はここに残って食事の準備。一行はここから上を目指します。前回は道を間違えてしまったこともあって慎重に道を選択。案内役を買って出ました。ガイドブックだとゆっくりで1時間10分の足取りのところを1時間30分のゆっくりペースで登りました。

 最後の急な石段を登って不動寺まで着き、お参り。2等水準点まで登って600mを体感しました。山桜の花びらが散ってじゅうたんのようでした。

 帰りは下りでもあり1時間で迎え不動に到着。待望の昼食です。我が家が昼食を準備。総勢19名と聞いて、その胃袋を満たす食事を山の中で準備するのはちょっと大変かなとは思いましたが、そこは、えいや、で引き受けました。

 今日は、ステーキ焼肉(ちょっと固かったかな)と五平餅と野菜の焼き物とサラダとポテトサラダと飲み物その他を準備。炭火で焼いた五平餅が人気でした。一人一本なのがみそ。それでも20本以上。作るのは大変だからです。

 食事のときは話も盛り上がって、わいわい。そのあと有志で鎧ダムへワラビ取りに出かけましたが、木が伸びすぎて日が当たらす、全く様子が異なっていて、昔のように取れませんでした。ゼロは案内役として申し訳なし。

 快晴で若葉が香る美味しい空気をを満喫した気持ちのよいハイキングでした。
               


2004.4.17(土)
  
上田上学区体育協会の総会が開かれました

  上田上学区の体育協会の総会が午後7時半より上田上公民館で開催されました。今年もう一年、協会事務局で作業をするということで、事務局とソフトボール部長を引き受けることになりました。それと、体育協会のホームページをもう一年受け持つことにもなりました。
 総会自体はすんなりと終わって、懇親会がありました。乾さんと同席してソフトボールの話に花が咲きました。
 今年一年、自治会体協役員とも協力しながら、自治会の体育行事にも参加してもらえるように、協力したいと思っています。

               


2004.4.10(土)
  
有田正三先生を偲ぶ会が開催されました。(2004.4.10午後2時〜3時 長岡京市中央公民館 主催 有田会)

(有田会会長 沓名敏郎さんの案内文から)

 
余寒なおしのぎがたきこの頃、皆様には如何お過ごしでしょうか。
さて、恩師有田正三先生が、平成16年1月28日午後7時05分、胆管がんのため逝去されました。ここに謹んで哀悼の意を表します。
 先生は今年に入ってすぐに体調を崩され、1月6日、済生会京都病院に入院されましたが、わずか20日あまりの闘病で亡くなられました。享年89歳でございました。
 13年前に奥様を亡くされた後、亡き奥様の絵更紗作品集の出版と記念作品展に全力で取りくまれていた姿が思い出されます。最近の先生は、耳と足が少しご不自由でしたが、ご高齢でも研究心は衰えることなく、机の上にはいつも書籍と原稿用紙が広げられていました。有田ゼミ生が集う有田会が先生と奥様の人柄を慕って42年間一度も途絶えることなく続きましたことは先生と我々のおおいなる誇りとする所であります。‥‥。
 なお、密葬の儀は1月31日にご親族にて済まされました。

 

 4月10日は快晴の日和で、会場となった長岡京中央公民館前の長岡天満宮は桜が満開で、多くの散歩客が楽しんでいました。
 午後2時前には、全体では150名くらいの人々が集まって、偲ぶ会が開会されました。
 最初に有田先生の経歴が紹介されました。続いて、お別れの言葉が順番に語られました。有田会からは第一回ゼミ生(昭和30年卒)の小泉行男さんが言葉を述べられました。学者仲間からは、足利末男京都大学名誉教授が送る言葉を述べられました。長岡京市の学者仲間や懇話会の仲間、それに、奥様のあと、ずっと身の回りの世話をされた方からの言葉もありました。
 そのあと、全員で献花。先生が丹精を込めて作られた梅酒をみんなでいただきました。お礼の挨拶は有田会代表の沓名敏郎さんから。

 会が滞りなく終了したあとには、同じ会場で、有田会メンバーによる昼食会が開かれました。先生の前で、いままでで一番多い人数の有田会メンバーが集合しました(60数名だと思います。全体会員は200名強)。これからも、年一回の有田会は継続して開催するということが申し合わされました。今年は、11月6日・7日と、ルビノ京都で。報告の後は、弁当を食べながら、歓談。先生と遺族との関係や、貯蔵されている書籍をどうするか、民芸品の扱いなど、いろいろなことが話題になりました。

 名古屋へ帰る川田・富田両氏と渋谷さんと私の4にtんで、京都駅のビヤホールに行って、さらにダベリングしました。サッカーや先生の思い出や大学時代の思い出など。

(会場の様子)

     
  会場正面に飾られた先生の遺影   京都大学からの学位を示す賞状   先生の著作
     
  偲ぶ会が始まりました   有田会から小泉行男氏の送る言葉   京都大学名誉教授足利末男先生
     
  お礼を述べる有田会代表沓名敏郎氏   有田会の昼食会   参加者(川田・渋谷・佐飛・富田さん)

               

2004.4.4(日)  
職場の人たちが石山寺の花見とバーベキュー大会に大津へきてくれました。生憎の雨でしたが、思いっきり食べて楽しみました。

 
職場の人たちが遠く大津まで出かけてくれる計画ですが、生憎の雨模様。それでも花見は決行とばかりに石山駅に10時半に集合してくれました。
 我が家は、ホスト役ながら今日はこの雨では中止だろうと気楽に考えていましたから、決行が決まってからの準備がちょっと大変でした。先ずは雨をしのぐことが出来る場所探し。橋の下とかいろいろ探しましたが、結局、唐橋公園内の東屋にしました。10人がぎりぎり入ることの出来るスペースです。それと、肉の準備と御幣餅つくりに取り掛かりました。

 一足先に石山駅の改札口でみんなの到着を待って、それから、京阪に乗って石山寺駅まで行きました。そこから10分ほど歩くと、石山駅です。雨の中の参拝でしたが、桜は味わうことができました。

 そこから、タクシーで唐橋公園へ。雨は激しくなって大変でしたが、とにかくバーベキューをしようということでしたので、その準備に取り掛かりました。炭火を起して、網で肉を焼き、鉄板で野菜を焼いて、五平餅も焼きました。食事になったのは、12時半頃で、皆腹が減っていて、美味しく食べました。

3時頃になって少しは小止みになりましたが、一日雨の大変な天候ながら、花見とバーベキューは大変にご苦労様でした。
                     

 

2004.3.26
同期の『 田中さんを送る会』を開きました。


同期に入所した田中さんがこの3月で早期退職をすることに決めた、ということを聞いて、5人会で送る会を開きました。
 会場は京都の新町六角西入るにある京懐石の『瓢樹』。落ち着いたお店で、ゆっくり料理を味わいながら今後の抱負などを聞きました。
 人の生き方はそれぞれですので選択に間違いは無いと思います。自分なりの結論ということで尊重して、祝いました。
 皆、親の介護問題を抱えていて、そのことが話題の中心となりました。 
 職場新聞のコラムに取り上げました。
 

−同期のM君への手紙―『今年の桜前線は予想されたとおり一週間早く上陸して、桃園小学校の桜はこの週末が見ごろとなるようです。年度末での早期退職を申し出て今日付けで高槻市の公務員を辞めることは、だいぶ前から検討を重ねた上での結論であったようですね。生活の糧を得るための仕事を辞めることは人生の上で大きな決断でしょう。それは人の生き方・人生観に関わる事柄です。君が出した結論を他人の誰が評論できるでしょう▼団塊の世代は今、親を介護する必要がある時期を迎えていると言われています。M君のお母さんがどの程度痴呆なのかは不案内ですが、一日中顔を付きあわせて生活することがどれだけ大変なことか。ささやかな送る会の席で、経験のある友人が語っていましたね。「よくなると考えると重くなる。制度は積極的に利用すべし」▼脳溢血のため一日で亡くしてしまったため寝込む母を知らなかったことが幸せか。介護を知らない私からの助言は多くはありません。三〇数年、市民課・医療保険課・労働福祉課・市民体育課・庶務課・収納課などで職場を共にした仲間がいたこと。かけがえのない財産としてそれらの日々を何時までも胸に刻んでおいてほしいこと▼ご苦労様でした(M)2004.3.31掲載


 

2004.2.14
『有田正三先生お別れの会』が開催されます。

  平成16年1月28日に逝去された有田正三先生を偲ぶお別れの会が開催されます。42年間途絶えることのなかった有田会の主催で、4月10日(土)午後2時〜3時
         長岡京市立中央公民館 市民ホール(3F) です。

 出席する旨の返事を送りました。