人類は破滅する(精霊の予言)

 霊界からの霊訓は何の打算も作為も無く真実のみを伝えているにも拘わらず、世界中の多数の人がそれを重大視することもせず、単なるたわ言かのように軽視する事が私には理解できない。

 この宇宙は自分のしたことは全て自分に返るという神の因果律で統治されているのである。神の摂理はシンプルで、親切、寛容、同情、奉仕の四つだけである。この四つの行為に人間としての人格が形成される全ての素養が籠められているのである。インチキ宗教のようなこまごました縛りもなければ矛盾した教義や集金システムもない。誰が見ても本物の神の摂理であることが理解できるはずである。しかし、そういった神の叡智に気付く人は少ない。

 私は何の宗教にも入っていないが、物理と科学と宇宙を探求して行けば神が存在している事は明白で、それどころか我々人間の全ては神の一分霊で永遠に死ぬことも消滅することもないのだ。

 神の因果律は数学的正確さで実施され、黒人を蔑視した者は次の人生では黒人に生まれ変わり、人をキモイとかいっていじめる人間は次の人生では想像もつかないほどのキモイ容姿で生まれ変わり、そして、残虐に人を殺した人間は次の人生では残虐に殺される運命を辿るのである。


 ワイス博士の著作「前世療法」に出てくる精霊が人類の破滅について語っているので抜粋してみる。
 
「すべてのことはバランスしなければならない。自然はバランスしている。動物達は調和して暮らしている。人間だけがまだ平和に生きることを学んでいないのだ。人間は自らを滅ぼそうとし続けている。そこには調和もなければ自らが行うことに何の計画ももっていない。自然とかけ離れてしまっているのだ。自然はバランスしている。自然はエネルギーと生命と再生である。しかしながら、人間は破滅しているだけなのだ。人間は自然を破壊している。人間は他の人間も破壊している。結局人類は自らを破壊することになってしまうだろう」
 
 これは不吉な予言だった。混乱と動揺に満ちたこの世界で、この予言がすぐに実現しないことを私(ワイス博士)は祈った。
 「いつ人類の破滅が訪れるのですか?」と私は聞いた。
 「人間が思っているより早く破滅が訪れよう。しかし自然は生き残る。植物は生き残るのだ。だが人間は生き残れない」
 「その破滅を防ぐため、我々は何ができますか?」
 「いいや、すべてはバランスされねばならない・・・・・」
 「我々が生きているうちに破滅がくるのですか? 何とか避けることはできませんか?」
 「我々が生きているうちには起こらない。破滅が起こる時、我々は別の世界、別の次元にいる。我々はそれを見ているだろう」
 「人々に何か教えてあげる方法はありませんか?」と私は何か逃れられる道はないかと探していた。人類存続の可能性はないのだろうか。
 「それは別のレベルによってなされることなのだ。我々はそこから学ぶだろう」
 
 私は明るい面を見ることにした。
 「では、私達の魂が異なる場所で成長するのですね」
 「そのとおりだ。我々はもうこの地上には・・・・・、いないのだから。我々はそれを見るのだ」
 「はい」と私は答えた
 「私は人々に教えてあげなくてはと思います。でもどうやって教えたらよいのでしょう。何か方法がありますか? それとも人間は自分で学ばなければならないのでしょうか?」
 「すべての人に教えることはできない。破滅を止めるためにはすべての人に手を差し伸べればならないが、お前にはできまい。止めることはできない。人は学ぶことだろう。人は進歩した時、学ぶだろう。平和というものは存在する。しかし、ここにはない。この次元にはないのだ」
 「終局的には平和になるのですか?」
 「そうだ。別の次元で」
 「でも、それはとても遠い所のようですね」と私は文句を言った。
 「人間は今、とても堕落している。・・・・・
貪欲で、権力を追い求め、野心でいっぱいだ。人は愛と理解と英知を忘れている。まだまだ学ばなければならないのだ」
 「そのとおりだと思います。私が何か書いて、人々を助けることができませんか? 何か方法がありませんか?」
 「お前はその方法を知っている。我々はお前に言う必要もない。すべては無駄なことだ。みんなあるレベルに達した時、わかるのだ。我々はみんな同じなのだ。一人の人が他の人より偉大だということはない。そして起こることは起こる。学びなのだ。・・・罰といっていい」
 「わかりました」と私は同意した。
 このレッスンはとても深遠なものだった。それを消化し自分のものとするには時間が必要だった。

 日本で貪欲あるいは強欲と言えるべき組織は二つ存在する。一つは警察組織であり、もう一つはNHKである。どちらも国家が貪欲、強欲の手助けをしている。だからといって当然この二つの組織のせいで人類が破滅するわけではない。

 しかし、一は十に通ずという諺があるが、日本で二つの貪欲な組織が存在するということは、現在の国連加盟国数193国に2を掛けると少なくても世界中で386前後の貪欲或いは強欲な組織が存在する計算になる。

 この386の組織の愛と理解と英知のないせいで人類は破滅するのである。日本も人類破滅の原因に193分の1を担っているのである。他国の貪欲さは資料もなく知らないが、日本の警察と、NHKについては多くの資料があるので知る限り書いてみる。


 
日本が「世界幸福度ランキング」で、先進国のなかでも低位に甘んじざるを得ないその最大の原因は警察組織にあると言っても過言ではない。年間スピード違反で検挙されるドライバーは200万人から250万人という統計がある。その他の違反を合わせると年間800万人以上ものドライバーがささいな違反で検挙され免許停止や免許取り消しにまで至る。
 その結果、職を失った職業ドライバーも沢山いて一家離散の運命に陥った者も少なくない。最近トラックドライバーの減少が問題になっているのも、警察の私利、私欲のための取締りがその一因といってもいいのではないか。
 
 警官らは点数のノルマがあるせいか違法検挙も平然と行う。以前、大阪でタクシーの乗務員をしていたが、東方向から大浪橋を渡って三軒家の一つ手前の交差点で乗客を降ろしたときにUターンをしたかったが、どこでもUターンは違反の箇所が多いので、交差点を左折して次の交差点も左折してその次の交差点を右折して戻ろうとしたことがあった。
 そして、左折できるかどうか信号を見たところ、午後4時ごろだったので、信号の横の道路標識が西からの太陽の光がまぶしくて見えづらいので、左折する側の道路を見たら二車線あって進入禁止の標識もなかったのでゆっくりと左折しだした。その時、気がつかなかったが、北側の交差点には赤信号でパトカーが停まっていて、私の行動を一部始終見ていたにもかかわらず、私が左折をし終わるまで何の警告もせず、左折し終わるのを確認してからサイレンを鳴らして私を検挙した。
 
 しかし、警察官職務執行法には、
「この法律に規定する手段は個人の生命、身体及び財産の保護、犯罪の予防を目的として、必要な最小限度において用いるべきものであって、いやしくも、濫用することがあってはならない。」
 とのことで、取り締まりのための取り締まりは本来あってはならないということが記載されてある。
 と、いうことは、通常警察には指導義務があるので、違反行為をじっと黙ってみていた場合、切符は切れないのである。
 警察は違反をしようとする現場を見たら直ちに違反をしないよう注意警告する義務があるにもかかわらず、このパトカーは違反を未然に防ぐ注意勧告をせず検挙できるまで放置していたのである。このパトカーに限らず、全てのパトカーに乗務する警官は警察官職務執行法を守る気などさらさらないのである。なぜならノルマがあるせいでそんなクソにもならない法律など守れるわけがないのである。

 この警官等が今までに何件の違反を摘発したかは知れないが1件や2件では決してない筈である。神の摂理である親切を無視して多くのドライバーを陥れたとしたら、いずれ現世か来世のどちらかで必ず苦しみの因果律が与えられるはずである。
 
 警察官職務執行法など全警察官に守る気など全くなく、それどころか捏造して違反摘発する警官もいるのである。
 大阪府警南警察署の柴田某という警官ともう一人の警察官は心斎橋横断歩道付近をテリトリーにして駐車違反のドライバーを摘発している。
 私が心斎橋横断歩道付近で客待ち駐車をしていたら一人の男が近づいて来たのでドアを開けた。その男はタクシーに乗り込むと同時に「警察や」といって警察手帳を見せた。それが南警察署の柴田某だった。
「3.3メートルしかない。駐車違反や」
と、私に駐車違反を告知した。
 私は駐車するときに目測で横断歩道より5メートル離れたところに停めた積りだが、5メートルに満たなかったのかも知れない。しかし、わたしは、フェンダーミラーは言うに及ばずバックミラーでも常に客が近づいてくることを見張っており、後方で計測した様子はまったく見なかったので、「何で測った形跡もないのに距離が分かるんや」と反論した。
「俺がこの車に乗ると同時に、もう一人の警官が測ったんや」
と、柴田は言った。
 しかし、この言葉が嘘であることは一目瞭然である。なぜなら、それなら報告を受けるまで3.3メートルという数値は出ないはずである。測りもせず憶測で違反を告知しているのである。証拠主義の法治国家ではこの行為は犯罪の捏造になるのだ。

 この警官等も、このような犯罪を捏造してまで人を陥れてただで済むはずがない。いずれ、現世か来世のどちらかで、想像もつかないような苦難が与えられる筈である。

 ちなみにこのほど、死刑囚から再審請求で一転無罪になった袴田巌さんですが、彼を犯人に仕立て上げるべく静岡県警の捜査官らが証拠を捏造したというのが本当ならば、これらの捏造にかかわった者らは、現世か来世のいずれかで今度は自分が冤罪による死刑判決を下される運命を辿るのである。証拠を捏造して死刑にすることも厭わぬ無慈悲な行為は決して許されるべきでなく、幸いに死刑は免れたが58年間も拘束されてあたら人生を台無しにした罪は大罪中の大罪である。

 この宇宙は自分のしたことは自分に返るという神の因果律で統治されているのである。これが絵空事でない事は自分が死んだときに全て分かるのである。ほとんどの無知な人間は自分が死ぬまでそれが分からないから犯罪が絶えないのである。まず、自分がこの宇宙のことは何も分かっていない無知な人間であることを自覚すべきである。

 法を守るべき警官たちが法を犯してでも違反検挙するのはすべてノルマのせいである。元来、公務員にノルマを課すことも違反のはずだが警察のお偉方はノルマなど与えていないと平然と嘘をつく。
 警察に一旦、違反を通告されると、ドライバーはどうもがいても助からない制度になっている。違反に納得いかず、否認すると検察庁に送付されるが、その結果、検察庁が違反と認定できず不起訴にしても、ドライバーは警察から行政処分を下されて違反に応じた点数を引かれるのである。
 不起訴と言うのは無罪に等しいにも関わらず、警察はドライバーを免停にしたり、免許取り消しにするのである。法曹界からもこういった制度に異論がなされているが、警察は強引に我田引水の法律を適用するのである。

 1968年以前には点数制度はなく、違反金を支払えばその違反は帳消しになったのである。警察は自らが潤うために、違反金を支払っても尚且つそれではすまない制度を作りあげたのである。その為に今までに、点数制度が発足して3億人前後が違反検挙され、単純計算でも200万人以上もの人達が免許取り消しになり職を失って悲惨な目にあっているのである。悪質ドライバーや無法ドライバーが免許取り消しに遭うのは当然の事だが、免許取り消しに遭っているのは大半が職業ドライバーなのである。

 次の表を見ても判るが、ここ4年ですら毎年4万人以上ものドライバーが免許取り消しに遭っているのである。令和2年になってやっと4万を切ったがそれでも検挙目的の道交法のため犠牲になった家族は相当の世帯数に登る。無法ドライバーや悪質ドライバーは検挙されて当然だが検挙目的のための低めの法定速度などは決してするものではない。

 

  年別  取り消し  免停長期  免停中期  免停短期  合 計
 平成28年  42,248  49,284  48,843  201,298  341,673
 平成29年  44,237  45,883  45,303  182,410  317,838
 平成30年  44,887  44,339  39,061  156,392  280,679
 令和元年  40,031  39,370  33,405  138,556  251,362
 2年  36,432  34,147  29,866  125,252  225,697

 なぜ違反の検挙率が高いのかというと、一つには日本の法定速度が異常に低く設定されていることである。
 野村氏が運営されている「交通行政監察官室」というサイトに掲載されている「スピード規制の国際比較」というものを見れば日本の法定速度の低さが一目瞭然でわかる。

道路種別⇒

自動車専用道路

一般道路(郊外)

市街道路

ドイツ

制限なし(推奨130km/h)
(規制された区間もある)

100km/h

 50Km/h

フランス

130km/h(雨なら110km/h)

 90km/h(片側2車線なら110km/h)

 50Km/h

イタリア

130km/h

 90km/h

 50Km/h

スペイン

120km/h

 80〜100km/h

 50〜60km/h

スイス

120km/h

 80km/h

 50km/h

オランダ

120km/h

 80km/h

 50km/h

ポルトガル

120km/h

 90km/h

 50km/h

イギリス

112Km/h (70MPH)

 96Km/h (60MPH)

 48km/h (30MPH)

 それに対して日本の高速道路は80kmから100kmで、欧米に比べて40kmも低いのである。警察は事故防止という美名を錦の御旗にして法定速度を低くして違反金を稼ぐのである。違反認定されるドライバーはたまったものではない。
 その他、警察の私利私欲で高速道路と認定しない首都高速や阪神高速の法定速度は60kmで場所によっては一般道路よりも低い50kmのところも多々ある。仮にも高速と名が付いて一般道路よりも低速の法定速度が存在するのは日本だけである。当然、利用しているドライバーの殆どが違反走行しているので警察は好きなとき自由に違反者を捕まえることができるのである。そしてもっとひどいのは郊外にもかかわらず法定速度が40kmから50kmのところが多々あって、それによってネズミ捕りで検挙されるドライバーが膨大な数になるということである。表を見てもわかるように欧米では郊外は80km以上で、やはり日本とは40kmほどの差がある。
 
 今から40数年前にヒットした演歌に「釜ヶ崎人情」というのがある。歌手の名は三音英次と言い、メジャーではなかったが知る人は知るという感じだった。
 しかし、歌手では飯が食えなかったのか10数年前は大阪でタクシーの運転手をしていた。三音英次は深夜お客さんを送って繁華街へ帰ろうと外環状線を走ったときに、移動オービスでネズミ捕りをしていた車両にスピード違反で検挙された。おそらく何度目かの違反で免停になるか免許取り消しの可能性もあったのではないだろうか。
 彼はどこかでガソリンを調達しオービスを積んだ警察車両にガソリンをかけ燃やそうとした。彼は殺人未遂で捕まり刑務所行きとなった。放火しようとしたことは決して許されるべきことではないが、欧米とは20km以上もの差がある金儲けのための低めの法定速度で人を破綻に追い込む警察には罪がないのだろうか。
 
 彼に妻子がいたかどうか分からないが、居たとすれば妻子はたちまち絶望的な環境に追いやられるのである。
 その他にも警察は、追い越し禁止にする必要のないような場所でも追い越し禁止にしたり、車線変更禁止にする必要のない場所でも車線変更禁止にしたり、Uターン禁止にする必要のない場所でもUターン禁止にしたりして、多くのドライバーが違反するように仕向けているのが現状である。

 年間4万人以上もの免許取り消し者の大半は職業ドライバーである。彼らはそれぞれ車を運転することで生計を立てているのである。しかし、免許取り消しによって職業を奪われ人生を奪われるのである。彼らの家族も同様の運命に遭う。

 しかし、彼等がどんな悲惨な目に遇おうと警察にとっては路傍の石でしかない。法定速度が警察の金儲けのために低めに設置されたがゆえの破綻である。神の摂理である親切、寛容、同情、奉仕の精神は微塵もない。

 法定速度は公安委員会が決定するということだが、公安委員会というのは、警察法に基づく委員は、警察職員及び他の官公庁の職業的公務員のいずれの経験も有しない者の中から、となっているが、国家公安委員長を除く委員の殆どは警察関連者の横滑りであり公正を保つはずの公安委員会は警察の御用達といってもいいのである。
 
 元北海道警察釧路方面本部長の原田宏二氏の著作「警察内部告発者」には警察の裏金の一部始終その他の不正行為がさまざま書かれている。その他、元来警察を管理するために設けられた公安委員会のこともこのように書かれているのである。
 
 警察を管理するのではなく、警察に管理された委員会であり、完全にお仲間の委員会でしかなかった。
 
 国家を担うべき一角である司法が不正にまみれ、管理すべき機関がお仲間であるという状態を放置している政権党は、将来日本を悲惨な状況に陥れるといっても過言ではない。

 次はNHKの悪業である。次の記事は週間ポストに掲載されていたものである

 
NHKの受信料収入は年間約7115億円(2019年度)、5年前より620億円も増えた。ただ、全員が納得して払っているわけではない。NHKが未契約世帯に受信料支払いを求める訴訟を積極的に起こし、受信契約の締結と「受信料の支払い」を命じる最高裁判決が出たことで徴収率が大幅にアップした。
 
 2017年に最高裁判所が、受信設備を設置している国民はNHKを視聴しない場合でも、契約を締結し、受信料を支払う義務があることを認める判決を下したのである。
 
 その結果、いまやNHK本体と子会社の内部留保(連結余剰金)は3700億円を超える。受信料が余っているのである。
 高収益体質はコロナ禍でも健在だ。NHKは今年度上半期(4〜9月)の中間決算で過去最高の449億円の黒字(事業収支差金)となった。受信料収入は安定しているうえ、番組の制作が延期されて制作費が大きく減ったためだ。対照的に民放はコロナ不況のCM収入減で在京キー局5社のうち4社が大幅な減益に陥っている。
 
 これだけカネが余っていてもなお、NHKは受信料の取り立て強化を図ろうとしている。今年2020年10月、NHKは国民にテレビの設置有無の届け出を義務化し、未契約者の氏名や転居先の住所などの個人情報を公益企業などに照会できる制度の創設を総務省に要求。これが報じられると「個人情報保護法に抵触する」などの批判が相次ぎ、ネットで大炎上した。

 総務省の有識者会議は中間報告(案)で2つの制度の創設を見送る代わりに、受信料逃れの世帯に「割増金」の“罰則”を課す方針を打ち出した。 しかし、NHKは「届け出義務化」や「照会制度」を諦めていない。前田晃伸会長は12月3日の記者会見でこう語っている。
「設置の届け出については、基本的に一定の意義があるということでご理解をいただいたと私は思っております。一方、居住者情報の利活用(照会制度のこと)については、今の個人情報保護制度の壁みたいなものがありまして、政府も、これを見直そうという動きがございますので、その見直しが行なわれた後にでも、もう一度検討していただけないかと思っております」
 
 なぜ、高収益なのに徴収強化を図るのか。『NHK独り勝ちの功罪』などの著書があるジャーナリスト・小田桐誠氏が語る。
「受信料の算定方法は総括原価方式と呼ばれ、『これだけの費用がかかるから、これだけの料金になる』と決められる。だからNHKは受信料収入が増えると、値下げして視聴者に返すのではなく、BS4KやBS8Kなどチャンネルを増やし、どんどん予算をつけて事業を拡大してきたのです」
 スリム化とは正反対の方向に進んでいるという指摘だ。
 * 金融ジャーナリストや元職員らがNHKの懐事情について週刊新潮に語っている
* 「内部留保」にあたる「剰余金」の額は、2018年度は約3千億円だという
 * 職員の平均年収は1098万円で、「公務員」に近いと考えれば破格とのこと

 もともとNHKは公共放送として存立を図るため受信料収益を認められたのである。ニュースや政見放送だけでは組織としての運営が成り立たず受信料収益で存立を図れるように国が法律を定めたのである。
 
 だから、ニュースや政見放送だけに納まって受信料月額200円か300円でやっていればいいものを、勝手に業務をどんどん拡大してそれにつれて受信料も高額になっていったのである。勝手に業務を拡大してその尻拭いを、国民の受信料値上げに持ってくるのはおかしいのではないか。NHKは受信料で存立していたのだから、受信料の値上げにも通じる業務の拡大は当然制約があるはずである。もし業務を拡大したければ国民の許可を受けるか、それがいやなら受信料徴収をホゴにして立場を民放にして、業務の拡大でもなんでもやるべきである。国民の金で成り立っているくせに、業務を勝手に拡大して受信料の値上げに持っていくのは本末転倒の行為である。

 生活が維持できずに生活保護費を毎月受けている者でも、仕事をして収入が得られるようになると生活保護費は打ち切られるのである。NHKは勝手に業務を拡大して「剰余金」は3000億円との事である。業務を拡大して受信料を値上げして国民を困らせるようなことをして自らは高額所得者となり、何かが間違っていると思うのは私だけだろうか。

 収入を得た人が生活保護費が打ち切られるように国はNHKにも受信料徴収に何等かの制限を設けるべきではないだろうか。今のままではNHKはなんぼでも業務を拡大して受信料を値上げできるという事である。こんな理不尽な話しがあるだろうか。NHKは国の悪法を利用して悪徳商人と変らない貪欲な金儲けをやっているのである。

 NHKが勝手に業務を拡大するのは何等かの法律に抵触しないのかじっくり検討する余地があるのではないか。ここまでNHKを傲慢にしたのは総務省が何故かNHKに甘いからである。NHKは総務省のお偉いさんに毎年お中元やお歳暮の付け届けでもやっているのではないかと疑わざるを得ない。

 精霊の言う貪欲で、権力を追い求め、野心でいっぱいだ。の典型的な例である。高市早苗氏が総務大臣になったとき早々にNHKサイドに立った発言をしていたが、なぜ総務省側はいつもNHK側に立った発言をし国民側に立った発言をしないか不思議でならない。
 
 NHKは
最近は中止したようだが、以前は江戸時代の高利貸しのように第三者を使って受信料を取り立てていたのである。国民の年収は300万前後がもっとも多い。それ以下の200万にも満たない国民も多数いる。しかしNHKは失業しようが病気で倒れようが容赦なく第三者を使って決して安くない受信料を取りたてるのである。ここにも神の摂理である親切、寛容、同情、奉仕の精神は微塵も感じられない。金を儲けるという利己のみに専念して、明日の飯が食えないで困っている人がいてもしつこく受信料を取りたてていたのである。それも見もしないBSチャンネルを増やして勝手に値上げしてである。

 国民の了解も得ずに見もしないBSチャンネルを勝手に増やし、好き放題に受信料を値上げしているのである。BSの押し売りである。国民は受信料が安ければ安いほど喜ぶのに、NHKは勝手にBSチャンネルを増やして押し売り見たいな状態で受信料を高額にしているのだ。暴力団が正月に勝手に店に入ってきて獅子舞を舞って祝儀を強要するのと同じように見えるのは私だけだろうか。

 民放のBSは無料なので民放だけのBSを見ようとしてもその選択肢はなく、NHKは民放5社のBSに乗っかってBS料金を独り占めしているのである。NHKだけのBSなら見る者もそんなに居ないと思うが民放のBSを見ようと思えばNHKのBS料金を払わなければ見れないので視聴者は否応なくNHKのBS料金を払って見ている次第なのである。

 NHKは本来なら民放5社の分を含めて6分の1にしかならないBS料金を民放が無料にしていることを良いことに全額独り占めにしているのだ。虎の威ならず国の威を借りての商売だが、誰も文句を言わないことをいいことにやりたい放題やっているNHKに誰もが腹立たしく思っているはずである。

 NHKの職員の平均年収は1098万円という。金持ちが自分らの収益を維持するために貧困の人間から取り立てるのである。こういう状態を見てもおかしいと感じる国会議員が一人も存在しないのが私は不思議でならない。

 受信設備があるだけで、番組を見ようと見まいと受信料を取るという制度が間違っているのである。要するに法律が間違っているのである。受信設備があるのでいくらかの基本料を取って後はスクランブル制にして番組を見た分だけ受信料を取るというなら誰しもが納得するのではなかろうか。

 水道も電気もガスも基本料はいるが使わない限り使用料金は一切かからない。なぜNHKは受信設備があるというだけで見もしないBS料金まで請求する権利があるのか。法律が間違っているのだ。利己にまみれたこんな連中が世界中ではびこっているのだ。人類が破滅して当然だと思う。

 誰が疚しいのか誰が疚しくないのか神は全てお見通しである。私は何の宗教も入ってないが、神は存在しているのである。というか、我々自体が神の一分霊なのである。だから、永遠に死ぬこともなく、現世での行為は死後霊界で自ら罰するようになる。

 何回も言うが神の摂理は親切、寛容、同情、奉仕の四つだけである。この四つの行為に人間としての人格が形成される全ての素養が籠められているのである。インチキ宗教のようなこまごました縛りもなければ矛盾した教義や集金システムもない。誰が見ても本物の神の摂理であることが理解できるはずである。しかし、それに気付く人は少ない。だが、NHK職員よ。あなた達の貪欲さが人類の破滅に一役買っていることを猛省すべきである。霊界からはこう語られている。

 腹黒い実業家については、「そういう人は必ず罰を受けるのです。いつかは自分で自分を罰する時がくるのです。あなたと私との違いは、あなたは物質の目で眺め私は霊の目で眺めている点です。いつかは自分で罰する時がくるのです。 中略 私の目には、いずれ彼らが何世紀もの永い年月にわたって受ける苦しみが見えるのです。暗黒の中で悶え苦しむのです。その中で味わう悔恨の念そのものがその人の悪業にふさわしい罰なのです。

 地上に別れを告げて霊の世界へ移られると、誰がするというのでもなく、自家作用によって、自分で自分を裁くことになります。その時の判決の基準は地上で何を考えたかでも、何を信じたかでもありません。世の中のためにどれだけ自分を役立てたかということです。

 その法則(因果律)が構想においても、働きにおいても、完璧であるからには、当然その中に人間的な過ちに対する配慮も用意されているにきまっております。埋め合わせと懲罰が用意されております。邪悪の矯正があり、過ちと故意の悪行に対する罰があり、何の変哲もなく送った生活にもきちんとした裁きがなされております。


 神の摂理である親切、寛容、同情、奉仕の精神を
一片たりとも持ち合わせていない人間には死後、必ず埋め合わせの懲罰が用意されているのである。

 あの万全の経営陣に見えた東京電力旧経営陣が東電への13兆円もの賠償金を命じられたのはまさに神の因果律でしかない。どんな行為が因果律となったかはこの世に偶然はないというページをみれば納得できるはずである。

 霊界からは言う。長年霊界で生きてきた私どもは神の法則の完璧さにただただ驚くばかりです。神などいるものかといった地上の人間のお粗末なタンカを聞いていると、まったく情けなくなります。知らない人間ほど己の愚かさをさらけだすのです。

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