アインシュタインの誤り量子もつれ
このページはNHKで2024年12月28日に「量子もつれアインシュタイン最後の謎」というタイトルで放映された番組の内容を紹介しています。このページでは映像が無い部分わかりづらい処もあるので、分かりやすいように文章をある程度修正したり削除したりして編集しました。その上でアインシュタインがなぜ誤ったのか私なりの意見と結論を述べています。
量子もつれとは、量子と呼ばれるミクロの粒と粒が理由もなくシンクロしてしまう謎の現象である。粒と粒がどんなに離れていても、たとえ宇宙の果てと果てくらい離れていてもまるでテレパシーのように全く同じ振る舞いをするのである。
2022年にノーベル物理学賞を受賞したジョン・クラウザーに記者が質問をぶつけた。
「物理学者として『量子もつれ』を理解していますか」
「いいえ。その反対です。私は『量子もつれ』を全く理解できていません」
別の量子研究者は言う。「量子もつれは『宇宙とは何か?』という私たちの理解を揺るがすものだ」
量子もつれは本当に存在するのか。それはこの100年物理学者たちを悩ませ続けた究極の難問だった。もし量子もつれがあれば、私たちが当たり前と考えてきたことが全て覆ってしまうことになるからだ。実際、量子もつれの謎に迫ろうとした人たちの多くが人生を狂わされていったのである。
物理学者は言う。「本当に深く考えているとあらゆる種類のおかしなことを信じ始めるのです」量子もつれ研究者は言う。「基本的に私たちは奇妙な連中だと思われていました」
一方で量子もつれは、人類をSFのような未知の世界へと導く鍵とも考えられていた。テレポーテーションが実現し私たちの意識の正体すら解き明かせるかも知れないという。
2022年ノーベル物理学賞を受賞したアントン・ツァイリンガーは言う。
「私が何を憶測してもおそらく間違っているだろう。この世界は私たちが思うよりずっとファンタジーに満ちている」
アインシュタインはこのような現象をオカルトといい物理学では解明できない現象として量子もつれと名付けたのである。
20世紀初頭、科学者たちは目に見えるほとんどの現象を数式で表すことに成功していた。電気も、大気も、音も。ところがそこに綻びが見つかり始めたのである。分子や原子などを巡る小さな世界での奇妙な現象だった。それを実証したのは原子レベルの小さな粒を使った実験だった。
壁との間に二つの隙間が空いた門を置き壁に向かって粒を次々とぶつけ痕跡を記録した。粒の通り道は二つだから当然痕跡も二本戦になるはずである。ところが、痕跡はばらばらと現れて次第に縞模様になったのである。この縞模様は一体どうやったら説明がつくのか。物理学者たちはつじつま合わせのこんな推論を生み出した。よく考えれば飛んでいる粒の様子を見たわけではない。それなら飛んでいる間は粒ではなく波のように振る舞い右と左の隙間を通過、壁に到達した時だけ粒に戻ったらとしたらどうか。え?一体何を言ってるんだろ?
とにかく物理学者たちは粒が見えていない時には波になるという不思議な振る舞いを発見。そうした性質を持つ物を、全部まとめて量子と呼ぶことにした。ちなみに原子や電子など小さいものはほとんどが量子というそうである。アミノ酸などの分子も量子のように振る舞うらしい。
空間に数個のミクロの粒を飛ばすとてんでバラバラに飛んでいくが、物理学者たちは大体どこに飛んで行くかその確率を予測する数式を生み出したのである。波動方程式という。
感覚的には理解できない量子の世界、しかし、波動方程式の登場で説明の付かなかったミクロの現象につじつまが合わせられるようになったのである。この理論は量子力学と呼ばれ世界中で使われるようになっていった。
マサチューセッツ工科大学の物理学史のデビット・カイザー教授は言う。
「多くの物理学者を含め誰にとっても飲み込むのは大変なことでした。でも世界はそういうものなのだから私たちはそれを理解しなければならないと・・・」
ところがこうした量子の不思議な世界観に決して納得しなかった人物がいた。相対性理論を提唱したあの天才アインシュタインである。アインシュタインは言う。
「物体がどこにあるかは常に明確にできるはずだ。ビリヤードならある球を突けばその力で次の球が動きそれが連鎖していきますよね」
アインシュタインは宇宙の全ての現象にはこんなふうに原因があって結果がありその過程も明確なはずだと信じていた。アインシュタインの脳裡に盤踞していたのは世界は明確なもので出来ているということだった。量子の理論はあまりにも不完全で、神が宇宙とサイコロ遊びをするはずがないと。
アインシュタインは存在が確率的で分身のようにあやふやな量子の理論を痛烈に批判した。当時のメディアも巻き込んで大論争に発展した。
量子力学はどう良く見ても中途半端な理論で悪ければ完全に間違っていると、1935年アインシュタインは一編の論文を発表した。それは量子力学の波動方程式に決定的な欠陥があると突き詰めたものだった。後に量子もつれと呼ばれる謎だった。
アインシュタインは、宇宙の果てと果てを舞台にした実験を考えた。擬人化した二種類の量子を、宇宙の果てのこっちの左右二つの門と、もう一方の宇宙の果ての門に自由に通らせて見たのである。擬人化した量子はきまぐれだから道中の左右の門で量子が一致したりしなかったりした。しかし、波動方程式で計算すると奇妙なことが起こった。
量子はそもそも波のようにも振舞う存在。波と波はぶつかると混ざって区別がつかなくなるはずである。同じように擬人化した量子も混ざり合って一見区別がつかなくなる。混ざり合った擬人化の量子たちが波の状態で宇宙の果てと果ての門に別々に向かうと左右どっちを通るかは気まぐれなはずなのに計算上必ず同じ側を通ることになるのである。
片方の宇宙の果てで擬人化した量子が右と観測された瞬間もう一方の宇宙の果てでも右になり、左だったらもう一方も左と100%シンクロしてしまうのである。これこそアインシュタインが指摘した波動方程式の矛盾である量子もつれであった。そうした実験を行った結果、宇宙の果てと果てで量子がシンクロしてしまう事実を確認した。
この自然界に「テレパシー」があるなんて私は一瞬たりとも信じられないと、アインシュタインは語った。こうして量子もつれと呼ばれる世紀の謎が生まれたのである。
物理学者は語る。「量子もつれは現代物理学で最も奇妙な概念のひとつだと思います。だからこそ人々はそれを理解しようと何世代にもわたって研究を続けることになったのです」
東京大学、物理工学化の古澤 明教授は言う。「量子もつれ」ってアインシュタインが「そんなのはおかしい」って言ったものですよね。そもそも理解できないものなのでしょうがないですけど、僕は学術会議のお偉いさんから直接言われました。
「君はオカルトをやってるねって」
「まあ、それはそうでしょうね。あっちの測定の影響が空間的に離れていてもこっちに及ぶっていうのはどう考えても直感に反しますから」
1930年代世界は第2次世界大戦に突入。学問の軍事利用が進み、量子力学は核兵器、トランジスタなどの開発にも応用されていった。量子力学は依然として実験でのつじつまが全て合っていたからである。
量子もつれというアインシュタインの根源的な問いは無視されていった。アインシュタインのように量子の世界の意味など考えなくても計算して使いこなせば新しい発見ができる。実際、量子力学の分野は1950年までの20年間毎年のようにノーベル賞を獲得してもてはやされていた。
ところが1951年量子もつれの問題に一石が投じられた。量子もつれも原因と結果で表せることを数学的に解明したというのである。当時の貴重な資料がロンドン大学バークベック校に残されていた。
論文の著者はデビット・ボーム。原爆の父とされるオッペンハイマーを師匠とし、彼の推薦で29歳でプリンストン大学の助教授に抜擢された天才である。
ボームの友人で物理学者のバジル・ハイリー博士はこう語る。「彼とディスカッションを始めると3、4分しないうちに議論のレベルが格段に上がって私が全く経験したことのない知的な雰囲気になるのです。平凡な会話を別次元に引き上げる彼のやり方は本当に信じられないほどだった」
教官としてプリンストンで学生に教えていたボームだがアインシュタインと同じように量子力学の奇妙さを感じていた。しかし量子力学を初めて学んだ学生には量子力学がもっと理解できなかった。彼らは一年もすると「単なる計算システムだから理解する必要はない」と言うのである。なぜ量子力学では見ていない時には分身したように振る舞い、見た瞬間だけ突然実体が現われるのか。学生でも理解できる分かりやすい解釈を見つけるべきだ、とボームは思った。
ボームはまず波動方程式を徹底的に分析し新たな意味を明らかにしようとしました。そして波動方程式がこんな別の形に書き表せることを見つけ出したのです。そしてこれまでより分かり易く理解しやすい波動方程式を公表した。
式の一行目は物体の運動方程式で300年以上前にニュートンが提唱して以来、物理学者が慣れ親しんできたものだった。一方2行目はこれまで見たことがない新しい力を意味していた。新しい力のもとでは先ほどの波と粒の実験は計算上こんなふうに表せる。
二つの隙間を通った後も、一つ一つの粒はこんなふうにふらふらと不思議な軌跡を描くのである。そして、いくつもの粒の軌跡を重ね合わせた結果は、波のような模様になるのである。この粒に働く新しい力とは宇宙全体から一瞬で影響を及ぼすような力である。その力があれば量子もつれの謎はこう説明できる。
宇宙の果てと果てで行われた、どっちを通るかゲームでいうとどっちの量子にも宇宙からの新しい力が同じように届くのである。同じ力に従っているのですから左右どちらに進むかも同じになります。これならどっちの量子が混ざり合っていなくても100%シンクロできる。
ボームはこうして理由のないシンクロをする量子もつれは説明できるとしたのである。バジル・ハイリー博士はこう言った。ボームは頭をかきむしるような難題を数学で自然に説明できる方法を考えだしたのです。さらに言う。宇宙全体からの力という概念を持ち込めば問題にならないと。宇宙全体からの力という概念というのは何の根拠も無い推論でしかない。そもそも物理の法則からは相当外れている理論と言える。
当然のことだがこの理論に、換金できない小切手のような役に立たない代物。ひどくばかげた理論だ。自信満々に発表した理論に、物理学者たちからの軽蔑に満ちた批判が相次いだ。ついには自らの師匠オッペンハイマーからもこんな言葉を投げつけられた。われわれはこれを子供じみた逸脱だと考えている。
なぜここまでボームは批判されたのか。
バジル・ハイリー博士は言う。私はこの問題には科学を超えた何かが必要だと感じ始めた。私自身そして多くの人たちの科学への興味は宗教や哲学への興味の背後にあるものと切り離せない。それこそが全宇宙やあらゆる物質そして私たちの起源を理解するということなのだ。
量子の世界の意味を追求し量子もつれの謎に手を出したら研究者として生きていけなくなる。物理学者たちはますますこの問題から距離を置いていった。しかし、誰もが否定したボームの理論がやがて革命をもたらすことになった。
「1952年にボームの論文のコピーが届きました。もちろんすぐ読みました。それは私の考えにとても近くものすごく感銘を受けました。そして私はその論文で長い間不可能とされていたことが達成されていることを知ったのです。心から熱狂しました。私にとっては大事件でした」
そう語るのはジョン・スチュワート・ベル。「ボームは可能性を見せてくれたのです。非常に明確な方法で不可能だと主張する証明を論破し問題を再び提起してくれたのです。私は計り知れない感謝をしています」
ベルに出会った物理学者はみな”ヒーロー“と呼んだ。彼が発見したたった1行で書き表せる数式”机上の空論”量子もつれに革命をもたらしたのが“ベルの不等式”である。
スイス ジュネーブ郊外にある。欧州原子核研究機構CERN(セルン)。ヒッグス粒子も発見した量子研究の世界的な拠点である。ここがベルの研究の舞台だった。最先端の量子研究者がしのぎを削るこの施設でベルは1人ひそかに量子もつれの謎に取り組んでいた。
幼い頃から機械いじりが大好きだったベルは世界の成り立ちを理解したいと17歳で大学に進学し物理学を専攻した。
全ての物事には機械のからくりのように原因がある。そう信じていたベルは波動方程式や量子もつれをどう解釈していいのか悩んだという。
波動関数とはいったい何なのか、それはとても不可解で物理学とはいったい何なのかという疑問が常に湧いていた。
ベルは、アインシュタインの主張には絶対的な説得力があると思っていた。それが唯一合理的な考え方で、そしてその結末は動かないと。
遠く離れたところで実験した途端理由のないシンクロが生じてしまう波や分身といった考えを否定したアインシュタインを強く支持していたベルは、量子もつれのメカニズムに迫ったボーム理論を読んだ途端夢中になったという。
なぜ物理学者たちはボームをあれほど攻撃したのか。なぜボームの素晴らしい発見と論文に寛容でなかったのか。ボームの不遇な半生を知っていたベルはしたたかに量子もつれの謎に取り組み続けていた。
ベルは机上の空論とされていた量子もつれがあるかないか判別できる方法について突き詰めて考えた。そもそも「量子もつれ」とは理由もなくシンクロする現象だった。もし、理由としてボームが提唱した「宇宙からの力」を仮定しても実証はできない。そこでベルは全く違うアプローチを取った。量子もつれが起こる時は左右の量子が混ざり合った状態になっていたが、一方ベルが考え出したのは混ざり合わなくてもシンクロする方法だった。出発する時点で左右の擬人化した量子が同じ指示書のようなものを持っていたらどうだろう。その指示に従えば100%シンクロする。つまり指示書があれば理由なくシンクロする量子もつれの存在を否定できることになる。でもそもそもそんな指示書があるかないかどうやったら確認できるのか。ベルは観測の方法に工夫をこらせばいいと閃いたのである。
量子論に間違いがあるとしたら観測するという行為の中にあるはずだ。そう考えると驚くべき可能性が広がってきたのだ。その工夫とはどっちを通るかという観測に新たな設定を持ち込むことだった。まず門を1つではなくA,B,Cの3つに増やす。しかもその3つの門をランダムに切り替えられるようにするのである。その上で擬人化した量子が2人づつペアになった量子たちに指示書を配るのである。ちなみにそこにはA,B,Cそれぞれの門で左右どちらを通るかという指示が書かれてある。そして2人にこの支持に従って動いてもらうのである。なぜそんな設定にするかというと、こうすることで量子もつれがあるかないかを判別する数式を作れると気づいたからである。後に革命を起こすことになる「ベルの不等式」である。
ベルはこの不等式で机上の空論とされてきた問題に実験で決着をつける方法を見事に編み出したのである。実験が専門でなかったベルは無名の雑誌にひっそりと投稿した。当初は誰も注目しなかった論文だが、4、5年して後にノーベル賞を受賞することになる量子研究者のジョン・クラウザーから手紙が届いた。
クラウザーは語る。量子力学はとてもミステリアスだった。単純に理解できなかった。なぜ理解できないかも理解できなかった。量子力学の講義で2度も落第したクラウザーは基礎から学び直したいと図書館でさまざまな文献を読んでいた時、ふと手にしたのがベルの論文だった。
アインシュタインの言うような量子もつれなど存在しないのではないか。クラウザーは自らの実験でそれを証明したいと考えた。「私はアインシュタイン議論がはるかに明確だと思っていた。量子力学に間違いが見つかるとしたらこの実験結果こそがアキレス腱となるはずだと。私はコロンビア大学の物理学者たちに聞いて回ったんだ。でもこういわれた。そんなバカげた実験をやる奴はいない。しかし私は、これは非常に重要な実験だと考えぜひやりたいと思った」
そこで手紙でベルに直接連絡することにした。ベルからの返事は周囲と全く異なるものだった。ベルは不等式についての実験をしたというのは聞いたことがない。あなたの提案する実験はやる価値があると言ってくれた。彼はとても魅力的でとても愉快な人だった。
教官の指導も全て無視してほかの大学にも交渉した結果、ようやく実験するチャンスを掴んだ。問題はベルが想定したような実験をどう実現するかだった。そしてこんな仕組みを考え出した。
それは中心部でカルシウム原子を熱して、2つの光の粒、光子を作り出しその光子を左右に飛ばして観測するものだった。観測装置には切り替え機能がついていて光の通り道を切り替える。ベルの考えた実験で言うと擬人化した光の粒に対して、門は観測装置に相当する。
ところがここからが長い格闘の始まりだった。実は実験に予算はほとんど与えられていなかった。クラウザーは毎日のようにさまざまな研究室のゴミ置き場を回り使えそうな部品を探して装置を組んだという。クラウザーは電子回路から光の装置まで全てを一から設計し自分で組み立てた。かけた月日は2年。世界で初めて量子もつれを実験で検証できる装置を完成させた。そして実験結果はベルの不等式は成り立っていない、破れているというものだった。クラウザーは図らずもアインシュタインがありえないと言った量子もつれが存在する可能性を示してしまった。
「私は失望した。なぜなら私はアインシュタインの大ファンだったから。本当に失望したよ。彼が間違っていることを証明してしまったんだから」
クラウザーの逆境は続いた。この実験には不備があるという指摘が相次いだ。それは光子と光子が何らかの影響を与え合った結果シンクロした可能性があるという。抜け穴があったからである。クラウザーの装置は長さ5mでその可能性は否定できなかった。必死に実験を続けたが当時の技術では抜け穴を塞ぐことはどうしてもできなかった。
クラウザーは69年から76年までベルの不等式の実験を続けていたが、みんなにこう言われた。重要なことは何もしていない。君は他の仕事を探すべきだと。そこで私は研究室を去ることにしたんだ。結局クラウザーは全く違う分野に転職。大学に戻って研究を続ける道は与えられなかった。ようやく前進したかに見えた謎の解明は暗礁に乗り上げようとしていた。
しかし、事態は大きく動き出した。1976年シチリア島で量子もつれをテーマにした学会が開かれたのだ。主宰したのはベルだった。ベルはこの分野に興味を持つ僅かな研究者を秘密裏に集めたのである。そこにはクラウザーと共にもう一人の若者が招かれていた。アラン・アスペといって後にノーベル賞を受賞することになる研究者である。
クラウザーの結果を知りアスペは自分も実験がしたいと相談していた。しかし、ベルは本当にやるのかと聞き返した。ベルはまずこう言った。みんなからこのテーマに興味がないと批判されるはずだ。だから、大学で定職の地位がない限りこのテーマに取り組むのはやめたほうがいいと忠告した。私はすでにポストについていると伝えると、それなら科学の話をしようと言われたのです。
アスペは試行錯誤の末、あのクラウザーが果たせなかった抜け穴を塞ぐアイデアを思いついた。クラウザーが指摘された抜け穴は実験装置が5mしかなく光の粒、光子と光子が何らかの情報交換をした可能性が否定出来なかった。
そこでアスペはある仕掛けを考え出した。実験装置の反対側に情報が伝達される前に、こちら側の何かを変えなければならない。私の装置の長さは12メートルある。光がこちらの端からもう一方の端まで進むのに2500万分の1秒かかる。もし私が2500万分の1秒以内に何かを変えれば、わたしがここで何をしたかは装置の反対側にはわからない。問題は切り替えを超高速で行える装置がなかったことである。それをどう解決したのか。アスペが目をつけたのは水、メガネの洗浄につかうあの機械と同じ原理で水を超音波で震わせて乱反射させる装置を作ったのである。これを使うことで2つの経路のどちらかに光を超高速でランダムに振り分けいわば抜き打ちテストを実現した。そして1982年ようやく実験結果を出した。その結果ベルの不等式は成り立たず量子もつれはあるという判定だった。
アスペは語る。「結果が出た時みんなは面白いと納得してくれたんです。とても好評でした。私はベルの不等式を説明し耳を傾けてくれるなら誰にでも解説した。次第に多くの人々がそうだね面白いねと言うようになりました」
アインシュタインによる提唱からおよそ50年。物理学者たちはようやく量子もつれに興味を持ち始めた。実験結果を信じるならアインシュタインが恐れたように宇宙の果てと果てでもテレパシーのようなシンクロが起きてしまうという事である。ということは量子力学がいうように、全ての物体はいわば観測するまで実在していないという奇妙なことが起きているのではないか。物理学者たちは奇妙なシンクロの謎を非局所性と呼び本気で検証すべき問題と捉え始めました。
非局所性とは、この宇宙における現象が、離れた場所にあっても相互に
絡み合い 、影響し合っているという性質のことである。
非局所性の理由を探り続けたベルは1990年62歳で脳梗塞で亡くなった。ベルの友人の物理学者のラインホルト・バートルマン博士は語る。「ベルはいつも私には非局所性が理解できない、謎だ、謎だと言っていました」バートルマン博士はこうも言った。「物理学者にとって理解できないものがある時は、これをなんとかして解決したい知りたいという気持ちが生まれる。これは内から湧き出る感情なんだ。その感情に合理的な理由はないと思う。彼はこの非局所性を理解するために感情的に駆り立てられたのだ」
そして、時代は大きく変わろうとしていた。量子もつれを受け入れるならそれを使うのが必然だという考えかたである。量子もつれは電気などのように我々にとって非常に使いやすい資源なのだ。量子もつれの存在が確実になりつつあった1990年代新たな若者たちが次々登場し始めた。
波のような分身と高速を超える瞬間的な影響。もしそんなものがあるなら使ってしまおうというのだ。その一つが究極の暗号技術への応用である。
パズル好きで知られるオックスフォード大学のアルトゥール・エカート教授は1991年の学生の時に量子もつれの実験論文を読んでその応用を考え出した。「これは絶対に途中で盗めないという仕組みだと気づきました。それで私はベルの不等式をそのツールとして使うことができたのです」
「量子もつれでは遠く離れた擬人化した二つの量子が観測された瞬間にシンクロしましたね。これを使えばほかの人に一切傍受されずに瞬時に同じ情報を2人が共有できるはず。これにより物理的に一切途中で盗めない暗号のカギが配布できます。この鍵を使えば究極の暗号化が出来ると考えたのです。この方法はセキュリティーの限界を押し上げてくれるのです」
更に実現に向けて動き出したのが量子コンピューター。不思議な量子もつれの現象をフルに生かそうとする究極のコンピューターである。
マサチューセッツ工科大学機械工学科のセス・ロイド教授は1993年原子を使って具体的に量子コンピューターを実現するアイデアを発見した。可能な応用範囲は本当に劇的に広がっていった。この流れに刺激を受けたのが東京大学物理工学科教授の古澤 明である。34歳の時に取り組んだのが量子もつれを連鎖させることで瞬時に情報を転送する究極の通信である。
古澤氏は言う。「我々以外、誰もこれを作る事はできないと思います。量子テレポーテーションは遠くの空間で瞬時にシンクロする量子もつれを連鎖させる技術です。それによってある粒子が持つ情報を遠く離れた場所に瞬時にテレポートさせるのです」
1997年当時、不可能とされていた完全な量子テレポーテーションを世界で初めて実現し業界を驚愕させた。さらにこの原理を応用した光量子コンピューターの実用化に世界で初めて成功したのである。
この宇宙には本当にテレパシーのような非局所性があるのか。この世界は見た時にしか存在しないあやふやなものなのか。
量子を使った技術革新が進む中、根源的な問いに向き合い続けてきた人物がもう1人いた。後にノーベル物理学賞を受賞したアントン・ツァイリンガーである。1970年代から量子もつれの研究を続けてきた最古参の物理学者である。「個人的に私はずっと根源的なことに興味がありました。応用していくことは大切だと思いますが、それでは根源的な問いに答えを出すことができないのです」
ツァイリンガーはまだ、アインシュタインの問いに応えきれていないと考えていた。これまでの実験は全て研究室内で行われ宇宙の果てと果てで量子もつれによるシンクロが確実に起きるとは証明されていなかったからである。
ツァイリンガーは宮殿の地下を丸ごと使い実験を超大型化にして技術力の限界に挑み続けてきた。そしてあるアイデアに行き着いたのである。広大な宇宙そのものを実験の舞台に使おうというのである。もし宇宙にある光源を利用すれば、(抜け穴の問題を生んできた)原因を何十億光年も昔に押しやることができる。
考え出したのは、宇宙の天体で地上の観測装置の制度を上げることが必要で、切り替え装置を望遠鏡に接続したのである。使ったのが宇宙の初期に生まれたクェーサーと呼ばれる天体を2つ。一方は122億光年もう一方は78億光年と遠く離れておりまさに宇宙の果てにある。この明滅のタイミングで観測装置を切り替えれば計算上宇宙の果てと果てで検証したのと同じような効果が得られるのである。
いよいよ世紀の実験が始まった。遠い宇宙から来る僅かな光の明滅を2つの天文台で検出する特別な調整が行われた。
ツァイリンガーは言った。「技術的な可能性のぎりぎりのところにあった。だから成功するかどうかわからなかった。しかし、それが良い実験なのだ」良い実験とは成功するかどうか確信が持てず技術の限界に挑戦しなければならないような実験のことだ。
そして2018年、ついに最終結果が出たのである。結果は驚くべきものだった。量子もつれが存在する確率は99.999999999999999999%だった。
それは量子もつれが宇宙の初期から存在し今も至る所にあることを意味していたのである。たとえどんなに離れていても瞬時に影響し合う非局所性。実在が曖昧であること、それがこの宇宙の現実だった。
アインシュタインが否定し続けた量子もつれ。80年に及ぶ難問との戦いに終止符が打たれたのである。ツァイリンガーは言う。「この問題は長い間物理ではなく哲学の問題だと考えられてきました。それでも最終的にうまくいったのです。アインシュタインの反応が知りたいですね。実験に対して彼がいま何を言うか知りたい。私たち人類は世界に対する見方を変えなければならない。それにはおそらく長い時間がかかるでしょう。それは若い世代が納得していくことなのです」
アインシュタインは死後、霊界で自分が存在していることに衝撃を受けたはずである。当然、神が存在していることも認識し、全ての疑問が氷解したはずである。量子もつれの誤りの原因も充分噛み締めているはずである。
そして今、量子もつれの発見によって私たち人類の宇宙観は大きな変革を迫られている。アインシュタインが晩年を過ごした量子もつれの謎を考え出したプリンストン高等研究所。宇宙の始まりビッグバンはなぜ起こったのか、この究極の謎に迫る鍵は量子もつれだという理論が発表され注目を集めている。
ファン・マルダセナ教授は僅か33歳でプリンストン高等研究所の教授に迎え入れられた。今取り組んでいるのがホログラム宇宙論。量子もつれを否定したアインシュタインの相対性理論を修正しようとして生まれた仮説である。
この宇宙は果てにある「表面」が実態であり中にあるのはその表面から投影されたいわゆるホログラムのようなものだという。ホログラムのような宇宙を生み出すのは宇宙の果てにあるたくさんの量子もつれ。この宇宙になぜ時間と空間が生まれたのか、そんな根源的な問いも量子もつれが複雑に絡み合った結果として説明できるかも知れないというのである。
マルダセナ教授は言う。
「理論によれば時空は境界上の量子もつれから生まれると言えるのです。このように量子は人間のようなものなのです。近くにいる者どうしのもつれは多く、遠くにいる者どうしのもつれは少ない。このようなパターンがこうした時空を構築しているのです。詩的な言い方をするなら量子もつれは時空を織る糸のようなものかもしれません」
もしかして、私たち自身も実体のない「ホログラム」なのだろうか。アインシュタインの最大の誤りともされる量子もつれ。80年前に提起され何度も無視され続けてきた問いは今、世界を大きく変えようとしている。
ツァイリンガーは言う。「いまだにわからないのは量子もつれがなぜ起きるのかということだ。なぜ宇宙はこんなにも奇妙なのか。それはまだ誰にもわからない。しかし、いつか若い人がやって来て、ああこれだ、というかもしれません。そのときこそこう言いたい。そりゃ素晴らしい!」
私たちの常識を超えた現象量子もつれ。そのなぞは常識を疑い挑む人を今も待ち続けているのである。
私の見解。
量子もつれは、アインシュタインが物理の数式こそ最良の証明で、どんな難解な現象も解けるといった固定観念に支配されていたことによる錯誤から生まれた誤りである。言って見れば専門家は視野が狭い部分が大いにあるという通説からアインシュタインのような天才でも免れることは出来ないという証明でもある。
私から言えばアインシュタインは視野が狭かったというしかない。この地球上では量子もつれに限らずオカルトのようなことは満遍なく起こっているのである。
エジソンは超能力者であるバート・リーズと親交を深めていたが、1926年、バート・リーズは詐欺罪で告訴される破目に陥ったのである。
リーズを利用してひと儲けを企んだ無節操な告訴人の前で、リーズは透視能力を検察側に証明できなければ、服役するしかなかった。
この訴訟の話を耳にしたエジソンは即座に、ニューヨークの『イヴニング・グラフィック』紙に宛て1通の手紙を書きあげた。これは1926年の7月26日号に掲載されたが、その一部はこうである。
「彼(リーズ)には数回、会いました。どんな場合にも私は、リーズから離れた位置で、または彼を別室に置いてから、紙片に何らかの言葉を書きました。しかし、彼に紙片を手渡したことは一度もありませんし、全く紙片を見せ
なかったことも、何度かありました。それにもかかわらず彼は、各々の紙片に書かれた言葉を、正しく答えたのです」
公開の紙上で大科学者が被告の弁護に立ったにもかかわらず、判事も陪審員も、あまり影響されなかった。リーズは危機に直面した。検事は彼にとっては致命的な論告を構築していた。彼の超能力を証明する方法は一つしかなかった。
リーズは立ち上がって判事と向い合った。そして、判事の前にあるメモ用紙に「何か書いて下さい」と頼んだ。何でもいいのである。ただし法廷にいる人々には絶対に見られないように。
判事は承知した。
やがて、リーズは裁判官にクチを開いた。
「裁判官閣下。今、お書きになったことを発表してもよろしいでしょうか?」
「よろしい」と判事は答えた。
リーズは息をととのえると、
「閣下は、こうお書きになりました。『超能力の存在という問題で裁判官が判決を下すことを求められたのは、私の知る限りこれが最初である。私が今書いている文章をリーズが正しく答えたなら、私は彼を無罪にしなくてはなるまい』と。『超能力』という言葉は、大文字で書かれています」
判事はうなずくと、「閉廷する」と宣言した。「被告は無罪である。陪審員の皆さん、私が書いた文章は、被告が答えた通りです」彼はメモ用紙を陪審員に渡してから、退廷した。
1926年というのはエジソンが79歳でアインシュタインが47歳の時である。この事件は「空前絶後の超能力裁判」として新聞の紙面を騒がせたはずである。それすらも聞き及ばなかったと言うのではあまりにも世事に疎かったというしかない。
わたしの妻は七歳の時、犬に追いかけられて夢中で逃げているうちに、フタが開いていたマンホールに落ちて溺死しかけたことがあった。一緒に逃げていた友達が近所の人に助けを求めてくれ、大人の人がロープを投げ入れ、妻は無我夢中でロープを掴んで引き上げられたが意識はなかった。意識はないのにロープだけはしっかり掴んでいたという。
妻は部屋の中央の布団に寝かされて、両親と近所の人たちが心配そうに見守っているのを、もう一人の自分が天井から見ている不思議な光景に気がついた。いわゆる幽体離脱である。
妻は結局は布団の中で意識を取り戻したのだが、大人になってから霊感のようなものが働く自分に気がついた。だいたい霊感とか霊能力とかは一度死にかけた人たちに生じることが多い。
あるとき、テレビで超能力者たちを集めた番組があった。司会者の前には大きな木箱が置かれていて、30人の超能力者たちにその木箱の中身を当てさせるのだが、テレビを見ていた妻はことなげもなく私に、一対の人形が入っていると言った。
司会者が木箱を開けると大小一対の日本人形が現れた。わたしはビックリして新聞のテレビ欄を丹念に見た。現在見ている番組が録画番組でどこかに正解が記されているかと思ったのである。しかし、新聞のどこにも一対の日本人形なんて活字は見当たらなかった。またこの番組はゴールデンタイムに放映されていたので再放送でなかったことも明白であった。
当時の妻の写真を掲載したページがあるので関心のある方はこちらへ。リンク 俳句古妻遍
アインシュタインは、この自然界に「テレパシー」があるなんて私は一瞬たりとも信じられないと語ったが、バート・リーズはものの見事に裁判官の心を読んでテレパシーを発揮したが、私の妻も放映中のテレビの画面の木箱の中に何が入っているかを見事に当てたのである。
この話以外にもオカルトのようなことはこの世間に満遍なく起こっている。アインシュタインがそんな現象の一つも知らないと言うのでは専門家が陥り易い視野が狭かったという指摘から免れることは出来ない。もしアインシュタインがオカルトのような現象を肯定するような見識が広い人間だったら「量子もつれ」は決して否定しなかった筈である。
エジソンはバート・リーズから霊界が存在することを聞き霊界通信機なるものを作成にかかったが完成しなかった。シルバーバーチが言っていたが、交霊するときもバイブレーションが合わないとうまく行かないと言うから、やはり霊界との通信はバイブレーションを合わすことが至難の技だったに違いない。さすがのエジソンもそこまでは思い至らなかったに違いない。
エジソンの理論によると、空中には顕微鏡でも見えない微細な物質粒子が存在する。それらは、巣の中の蜂のように群れをなし、精神を緊張することで、指示を与えることが可能だと、いかにも科学者らしき分析をしていた。しかしこのような理論は、科学者仲間から「科学者らしからぬ……」として非難されていた。
エジソンはバート・リーズから霊が永遠に存在する話しを聞いても、その事が、神が存在するゆえの現象であることを気付きもせず想像もせず「生命は物質同様、滅ぼすことのできぬものである。この世には、常にある量の生命が存在し、その量は一定であろう。生命とは、創造も、破壊も、増殖することもできないのだ」
と、飽く迄も科学者らしき分析をしたが、こんな子供じみた説明に納得するものは一人もいなかった。アインシュタイン同様、科学者という専門職による視野の狭さゆえの見解であるとしか思えない。
科学者や物理学者に「無から有が生じる」なんて話しをしたら目ん玉がひっくリ返るような驚きをするだろうが、無限、不変、唯一絶対、全知全能である神には容易いことであり、神にとって不可能なんてものは有り得ないのである。
この宇宙は、無から有すら捻出できる全知全能の神が創世し、人間は神の一分霊で、霊こそ実在で全てのものに優先し、全てのものが消滅したあとも残り続ける存在で、肉体は地上を生き抜くための仮の媒体にしか過ぎない。しかし、大半の科学者や物理学者はそんな事は夢にも思わないはずである。それゆえにこれからも「量子もつれ」に似たような現象を見たり聞いたりしても、そんな物は存在しないというような間違いをおかすのではないだろうか。
霊訓は語る。人間の本性は肉体を備えた霊的存在なのです。霊を備えた肉体的存在ではありません。決して肉体という鈍重で低俗な存在ではありません。死を迎え古い衣服を脱ぎ捨てるように肉体から離れる時がくれば、本来住むべき霊性に応じた世界へ行きます。
霊性に応じた世界とは、物質世界で行った人間の行為に対してそれに応じた世界に行くことである。残酷に人を殺した者はクチから暗黒のオーラを吐き出しそのオーラで我が身を包み悶え苦しむのである。その他の悪行を行った者もそれなりの苦しむ世界へと自ら向かうのである。
親切、寛容、同情、奉仕が神の摂理である。国の指導者に上り詰めながらも国民を差別したり迫害したり拷問したり殺害したりした者は死後、霊界でも最低ランクの幽界に落とされ、人に依っては何十年何百年も苦しみ、来世に生まれ変ると、物質世界で自らが行った非人格的行為を全て体験せざるを得ない人生を送らねばならないのである。
人を粛清して己の権力を維持した者は、来世は粛清される側に生まれ、無実の罪で人を死刑に追いやった者は、来世は無実の罪で死刑を宣告される運命をたどるのである。このようにして人間は、人格を完成するために何度も生まれ変わり、自分のした行為は全て自分に返ってくるようになっているのである。 一法無双
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