この世に偶然はない(自然災害は決して偶然ではない)

 アラン・カルデックの「霊の書」では人間の行き過ぎた行為と自然災害とは無関係でないと語っている。

「食べ過ぎると胃腸の調子がおかしくなります。神はその不快感をもって各自の限度の基準としています。その限界を超えると神が罰するということです。同じ事が他の全ての事について言えます。何事にも摂理(親切、寛容、同情、奉仕)によって必要限度というものが設定されており、それを超えると自動的に苦しみが生じて罰せられます。”それで充分”という神の声に人間が耳を傾けるようになれば、天災と思い込んでいる地上の災害の大半が未然に防げるはずです」

 キリストもこう言ったのである。

「この世は私たちの潜在意識で思っていることが世界に反映したものであり、人間の想念が造り出した世界である」

 人間の想念が造リ出した世界とは、判り易く書けば世界の人類の思考の多数が利己的になると自然災害が多くなり、世界の人類の多数の思考が利他的になると自然災害は起こらないということである。

 東日本の災害は起こるべくして起こったのである。そうだとすれば次のような疑問が湧く。大震災が起こるべき必然性があったなら、なぜ多くの善良な人々の命までうばうのか。「霊の書」ではそれに対して、適切と思われるような霊界との質疑応答があるので抜粋してみる。

――神は何の目的で自然災害という破壊をもたらすのでしょうか。

「人間の進化に拍車をかけるためです。精神的新生のためには破壊も必要です。新しく再生する毎に霊的浄化において新しい一歩を踏み出すのです。何事につけその過程を正しく理解するためには、結果を見届けなくてはいけません。人間はとかく我が身に置き代えて判断するために、苦しいことはみな災害と考えがちですが、新たな秩序をもたらすためには思い切った混乱を必要とする時があるのです。それまでの平穏無事の惰性では何世紀も要するような改革が二、三年で成就されることがあります。」

――神はそういう破壊の手段以外に何か別の手段を取ることができないのでしょうか。

「取っておられます。日常生活の中での善悪の判断を通じて進化を促すという方法です。ところがこの方法では人間はなかなか向上しません。そこでその高慢の鼻をへし折り、人間の弱さを思い知らせる必要が生じるのです」

――ですが災害による犠牲は、邪悪な人間だけでなく善良な人間も悲嘆に暮れさせるだけではないでしょうか。

「人間は、地上を旅する間の出来事は、どうしてもその肉体の生存期間を尺度として捉えます。ところが死んで霊界に戻ってくると観点が大きく変わり、地上時代の出来事が実に些細なことであることに気づきます。地上の一世紀は永遠の時の中では一瞬の花火のようなものに思えます。そして、地上の時間にして何日、何ヶ月、何年にもわたる苦しみもどうということはないように思えてくるのです。どうか、この点を今後のあなた方の生き方の参考にしていただきたい。霊こそ実在であり全てのものに優先し。全てのものが消滅したあとも残り続けます。その霊の在り方こそ神が何より気遣うものであり、肉体は地上を行き抜くための仮の媒体にすぎません。

 多くの尊い人命を奪う大災害におけるそうした犠牲者たちは、戦闘後の兵士のようなものです。軍服はボロボロに破れ、あるいは千切れ、あるいは無くなっているかも知れません。が、生命(いのち)は失っていない。その姿を見て将校は軍服のことよりも生命があったことを喜ぶものです。軍服が肉体であり生命が魂です」

 神が気遣うのは霊の在り方であり、神からすれば肉体が滅びるということは、永遠の視点から見るとたいしたことではなく、肉体は地上を生き抜くための仮の媒体にすぎなく、軍服という肉体よりも生命があったことを喜ぶべきと言っている。

 シルバーバーチは、死は肉体に閉じ込められていた霊が牢獄から開放されたようなものであると語っている。


 あなたは肉体を備えた霊的存在です。霊を備えた肉体的存在ではありません。決して肉体という鈍重で低俗な存在ではありません。死を迎え古い衣服を脱ぎ捨てるように肉体から離れる時がくれば、あなたが住むべき霊性に応じた本来の世界へ行きます。そこが地上に近い幽界付近(霊界で最下層の位置)であるか高級霊の住む世界であるかはあなたの霊性の程度によります。神を崇拝しようが宗教に入ろうが関係ありません。あなたの内面、霊性に応じた世界へ赴きます。地上と霊界の異なる点は地上では様々な霊性の霊が肉体をまとう事により一緒に生活していることです。

 
死ぬということは決して悲劇ではありません。むしろ今その地上で生きていることこそ悲劇といっても良いくらいです。大霊の庭園(地球のこと)が利己主義と強欲という名の雑草で足の踏み場もない状態となっていることこそ悲劇です。

 死ぬということは、肉体という牢獄に閉じこめられていた霊が自由になることです。苦しみから解き放たれて霊本来の姿に帰ることが、果たして悲劇なのでしょうか。天上的色彩を見、言語で説明のしようのない天上の音楽を聞けるようになることが悲劇でしょうか。痛むということを知らない身体で、一瞬のうちに世界を駈け巡り、霊の世界の美しさを満喫できるようになることを、あなた方は悲劇と呼ぶのでしょうか。


 どっちにしろ死は、悪事を働いた者以外は、肉体からの開放を喜ぶべきものであり、決して悲しむべきものではないと言うのである。善良な者の死と、悪徳を働いた者との死は、霊界で歴然と差が生じ、悪徳を働いた者は暗黒のオーラで我が身を包みもだえ苦しむのである。

 東京電力は、これでもかこれでもかと既得権益を持続させるために天下りを受け入れてきた。そういった体質が神の罰則を発動させた可能性もあるのだ。

 東日本大震災は決して偶然ではなく(そもそもこの宇宙には偶然の入る余地はないという)因果律の法則で引き起こされた可能性もあるのだ。それには東京電力も決して無関係ではないと思う。なぜなら、東電の天下り官僚は50人を超え、行き過ぎた官と民の癒着や、その他にも2011年10月30日の毎日新聞の記事をここに転載して見るが、東電一家(OBも含めて)のおごり高ぶりはここに極まれりと思うほどに公共料金を主とする事業としては、決して適正ではないという事業形態である。

 横浜市西区に本社がある「東電同窓電気」はゼロ関連会社の一つだ。社員360人、10年3月の売上高は約115億円で、経常利益は3億5800万円。電柱や送電線、変圧器の取り付け、保守点検などの電気関連工事を主な業務としている。売り上げの約7割を東電とそのグループ企業から受注しており、株主には東電OB273人が名を連ねているが東電との資本関係はない。社名の通り東電OBが1950年に設立した会社で、創業以来、無借金経営を続ける優良企業だ。

 
東電との契約はほとんどが随意契約で競争入札での受注はほとんどない。東電OBの同社幹部は「我々の仕事には特殊技術が必要だ。他社にも門戸は開かれているが、他社に発注すればコストは今より高くなるだろう」と話す。しかし、経営・財務調査委員会幹部は、ゼロ連結会社の受注価格は「受注する側の言い値に近い」と話す。東電同窓と同様の会社は、群馬、茨城県など東電管内の各県に複数存在し、それらは59年ごろに東電の働きかけで設立された。当時、東電の発注工事をめぐり「関電工がすべての工事を受注している」との批判があったため「第三者への発注を装う目的で設立したのではないか」との見方もある。

 46社の内訳は、電気工事関連22社、機械関連8社、建築土木4社、配管工事2社など。経営・財務委員会は、グループ会社の経営は東電との取引に支えられていると指摘し、報告書では「外部取引の赤字を東電向け取引で補填した形になっているケースも多数見受けられる」と問題視した。同委員会は、東電では電気料金算定の基となる原価の見積もりが、10年間で6000億円以上過大だったと指摘したが、同委員会幹部は「東電の公表資料を見ても、ゼロ連結会社の全容は把握はできなかった」と話し、「高い電気料金」の闇に迫ることの難しさを披露した。

 それゆえ東電の電気料金は欧米より高く、東電を1(千円)とすると、アメリカは0.64(640円)、イギリスは0.75(750円)、フランスは0.66(660円)、となる。日本が欧米に比べて高い電気料金を設定できるのは、途方も無い人数の天下りを受け入れている既得権益のせいでないと誰が言えるだろうか。

 その上、同じく11月2日の毎日新聞の一面に、独立行政法人の「原子力安全基盤機構」のズサンさが掲載されている。

「原子力機構安全基盤機構」が、対象の事業者に検査内容の原案を事前に作成させ、それを丸写しした資料を基に検査していることが分ったというのである。丸写しは常態化しており、中には国に「合格」と報告した後にミスが判明した例もあるとの事である。チェックの形骸化に専門家からも厳しい批判の声が上がっている。

 所轄する経済産業省原子力安全・保安院の幹部は「手抜きで楽をしていると言われても仕方ない」と認める。しかし機構幹部は取材に「自前で作れば日が暮れる」と話しており、安全への意識は低い。

 原子力の安全を図るべき機関が、まったく根拠のない形式だけの検査をしているのである。独立行政法人なんてものは、しょせん、どこもかしこも自己の利潤を優先するだけの機関と言っても過言ではない。彼らの多くは高額の給料をただ取りするだけの禄盗っ人と言ってもよい。そういうヤカラが多ければ多いほど自然災害は決して止むことはない。

 わたしが知り合った人は独立行政法人を顧客にして年間何億という取引の事業をしていたが、彼のいわく、独立行政法人はまけてくれとも言わず金払いが滞ることもなく独立行政法人様々といっていた。しかし、毎晩のように、北新地やミナミで接待するので、体が酒浸しになりこっちの身が持たんとうれしい悲鳴をあげていた。いってみれば事業を値切ることもせずほぼ業者の言い値で契約し、業者の接待、つまり国の税金で毎晩、莫大な飲み食いの接待を受けているということだ。

 官僚出身の、慶応大学大学院教授の岸博幸という人が言っていたが、官僚には三原則があり、その三原則とは、せこい、保身、職場益という。大いにうなずくものがある。やってることはせこく、いつも自分の保身を図り、愛国心や人民愛より自らが在籍している職場の利益だけを優先するのが彼らの本性である。

 それゆえ、東日本大震災は必然で起こったとしか思えない。

 そういった意味から考えれば利己的人間ばかりが増えている世界は、これからも多くの災害に見舞われるはずである。2011年10月作成。

 このページは10年ほど前に作成したページだが、新型コロナウイルスが世界に蔓延している事を思えば私の予知したことが当たっていることになる。しかし、世界はまだまだこれから数年先にも壊滅に近いほどの災難に見舞われる可能性もある。親切、寛容、同情、奉仕の神の摂理を微塵も感じない利己的人間が多数を占める限り、因果律が自動的に発せられる可能性があるからである。

 私は何の宗教にも属していないが、さまざまな文書を読み、物理的に推測を巡らし神が存在していることを確信したのである。世界の物理学者はアインシュタインのように「存在しないことを証明できない限り存在するのではないか」と言う風に視点を変える必要があるのではないだろうか。

 この物質的世界は無常が常態である。しかし、魂の存在する霊界は有常が常態である。魂は消滅することなく永遠に存在するのである。神の存在無くしてそんな形態が有り得るだろうか。

 無知とは恐ろしいものである。京アニ事件の加害者や北新地ビル放火事件の加害者は、死後暗黒のオーラで我が身を包み何百年も悶え苦しむのである。その後再び、物質世界に生まれ変わると、自分のしたことがそっくり返る過酷な運命を辿るのである。

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