永平道元の生悟り
この地球上で独学と独力で悟りに到達した人間は釈迦と私だけです。
「永平広録」には道元が帰国した時の様子が記されている。文語体だが重要と思われるところだけを口語体に直して抜粋して見る。
たまたま如浄禅師にまみえて、ただちに、眼は横に有り鼻は縦に付いているとの深意を認得した。もはや人に惑わされることもないので空手にて(経典や仏像も持たず)日本に帰ってきた。ゆえに一毫の仏法もなく、あとは運にまかせてしばらく時を過ごした。結局は、太陽は朝に東から出て、夜は西に沈むということだ。三年経てば必ず閏年がやって来て、おん鶏は朝になれば必ず鳴くものだ。
この文面を読むと、道元が帰国したときに言ったとされる「眼横鼻直」はどうやら如浄禅師の受け売りだったと思われる。道元の様々な言動を見ると、道元は曹洞禅を標榜するも真の悟りには到達せず、実際は本覚思想に近い考え方になったように思われる。如浄禅師に諭されてそういった考えになったかどうかは分からないが、ゆえに一毫の仏法もなく、と言ったような言葉が、明らかに仏法とは違った考えになっていることを示している。「眼横鼻直」もそうだが、太陽は朝に東から出て、夜は西に沈むと言ったり、三年経てば必ず閏年がやって来て、おん鶏は朝になれば必ず鳴くものだというような考えはまさに本覚思想そのものである。
禅思想と本覚思想には一部似通った思考があり、本覚思考を安易に禅思考と錯覚する者も無きにしも非ずで、如浄禅師がそうでなかったとは決して否定できない。
私は「碧眼録」を編した圜悟克勤を悟りには到達していない人物だと喝破したが、白隠禅師も「碧眼録」について、自分はこれまでここを六回講じたが、これこれだと見ていたが、今考えるとそれは誤りであったと述懐しているが、この誤りが個々の項目を言うのか「碧眼録」全般を言ったものか私には分からない。しかし、軽薄な圜悟克勤の著語は「法」を知る者から見れば苦々しい限りであることは否めない。本当に悟りに至った人物かどうかを見破ることはいとも容易いのである。
白隠禅師の弟子にお察という女性がいたが、白隠禅師の元で悟りに到達することができた。お察は悟りに到達すると、なんだ悟りとはこんなものかと品行が荒々しくなった。お察の親が溜まりかねて白隠禅師に相談すると、白隠はお察に会いに来て、お前の悟りとはそんなものか、と一喝した。お察は、はっと感じるものがあったのか以後品行が改まったという。この行動だけでお察が本物の悟りに到達していたことが私にはすぐにわかった。真に悟りに到達した者から見ると、その人物が本当に悟りに到達したか否かは一言半句を聞いただけですぐに分かるものなのだ。
道元は、正師を得ざれば学ばざるに如かずと名言を吐いたが、白隠禅師という正師に学んだお察は女性ながらも悟りに到達したのである。しかし、道元が正師と思い込んでいる如浄禅師は決して悟りに到達した人物とは思えない。
眼横鼻直や、太陽は朝に東から出て、夜には西に沈むと言ったりしたのが如浄禅師の受け売りだったとしたら、如浄禅師は決して悟りに到達した人物と認証することは出来ず、そんな人物に説得された道元もやはり悟りに到達した人物とは認証できない。
悟り(一法)とは説く物もなく、示す物もないのが本道であり、禅宗では、師は弟子に対して常に問うことを義務付けているが、「仏とは?」と問われて「麻三斤」や「乾屎ケツ」のような意味不明な応答は根拠があっての応答であり、「眼横鼻直」や「太陽は東から出て西に沈む」というような本覚思想的な答えでは弟子たちは、有るがままが仏だと勘違いしかねない。
また、道元の「空なりといふは、すでにこれ外道の見なり」というような弁は明らかに悟りの定義に反しており、私は道元の悟りは生悟りでしかないという確信を抱いた。「空性」こそ釈迦が到達したものであり、多くの禅僧は知らずして目指したものが「空性」だったとは到達してから初めて知るのである。「空性」が究極のものであることを知らなかった道元は決して悟りに到達したとは思えない。
袴谷氏の『維摩経』批判の末尾に道元の一句「現在大宋国をみるに・・・・・一黙せざるは、維摩よりも劣なりとおもへるともがらのみあり、さらに仏法の活路なし。・・・・・大宋国人にあればとて、仏法ならんとおもふことなかれ」を紹介しているが、この一句こそ道元の生悟りの証拠に思える。なぜならこの一黙こそが、仏教の神髄、説くものもなく示すものもないものを現わしているにもかかわらず、一黙を否定批判しているからである。
正法眼蔵のなかの現成公案の2節に、自己をはこびて万法を修証するを迷とす。万法すすみて自己を修証するはさとりなり。と書かれている部分があるが、現代文に訳すると、
自らの認識でもってあらゆる事柄の理を証得しようとする姿勢は迷いそのもの。あらゆる事柄によって行を修め、理を証得することを悟りという。
説くものもなく、示すものもないものを説いているのである。私は独自に悟りに到達したが、悟りとは、説くものもなく示すものもないが唯一無二でそれ以外の答えは微塵も存在しない。悟りとは何々であると説いているのは、まさに悟りに到達していない証拠としか思えない。本覚思想批判を上梓している袴谷氏は自ら曹洞宗門徒といっていたが、道元の思想が本覚思想に近いものだとは気がつかなかったのだろうか。本当に悟った人間は、「一法」を口にすれども「一法」を説くことはない。
その他にも、わからないことがわかるというのが悟り、という道元の言葉がいかにも悟りに到達したかのような至言として出回っているが、これは慧能に批判された臥輪禅師の偈に似ていないこともない。
北宗禅の臥輪禅師の偈に 、伎倆あり、よく百思想を断ず。境に対して心起こらず、菩提は日々に長ず。(わたしには巧みな技能があって、百種の妄想を断ち切ることができる。対象に向かっても心は動かず、悟りへの道は日に日に成長している)
というのがあるが、この偈を聞いた慧能は、この偈は心の根底がまだ分かっていず、この通りに実行したならば束縛を増すばかりだとして、次のような偈を示して臥輪禅師の誤りを指摘した。
伎倆なしに、百思想を断ぜず、境に対して心しばしば起こる。菩提なんぞ長ぜん。(わたしには巧みな技能などない。百種の妄想を断ち切りもしない。対象に向かって心はそのつど動く。悟りへの道がどうして成長しようか)
臥輪禅師の偈には、百種の妄想を絶ち切ることができるとか、対象に向かって心も動かずといったような嘘があり、決して悟りに到達している人物とは思えないが、慧能の偈には全てに同感を覚える。それと同じで、悟ったからといって決して、わからないことがわかるようになるわけではない。道元は臥輪禅師の二の舞を踏んでいるとしか思えない。悟りに到達しても、わかることはわかるがわからないことはわからない。これが真実なのである。
曹洞宗では悟りを開くには只管打座と心身脱落を一つ覚えの看板のように説いているが、只管打座はともかく、心身脱落は全く必要ない。六祖慧能も、臨済録に描かれている臨済も心身脱落したような形跡は一つもなかった。心身脱落せずとも悟りは十分開けるのである。
道元は「正法眼蔵」を延々と書き続けているが、そもそも、説くものもなく、示すものもないものを果てしなく書いていることがおかしいと言わざるを得ない。正法眼蔵をちらっとひろい読みしたがまるで修身の教科書のように感じたのは私だけだろうか。 一法無双
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