王の山古墳出土の玉璧とその由来

串間市、王の山古墳出土の玉璧(漢、南越王玉壁との酷似)

 平成24年、7月4日(日)の日経新聞に、宮崎県串間市の「王の山古墳」から発見された玉璧に関する次のような記事があった。
 「玉璧は文政元年(1818)、串間市で掘り出した石棺から鉄製品や玉類とともに出土したという。直径33.3センチ、軟玉でできた薄い円盤で、中央部には丸く孔があけられ、周囲には獣文、渦巻文、獣文の三重の文様帯を刻む。中国の玉器に詳しい岡村秀典京都大学教授は”王侯クラスに賜与するために漢王朝の工房で紀元前2世紀につくられた優品の一つだったと考えられる”とみる。」
 その「穀璧」の写真の脇に次の文が添えられていた。
「(直径33.3センチ、財団法人前田育徳会所蔵)「穀」は渦巻文のこと。古代に日本列島にもたらされたとすれば、漢王朝が周辺の国王に贈り、政変などで亡命した王が持参した可能性が考えられるという。」

 渦巻文と書いてあるが、中国では穀文といっている。春秋戦国時代の璧を見ると、本当に一つ一つが渦巻いているが、漢代になって、それが簡略化されたらしい。わずかに渦という感じが残っている。遠目には穀物の粒という中国の表現の方がふさわしく思える。
 中央公論「日本の古代2、列島の地域文化」に大きな写真が掲載されていて、新聞のものよりわかりやすい。
 呉の太伯に結び付けようとするサイトをみかけたが、春秋時代の璧でこのような複雑なパターンを持つものはないようだ。璧のパターンは時代が下るにつれ複雑化しており、王の山のものは漢代の璧によく似ている。同時代とみて問題ない。形式が定められていたらしく、類似の獣文(牛と角の図案化)を持つ漢代の璧がいくつか出土している。
 王の山の璧は、右写真の南越王の玉璧とパターンがそっくりだが、より大きく、渦巻き文の内側にもう一つ獣文が入って、格上と考えられる。南越王のものはいくつかあり、33.4cmで獣文、穀文、獣文を並べ、王の山の璧と同レベルのものもある。
 交易でこのような王侯クラスの宝物を入手するのは不可能に近い。倭人が何を提供できるのかという問題が横たわる。

 岡村秀典教授のいう紀元前2世紀なら、前漢の武帝代も含まれる。武帝の頃の「越」には閩越、東甌、東越、南越があったが、武帝は閩越、東越を滅ぼし、住民を長江と淮水の間にある廬江郡や九江郡に強制移住させた。漢書景武昭宣元成功臣表第五では、東城侯、騶居股は元の東越繇王だったが、武帝に九江郡に移住させられ、東城(東成)侯となった。延和?(征和)三年、衛太子の乱に連座して要斬の刑に処せられている。衛太子は当時の皇太子で、征和二年、武帝を呪詛した疑いをかけられて自殺した。東城侯が連座したのは、やはり、越方という「まじない術」との関連であろう。武帝が越方を信じたため(史記、漢書「武帝紀」)、越人は中央政界に深く食い込んでいた。
 この玉璧が日本に存在することは、後の「新(紀元8~23年)」の混乱時代に中国を脱出した閩越、東越、東甌の子孫、漢に出自を持つと自称している文氏、漢氏が朝鮮半島を経由して日本に渡来し邪馬壱国を建国したという私の主張を補強してくれるのである。春秋時代の越王勾踐の後裔という家格もものをいったであろうが、王の山の玉璧の大きさは、武帝の支持の大きさを表わしているように思える。
 「弥生の興亡」に従えば、この玉璧が日本で出土した理由をいともたやすく説明できるのである。前漢、武帝代の東越繇王・東城(東成)侯の子孫が王の山古墳被葬者の第一候補で、これは文・漢氏の祖先。隼人の祖先ということでもある。伝世されていたものが、その価値を評価されなくなり、古墳に埋納されるに至ったのだと思われる。(「弥生の興亡、「中国朝鮮史から見える日本」 「3、帰化人の真実」参照)


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