株式会社日本航空ジャパン

 日東航空(1952年7月4日発足)、富士航空(1952年9月13日発足)、北日本航空(1953年6月30日発足)の3社が、政府の合併勧奨のもと1964年4月15日に合併して生まれた日本国内航空と東亜航空(1953年11月30日発足)が、政府の航空政策を受けて1971年5月15日に合併して東亜国内航空株式会社が発足する。
 1972年8月にはボーイング727を就航させ、ジェット化に着手し、1975年3月には東京‐札幌、東京‐福岡の2幹線に進出した。1982年3月には同社初のワイドボディー機として、エアバスA300を路線就航させ、1988年にはDC-10を導入し機材の大型化を推し進めた。1985年12月には、これまで航空各社の役割を定めていた「45/47体制」が撤廃され、1986年9月、大阪−ソウル間で初の国際線チャーター便の運航にこぎつけた。その後国際線定期便進出に向けて国際チャーター便の運航を重ねることになるが、そのような流れの中で、「東亜国内」という社名が大東亜共栄圏を連想させふさわしくないという配慮から、1988年4月1日に社名を株式会社日本エアシステムに変更した。これに伴い航空管制のコールサインも、これまで親しまれた「トーアドメス」から「エアシステム」に変更された。1988年7月1日には、東京−ソウル線で念願の国際定期便就航を果たし、次いで1990年2月の東京−シンガポール線、1991年6月の東京−ホノルル線と国際線路線網の拡充のため新規路線の開拓にも積極的であったが、他社の例に漏れず不況の最中業績は伸びず、路線網の再編によりホノルル線、シンガポール線の運休や、購入が決まっていたボーイング747の導入延期を強いられるなど厳しい状況が続いた。
 しかし、同社は不況に喘ぐ航空界にあっても前向きな姿勢を失わず、機体塗装という意外な分野で華やかな話題を提供した。1996年には、MD-90の導入に際し、黒澤明氏デザインの特別塗装「7色の虹」を就航させ、同年末には、新たに導入するボーイング777に、インターネットで募集したデザインのうち最優秀作品の塗装を施した(レインボーセブン 路線就航は1997年4月)。これらの塗装は単なるマーキングとは異なり、その芸術性が高く評価されている。かつてレッドアンドグリーンの塗装で麻雀パイのようと揶揄されていた同社の面目躍如といったところであろうか。また、1997年には、大塚製薬とタイアップし機体にポカリスエットのカラーリングを施したポカリスエット号(A-300-600R JA8562)を就航させ、話題を呼んだ。
 この頃、華やかな話題の提供に呼応するように停滞していた国際線戦略もにわかに活気を帯びた。1995年10月の関西−広州線の開設を手始めに、1997年6月に関西−香港線、その後も関西−昆明線、東京−広州線、東京−西安線、2000年3月の関西−ソウル線とアジアの短距離国際線に重点を置いた戦略を展開するとともに、一部の路線でノースウエスト航空(1999年8月)、KLMオランダ航空(2000年4月)とのコードシェアリング契約を結び国際競争力の確保にも余念がなかった。
 しかし、世界の航空業界では日毎激しくなる国際競争の中、欧米を中心に生き残りを賭けた航空会社の統合が繰り返されるようになり、さらに追い討ちをかけるように2001年9月11日の米国中枢同時多発テロが発生し、世界的な旅客数の低下を来たし、名門航空会社ですら倒産する極めて深刻な事態を迎えた。その中で同社は、元ナショナルフラッグキャリアで国際路線に強い日本航空と経営統合することで、競争力とシェアの拡大を図る方針を決定した。
 2002年10月2日、株式会社日本航空システム(Japan Airlines System Corporation)が設立登記され、正式に発足した。これに伴い、日本エアシステム、日本航空は日本航空システムの連結子会社となり、段階的に統合され、業務別に再編成されることになった。以後国内航空業界は全日空との2強時代を迎えた。
 しかし、合併後の社内の混乱は著しく、相次ぐ運航トラブル等を引き起こし、旅客離れが起こるなど、容易には運ばなかった。  2004年4月1日、日本航空は株式会社日本航空インターナショナル(英名:Japan Airlines International Co., Ltd.)に社名変更した。また日本航空システムは2004年6月末に株式会社日本航空(英名:Japan Airlines Corporation)に社名変更を行なった。
 2006年10月1日、日本航空インターナショナルに吸収合併され、4年間に及ぶ統合作業は完了した。

YS−11(東亜国内航空)(JA8776)
撮影:1987年9月27日大阪国際空港
YS−11(JA8792)
撮影:大阪国際空港
ボーイング777-200(JA8977)
撮影:1999年5月大阪国際空港
MD-90
撮影:1999年5月大阪国際空港
これまでの使用機材
(C)1997-2006 外山智士

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