帯方郡使上陸地点(室津?)


魏志倭人伝の風景
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帯方郡使上陸地点(室津?)

 室津(兵庫県揖保郡御津町)で上陸したという証拠は何ひとつありません。投馬国から女王の都とする邪馬壱国まで、水行十日、陸行一月と記されていますから、どこかで陸に上がらなければならないし、邪馬壱国と目される大和まで一月も歩いているわけですから、本州側にあり、それくらいの日にちのかかりそうな港を捜さなければなりません。
 海上交通の中継点としての利便性や、当時は防波堤などありませんから、港としての安定性などを考えると、室津が一番です。これ以上大和に近づけば陸行一月が苦しくなるし、遠ざかると水行十日の方に軋みが出てきます。ここで船を降りる終点ですから、歩くことを考えれば岩見の方が有利かもしれません。
 岩見、室津は倭名抄では播磨国揖保郡浦上鄕に含まれます。室津の地形は鞆や印通寺に似て、いかにもという感じです。後背地がなく、航海の中継点としての港が存在しただけのようで、倭人伝は国名も記さずに通過します。
 「御津(岩見)、息長帯日売命、御船を宿(は)てたまいし泊(とまり)。故に御津と号す。」、「室原泊(室津)、室と号すゆえは、この泊、風を防ぐこと室の如し、故、よって名と為す。」という記述が播磨国風土記にあり、古代から利用された錨地です。
 江戸時代、西国大名が船で乗り付けて、ここから江戸まで歩いたというのは本当なのか。室津千軒と表現された繁栄は幻かと思えるほどの静かな小さな港です。
 

 港の入り口、小高い丘に賀茂神社があります。創建は二千年前で、賀茂建角身命が室津開港の祖として祀られたときに始まる。平安時代に、室津が京都上賀茂社の御厨なったのを機会に、上賀茂社の祭神、賀茂別雷大神を分祀し本殿にしたと伝えており、社殿の一部は国の重要文化財に指定されています。小さな港に似つかわしくない神社の規模が、かろうじて昔の繁栄をしのばせてくれます。