折々の独り言2015年
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これってなんですのん:ある起承転結(2015年9月上旬)
言い訳の極意??(2015年6月下旬)
     危うし、鴨川のヌートリア(2014年1月下旬)
                 





         これってなんですのん:ある起承転結
                              (2015年9月中旬)


 こんなのありですか。
 今年の流行語大賞になるかと思いきや、年央にして息切れし、はや下火になってしまった吉本芸人コンビ86秒バズーカーのラッスンゴレライ。いくらか懐かしさを込めて「ラッスンゴレライってなんですのん」とつぶやき、続けて「これっていったいなんですのん」と言いたくなる、そんな類いの出来事に遭遇した。「ちょと待ってちょと待ってお兄さん」、しばしお耳を拝借。

―「起」そして「承」

 8月下旬の某日だった。午後4時半頃に、学習塾に向かう小学5年の孫娘Kと自転車を連ねて家を出た。日没にはまだずいぶん間があり、一人で行かせても危なくないってものだが、塾が終わる前に日もとっぷり暮れてしまうので、お迎えには行ってやらないわけにはいかない。となると、どうせのことなら往路もエスコート役をつとめ、その後、塾からほど近い京大の付属図書館に陣どって勉強しながら時間待ちをする方が生産的だろう。そうした考えから、Kが入塾した3月以降、週に2、3度のペースで実践してきたお決まりのパターンが、この日もごく自然に踏襲されたのだった。
 Kの自転車は22インチ、こちらは20インチ。私の方は折りたたみ式だし、変速も段でKのものの倍だと威張ってはみても、何となく癪に障る。おまけに、当初は私が常に先行する側だったのに、いつしか抜きつ抜かれつになり、最近はKにスピードを落としてと頼む立場になってしまい、てんで締まらない。それでも、声を掛け合いながらの10分あまりの行程はそれなりに楽しい。
 塾に着けば、次はKを迎えに戻るまで2時間半のフリータイム。いつも通り、この日も京大図書館に入る前に、某所に食事に立ち寄った。ところが、夕食を済ませて自転車に乗って走り出すと、後輪がガタガタする。降りてタイヤを親指で押さえてみると、ペチャンコとまではいかないけれど、明らかに空気が減っていた。やれやれパンクか、面倒だなとぼやいて、前からちょくちょく世話になっている、徒歩で10分ほどの比較的大きな自転車店に直行した。
 従業員の一人がさっそく修理にあたってくれた。彼の言によれば、タイヤの空気の漏れ具合からして、パンクではなく虫ゴムの劣化が原因だとのこと。学生アルバイトふうの見かけにもかかわらず、きっと仕事に習熟していて判断が早いのだなと感じた。引き抜いた虫ゴムバルブをみせながら、彼は、ほらゴムが劣化しているでしょう、ただゴムの交換ですませるより、劣化しにくい仕組みのバルブができているので、この機会にそれに代えた方がよいのでは、と提案する。勧め上手さもなかなかのものだった。値段は325円だと聞いて、その安さならばと私も迷わず承知した。
 後輪の部品が交換され、空気が入れられて、はい終了。と思いきや、かの従業員君は、前の方も調べておきましょうねと言いながら、前輪の虫ゴムバルブを手早く引き抜いた。こちらのゴムはもう少しもちそうだけれど、ついでにこっちのバブルも新型に代えませんか。そのお勧めについては、家に帰れば道具箱に買い置きの虫ゴムが何個も入っているからと丁重にお断りした。かくして、バブルがもとの形にセットし直され、タイヤに空気がぱんぱんに入れられて、今度こそ出来上がり。
 時間の空費は全部合わせてもたかだか30分ほどだったし、要した費用もわずかだった。まぁラッキーな部類だと思いつつ、図書館で気ままな学習を楽しんだ後、予定通りKとともに夜のとばりが下りた家路をたどった。これで一件落着だったら、サービスで前輪まで点検してもらえてよかったなとなったのだが…。

―これぞ「転」―
 翌日もKの塾があったが、この日は履修科目の関係で滞在時間が短く、ちょうど日没の頃に授業が終わる予定になっていた。私にしてみれば図書館でゆっくりできるメリットがないので、往路はK一人で行かせ、自分は塾の終了時刻に合わせて直接家から迎えに出向くものとした。5分ほどの余裕をみて、自転車にまたがり出発。帰りにどこかで夕食をとろうとKに約束しており、さてどこの店にしようかとうかれ気分で思案しながら、薄暮の中、愛車を快調に走らせた。
 ところが、5分と経たない時点で、前の車輪がブレーキをかけたように回りにくくなり、じきにペダルを踏んでもほとんど前進できない状態に陥ってしまった。なんだ、これは、と降車して調べたが、わかったのはなぜか前輪がまったく回転しないという事実だけで、処置なし。とりあえずハンドルをもつ両手に力を入れて自転車を前方にぐいと突きだしてみたとたん、パーンと大きな破裂音。手にガクンと衝撃が伝わった。過去に経験のない、ど派手なパンクだった。
 あいにくKに連絡する手段がないとなれば、自分の足で塾の戸口に駆けつけるしかない。かくて、いまや無用の長物と化した自転車を引きずって、ぜいぜい、ひいひい喘ぎながら1kmほどを走る、走る、走る。定刻には5分あまり遅れたが、71歳の高齢者としては敢闘賞ものだろう。不安げに待っていたKにあわただしく事情を話し、夕食の約束を果たせなくてすまないと謝った上で、まだ薄明かりが残っているうちに一人で急いで家に帰るように促した。
 Kを見送った後、あてもなく自転車屋を探しはじめたところ、幸いすぐに営業中の店舗が見つかった。前日とは対照的なごく小さい店ながら、内装は洒落た感じで、さもありなんと思う若い事業主らしき人物がすぐに応対してくれた。タイヤは大きく裂けていて使い物にならないし、チューブも傷がひどく新品に替えた方がよい、しめて3600円とのことだった。思わぬ出費だけれど選択の余地なし。言われるままに前輪のタイヤ・チューブの交換をお願いした
 修理作業をぼんやり眺めていると、昨日の従業員と年恰好の似通った店主から、パンクのいきさつを訊ねられた。まだタイヤはすり減っていないし、チューブにも修理跡がない、それなのに一体どうしたのか、と。いや、思い当たる節はない、それどころか前日、別な自転車屋さんで虫ゴムの点検をしてもらったばかりだ、と私。この答えを聞いた店主殿は、なるほどと納得顔になって、実演をまじえながら次のように説明してくれた。
 虫ゴムバルブを引き抜くと、一気にチューブの空気が抜けてしまうが、そのさいに自転車の自重が急にかかり、勢いでタイヤの一部がリムからはみ出してしまうことがある。微妙なずれなので気づきにくく、そのまま空気を入れ直しても当初はほとんど目立たないし、自転車を走らせても特に違和感があるわけでもない。ところが、走行しているうちに乗り手や荷物の重さを受けてタイヤとリムの隙間が広がり、そこにチューブがにゅうっと押し出され、やがてフォーク等に触れて破裂するに至る。
 大動脈瘤や焼き餅のイメージが頭に浮かび、それだけに専門家による謎解きがすとんと腑に落ちる感じだった。なんだ、無料の虫ゴム点検サービスが仇になったのか、只より高くつくものはないとはよく言ったものだ。ひそかに溜め息をついて3600円を払い、一人寂しくすっかり暗くなった家路をたどった。久しぶりの涼しい夜風の効能か、家に着く頃にはつまらぬ損をしてしまったとの怒りも冷めており、Kに聞きかじりのパンクの原理をとくとくと教える私であった。
 ただ、今度こそ一件落着だと思う一方、まだ何かすっきりしない感じが残っていた。深夜になって布団に入ると、なぜか漢詩の絶句の並べ方とされる「起承転結」が気にかかり、パンク騒動をそれになぞらえようとする思考がぐるぐる頭を駆け回ってなかなか寝付けなかった。
 自転車の後輪の空気が抜けたのが、事の起こりを記す「起」。それを受けた事態を記す「承」は、最初の自転車店で修理してもらったこと。ここまでは問題なしだし、前輪のパンクは趣を変えさせる「転」に、まさしくお誂え向きの意外性に満ちた出来事だった。だけど、タイヤ・チューブの交換で一安心というのが「結」なのかとなると、常識的にはそうに違いないが、詩想的にはちょっと安直かも。ひょっとしたらタイヤ交換までが「転」で、「結」に当たることはまだ生じていないのじゃないか。もしそうなら、話にはまだ続きがあるはずだが

―愕然の「結」―
 その後4日ばかり、天候の都合で塾の送り迎えがバスになったりして、めずらしく自転車に乗らなかった。午前中の雨もあがったことだしと、運動がてら遠くのスーパーまで食料調達に行く気分になり、さっそうと愛車にまたがった時には、かの起承転結のうだうだした想念などすっかり頭から消え失せていた。で、大きなショッピングバッグからはみだすほどの買い物を済ませて自転車置き場に戻ると、なんと後輪がぺっちゃんこ。やられた、やっぱり自転車哀話は完了していなかったのだと瞬時にして悟り、天を仰ぐ。
 小さな前かごの上に載せた大荷物が落下しないように左手で支えながら、右手でハンドルを握り、えっちら、おっちら自転車を押して歩くのは、数日前の1km走に負けず劣らずの難行だった。せっかく自転車店を見つけたのに、夕方まで4時間ほど待ってもらえば手が空くのでそれで良ければと言われ、待てるはずがないだろうと次の店を探して、またもや、えっちら、おっちら。計1km半といったところで、やっと修理のサービスにありつけた。
 これぞ半世紀前の自転車屋といった風情の店先で、これまた昭和の頑固親父ふうの御仁が救世主役を演じてくれた。修理作業を横目に1週間の経緯を話したところ、彼の言たるや、私を愕然とさせるに十分だった。なにしろ、最初から虫ゴムの問題なんかではなくパンクだったというのだから。いや、より正確には過去のパンク修理の不完全さ、つまりは修理ミスが原因だろうとのこと。
 これを見てと言われて水に浸されたチューブを凝視すると、以前の修理で貼り付けられたパッチゴムの端っこからかすかに泡が出ている。店主殿がそのパッチゴムを指でつまんでぐいと引っ張ると、あれまぁ、ゴム全体がパチンとチューブからはがれてしまい、とたんに泡の出が盛大になる。それがなんと3箇所。接着不足も甚だしいね、未熟きわまりない修理ミスを避けるにはほら軽石でこんなふうにチューブをこすって、接着剤を塗った後トンカチでしつこいほど叩いて、と懇切丁寧な解説をしてもらった。今度パンクを自分で修理するさいには心したいと思う、実に有用な技術指導つきだったので、代金1300円は惜しくなかった。
 ちなみに前回の後輪パンク修理は、数ヶ月前、砕けた瓶を踏んづけてチューブに幾つも穴が開いた折に、プロの手でなされたものと記憶している。それも既述のエピソードにも登場したプロの手で。全体を関連づけて収束させる「結」はこれだった。これっていったいなんですのん。


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         言い訳の極意??
                              (2015年6月下旬)

   
納期に間に合わなかった業者はどんな言い訳をするのだろうか。謝るのもそこそこに、沈痛な語調で、誠意はあったのだけれどと、やむをえなかった私的事情を並べ立てて、同情を買おうと試みる。余談ついでにとばかり、ひそかに注力してきた新製品が完成したことを告げ、ちゃっかりカタログを手渡す。そして、今後の納期遅れはないと断言などせず、ただ反省だけを口にしてさっと退散する。――以下の文章は、もともとは2015年6月に「ごあいさつ」として載せたものです。後に読み返すと、まるで小狡い言い訳の下手な見本のようで自分ながら苦笑した代物なので、そのままここに収録する形にしました。


 1年半近くもホームページの更新を行わなかったのは、あまり活発な発信者ではなかった私であっても、さすがに開設以来はじめてのことです。さぼり癖がついた面も無きにしも非ずながら、基本的には、家庭の事情で年齢不相応に忙しかったからです。
 ここ3年というもの、10年以上も前から療養が続いてきた長女の歩行障害の悪化や次女母子の同居によって、老夫婦ふたりで協力してこなさなければならない介護、孫育て、家事の仕事量が、右肩上がりのカーブをたどり、今も増勢やまずの状況にあります。車いす押し、歩行練習や通院の介助、食料・日用品の買い出し、洗濯、食器洗い、家の片付け、ゴミ処理、孫の塾への送迎、学校の用意や宿題の手伝い、ドッジボールの相手…。私が担うヘルパー的労働も質量ともに厳しさを増し、余暇ができても休養か「趣味の学習」にふり向けると、それ以外には手が回らず、時間ばかりが経ってしまった次第です。
 もっとも、「人間万事塞翁が馬」とはよく言ったものですね。きっと歳の割に厳しいヘルパー的労働が筋トレ効果をもたらしたのでしょう、私としては自分でも予想しなかったほど基礎体力が向上したように感じています。
 実は、日頃の労働が老体にこたえ、腰痛、こむら返り、両手指の疼痛などがひどくなったので、2ヵ月ほど前に近くの病院の整形科で診てもらいました。すると、医者が言うには、血液検査のある項目で、もし筋肉を酷使した覚えがないのなら、筋肉の病気を疑わざるをえないような数値が出ているとのこと。何か心当たりはないかと聞かれ、私は即座に大ありだと答えました。
 だとすれば、とりたてて問題はない。血液検査の他の項目はすべて正常値で見事なものだ。リウマチの兆候もない。骨にも大きな異常は認められず、それどころか骨量は壮年並みだ。――そんな医者の説明を受けて、たゆまぬ介護・育児・家事労働の筋トレ効果をしっかり立証してもらえたと、少々得意な気分になりました。ただし、筋トレの程度がいささか行き過ぎなのは、わざわざお教えいただかなくても承知の助だったのですが。また、原因はわかっても痛みがもらった薬では全然ましにならず、とくに両手の指にしばしば疼痛が走るのが、辛いところではあります。
 あちこちの痛みはともかく、このところずっと私の体調は総じて良好で、9年前の胃がんの手術とそれに続く抗がん剤治療のダメージもすでに概ね消え去りました。それに伴って、研究の意欲も結構高い状態が続いてきたのですが、なにしろ時間がなくて…。せめて机に向かって気の向いた書き物でもとしようとしても、それですら自由な時間が足らず…。なんて、いささか歯がゆい思いの毎日でした。ところが、なんと、ここにも居てくれたのですね、かの塞翁が馬が。
 ヘルパー的労働の拡大の一環ですが、今年の3月初旬から、週に2回ほど小学校高学年の孫娘を学習塾に送り迎えする仕事が、新たに私の仕事リストに書き加えられました。さて長い待ち時間をどうしたものかと思案したあげく思いついたのが、退職後めったに立ち入らなかった京都大学構内の付属図書館を使わせてもらうことでした。というのも、塾の所在地が京大にほど近く、自宅から送り、迎えの2度、塾まで往復するよりもはるかに体が楽だ、と考えたので。
 塾送迎の最初の日に、新調したノートパソコンを携えて、付属図書館を訪ねてみたところ、すっかり縁が切れていたピンと張り詰めた空気が、なんとも心地よく、本来居てしかるべき場所に立ち戻ったように感じられました。無線LANサービスが利用できるのも有り難く、暮れなずむ頃には静謐さとともに集中力も増して、たちまち2時間半が経過。それに味を占めて、以後ずっと、その方式を踏襲しています。
 また、長女の通院介助にあたっても、待ち時間を京大図書館行きに当てることが多くなりました。長女とともに病院から帰宅し、休む間もなく孫を塾まで送っていくといった日には、2回お世話になるケースもまれではないのだから、まさに京大図書館さまさまです。まったく想像もしていなかったですね、ヘルパー稼業の盛況が格好の居場所の発見につながろうとは。
 久しぶりに引き受けた5月下旬の講演(「日本の税制改革の現況と国際比較」大阪市大大学院のワークショップにて)に、丁寧に下準備して臨めたのは、そのおかげだと思っています。もう一つ、研究とはあまり関係がないけれど、私にとっては意味のある大仕事も、図書館タイムなかりせば(書斎での深夜の自由時間だけでは)、本気で構想し完成させる運びにはならなかったに違いありません。
 大仕事と言ったのは、私自身の胃がん体験記の刊行であって、10日ほど前に何とか目標達成に漕ぎ着けました。『胃がんに出会ったの記―がんサバイバーとしての序章―』と題した電子書籍がそれで、アマゾンのKindleストアに並んでいます。今年の1月半ばに、学部ゼミ以来の旧友にして同業者でもあった柳ヶ瀬孝三さん(立命館大学名誉教授)が逝去されたのが、同書の構想を抱く直接のきっかけになったのですが、どのような思考の経路をたどって契機が書物の主題や構成に結びついたのか(そのさいには私のがんサバイバーとしての自覚が媒介項の役目を果たしました)についても、書物の中で順序立てて述べています。ご一読いただければ幸いです。
 ともあれ、1月中に執筆のプランを固め、2月には資料整理をする一方、電子書籍制作の手順や技術を「七十の手習い」よろしく独習し、3月から書斎と図書館の机でしゃかりきになって執筆に取り組み、6月下旬、コンテンツと表紙画像をアップロードするに至った、ということでした。何から何まで一人きりでの作業でしたが、家庭の事情で身動きのとりにくい閉鎖的な生活を続けている私には、それが自分にぴったりな出版の形態だと思え、心楽しくやりきることができました。
 ホームページの更新が滞った理由は以上の通りですので、決して体調を崩していたわけではなく、逆に「便りがなきは無事の知らせ」の類いだとご安心ください。そうは言っても、私信ならいざ知らず、ウェブサイトが沈黙続きでよいわけはなく、今後はもう少し気を配らなければと自戒しているところです。


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             危うし、鴨川のヌートリア
                              (2014年1月下旬)

 たった今、「鴨川のヌートリア捕獲へ 府と京都市、初の実態調査」と題した記事が京都新聞社から配信された。2011年秋ごろから鴨川でも目撃情報が増えだしたヌートリアについては、河川管理者の京都府は生態系を守るために早期に捕獲に乗り出したい意向であったのに対し、京都市側は鳥獣保護区の鴨川での捕獲には市民の反発が予想されるとして、農業被害が出るまでは静観の構えで望むべきだとしてきた。一体何があったのか知らないが、対立してきた府と市がここにきて歩調を合わせ、本年度内に生息状況などの実態調査をおこない、来年度には本格的に捕獲に乗り出すということらしい。
 私も噂を聞いて昨年8月に出町柳の三角州近くに行ってみたら、いましたねぇ巨大ネズミが。カピバラとはちがい、ヌートリアときたらあまりにネズミ、ネズミしているので、私としては即お気に入りとはいかず。でも、何度も目にするうちに…。9月半ばに台風18号に見舞われて鴨川の景色も土砂の堆積で一変したが、同じ場所で彼奴が泳いでいるのを見かけて、ああ流されなくてよかったなと一安心。だけど、今回は彼らにとってはるかに厳しい正念場になること間違いなし。
 そう言えば、昨年のいつからか、それまで毎日のようにわが家の近くで遊んでいた野生の鹿が、姿を見せなくなった。害獣として駆除され、食用に供せられたそうだが、理性的にはそれもやむなしと考えはするものの、感性としては不憫さと寂しさが先に立つ。鹿ほどの思い入れはないけれど、ヌートリアの運命と市民感情の行方やいかに。



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