山のあなた

   
    カール・ブッセ
    上田敏訳 


 山のあなたの空遠く
 「幸(さいはひ)」住むと
 人のいふ。
 ああ、われひとと尋(と)
 めゆきて、
 涙さしぐみ、かへりきぬ。
 山のあなたになほ遠く
 「幸」住むと人のいふ。

折々の独り言経済風味のエッセイ
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       紅葉に新政権を思う(2009年11月中旬)
       箱根3連敗は免れたが (2009年10月中旬
       孫の自転車と政権交代の協奏曲 (2009年9月上旬)
       「まがまがしきもの」よ、立ち去れ!(2009年7月下旬)
       乗り継ぎ小旅行と高速道路料金政策 (2009年6月上旬)
        わが鹿は「山のこなた」に帰りきぬ (2009年5月下旬)
       モズは、鹿は、カルガモは…(2009 年5 月中旬)
        「古くない物」の弱い年 : ガス給湯器哀話 (2009年3月上旬)
       自転車のパンク修理は誰の手で (2009年2月下旬)






          紅葉に新政権を思う   
                      (
200911月中旬)
  

 去り行く秋。うら寂しくなる前の、束の間の華やぎというのか、今年もまた紅葉の季節が巡ってきた。「哲学の道」の桜並木も、ここ数日のうちに一気に色づいた。
 紅葉の代表格は、言わずと知れた赤いカエデ類だ。だから、晩秋にいっせい一斉に起きる落葉樹の葉の変色を紅葉と総称するのだろう。ただし、ここ哲学の道では、細かくは「褐葉」に分類される桜が主役をつとめる。もっとも、私には、「褐」(やや黒味がかった茶色)の色合いは実物よりも地味で、むしろ華やかな「朱葉」か「燈葉」の方がぴったり来るように感じられるのだが。散歩道をたどれば、ところどころにカエデも見当たるし、見事に「黄葉」したイチョウも視界に入ってくる。
 私とて、えも言われぬ美しさだと感嘆しないわけはない。ただ他方で、色づく前に枯れてしまった葉ばかりをつけた桜の木や、赤くなってはいてもチリチリに縮んだ葉のカエデがあちこちに点在しているのが、とても気になる。私自身の関心が今そこに集中しているからだろう、そう言えば…と鳩山新政権の動きに思念が向かう。
 鳩山首相は、1026日の所信表明演説で、8月末の総選挙によって達成された政権交代を民主党のマニフェストに期待を寄せる「国民の選択」だと強調した。そして、マニフェストの基盤をなす「友愛政治」の理念と、「緊密かつ対等な日米同盟」を熱く語り、新政権の手による「無血の平成維新」の推進を高らかに宣言した。その意気込みやよしと、私も基本的に共感し、実現を心から願ってやまない。
 とはいえ、描かれた近未来の情景が遠目には燦然と輝く紅葉の森であっても、分け入ってみれば枯れ葉や縮れ葉の木に出くわすという可能性を否定できない。たとえば、官房機密費の公開は、約束の美しい発色も待たず、すでに枯れ落ちてしまったのでは? 天下り根絶の政権公約には、日の目を見そうな領域もあるけれど、日本郵政社長人事のような最も肝要な部分の紅葉が早々にチリチリ状態と化してしまって、今後の病巣の広がりが懸念されるのでは?
 後期高齢者医療制度の廃止にしても、いずれ別な木に植え替えるからとの言い訳のもとに、今秋の紅葉便りからするっと外されてしまったな。子供手当の見合いだとして扶養控除廃止が急がれようとしているが、とくに働ける状態にない成人家族を扶養している家計などは、離れた土地でのカエデの植林と引き換えに自宅の風よけ役だった常緑樹が伐採されるようなもので、大打撃をこうむるに違いない。本当にこの道が弱者・少数者の視点を尊重する友愛社会につながっているのかな。
 ――ってなことを考えつつ、今日も買出しを兼ねて、哲学の道を妻と並んで散歩した。

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       箱根3連敗は免れたが (2009年10月中旬)


 今日もまた、富士山はすっぽり雲に覆われたまま。稜線の一部さえ見えやしない。関東に旅行するときには新幹線からの富士見が楽しみなのに、このところ全然ついてない。いつが起点だったのか忘れてしまったが、これまで4連敗(往復ワンセットの形で)と指折り数えてきたのは確かだから、もし帰りもだめなら5連敗になってしまう。3日後の帰路について嫌な予感を覚えつつ、小田原にて下車。
 小田急の駅に行くと、「箱根フリーパス」の広告が目に入った。登山電車、登山バス、ケーブルカー、ロープウェイ、箱根海賊船など、何度でも乗り降り自由で、値段は3,900円(2日間有効)。物見遊山の家族旅行なので、わざわざ計算せずとも簡単に元を取れるのは間違いなし。迷わず3人分を買って一路箱根へ。
 実は箱根も私たち家族にはあまり友好的ではなく、過去2度にわたって曇天・雨天を貫いた。いや、もしかしたら特に無愛想だったわけじゃなくて、そちらの方が通常の風情なのかも。昔よく聞いた、「箱根の山は、天下の険」で始まる『箱根八里』(鳥居忱作詞、滝廉太郎作曲)にも、「雲は山を巡り、霧は谷を閉ざす」と歌われているのだから。だけどね、あんなオーバーな修辞を連ねている詞にどんな言葉が入っていたって、真に受けていいものかな。「一夫関に当たるや、万夫も開くなし」ってフレーズは、李白の「蜀道難」からの引用で、確か、(地勢が険しく)男一人が関所を守れば万人の兵が攻めても陥落などしないという意味だった。(次は氷川きよし扮する「箱根八里の半次郎」風に)まさしく「白髪三千丈」ばりの大仰さじゃござんせんか。
 てな自分の内なる会話はともかく、私の記憶には、ロープウェイに乗っていて霧に巻かれ、氷雨降る芦ノ湖で震えながら遊覧船の船室にこもっていた光景が刻まれている。もちろん、富士山の雄姿など、ちらと垣間見ることさえなかった。だから、今回はぜひとも名だたる名所から優美な富士山の眺めをじっくり堪能したい、そう願いながら計画した「3度目の正直」の箱根旅行だ。「絶景!富士山 観光ナビ」の「おすすめビューポイント」を信じて、大涌谷と箱根海賊船上に期待を寄せていた。
 だけど、敵もさるもの。登山電車とケーブルカーの車中にある間、小雨かと思えば薄日が差すといった不安定な天候ながら、だんだん晴れてきそうな気配があった。それなのに、ロープウェイに乗り継ぎ、大涌谷で途中下車しても、広がりだした雲の切れ目に富士はなし。「大涌谷から見る富士山は、両翼の美しいラインも見れるので、感動します」(観光ナビ)だって? レストランで時間稼ぎをしたのに、どこにラインがあるのかもわからないままじゃ、感動なんてしようがありませんね。諦めてロープウェイで先に進み、芦ノ湖は桃源台港にて海賊船に乗船。しかし、「元箱根港から桃源台港へと向かう船上で、湖上と富士山の美しい景色が目に映ります」(同)の一文も、やっぱり虚しかった。湖上遊覧が逆コースだったので、誰かの気に障ったのでしょうか。
 1日目は空振り。でも、フリーパスがあるので明日、再挑戦だと決めて、宿に入る。明けて2日目、天気は前日より良好。この分ならきっと大丈夫だろうと、張り切ってバスで桃源台まで行き、海賊船に乗り込んだ。ところが、上空はほぼ晴れているのに、またしても富士山は積雲の陰に隠れている。「晴天の日には…の背後に富士山のあでやかな…」のアナウンスに、むっとする。元箱根港から桃源台港まで戻るときに、もう一度アナウンスを聞き、もう一度むっとした。
 前日とは逆に、桃源台から大涌谷へとロープウェイで向かう。前方を向いて噴煙があちこちに立ち上る雄大なパノラマをビデオに撮っていると、車内が突然ざわついた。周りに目をやれば、全員が腰を浮かして後方をじっと見つめている。娘が富士山だと言って指差す方に視線を向けると、白い雲の上に特徴のある頂上が、ほんの少し頭を出していた。ただ、それも束の間のこと。急いでビデオカメラを向けて数秒も経つと、早くも映るは雲ばかり。
 ゆっくり富士山を眺めたいとの希望はかなわなかったけれど、一瞬だけの出会いもまんざらじゃない。幻だったようでありながら、証拠の映像が残っているなんて、なかなか乙なものだから、今回はこれで手を打つか。
 とりあえず気を良くして、大涌谷駅に降り立つ。結構きつい坂を上ること約20分、勢いよく噴煙を吐いている閻魔台にたどり着く。硫黄臭が充満する噴煙地をそそくさと周回してから、すぐそばの玉子茶屋に立ち寄り、名物「黒玉子」を食す。現地特有の酸性熱泥でゆでられ表面が真っ黒になった玉子で、5個入り500円。1個食べれば7年寿命が延びるそうな。妻と娘は14年ずつ、本来より長生きすることになった。私は、幸か不幸か7年もの延命だ。
 もうもうとした噴煙を目の当たりにすれば、誰しも火山活動のエネルギーに圧倒されるというものだろう。かく申す私も、この大地の力感あふれる営みに素朴な畏敬の念を抱いた。と同時に、四半世紀も前に大分県九重町の八丁原地熱発電所を訪ね、報告書をしたためたことを思い出した。
 当時、第2次石油危機によって大きな痛手をこうむった世界各国では、省エネの推進とともに、石油依存度(=石油総供給/エネルギー総供給)を下げるために代替エネルギーの導入・開発を急ぐ必要が、共通の認識になっていた。とりわけ石油資源に恵まれない日本では、まさにそれが経済上の生命線だとみなされ、私が所属する大学でもエネルギー問題調査チームが編成される運びとなった。私もその一員に任じられて、地熱発電だけでなく、太陽光・太陽熱発電、原子力発電、火力発電、水力発電などの視察・調査に携わることになったのだった。
 現実の推移を見れば、わが国の石油依存度は、1970年代末には70%を越えていたのに、2005年には50%弱にまで低下している。エネルギー源の多様化をはかる長年の努力が、それなりに成果をあげてきたのだろう。とはいえ、50%という数字は米英独仏の各国より10%前後高い。また、石油の比重低下の大部分は、原子力、天然ガス、石炭の利用拡大に負っていて、太陽光、地熱、風力など「新エネルギー」の貢献はごく僅かだった。世界的に石油の需給が緩むもとで、さしあたりコスト高で採算に乗りにくい新エネルギーの研究開発が足踏みしたり後退した結果だ、と解される。
 今や、それでは済まないことが歴然としている。一昨年から昨年にかけて、サブプライム問題の煽りを受けて、行き場を失った金融市場の投機資金が商品市場に流れ込み、原油や食糧の価格が急騰する事態が起きた。改めて石油依存度引き下げの緊要性を思い知らされた形だ。しかも、他方で地球温暖化問題が深刻化の一途をたどっているので、エネルギー安全保障の確立は温暖化対策と不可分の関係において追求されなければならない。環境にやさしい新エネルギーが脚光を帯びるようになってきたのは、不思議でも何でもない。
 「民主党政策集 INDEX2009」(本年7月23日)は、この道理を認めた上で、さらに省エネや新エネルギー技術を新産業の育成に結びつけるための政策的支援をおこない、もって経済や雇用の活性化につなげるものとしている。エネルギー問題と環境問題の一体的解決を図る道が、持続的な経済成長の新機軸でもある――そうした大胆な提起として、興味深く受け止め、先月スタートしたばかりの新政権によるその着実な具体化を期待したいと思う。私とて民主党のエネルギー・環境政策に何の疑念も抱かぬ者ではないけれど、少なくとも新エネルギー開発については、どっしり腰を据えた取り組みを力強く展開してもらいたいと願ってやまない。石油の需給事情に左右されて足踏み・後退した経験を踏まえ、決して連敗を喫さないように。
 私の方はと言うと、「箱根3連敗」はかろうじて免れた。しかし、結婚式に参列する都合で東京に回り2泊した後の帰路、「のぞみ」からは望みに反して富士山は臨めなかった。予感が当たって「新幹線5連敗」とは! でも、もう2回ほど負けたら「七転び八起き」ということで連敗も止まるだろう。「てやんでえ、ちょっと甘いんじゃござんせんか。七転八倒かも知れやせんぜ」(半次郎)。


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   孫の自転車と政権交代の協奏曲 (2009年9月上旬)

 
 先月の中頃に幼児用自転車を買った。4歳の孫娘が遊びに来たときに乗る練習をさせようと、わが家に置いてある。
 妻と私とで自転車ショップに出向き、店員のアドバイスを受けながら、孫の身長に見合った14インチの数種の中から選んだ。車体はパステル調のオレンジとアイボリーに塗り分けられていて、補助輪(コマ)がついている。前後の泥除けやサドルの取っ手など、オレンジ色の箇所がピンクになっている色違いのものもあった。当人を連れてきたら多分ピンクをほしがっただろうが、こっちの色だって似合いだし、いずれ弟(ゼロ歳)も使えるかもなどと理由をつけて、オレンジの方に決めた。
 思い返せば…。上の孫の場合、胎児のうちに性別を知りたければ教えますと産科医が言ったのに、楽しみをとっておきたいとの両親の意向から、生まれてくるまで女児とはわからなかった。それはそれでよしとしても、妻がベビー服や寝具などを準備するにあたって色調の選び方がむずかしく、結局、男女どちらであっても無難な黄色系が多くなった。肌の白い子で幸い似合ったので、結果オーライだったが。今回も、彼女が大喜びしてくれたのでOKとしよう。
 自転車が家に届いた日は、第45回衆議院議員総選挙の公示日だった。この選挙では、財政悪化の折から税金のムダづかいの一掃に国民の関心が集まっていた。私もその気運を大いに評価し、後日の実現を心から望んでいた一人だ。家計についてもムダ排除の姿勢で臨み、下の孫への使い回しまで念頭に置いて自転車選びをしたのだから立派だ、これまたOK、ということにしておく。
 以来、何度も孫の自転車乗りに付き合った。妻と私の2人が同行することもあれば、付き人は私一人のケースもあった。「哲学の道」経由で近くの公園に行くのがスタンダードなコース。坂は多いし、車や人力車も通れば、観光客も行きかう。ピンクのヘルメットをかぶってペダルをこぐ孫を小走りで追いかける、ハンドルをぐっと掴んで制止したり上り坂を引っ張りあげる、進みが遅いとサドルを後ろから押す、足が疲れたとストライキを起こした孫にリュックサックからお茶やスナック菓子を出して気分を変えさせる、ぶつかりそうになった観光客に謝る、話しかけてきた外国人にSee youと手を振らせる、…。あれこれ忙しい。
 孫にはお気に入りの遊びだし、同伴する側も頼られるのが嬉しくて、つい自分から誘ったりもする。とはいえ、さすがに真夏の日中のことだけに体にきつく、家に帰り着けば共にぐったり。だけど、積み重ねの甲斐あって、最初はろくにペダルも回せなかった孫が、今では生意気に立ちこぎで坂道を上ったりする。公園では、「おじいちゃん、轢かれるよ」と私に突進してきて、追い回す。「おばあちゃん、あそこまで競争しよ」とスピードを出し、妻に余裕で勝利する。ちょっとした段差なら、自分で自転車を押し上げる。長足の進歩だと感心する。
 そんな彼女にとって、次第に気にかかる問題になってきているのが、どうやら補助輪の存在らしい。ほかの子たちの自転車を見かけると、ボディの型や色の違いなどには目もくれず、急いで補助輪の有無を確かめる。「あ、コマがない。でも、お兄ちゃんだから」とか、「コマがついているから4歳や」とか。補助輪なしへのあこがれと小さな矜持が伝わってきて、ほほえましい。「あわてなくてもいいよ。もうちょっと慣れたらコマをとっても大丈夫になるから」と慰め、励ます。
 ゆとりができるにつれ、よそ見したり、しゃべったりで、運転の注意がおろそかになる時も増えてきた。そのため、ハンドルさばきは当初とは比較にならないほど良くなったのに、自転車がふらふら蛇行し、停まってしまうこともしばしばだ。「まっすぐ前を見て。おしゃべりは帰ってから。口では自転車は走らない」、それが私の口癖になりつつある。
 さて、孫娘が自転車の腕磨きをしている間に、世の中では衆議院選挙戦が熱く闘われ、先週末(8月30日)におこなわれた投票により、最後まで風を捉えて逃がさなかった民主党が大勝を収めるにいたった。近く召集される第172回特別国会での首班指名を待って、いよいよ鳩山新内閣の船出となる。
 新政権には、政権交代に寄せられた国民の期待にかなうように、民主党マニフェストの誠実な実行に努めてほしい、と切に願う。もとより、マニフェストに盛られた数多くの政策すべてを一気に推進できるなどとは思わない。政治の透明性を高めつつ諸政策の優先順位を明確にした上で、民意を引きつけたマニフェスト精神の具象化に向かって毅然として突き進む姿を早くみせてほしいものだ。
 よそ見をして、マニフェストの基本理念からふらふら逸脱しないように、まっすぐ前を見て。まともな努力もそこそこに言い訳めいたおしゃべりを始めて、「暮らしのための政治を」というマニフェストの本旨を曖昧にしてしまうようなことも、禁物だ。口では友愛社会を築けない――新米サイクリストの孫にかけているのとほぼ言葉を用意して、私も多くの国民と同様に新米内閣のスタートを心待ちにしている。
 私の気持ちの中には、一生活者としての素朴な期待感とともに、経済学研究者として抱く疑念や懸念もでんと腰を下ろしている。ただ主に体調上の理由から、今は立ち入った考察を手がけられる状態にはない。今日も今日とて朝からの自転車トレーニングで汗まみれになり、午後は疲労と節々の痛みのためにダウン状態だった。今の自分への掛け声は、焦るな、秋風を待て、なのか。
 筆を置く前に、あと一言。民主党マニフェストが「暮らしのための政治を」と唱えるさいには、「官僚丸投げの政治から政治家主導の政治へ」の転換が、つまりは脱「官僚依存」が、そのための必須の要件と位置づけられている。しつこく孫の自転車にたとえれば、補助輪をうまくはずせるかどうかにあたる問題だ。
 選挙前に来宅された若い研究者と雑談しているとき、時節柄、政権交代と官僚依存の話題になった。私いわく、「政権交代が起きても、財政や国際政治上の制約から、麻生内閣と代わり映えしない政策しかとれない部面もあるかも。それでも、官庁としがらみのない大臣が登場するだけで、以前なら『なあなあ関係』の霧に包まれていた光景が明るみに出るかもしれない。政治家と官僚の緊張状態の効用に注目したい」。来訪者、答えていわく、「しがらみがないのは様子がわからないということでもあるから、手だれの官僚たちがとまどっている大臣を手玉に取りやすい面もある。政治家の側がきちんとした知識を備えてしゃきっとしていなければ、知らぬ間に官僚に操られているってことになりかねない」。なるほどね、と頷く。
 だけど、なるほどねの道に進まれては困る。後輪より補助輪の方がでかい自転車は、まったく前進しないのだから。


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     「まがまがしきもの」よ、立ち去れ! (2009年7月下旬)


 「うかつに気を抜かないようにしているんだよね、この頃は。隙を見せたら、とたんにわっと攻め入られてしまうから」と私。
 「いったい何に対する警戒ですか? 職場で面倒なトラブルでも?」と、けげんそうな院生たち。
 「いや、職域も快適とはいかないけれど、いまの私にとって一番の気がかりはプライベートな空間の方でね。要するに、『まがまがしきもの』の侵入によって日常生活を引っ掻きまわされるのは願い下げだってこと」。
 最近、そう言えば以前に大学の研究室で雑談をしているときに、こんな会話をかわしたことがあるなぁ、と思い出した。確か、胃がんの手術を受けた後、大学院ゼミを再開した頃だったので、ほぼ3年が経っている。禅問答もどきだと周囲の失笑をかい、自分も「もののけ」談じみた表現だったと苦笑したものだ。
 家族など身近な何人もが長丁場の健康問題を抱えており、どこかで改善が見られてほっとしても、待っていたように別なところで悪化が起きる。そのために私が生活面で担う役割も常に重く、研究・教育活動に満足に打ち込めない状態が10年も続いた。おまけに、自身も大病を患い、まだ抗がん剤の副作用にあえいでいる。せめて定年退職までに残された半年ぐらいは平穏な日々であってほしい。――そうした日頃の思いを短絡的に述べた私だった。
 実際には、直後に「まがまがしきもの」に翻弄される1ヵ月余があった。退職してすぐの2ヵ月も、やはりそうだった。どちらも身内の入院がらみの騒動だったが、幸いにも以後、そうした類の大波は鎮まってくれた。一方、私自身の体調も、退職後半年で抗がん剤におさらばしてからは、順調に上昇カーブをたどった。この状況を受けて、また外部からの働きかけもあって、一度は定年とともに完全引退と心に決めた経済学の世界に、私なりに復帰――もちろん限定された範囲でしかないが――できそうな可能性を感じるようになった。
 と言っても、身内発の日常茶飯事的なさざ波まで消えたわけではなく、家庭生活での私の労働投入量は人並みより相当高い水準にとどまっている。体調の改善にしてもおのずと限度があって、私の体力の天井は手術前より格段に低まってしまった。となると、ちょっと無理をして机に向かったり壇上に立ったりすれば、たちまちオーバーワークでダウンする羽目になる。だけど、多少の無理は覚悟で取り組まないと、研究者の名に見合う域にまでキャパシティを広げられるはずもない。――正直、なかなかシビアな試行錯誤の道程だった。
 そして、これなら何とかやっていけるのではという「巡航速度」をやっと体得できたところで、当ホームページの「ごあいさつ」を書き改め、家庭の事情と体力が許す限りで世界的金融危機・不況の研究を着実に進め、順次、成果を載せるようにしたい、との意思表明をおこなった。本年5月、退職後3年目に入った春の終盤だった。
 ああ、それなのに…。6月初旬に予想外の出来事が起き、甘い思惑は早々と頓挫してしまう始末。身内の新たな健康問題の突発に伴って、私たち家族が近くに住む孫たちの育児に協力しなければならない場面が大幅に増えることになったからだった。
 保育所に通う4歳児をバスやタクシーで送り迎えしたり、休日に遊園地や公園などあちこちに連れて行ったり、風呂に入れてやったり、あれこれの遊びの相手をしたり…。また、3月に生まれた乳児をあやしたり、ミルクを飲ませたり…。私が一部を担った役目のどれもが、ほかでは得がたい楽しみの要素を含んでいた。だから、決して義務感だけで動いたわけではなかった。
 しかし、楽しさ半分の請負仕事であっても、度を越せば疲れるのが当たり前。加えて、部屋の片付け、食器洗い、買い物などの家事分担量も急増した。いかんせん基礎体力に乏しい身だし、ましてやただでさえ気だるい向暑の候のこと、疲労困憊して読書も短時間で切り上げ倒れるように寝入る日々となった。それでもなお疲れが残って蓄積したせいか、数週のうちに手の指、腕、肩、背中、腰、足など体の方々が痛み出し、以来、余暇はおおむね痛みに耐えながら横になって過ごすという体たらく。
 こんな不本意な状態が続く中で、3年前の研究室での一場面が鮮明に頭に浮かんできたのだった。ああ、「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」か、またしても気を抜いたとたんに「まがまがしきもの」の不意打ちを食らってしまった、と独り言をもらす。もっとも、気を張り続けていたら「まがまがしきもの」の家宅侵入を防げたという保証など何処にもないが。とまれ、そろそろ彼らに我が家周辺からお引き取り願いたいものだ。天中殺や大殺界だって、ワルプルギスの夜だって、そもそも無期限じゃないと知るべし!
 私が閉塞した生活を送るかたわらで、日本の政治は音を立てて流動している。経済低迷を背景にした内閣支持率の持続的な低下、さらに東京都議会選挙における自民党の歴史的惨敗とすったもんだの党内抗争もあって、今月(7月)21日、麻生首相の手で衆議院解散が実行されるにいたった。流れからすれば、来月末の総選挙によって政権交代となる可能性も多分にあり、いまや政党間の政策論争がかつてない盛り上がりを見せつつある。つい先日(27日)、民主党の政権政策(マニフェスト)が発表された。自民党のマニフェストも、ほどなく全容が明らかになるらしい。
 いかに姿勢が内向きになっている私であっても、せめて政権党になるかもしれない民主党の主張ぐらいは知っておかなきゃと思い、同党のウェブサイトからマニフェストのファイルをダウンロードした。「鳩山政権の政権構想」の5原則(官僚丸投げの政治から政治家主導の政治へ、中央集権から地方主権へ、等)が掲げられた後、5つの主要政策(ムダづかいをなくすための政策、安心して子育てと教育ができる政策、等)の概要が大書され、さらに具体的な施策の詳細を記した政策各論が載せられている。
 実は、ここまで書くのに2日もかかった。暇をみつけて体の痛みがひどくない間だけちょこちょこっとパソコンを打つという断続的なやり方では、考えが寸断されてまとまらず、筆の運びもひどく悪い。この有様では民主党のマニフェスト全体を通読して思考をめぐらすのは無理だとあきらめて、いま現在の私にとって最も興味がある箇所に大急ぎで目を通すだけにとどめることにした。
 孫の世話に結構忙しくしていると子育て支援の一翼を担っている気分にもなるもので、私の(一生活者としての)関心も何よりも子育ての政策領域に向いている。周知の通り、月額2万6000円の子供手当の支給(中学卒業まで)、高校の実質無料化、大学生向け奨学金の大幅拡充によって、日本を「社会全体で子育てする国」にすることが、民主党の国民への約束だ。とりわけ子供手当の創設は画期的なもので、支給を受ける家庭は大助かりだろう。
 ただ、子育て支援策となると、保育園の増設などによって女性が就労しながら子育てするのを容易にする措置も不可欠だし、ひょっとしたらそちらの方がより重要なのかもしれない。マニフェストには、保育所の待機児童の解消も入っているので、それが無視されているとは言わない。しかし、虫眼鏡が必要なほどの細かい字を詰め込んだ政策各論に目を凝らしても、子供手当(5.3兆円)を始め関連施策にはそれぞれ所要額が明記されているのに、待機児童解消の項目だけは金額が見当たらない。それが軽視を意味しているのでなければよいが、と思う。
 子供手当の創設とセットにする形で所得税の配偶者控除・扶養控除の廃止が唱えられているのも気にかかる。相対的に高所得者に有利な「控除」から中・低所得者に有利な「手当」への転換だと言うが、本当にそんな単純な話なのだろうか。子供のいない一部世帯の税負担は間違いなく増えるし、70歳以上の老親や働ける状態にない成人の障害者を扶養している家計も憂き目を見るのでは。障害者控除の扱いには触れられていないが、もし同控除までなくされるようなら、障害者を抱える家計はダブル・パンチの大打撃に泣かされよう。少なくとも弱者への配慮をうたう友愛政治の精神に反するような所得再分配だけは、あってほしくない、と心から願う。ここでも、「まがまがしきもの」よ、立ち去れ、と叫びたい。
 時計の針は午前3時を回っている。盛夏の夜明けは早い。体力の限界に来たことでもあるので、夜空が白む前に、おやすみなさい。


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       乗り継ぎ小旅行と高速道路料金政策 (2009年6月上旬)


 「うわー、お空飛んでるみたい!」と孫娘のはじけるような歓声。周囲のざわめきが一瞬静まった後、車内になんとも和やかな空気が流れた。初めて乗ったロープウェイが動き出し、ふわりと宙に浮いたことへの幼子の感動。それがストレートに伝わり、乗客の誰もが、ふと郷愁にも似た優しい気持ちになったのだろうか。
 初夏の週末。せっかくの行楽日和なのでと、泊まりにきていた4歳の孫を誘い、私たち家族と合わせた4人連れでちょっと遠出をすることにした。3月末に高速道路の休日料金引き下げが始まってから、「1,000円乗り放題」に魅せられて、週末にはマイカーで何百キロもの遠方にまで足を伸ばす人々が急増しているらしい。だけど、あいにく我が家には車はないので、できるだけ遠くへといったインセンティブは働かない。遠出と言っても、比叡山(略して叡山)を越えてお隣の滋賀県に入り、琵琶湖で観光船に乗ってこようといった程度だから、高が知れている。それでも、いろんな公共交通機関を乗り継いでいけば孫が喜ぶこと請け合いだと思った。
 まず、最寄のバス停から京都市バスで出町柳駅まで行き(大人料金220円)、叡山電車に乗り換える。10数分で終点の八瀬比叡山口駅に着く(260円)。高野川にかかった橋を渡って、新緑の道を少し歩けば、叡山ケーブルの八瀬駅がある。孫に訊ねると、ケーブルカーにはまだ乗ったことがないとのこと。後ろ向きに急坂を引き上げられ、山麓がどんどん遠くになっていくのが不安なのか、最下段の席に私と並んでちょこんと座り、いつになく口数が少なく、神妙な顔をしていた。
 約10分のケーブル乗車(530円)の次は、叡山ロープウェイに乗り換えて山頂駅へ(310円)。「お空飛んでるみたい」は、もっと長く感じたのに、パンフレットには所要3分と載っていた。祖父母の要らぬお節介かもしれないが、今度は孫を飛行機に乗せて本当に空を飛ばせてやりたいな。
 ロープウェイを降りてバス乗り場に向かう。子供の足でも10分ぐらいの大したことのない距離だけど、うっそうとした人気のない道が大きく湾曲していて先が見えない。孫が次第に歩くのを渋りだした時に、前方偵察役だった長女が「バスの駅だよ、アイスクリームの旗が立ってるよ」と遠くから手を振る。現金にも孫は猛ダッシュして、ソフトクリームをゲット。
 比叡山内シャトルバスに5分乗って山頂から東塔へ(160円)。延暦寺根本中堂(東塔)の参拝はパスして、滋賀県側に下りる坂本ケーブルの延暦寺駅に直行。全長2,025mの日本一長いケーブルカーで、欧州風スタイルの車体や、天台座主揮毫の「縁」「福」の字をデザインした乗車券が人気を博している。2度目のケーブルカーなので、もう勝手がわかったとばかり孫娘は、長女と並んで最前列に陣取り、おしゃべり全開。トンネルに入った時だけは驚いたようだったが、後は眼下に広がる琵琶湖に向かっての山下りを悠々と楽しんでいた。所要時間11分(840円)で終点のケーブル坂本駅に。
 大正ロマンの香ただよう駅舎を出て、連絡バスを待ち、京阪電車坂本駅まで乗車(200円)。たったの3分で着くと知っていれば、バス待ちをしているうちに歩いて、一本前の電車に間に合わせたのに。
 それでも、京阪電車に15分ほどうつらうつらしながら揺られて浜大津駅に到着し(230円)、すぐそばの大津港に駆けつけると、お目当ての「ミシガン90」にぴったりの時刻だった。ショーボート「外輪船ミシガン」のクルーズで、90分コース(2,700円)だ。埠頭で出航前のクルーが披露するフラッグ・パフォーマンスを見てから、乗船口の前に置かれた鐘を鳴らして船に乗り込む。
 孫は、以前に両親と一緒に乗ったので、2度目のミシガンだという。私も3度目、妻と長女はもっと回数が多いが、幼児連れだと大人だけの場合とは雰囲気がずいぶん違う。音楽ショーの司会者が「お子さんの誰か、前に出てちょうだい」と言ったとたんに、ハイと手を上げてはせ参じ、ドラを力いっぱい鳴らして戻ってくる。レストランでは、軽食とジュースにご満悦。デッキをうろうろしていて、外輪の回転音に怯える。パイプ椅子にもたれて舟を漕ぐ。すべての仕草が可愛くて、しっかり充電してきたはずのビデオカメラが電池切れになってしまった。
 下船後は、京阪電車と京都地下鉄東西線(計370円)、京都市バス(220円)を乗り継いで帰宅。利用した乗り物の数は全部で12を数えた。大人一人の運賃は計6,040円、近場のお出かけでも結構物入りだと思った。しかし、寝る前に家計簿をつけている妻に聞けば、ミシガンの乗船券は孫の家から回ってきた由。孫を遊びに連れて行ったつもりだったのに、何のことはない、孫の持参金に寄生しての行楽だったとは。
 要した運賃のうちミシガン代を除く3,340円が純粋な交通費だった。4人分(孫は無料)ならきっかり1万円、「休日・高速1,000円」の10倍にあたる額だ。単純な比較は慎むべきだろうが、やっぱり利用できる人にとっては、高速道路料金の休日割引は非常に魅力的なのだろうなと感じる。現に今夜もまた、高速利用者の増加ぶりがTVのニュースになっている。
 高速道路の渋滞とトラック輸送への悪影響、高速バス会社やフェリー会社の経営圧迫、環境に対する負荷など、もろもろの問題が指摘されているのに、国交省は意に介さない。それどころか、1,000円乗り放題の適用範囲をいっそう拡大しようとしている。マイカー無しのひがみと言われるかもしれないが、冷静な再検討が必要なのではないか。民主党の「高速道路政策大綱」(本年3月25日)は、あらぬことか、高速道路の無料化をぶち上げた。本気で、それを次期衆院選の目玉政策にしようとしているのだろうか。大英断か、それとも大愚策か――誰にも納得できる科学的な説明をしてほしいものだが、いったい誰に頼めばよいのだろう。


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        わが鹿は「山のこなた」に帰りきぬ (2009年5月下旬)

                 
 お帰りと、思わず声をかけたくなった。3週間以上にわたって姿を見かけず、野犬の群れに襲われたんじゃないか、ひょっとしたら猟銃で撃たれたのかも、と心配だった。親子とも無事でよかった、おまけに子供の方はちょっと角が生え出していて逞しさがぐっと増している。
 家の向かいの山に出没する野生の鹿の話だ。私が初めて彼らを目にしたのは、去年の夏の終わりだった。まだ7時にもならない早朝、涼しいうちにと書斎で読書していたら窓の外でガサッと物音。何だろうと顔を向けた私の目に、網戸越しに3頭の鹿が飛び込んできた。生後間もない子鹿とその前後に大人の鹿が1頭ずつ。まさかこんな所にと瞼をこすってみたが、確かに茶色に白い斑点の動物が茂みの中を移動している。そう言えば、いつの頃か、夜中に山から奇妙な声が聞こえる日が続き、人の悲鳴ではなさそうだし、犬の遠吠えでもない、ネコの求愛の声とも違うようだ、いったい何が住んでいるんだろうと妻と二人でいぶかったことがあるな、と思い当たった。
 その時には意表を突かれて仰天したけれど、実は驚くほどの事件でもないのかもしれない。わが家から地図上の直線距離で北方2kmのあたりに、江戸初期の文人、石川丈山の隠棲した山荘「詩仙堂」がある。その詩仙堂の庭では、おそらく日本で一番有名な「ししおどし」が終日、70秒間隔でカッカーンと澄んだ音を響かせている。ししおどしは漢字なら「鹿脅し」だし、石川自身をその考案者とみる向きも多いようだから、推して知るべし。当時は付近一帯に鹿が生息していたのだろう。
 いや、もっと近くにも鹿の字の入った地名が見つかる。家から5、6分も歩けば、鹿ケ谷(ししがたに)と呼ばれる地域に行き着く。「東山のふもと、鹿の谷といふ所は、後ろは三井寺に続いて、ゆゆしき城郭にてぞありける。それに俊寛僧都の山荘あり」。「平家物語」は、東山(連峰の大文字山)を経て三井寺(滋賀県大津市)に至る山道の起点が鹿ケ谷(鹿の谷)だと紹介した上で、僧・俊寛の山荘を秘密の会合場所にしてなされた平家打倒の謀議(1177年)の情景を事細かに描写している。ひもとけば緊迫した琵琶の弾奏が響いてくるようだ。
 鹿ケ谷の名は、時代をさらに遡った平安前期、この地を訪ねた高僧・円珍が道に迷って鹿に助けられた故事に由来するとか。円珍は、第5代天台座主となり、後に智証大師の諡号(しごう)を贈られた人物で、三井寺の中興の祖として知られる。鹿の道は、年代史の遥か彼方に、また東山の彼方にも通じているということか。
 古代から鹿がいた土地柄だからと言って、ずっとそのままであり続けているとの理屈になどなりはしない。しかし、悠久の昔をしのべば、今もここに鹿にいてほしいような気持ちになるし、現にいたとなると「やっぱりな」と得心しもするものだ。ともあれ、私は、昨夏に書斎から鹿を見た日以来、彼らを珍客というより年来の知己と感じるようになった。幾度となく3頭を目にし、子鹿がだんだん大きくなり、いつしか大人の鹿が1頭に減り、毛色も変わって親子の区別さえつきにくくなるといった変化を、そうした親近感をもって見届けてきた。
 ただ、唐突に現れた鹿だけに、またいつか突然いなくなってしまうのでは、との憂慮もつきまとう。何週間も姿を認めなかったことが何度かあるが、そのたびに彼らは山の彼方に去ってしまったのか、と気を揉んだ。だけど、あきらめそうになった頃に律儀に戻ってきてくれたし、今回もそうだった。
 カール・ブッセの詩とは違って、鹿たちは「山のあなた」に「幸(さいはひ)」を求めて旅立ち、失望に涙しながら帰還し、なお山のあなたの幸への思いを断ち切れないでいる、といった叙情の世界に生きているわけではない。私には、彼らの「山のあなた」が比叡山なのか湖国近江なのかも、また長期不在をくり返す理由もわからないが、それを探究すれば鹿にとっての幸すなわち現実的な利益が浮き彫りになるはずだ。その場合には、多分、野生動物の生存環境と開発との相克が具体的な形で認識されるだろうし、次第によっては鹿による食害の問題に出くわすかもしれない。経済学研究者としても興味ある課題だと思う。ただ、これだけ情が移ってしまうと、たとえ鹿が害獣だとしても、とてもじゃないが捕獲された鹿を食料とみなす気持ちにはなれない。先だって、鹿肉をいただくチャンスがあったのに、丁重にお断りしてしまった。
 「山のあなた」については、私自身も、最近、研究面で深く感じるところがあった。文化と芸術を活かした街づくりの大切さを熱心に議論する研究会にたまたま同席させてもらって、その活気に刺激されたし、共通コンセプトの意義も幾らかは理解したつもりでいる。にもかかわらず、私個人としては、日本国民の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が大きくぐらついている事態にどう歯止めするのかが先決問題だ、と思えて仕方なかった。泥臭くとも今は「山のこなた」に固執するのもまたよし、なのだろうか。いずれ鹿が道案内にたってくれるかもしれない。
 ――翌日――
 鹿ケ谷の安楽寺が特別公開だったので、妻と孫との3人で出かけた。閑静な境内のさつきと新緑のコントラストが見事だった。京野菜として知られる瓢箪型をした「鹿ケ谷カボチャ」の供養は、7月25日だそうだ。鹿肉は食べ損ねたが、こちらはうまくすればありつけるかも。


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        モズは、鹿は、カルガモは…
                        (
2009 5 月中旬)


 まだ午前6時には間がある。この数日間に続いて、今朝もまたギチギチギチという鋭い鳥の声で目がさめた。2階の書斎から外をみると、目と鼻の先にある電柱のてっぺんに茶色っぽい小鳥がとまっていて、緊張した動きで激しく鳴いている。
 ひょっとしたらモズ? 姿を見ながらネットの野鳥図鑑で確認したところ、間違いなし。縄張り宣言をするための「モズの高鳴き」は秋の風物詩だとよく言われるが、今の季節とどう響きが違うのか、秋の鳴き声も並べて聞いてみたいものだ。
 モズを「百舌鳥」と書き表すのは、早春にオスが求愛する時、他のいろいろな鳥の鳴き真似をするからだとか。私が耳にしたウグイスの春を告げる歌声にも偽ウグイスが混ざっていたのかどうか、これも実際に聞き較べられれば面白いのに。
 そうそう、あっちの方はどうなったかな。モズが飛び去るとすぐ、電柱の背後の小高い山に目を移して、視野に入る斜面を注意深く見渡してみた。こんもりした茂みや木陰にひっそり隠れていないか、土がむき出しになっている箇所に保護色をした体が溶け込んでいないか。残念ながら、今日もいる気配はない。もう2週間のご無沙汰だ。
 読書中にガサッと音がし、思わず顔を向けた私の目に映ったのは3頭の鹿! まさかこんな所にと瞼をこすっても、確かに生後間もない(?)子鹿とその前後に親鹿(?)がいて、茂みの中を移動中。――去年の夏の終わり頃だった。以来、幾度となくその姿を目にし、子鹿がだんだん大きくなり、いつしか大人の鹿が1頭に減り、毛色も変わって親子の区別さえつきにくくなる、といった変化を見届けてきた。この書斎から撮ったんだと野生の鹿の写真やビデオを来客に見せて悦に入ったことも、一度や二度ではない。だのに、何処へ行ってしまったのか、このところ鹿影は絶えてなく、ちょっと淋しく感じている。大型連休も終わったことだし、そろそろご出勤を。
 鹿と入れ替わりにというわけでもないが、最近、「哲学の道」で、カルガモのカップルが疎水に浮かんでいるのを見かける日が多くなった。多分、繁殖期にさしかかったのだろう。
 昨年、母カルガモを先頭に、生まれたてのヒナ7羽が一列縦隊を組んで泳ぐのに初めて出会ったのが、ちょうど今頃の季節だった。雨の日も風の日も、母鳥が狭い疎水の岸に陣取り、犬が近寄っても微動だにせず、対岸の水面近くの草かげに固まっているヒナたちを守っていた、凛とした光景(写真)を思い出す。また、ヒナがどんどん成長して秋には親と変わらぬ図体になったのに、まだ縦一列に連なって移動していたのは、本当にこっけいだった。
 カルガモご夫妻、とくに抱卵から育雛までを一手に引き受けるカルガモ夫人、そのけなげな子育てを通じて今年も温かな癒しを配っていただけるものと期待しております。

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  「古くない物」の弱い年 : ガス給湯器哀話 (2009年3月上旬)


 「古い物の弱い年」って確かにあるものだと思う。それがいつだったのか、何が壊れたのか、まるっきり覚えていない。ただ、長く愛用してきた品が次々駄目になると愚痴ったときに、誰かからこの言い回しを教えてもらったことだけが、ぼんやりと記憶の片隅に残っている。
 ここ1年半ほどの間も、いつになく壊れ物が多い。デスクトップ・パソコンが2台、19インチの液晶モニタ、テレビ、電気毛布、デジカメ、シュレッダーが電動式・手動式1台ずつ、電気こたつ、腕時計2個、柱時計…。10万円以上を払って入手した物が多く、損害は甚大だ。しかも、ほとんどが寿命が尽きて当然の「古い物」などではなく、常識的な耐用年数をかなり下回る品ばかりときている。「古くない物の弱い年」なんて、ぞっとしませんよね。
 そのうっとうしい波に乗って、つい先日、真打登場! いや、真打であってくれないと困る。実はこれまた前座か二つ目でしかなく、本物の真打はまだ楽屋で出番を待っている、なんてことには断じてなってほしくない。
 2月も終りに近い某夜、強い雨が降りしきる10時ごろだった。湯上りの妻が、給湯器(24号ガス給湯暖房機、屋外壁掛設置)の浴室リモコンの電気が消えていて追い焚きできなかったと言う。調べてみると、浴室だけでなく、キッチンのリモコンも、スイッチが入らない。ひょっとしたら電源のプラグがはずれたのかなと、傘を片手に、家の裏側の壁に取り付けられている給湯器を見に行ってみた。
 機器の位置が低いので、しゃがんで下から覗き込んだが、窓明かりでは全然中が見えない。懐中電灯で照らすには、傘がじゃまになる。仕方なく傘を手放せば、氷雨が容赦なく降りかかる。大急ぎで電源プラグを一度抜いて差し込みなおすと、ブーンと機械音がした。やった、やったと手を打って、あたふたと室内に飛び込む。リモコンのパネルには電気がつき、設定温度等も表示されていた。ちょっとしたお騒がせだったが万事OKと、2階の書斎へ。
 インターネットで経済記事を読み漁っていて、気付けば午前2時を回っていた。薬を飲みに階下におりると、大きな水音がする。雨は小降りになったのに変だなと思って意識を集中すると、音は浴室から聞こえてくる。みれば、風呂のお湯はり口から水が勢いよく流れ出ていた。リモコンをさわっても作動せず。なんだ、結局はぬか喜びだったのか。やっぱり故障しているんだ。真夜中にそっと雨戸を開け、寒さに身震いしながら給湯器の電源プラグを抜き、流水を止めて、後は夜が明けてからのことと就寝する。
 最寄のガスセンターに電話で修理を頼み、朝イチで来てもらった。そうでなくとも、冬場だけに蛇口から湯の出ない生活は耐え難い。ましてや、出産まぢかの娘が幼児連れで頻繁に泊まりに来ているとなると、今日明日にも直してもらわないとどうにもならない。我が家としては、まさしく緊急事態だった。ただ、新築のこの家に移ってからまだ7年半ぐらいだから、給湯器の寿命など予想もしておらず、てっきり修理ですむものと思い込んでいた。ところが…
 やって来た業者が言うには、中枢部分の致命的な故障なので直しても何年持つかわからない。それでも修理を選ぶのなら15万円ぐらいかかるし、部品の取り寄せなどで時間も4、5日を要するだろう、とのこと。つまりは寿命だから新品に取り替えろとの勧めだと受け取って、費用を聞くと、なんと工事代込みで40万円に近い金額だった。年金生活の家計にとっては厳しい打撃だと嘆きつつも、新品の場合だと修理よりずっと時間がかからないのをせめてもの慰めにして、軽い財布をはたくことに決めた。給湯器の平均的な寿命については、幾度も訊ねたのに、はっきりした答えは聞けなかった。
 翌日の日中に工事がおこなわれ、夕方には風呂を沸かせるようになった。有り難かったのに間違いはないが、いわば2日前までの状態に復したにすぎなかったので、理不尽な出費を強いられただけだという面白からぬ気分にもなった。たとえばアナログテレビが壊れた場合なら、デジタルテレビに買い替えれば、画質がよく情報入手面でも役に立つ地デジ放送を視聴できるようになる。パソコンやデジカメだって、買い替えには機能やデザイン面の目新しさが伴うのが普通だ。それにくらべてガス給湯器ときた日には、大枚を投じて新しくしたって何の変わりもありゃしない。「見栄えのする給湯器ですね」って褒められた話など、聞いたためしがない。「今度の42℃はこれまでの42℃より良質だな」ってことも、あるはずがない。
 いや、まったく変化が起きなかったわけではない。「お風呂が沸きました」と知らせる女性の声とイントネーションが以前とは違い、最初はあれっと驚いた。前にはなかった「あと5分ほどでお風呂に入れます」のアナウンスもされるようになった。でも、それに一体どれほどの意味があるのだろう。正直なところ、ずっと耳になじんできた声の方が心地よかった。5分前コールだって、むしろお節介だ。
 冷静に考えれば、すぐには体感できない長所だってありうるし、今回のケースだとガス代の節約効果がそれに当たる。従来型のガス給湯器より高効率の潜熱回収型(いわゆるエコジョーズ)にしたので、パンフレットによると、省エネ効果分が年間11,000円、さらにエコジョーズ料金の適用(家中のガス料金が5%割引になる)で4,000円、しめて15,000円がおトクになるそうな。でもね、同じパンフレットで比較すると、エコジョーズの機器は在来型より10万円ほど高くつくようなんですよ。となると、せめて7年はもってくれないと、在来型のほうが割安だという計算になる。改めて、寿命は何年なのかとお聞きしたいものです。
 自分の損得勘定にばかりとらわれず、環境問題にも目を向けるべきだ。二酸化炭素排出削減への寄与を考えれば、エコジョーズを選ぶのが正解だ。――そんな思いもないわけではない。そう言えば、エコジョーズの普及促進のために国が購入費用の一部を補助する制度があったっけ。補助対象給湯器の指定者である都市ガス振興センターのホームページを覗くと、平成20年度の補助金額は23,000円/台、申請期間は平成20年4月15日〜21年2月10日、「申込額の合計が予算額に達しましたので、平成20年9月24日 17時20分をもって、補助金の申込受付を終了しました」となっていた。
 地球温暖化防止の見地から本気でエコジョーズの普及を政策的に後押しするつもりなら、先着○○名様なんてセコイやり方は改めるべきではないか。少ない予算でPR効果を狙うのは「ええかっこジョーズ」かもしれないが、温暖化問題は待った無しなのに、それでは真剣さを疑われても仕方がないのでは。国としても、目先の損得勘定にばかりとらわれていてはいけないということだろう。
 エコジョーズの情報をネットで集めていて、突然、目が点になった。定価439,950円の品 が特価186,370円!楽天市場の商品案内だ。あわてて検索してみたら類似のページがわんさとあり、65%引きとか7割引の機器のオンパレード。急場をしのぐために手近なところで間に合わせてしまったが、あまりの価格差に愕然とする。壊れるのは機器それ自体だけじゃない、価格破壊だって起こるのだ。この当たり前のことがなぜ頭に浮かばなかったのだろう。
 後の祭りは、いつであれ、悔しいよりも物悲しい。ガス給湯器哀話、これにてお開きとさせていただきます。


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自転車のパンク修理は誰の手で (2009年2月下旬)



 スーパーに行くので一緒に来てと頼まれて、道を歩く妻の横を忠犬よろしく自転車でゆっくり走りながら同行した。自転車にしたのは、買い物が多くて重くなりそうなので、帰り道にキャリーバッグがわりに使うためだった。
 ところが、スーパーまであと200メートルといったあたりで、後輪が急にガタガタしだした。わあ、やだねー、パンクだ。面倒だけど、いったん家に引き返し、もう1台の自転車に乗り換えて戻ってこようか。いや待てよ、そうそう一筋むこうに自転車やさんがあったよな。という次第で、近くの自転車店にパンクの修理を頼み、その間に買い物をすませることとあいなったのでした。
 半時間ほどして、膨れたエコバッグを手に提げて自転車を受け取りに行くと、ちょうど修理が終わるところだった。時間のロスはほとんどなく、その点では申し分なし。ただ、値段がね。800円程度かと思いきや、なんと1,260円。多分それが最近の相場なのだろうが、作業に対する報酬としては高すぎるのではと感じた。と言うのも…
 その数日前。同じ自転車の同じ後輪の空気が2日ほどでじわじわと抜けてしまうことが続いたので、これはおかしいぞと虫ゴムをチェックしてみた。異常なし。じゃあパンクかもしれないと、以前にホームセンターで買った修理セットを整理棚の奥から探し出す。プラスチックのケースにタイヤレバーが2本、ゴムのり、サンドペーパー、虫ゴム、そしてパッチが大小合わせて6枚入っているもので、たしか600円台だった。すでに一度使ったことがあり、マニュアルは頭に入っている。パッチも5枚残っている。ガレージに洗面器を置いてホースで水を張ると、準備完了。
 自転車を仰向けにして、バルブを分解する。タイヤレバーを用いてタイヤをリムから外す。チューブを引っ張り出して、少し空気を入れ、洗面器の水につける。泡の出る箇所が見つかれば、そこがパンク穴なので、水をふき取り穴の周囲にサンドペーパーをかける。パッチよりも広めに粗面にし、その部分にゴムのりを塗って、パッチを貼り付ける。チューブを元に戻した上で、タイヤをリムにはめ込む。バルブを元に戻して空気を入れれば、はい一丁上がり。
 暖冬の白昼とはいえ、2月の水に手がかじかむ。それでも、別に難しい作業ではなし、むしろ過去に何度となく自転車やの軒先でまじまじと眺めた工程を自分自身で順を追って進める楽しさを味わっているうちに、あっけなく修理は終わってしまう。所要時間は、指先の感覚を取り戻すために作業を中断して部屋のストーブにあたったことも含めて、30分ちょっとだった。要した材料費は、たかだか100円ぐらい。そう言えば、どこかの百均で自転車修理キットを目にした覚えがありますね。
 この経験と照らし合わせると1,260円はちょっと取りすぎでは。でも、わかっています、修理代には作業の手間賃と材料費だけでなく、店舗、機械類、工具等の償却費も入っていることくらいは。1万円以下の輸入格安自転車が出回って、自転車店経営も厳しさも増しているのでは、との想像もつきます。また、その店で買った自転車ならパンク修理はもっと安くでやってもらえるのでしょう。だから、これ以上、文句は申しますまい。要は、我が手で気分よく補修にあたればよいのです。
 自分の手で機械・機器を組み立てたり分解したりするのには、特有の醍醐味がある。少なくとも私の感性ではそうなので、その面白さを味わうには多少の出費もやむなしと考えてきた。比較的新しいところでは、五十歳代の終盤から情報機器に習熟する「六十の手習い」のつもりで自作パソコンに挑戦し、次々に何台か組み立ててみた。良質のパーツをあれこれ買い集めたくなり、結果的に市販の同性能のパソコンを買うより何割も高くついた。ちょっとしたプラモデルより構造が単純だから数年間で飽きてしまったが、当時はその割り増し分のおかげで手作業をじっくり楽しめた。それに比べれば、パンク修理の場合には、勝るとも劣らない達成感がある上に、業者に頼むより遥かに安上がりだとくるので、大いに結構ですね。
 だけど、ちょっと待てよ。じわじわ空気が抜けるケースはともかく、急なパンクは自転車に乗っているときに、つまり外出中におきるのが普通だ。となると、自宅まで自転車を押して帰れる範囲内ならいいけれど、家から離れた所だと自分で直すと言っても、実際にはやれっこない。たとえ修理セットを携帯していたとしても、見知らぬ他人に「水を張った洗面器」と空気入れを貸してほしいなんて頼める道理はないからだ。つまりは、自転車やさんの世話になるしかないわけで、しかも家から遠く離れていれば離れているほど自転車店の看板の輝きが増すに違いない。同額の修理代であっても、その負担感は自宅からの距離と反比例で低減するのではなかろうか。はてさて妥当なサービス価格とは、と考えさせられる。


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