ナブタ・プラヤ・図表集
カレンダー・サークルに関する考察 
ナブタ・プラヤ(Nabta Playa)
年表:ナブタ・プラヤ
 H O M E
世界史縮尺年表
ナブタ・プラヤ
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ご覧になっている途中で、他の「図」へリンクで飛ばれた場合は、戻るをクリックしてお戻りください。




                                                                                           

位置、遺跡分布図、地形図など(表を含む:但し便宜上「図」と呼称します)                                                                  
第1-1図:現代のエジプト地図上では         第1-2図:古代のエジプト地図上では 戻る 第3図:ナブタ・プラヤの諸遺跡分布図                  戻る
 ※参考:右図と並べてご覧ください。右図の中央辺りの「カルーガ・オアシス」がこの地図の「AL KHARIJAH」です。左上の方の「シワ・オアシス」がこの地図の左上「Siwah」です。Wikipediaから一部改変

グーグル・マップで見る 航空写真で超拡大 
衛星画像で見る ④Google Earthで緯度経度、標高を確認すると・・・。赤い四角が「ナブタ・プラヤ」。一番下の行に・・・。

    「古代エジプト文明社会の形成から一部改変

※古代エジプトの地図のもっと詳細なもの、西側に広がったものは第53図~第56図をご覧ください。

第2図の右やや下の囲みの部分がこの図に該当します。「E-96-1A」が下の第18図~第24図の「A」=「複合建造物」です。「列石」が 第4~10図と同じように並んでいます。四角に囲まれた部分に「See Figure 16.1」とありますがこれはこのページの拡大図 3に、ほぼ該当します。        「Holocene Settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.4から一部改変
第2図:ナブタ・プラヤ近辺の遺跡分布図                     戻る
E-79-1」などは各遺跡に付けられた遺跡番号です。黄色がPlaya(窪地)、緑色が砂丘です。 「Early and Middle Holocene Paleoclimates in the South Western Desert of Egypt–The World before Unification」から


※注意:ナブタ・プラヤやその近辺では遺跡の数が多いので、便宜上それぞれに「E-94-2」などの番号が付されています。ご留意ください。               Topへ
                                                                                                                    
第4図:ナブタ・プラヤ全図(西半分)                       戻る    第5図:ナブタ・プラヤ近辺地勢図(航空写真より作図)               戻る
 ナブタ・プラヤ全体の左半分を拡大し等高線で表示したものです。右図と照合して頂くとE-94-2、E-92-7、E-75-8、E-96-1A、
E-75-6、SALT HILLなどが同定できます。「LINE OF STELAE=列石」。参照:第6図↓、拡大図                       
 
全体の超拡大図(64倍まで可能)は右記サイトの146頁→Nabta Playa Black-topped potteryp.146から

図の解説
 1、基岩(花崗岩) 2、Nubia層(砂岩) 3、Nubia層の小丘(砂岩と泥岩岩、Qusseir砕層性部層) 4・5、様々な堆積物(中央へ徐々にプラヤのシルトになる) 6、化石の砂丘 7、最近の砂丘と砂床(南西角) 8、プラヤのシルトと砂 9、現在の浅い涸れ谷の小水路(矢印は流れの方向) 10、より広範囲な遺物の露出 11、遺跡番号 12、Elephant Site 13、詳細図:
Aの枠」はほぼ「拡大図4」です。「Bの枠」は第4図のAの枠内=第6図です。「Cの枠」は「拡大図1」です。 
白地の部分が「ナブタ・プラヤ」(第2・3図参照)
E-96-1A」は第3・4・8・10図の「=「複合建造物」第20図以下に詳細図があります。 「Holocene Settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.12から
第6図:ナブタ・プラヤの西岸(祭儀場)                                戻る 第7図:左図の地勢図                             戻る

Nabta Playa Black-topped pottery」p.146から改変

縮尺は第6図より少し小さめながら、位置関係の同じことに注意。  
                         「Nabta Playa and Its Role in Northeastern African Prehistory」p.107から
拡大図 1 :E-94-2、E-92-7(北部・居住遺跡) 拡大図 2 :E-94-1、E-92-9(北西部) 戻る 拡大図 3 :E-75-8、E-96-1(西部・居住遺跡ほか) 拡大図 4 :E-75-6、E-91-3(南部・居住遺跡)  
※この4枚の拡大図はぜひクリックして
大きい図でご覧下さい・・・
※この4枚の拡大図はぜひクリックして
大きい図でご覧下さい・・・
※この4枚の拡大図はぜひクリックして
大きい図でご覧下さい・・・



これらの4図は
Nabta Playa Black-topped potteryp.146から一部改変


※注意:下の図の中で「A1」などの表記は列石(Alignment)を、「A-1Aハイフン1)」などの表記は巨石巨石群(MegalithまたはMegaliths)を指しています。紛らわしいのでご注意ください。
                                                                                                                        
列石とその配置図                                                                                                       Topへ
第8図:列石、牛塚、カレンダー・サークルなどの位置関係  戻る 第10-1図:五本の列石の分布状況  第10-3図:列石A1~A3の巨石の配置戻る
天地が短く作図してありますが右の図と同じ事を示しています。左端の「A」から二方向へ列石が五列出ています(A1、A2、A3、B1、B2)複合建造物=「A」=E-96-1A」。Nature 392号」から改変     


第8図の「列石A1、A2、A3、B1、B2」を緯度・経度に応じて正確に作図。「A」=「E-96-1A」。「A」の緯度・経度= 22°30′29.7″N/ 30°43′31.2″E
。      
African Cultural Astronomy」p.138から
   「Holocene Settlement of the Egyptian SaharaⅠp.490から
第10-4図:列石の角度と巨石の位置

Holocene Settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.498から


私たちの画期的な大発見の端緒となったのは、列石群が複合建造物(E-96-1)から放射状に伸びた、3本の線上に有るという発見だった」、とM.マルヴィル氏は述べています。(Our first breakthrough was to discover these stones were in three lines radiating outward from the largest tumulus.)(参照:上の第10-1図~4図)The Astronomy of Pre-Dynastic Egyptから
第9-1図:六本の列石が指す方向   戻る
  
参考:「Nature誌・1998年」(Figure2の下の文中にあります)。
「ウェンドルフ・シルト他共著・2001」は「Holocene Settlement of the Egyptian SaharaⅠ」。参照:第10-4図。
「ウェンドルフ・マルヴィル共著・2007」は「African Cultural Astronomy」p.139以外に見当たりませんが数字が異なっています。上記数字の出所は不明です。参照:第10-1図。
後の調査で列石C1は不確実だと考えられています。(参考:「ナブタ・プラヤの天文学」ナブタ・プラヤの列石の項) 
SATELLITE IMAGERY MEASURES OF THE ASTRONOMICALLY ALIGNED MEGALITHS AT NABTA PLAYA」p.2から
第9-2図:列石が指す星と年代        戻る 第10-2図:五本の列石の衛星画像
 
後の調査で列石C1は不確実だと考えられています。(参考:
「ナブタ・プラヤの天文学」ナブタ・プラヤの列石の項)Black Genesis」p.114から

角度は第9-1図のように諸説有ります。なおここでは列石C1が省かれています。
Astronomy of Nabta Playa」(2007年)p.7から一部改変   参考:星座図鑑から
第11-1図:「巨石0」=「A-0」 第11-2図:巨石「A-1」         戻る

この巨石「A-0」は列石「A-2」の最北端にあります。第8図、第10-1図、第10-3図参照。巻き尺は1mです。
Nature392号」から 

巨石は「A-0」のように1個だけの場合が有りますが通常はこのように数個からなっています。
第10-3図のあの位置でこの9個が集まって「A-1」となっています。矢印が示すように上方の4個は元は1個だったことが明かです。「Holocene Settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.491から
第11-3図:巨石「A-2」        戻る 第11-5図巨石「A-2」から南東方向を撮る                          戻る 第11-7図:巨石「A-3」の構成図    戻る

巨石は単に「北の列石の中の傾いた石柱」と解説してありますが、「A-2」と思われるので、下のように試みました。
The Megaliths of Nabta Playa」から

Holocene Settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.492から

第11-6図巨石「A-4」から「A-1」、「A-2」、「A-3」を撮る

Holocene Settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.492から

Holocene Settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.493から

第11-8図:巨石「A-4」の構成図 
Holocene Settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.494から
第11-4図:巨石「A-2」の構成図

一番上の一枚岩は、高さ2.4m、幅2.6m、厚さ60cmです。
この図をクリックして「左へ90度回転させた図(拡大可能)」と上の写真を照合すると、上の写真は「A-2」と断定できます。
Holocene Settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.493から
※列石は現在は第11図に見られる通り、複数個で存在していますが、建造時には「A-0」の様に1個だったのかもしれません。
                                                                                                                      Topへ
11-9:石碑の群の配置図 第11-10-1図:巨石・石碑の復元図(1) 第11-10-2図:巨石・石碑の復元図(2)戻る

東西に延びる三本の列石A1、A2、A3たちから南へ約500mのところに複合建造物E-96-1A」が有りますが、その「東」、「西」および南東方向に遠く離れて「南東」と「南」の二つ、計四個の「石碑の群」が有るのが分かります。表の中では「巨石=Megaliths」と「Group of Stelae=石碑の一群」の、二種の表記が見られますが、正確には「巨石を含んだ石碑の群れ」を意味しています。「Nabta Playa Black-topped pottery」p.146から

上の「石碑の群」は”Western Group”の中のものです。右の石碑は”Eastern Group”のものです。Eastern Group”、”Western Group”は左図または「拡大図3」をご覧ください。
The Megaliths of Nabta Playa」から

左の図には北を指す矢印が描かれています。これが正確だとしたら、石碑と人間の陰の向きが逆になるべきです。太陽が北から照射することは、あり得ませんから。イラストレーターのミスでしょう。勿論上の図の場合も、「石碑が北に面している」のであれば、同じことが言えます。
The Megaliths of Nabta Playa」から


カレンダー・サークル(Calender Circle=E-92-9)――現存するのは復元されたものだけです。              Topへ
第12-1図:復元イラスト (E-92-9)                戻る 第12-2図:レプリカ写真(E-92-9)               戻る     

直径が約4mを切ります。大相撲の土俵が4.55mですからそれより一回り小さいです。第15-2図ののR.シルトと比べてください。
斜めの直線は(6000年前の頃の)夏至に太陽が昇る位置を指しています。
これは、1992年ApplegateとZedeñoによって再構築・イラスト化されました。         
 「Black Genesis: The Prehistoric Origins of Ancient Egypt」p.16から


第13図:設置された小山の断面図  (E-92-9)

※図の解説 : a、古い砂丘 b、プラヤのシルト c、最後の遺物 d、最近の堆積物 e、最近の溝   Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.37から

これがよく見られる写真ですが、しかしヌビア博物館の中庭にあるレプリカです。ここに立てられている石柱の形状は、非常に現物に忠実だと思われます。次の「原形についての考察」に際して、参考になさってください。
左の第12-1図とは南北が逆になっています。なお円の内部に立っている石の復元は正確ではありません。
   「Wikipedia」から

第12-3図:レプリカ写真の遠景

これは冬至の日に撮影した遠景です。影が見事に南西の門から北東の門へ貫いています(上の写真と左右が逆です)。   「The Astronomy of Pre-Dynastic Egyptから
※発掘された時点での写真や、その後の変遷については「カレンダー・サークル(第14図~第17図)」のページをご覧ください。


複合建造物                                                                                                              Topへ
第18図:複合建造物(Complex Structure A=E-96-1) 戻る 第19図:複合建造物の俯瞰図 参考図:こういう石もあります  戻る

発見当時のままで未だ砂が取り除かれていません。
※特徴
・71個の石英質の砂岩が、長円型に集められています。第19図参照。
・約長さ5m×巾4mです。
・中央の2個の石(第19図の4)は弓形の層理面に沿って割れています。これは
卓状岩(第20図の1)から採られたものと考えられています。
Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.507から

全部露出させて第19図のために位置を計測しています。





Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.508から

第20図の南北、東西の断面図参照。
Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.506から

望む長さに切るための、一連の整然とした鑿の跡が見られます。
第19図の「3」=第20図の「7
表面の岩」です。
これが中央の岩とされています。



Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.507から
第20図:複合建造物(Complex Structure A=E-96-1)南北・東西の断面図 戻る 第21図:複合建造物の配置図 戻る       第22図:卓状岩の写真・卓状岩の俯瞰図  

 Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.504から

参考図

第4図のこの部分を6倍に拡大。上図と同一の配置が判然です。

第23-1彫刻された岩(第20図の5です。)
第20図の「5 彫刻された岩」。牛に似ていると言われます。長さ1.9m×高さ1.5m×厚さ70cmです。Red Ice Members」から

写真は南西方向から撮影されています。見事な曲線と直線部分に注目。第20図の1 「卓状岩」です。
  「Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.512から



クリックでの拡大図が鮮明です。(第20図の1卓状岩です)
地表より2.6m下。南北に3.6m×東西に3.4mです。
 「Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.513から

第23-2彫刻された岩
      ※
第20図の「5 彫刻された岩」の発掘作業。
現在ヌビア博物館に保存されています。
The Megaliths of Nabta Playa」から
図の説明(南北・東西に共通)
1、
卓状岩 2、基盤岩 3、プラヤ シルト 4、抗に埋め戻されたシルト 5、彫刻された岩 6、薄層化された砂とシルト 7、表面の岩 8、乾燥した裂け目を埋める黄ばんだ砂 9、風成砂
茶色のものは写真が有ります。             「Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.509から         


参考図

上の二つの断面図の部分を更にワイドに描いたものです。切り口は「南西-北東」ですが。「4a」は20図の「5 彫刻された岩」です。

Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.505から

第24図:表面の岩(20図の「7」)の2枚の写真

左は「SATELLITE IMAGERY MEASURES OF THE ASTRONOMICALLY ALIGNED MEGALITHS AT NABTA PLAYA」p.5の写真を裏焼きしたものです。右の断面を上方から見ると同一であることが明らかです。ただ、隣接する左の岩との関係が異なることが不可解ですが。



牛の石塚                                                                                                               Topへ
第25図:埋葬された牛骨の塚の表面 (E-94-1N)(発掘前)           戻る 第26図:埋葬された牛骨 (E-94-1N)                         戻る

Nabta Playa and Its Role in Northeastern African Prehistory」p.13から

メジャーは1mです。 The Megaliths of Nabta Playa」p.12から


※埋葬状態の図

Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.470から



一本の石柱・人骨                                                                                                      Topへ
第27図:一本の石柱(Monolith)     戻る 第28-1図:人骨(「E-91-1」&「E-77-1」) 第28-2図:その頭蓋骨部分(「E-91-1」のみ) 戻る            第29図:ジェベル・ラムラでは(E-01-2)

夏至の日を挟んで数日間は真っ直ぐ太陽を指し、影ができません。所在位置を特定する材料は第8図の「一本の石柱」のみです。 「NASA:Astronomy Picture of the Day」から

第27図の遠景です。ただし、円形に並んだ小石は最近の観光客の仕業です(T.Brophy氏談)。      「Atlantis Online」から
人骨はナブタ・プラヤではただ1個、「E-91-1」から出土しています。他に人の歯が2カ所から発掘されています。前5800~4800年頃です。
Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.522から



ナブタ・プラヤから西へ約8kmのジェベル・ナブタ遺跡の「E-77-1」にかなり不完全ながら、これが出土しています。前6800~6100年頃。
その他に、ジェベル・ラムラの墓地から、大量に発見されました。(右の第29図)

Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.435から

Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.527から


Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.526から

前4630~4340年頃の墓地です。


上図「Bur 8」の現物写真です。
Burial practices of the Final Neolithic pastoralists at Gebel Ramlah, Western Desert of Egypt」から


発掘された遺物たち                                                                    Topへ
第30図:発掘後の住居跡/住居の復元図(E-75-6) 第31図:住居の復元図(E-75-6)/炉 戻る 第32図:住居群(集落)の例(「E-75-6」から) 第33図:井戸の断面図(「E-75-9」から)
長さ:約7m、巾:約4.5m、深さ:約30cm
 Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.118から

Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠp.119から

住居が整然と二列に斜めに並んでいます。
     
Prehistoric settlements in the Nubian desert.」から
 
左の第32図に、「井戸」 と 「ウォークインの井戸」 が表示されています。後者の図は見当たりませんが、前者の断面図は近くの 「E-75-9」 のものが有ります。残念ながらナンバーの説明が欠如していますが、直径約30cm、深さ約1mの井戸をご想像ください。「E-75-6」 からは直径1.25m、深さ1.8mの井戸も発掘されています(B.C.7000年頃)。

Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.103、p.120から

イスラエルのシャール・ハゴラン遺跡の井戸の断面図(6300年B.C.頃)。(「渇きの考古学」p.59から    古代の井戸

Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠp.121から

炉の跡の断面図(E-92-7):3、炉の中身 4、三角州性砂のシルト 5、砂
Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.342から
 
第34-1図:石皿 第34-2図:石皿とすり石       戻る 第35-1図:繋牧用の石(E-77-1) 第35-2図:繋牧用の石Nuq' Maneihから)戻る
右図のようなすり石を用いてモロコシやキビなどをすり潰しました。E-94-2からの出土です。
Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.426から

左の石皿が右のすり石を覆うようにして保存された状態で発掘されました。手前のメジャーが1mですが、380×238×33mmが下記の本には例示されています。E-75-8からの出土です。
参考:The World Museum of Man and Prehistoryから

Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.382から

中央の凹みに繋牧用の綱を巻きつけるのです。Cは第34図の石皿が転用されたものです。
Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.449から

北サハラのNuq' Maneih playa出土です。Yale大のサイト」から  

第36-1図:ダチョウの卵殻ボトルの一部戻る 第36-2図:ダチョウの卵殻のビーズ 第36-3図:エゼリアガイの小皿  戻る 第36-4図:ダチョウの卵殻、象牙細工、骨細工

「E-91-3」「E-91-4」から出土しています。初期新石器時代の、前8800年頃からの「El Adam」の時期から有ったものです。Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.80から

現在のカラハリ砂漠で、コイコイ族の人がダチョウの卵殻をボトルとして使用しています。写真は吞み口が小さいですが、ボトルは上図のように、もっと広口です。「Getty Image」から 

ビーズ製作の途中段階の卵殻です。Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.280から
a、b、cが完成品です。上図共に「E-91-1」出土、「Al Jerar」のものです。「Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.264から

これは「E-75-9」の約600m北で、2006年に発掘された「E-06-1」から出土した完成品です。年代は「El Adam」の前8500年~8000年頃です。Hunter–Gatherer Cattle-Keepers of Early Neolithic El Adam Type from Nabta Playa」から
山崎育子氏ブログ「ナイルストーリー」参照

貝殻の周囲のドットは、人手が加えられたことを示しています。
「E-91-1」からの出土です。初期新石器時代の、前6700年頃からの「Al Jerar」の時期から有ったものです。Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.264から改変


エゼリアガイ(Nile Oyster)
カーネギー自然史博物館」から

注:a=変な卵殻 b,c=装飾付きの象牙のカケラ d~h,j=ダチョウの卵殻のボトルのカケラ i=特大のダチョウの卵殻ビーズ。「E-75-8」出土、「Ru'at El Baqar」前5400~4650年頃。 「Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.380から

  注:哺乳動物の骨で作った、錐または飛び道具の尖頭器。「E-75-8」出土、「「Ru'at El Baqar」前5400~4650年頃Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.399から


石器・土器類
                                                                                                                Topへ
第37-1図:石器類(E-75-6)   戻る 第37-2図:石器類(E-75-8) 第38-1図: ナブタ・プラヤの土器   戻る 第38-2図:カルトゥーム中石器文化の土器
初期新石器時代の石器類(「E-75-6」)
a~i :石刃(峰付き) j~m : 三角石器 n~o : 穴あけ器p : オウナン尖頭器(矢尻)(Ounan point)q、t~v : ノッチ片r~s : 連続加工石器(continuous retouch)
Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.128から

中・後期新石器時代の石器類(「E-75-8」)
a、j
穴あけ器 b : 尖頭器 c、d、e : 三日月状石器 f、o : 抉入石器、ノッチ g、i、k : 鋸歯状石器 h : ノッチ片 l、u : ジスコイド石核 m : アテール型(柄付き)尖頭器 n : その他 p、t : 端削器、エンド・スクレーパー q: ビュラン(彫刻刀、刻器、彫器) r、s : 連続加工石器Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.406から                「ナブタ・プラヤの石器」
 
※初期新石器時代(E-91-1)
abcd、●最古の土器片
中期新石器時代(E-75-8)ef
後期新石器時代(E-75-8)g h、(参考図
Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.535から


エジプトの考古学」から一部改変

<38-1図から38-4図の「文様の類似」にご注目ください。なお各文化の年代はこの表をご参照ください。場所は38-6図で。>

エジプト文明の誕生」から一部改変
第38-3図:ワーディ・ハルファ出土の土器

エジプトの考古学」から一部改変

第38-4図:カルトゥーム新石器文化の土器戻る 第38-6図:古代のヌビア地図 第39-1図ナブタ・プラヤの黒頂土器    戻る 第39-3図ナカダⅠ期の黒頂・赤色磨研土器

エジプトの考古学」から一部改変

第38-5図:土器を復元した場合の断面図

この図では実寸が分かりませんが、換算すると、1、3の直径はそれぞれ約28.3cm、約36.2cmになります。
Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.350から

一般的にアスワンの第 1 急湍 から南の第 4 急湍付近までを「ヌビア」と言います。下流のエジプト領「下ヌビア (古代名ワワト)」と上流のスーダン領「上ヌビア (古代名クシュ)」 とに分けられています。
      「古代エジプト文化の形成と拡散」p.128から一部改変

ジェベル・ラムラ出土「Burial practices of the Final Neolithic pastoralists at Gebel Ramlah」から

E-75-8出土
Nabta Playa Black-topped pottery」から
参考⇒山崎育子氏「ナイルストーリー」:大英博物館から 

Em Hotep」から
第39-2図バダリ文化の黒頂土器 第39-4図ナカダⅡ期の黒頂・赤色磨研土器

Interpretation Images」から
 
考古用語辞典」から          「ナブタ・プラヤの土器」


                                                                                  Topへ
動物関係出土品
第40-1図:動物遺物年代別一覧表 戻る 第40-3図:海産巻貝類 第40-4図:淡水二枚貝類     戻る 第40-7図:哺乳類たち
Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.610、611から
第40-2図:魚類
 
         ナイルアカメBigfishsweden.com」から

タカラガイshells-of-aquarius.com」から


トンボガイKOGHISBERG's Collections」から


イモガイウィキペディア」から

イシガイ目MUSSELp」から


シジミ属Israel's Nature Site」から

アラゲジリス東アフリカ とりぐらし」から


ドルカスガゼルZoochat.com」から


バーバリシープAnimalSpot」から
第40-5図:淡水巻貝

ヒラマキガイ科Israel's Nature Site」から
第40-6図:陸産巻貝

オカクチキレガイNatural History Museum


                                                                                                                           Topへ
植物類
第41-1図:主な植物類(「E-75-6」から)                              戻る 第41-3図:一覧表-1                                 戻る

アルファベット順 Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.550から  主な植物の用途の一覧表同著p.589から

ニセムラサキWild Flowers of Israel」から


カリーラTreck Nature」から


Maerua CrassifoliaFeedipedia」から

スコウイア・プルプレアCJV」から


ハマスゲDramyNeuzil.Com」から


ミレット-1キングサウード大HP」(左スクロール)から(参考
第41-2図:炭化して出土したソルガム(左)とミレット(右)の粒 (「E-75-6」から)
                         Holocene Settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.555、p.558から 
 
                                                                                                                              Topへ
第41-4図:一覧表-2                                                                                                               戻る

ミレット-2キングサウード大HP」(左スクロール)から(参考


ソルガムAlterVista」から


アカシア・エーレンベルギアナAfricaMuseum」から(参考

アラビアゴムモドキFlora of Zimbabwe」から(参考


センナWikipedia」から

ルリスイレンThe International Waterlily Collection」から

ナハカノコソウWikimedia」から


キリストノイバラFlickr.com」から


ハブラシノキWikimedia」から

イヌホオズキWikipedia」から


ギョリュウWikipedia」から


ヒメガマWestAfricanPlants」から



ジェベル・ラムラ(ナブタ・プラヤの約20km北西)からの出土品                                                                            Topへ
第42図:ジェベル・ラムラの土器  第43図:ジェベル・ラムラの生活用品   戻る 第44-1図:ジェベル・ラムラの装飾品Ⅰ 第44-2図:ジェベル・ラムラの装飾品Ⅱ  戻る

小型のポット

骨製の「Magic Knife(用途不明です)」
(参考:"Magic Wand"



骨製のウシの鼻栓

骨製の針

ウシの角から作った容器
 
象牙から作ったブレスレット

アマオブネ種(海産巻貝)から作ったビーズ

腎杯状のビーカー

雲母で作ったピラニア


第42-1図から第44図まで全て、ナブタ・プラヤから約20kmの所にある遺跡「ジェベル・ラムラ」で出土。
Burial practices of the Final Neolithic pastoralists at Gebel Ramlah, Western Desert of Egypt」から 

紅海の貝殻から作ったブレスレット 



古代エジプトの時代区分と諸文化名    戻る                                                                                  Topへ
第45図:西部砂漠の時代区分と諸文化   第46図:時代区分と諸文化 Ⅰ   第46図:時代区分と諸文化 Ⅱ  戻る 第47図:古代アフリカの時代区分

対角線状に続く+の列は、約170個の出土遺物の年代(炭素14年代測定法B.P.による)を並べたものです。+の横線は年代の幅を示しています。
なお約170個の「出土遺物の一覧表」はこちらです。

Middle holocene environments of north and east africa, with special emphasis on the African Sahara」から改変


Reconsidering the emergence of social complexity in early Saharan pastoral societies, 5000 – 2500 B.C. 」から

「bp」 から 「B.C.」へ変換する場合の参考に・・・
「bp、cal BP、BC 換算表」

CalPal-OnlineBP⇒BC換算ツール
注:「A-グループ文化」は第50-2図参照。年代は筆者の纏め。
           エジプト文明の誕生」から一部改変

B.C.とB.P.の対象表示が正確です。Science 313から

The Archaeology of the First Farmer-Herders in Egyptから
 参考: 「Supra-regional concepts in Near Eastern Neolithisation from a viewpoint of Egyptian Neolithic research
Predynastic Egypt」から一部改変


(附)アフリカの石器時代の表示

               人類がたどってきた道」から

 
出典喪失・調査中

注:はいずれも、エジプトの古代文化の年代を示すものです。しかし、これは文字の無い頃なので、様々な学説が定着していません。出来るだけ信頼性の高いものに絞ったつもりですので、ご検討の参考になさってください。


出土遺跡の分布図                                                                                                    Topへ
第49図:牧畜と栽培の開始   戻る 第50-1:北アフリカの雨量と地勢    第51図:アフリカの石器の出土遺跡     戻る 第52-2図:アフリカの石器製作伝統の編年表

※注:右下の50-3図を参照。遺跡のリスト
            
Cattle Before Cropsから一部改変

              Cattle Before Cropsから

         Cattle Before Cropsから一部改変
第50-2図北アフリカの動物の遺物が出る遺跡 ※ヌビアAグループ文化」はこの図アスワンからトゥルムキの辺りまでとされています。
Holocene Settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.484から改変
第50-3:北アフリカの牛の遺物の分布図

Droughts, Food and Culture」p.15からから

            「The revolution that wasn’t」から

第52-1図:北アフリカの土器の出土遺跡と年代  

The emergence of pottery in Africa during the 10th millennium calBC: new evidence from Ounjougou (Mali)」から      
1
        交替劇 5」p.13から
2
           「交替劇 5」p.12~から「MIS」とは?
 


古代エジプト地図                                                                                                             Topへ
第53図:古代エジプト地図   戻る 第54図:古代エジプト地図(英語版) 第55図:古代エジプト地図Ⅰ(含西部砂漠・英語版) 第57図-1:古代エジプト・ヌビア地図   戻る

            世界考古学事典下巻」から

特大サイズ(1,577 × 3,219 )Wikipediaから

Burial practices of the Final Neolithic pastoralists at Gebel Ramlah」から
第56図:古代エジプト地図Ⅱ(含西部砂漠・英語版) 第57図-2:古代のヌビア地図(再掲)

The Archaeology of the First Farmer-Herders in Egyptから

    「Egyptian Prehistory」から



農耕関係                                                                                                          Topへ
第58図:ソルガム 第59-1図:農耕の図―ナクトの墓の壁画  戻る 第59-2図:同―センネジェム夫妻の墓の壁画から 第59-3図:同―「死者の書」から  戻る

1:殻のない粒 2:2個の小穂(しょうすい=spikelet)と、はがれ落ちた、包頴(ほうえい=glume)のかけら。(「E-75-6」から出土)
Holocene Settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.558から

下の壁画の右下の一部      「Flickriver」から       

B.C.1420年頃、トトメス四世の時代「Ancient Egypt」から

下の壁画の三段目の一部  「Diet-Health.info」から


B.C.1318~1237年頃、第19王朝の時代 「Liste Phoenix」から

下の右図の四段目の一部   「Flickr.com」から


B.C.1318~1237年頃  「The British Museum.」から



社会と文化関係                                                                                                 Topへ
第60図:社会の種類の進歩         戻る 第61図:アフリカ大陸での「現代人的行動」 第62図:日本列島での「現代人的行動」                               戻る  

ナブタ・プラヤの居住人口について記したものは見当たりません。建造物の規模から察すると、数千人は居たと思われますが、これは一時的に祭儀場へ集まってきた人数でしょう。社会の規模は「トライブ」だと思います。           「銃・病原菌・鉄」から

           ヒトの進化七〇〇万年史」p.200から

上図の遺物に表れる「現代人的行動」(左)と、その「原動力」(右)
原文
原文The revolution that wasn’t」、「人類がたどってきた道」から)

人類の起源と進化Vol.44-10」p.153)から




参考資料                                                                                                                      Topへ
第64図:ギルフ・ケビールの壁画   戻る 第65図:参考:ギョベクリ・テペ遺跡 第66図:ブランシャールの骨の板   戻る 第67図:ジェフティホテプの墓にある壁画

ギルフ・ケビール高原の「Magharat el Kantara」(第55図)にあります。「Desertegyptsafari.com」から

The Archaeology of Egypt's Deserts」から

The Libyan Desert」から

The Libyan Desert」から
←画像が豊富です

Eau-Libre」から    参考:英隆行写真集  

wondercabinet」から



上図のようなサークルが約20個集まって、一つの山を形作っています。Wikipedia」から


右は拡大図。頭を下にすることで、生命感を呼び出しています。
Openhandweb.org」から



ハゲワシやサソリや野猪など様々な動物が描かれていて、多くの憶測を呼んでいます。
Ancientmisteryから
「脳の進化(Evolution of the Brain)」の表紙と、表紙絵の説明(概略:表紙写真、フランス、ブランシャールの銘板は、約30000年前のもので、月面の変化を2ヶ月余に渡って記録しています。これに比肩するものは以後数千年間、現れませんでした。ホモサピエンスの最初の概念表現です。) Amazon.com」から

ブランシャールの銘板

New APPS」から         参考:「Cabinet


Old European culture」から
エジプトのエル・ベルシャにある、第12王朝のジェフティホテプ(Djehoutihetep:前1900年頃、アメンエムハトⅡ、センウセルトⅡの治下の知事)の墓の壁画の一部(25㎝×20㎝)。この絵は巨大な像を橇に乗せて、72人で縄で引っぱっている場面です。橇の下に水または油を注いで滑りやすくしているのが描かれています。第59図と違って、全くウシの姿がありません。

再現イラスト「Wikipedia」から




                                                                                                       Topへ
年  表 : ナ ブ タ・プ ラ ヤ の 略 史
年  表 : ナ ブ タ・プ ラ ヤ の 略 史
 時     代 文化の呼称(東サハラ)  年     代 主  な  出  来  事
前期石器時代(ESA)  ―  約260万年前~15万年前  ―
中期石器時代(MSA)  ―  約15万年前~5万年前  ―
後期石器時代(LSA)  ―  約5万年前~紀元前1万年頃 約16500年前~紀元前800年頃、日本は縄文時代。以後紀元250年頃まで弥生時代。
終末期旧石器時代
(ヤンガードリアス期)
 ―  前10900年頃~9500年頃 最終氷期から温暖化へ向かった直後再び短い寒冷期が襲ってきた。農耕はこの時期が終わってから始まった。
初期新石器時代 El Adam  前9000年頃~前7700年頃 夏のモンスーンが中央アフリカから北へ移動して、極乾燥地に雨をもたらした。そこでウシを家畜とし、土器を作る遊牧民が住み始めた。
極乾燥期  前7700年頃~前7570年頃  完全な渇水のため、人々は他の土地へ移住した。 
El Ghorab   前7570年頃~前7200年頃 住居(小屋・炉)が出来、集落が整備され、ソルガムミレットなどの栽培が始まった。
極乾燥期  前7200年頃~前7050年頃  完全な渇水のため、人々は他の土地へ移住した。 
El Nabta 前7050年頃~前6800年頃 集落に井戸が造られた。
Al Jerar 前6800年頃~前6100年頃 ウォークイン方式の井戸が掘られ、一年を通じて住めるようになった。牧畜を証明する「繋牧用の石」が用いられた。
極乾燥期   ― 前6100年頃~前5900年頃  完全な渇水のため、人々は他の土地へ移住した。 
中期新石器時代 Ru'at El Ghanam
(「羊・山羊飼い」の意味) 
前5900年頃~前5500年頃 西岸に周辺の各地から人が集まって祭儀場で集会や儀式が開かれるようになった。ヒツジヤギが現れたが、これは南西アジアから伝わったものとされている。
極乾燥期   ―  前5500年頃~前5400年頃  完全な渇水のため、人々は他の土地へ移住した。 
後期新石器時代 Ru'at El Baqar
(「牛飼い」の意味)
 
前5400年頃 ウシを埋葬した石塚が作られた。指導者層や階級組織が現れ始めた。
前4860年頃 カレンダー・サークル(環状列石)が作られた。この頃1本の石柱が作られた(推測)。
前4800年頃 複合建造物A(E-96-1A)が作られた。
極乾燥期   ―  前4650年頃前4500年頃 完全な渇水のため、人々は他の土地へ移住した。 
末期新石器時代 Bunat El Asnam
(「巨石建造者」の意味)
(参考:図表集第45図~)
 
前4500年頃~前3600年頃 列石(A1、A2、A3、B1、B2)が作られた。
前3600年頃 複合建造物E(E-96-1E)が作られた。
前3300年頃 極乾燥となったため人々は去り、南方やナイル流域へと移動した。ここで培われた文化もそれに随伴し、王朝時代に影響を与えたと推測されている。
青銅器時代  ―  前3100年頃~ メネスが上下エジプトを統一し、第一王朝が始まった。
現    代  ―  紀元1973年 F.ウェンドルフらが発見、翌1974年にCPEによって、調査が開始された。
紀元1998年 M.マルヴィル、F.ウェンドルフらが「Nature誌」に調査結果を発表。
赤線は極乾燥期を示します=この間、無居住状態(1回が約100~200年間)となったのです。            ※クリックしてください⇒【時代別・年代別の遺物分布状況】
年代はM.マルヴィル他著「ナブタ・プラヤの天文学」(2007年)によります。縄文時代、弥生時代の年代は「詳説日本史」(山川出版社:2014年)によります。
「石器時代」、「文化の呼称」は、M.マルヴィル他著「Nature 392」 、F.ウェンドルフ他著Middle holocene environments of north and east africa, with special emphasis on the African Sahara」、近藤二郎著「エジプトの考古学」、高宮いづみ著「古代エジプト文明社会の形成」およびShirai Noriyuki著The Archaeology of the First Farmer-Herders in Egypt」によっています。
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