カレンダー・サークル
(E-92-9)
についての考察
「ナブタ・プラヤ図表集」から
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ナブタ・プラヤ
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Ⅰ復元されたもの                                                                Topへ
第12-1図:復元図 (E-92-9)                戻る 第12-2図:レプリカ写真(E-92-9)               戻る     

直径が約4mを切ります。大相撲の土俵が4.55mですからそれより一回り小さいです。第15-2図ののR.シルトと比べてください。
斜めの直線は(6000年前の頃の)夏至に太陽が昇る位置を指しています。
これは、1992年ApplegateとZedeñoによって再構築・イラスト化されました。         
 「Black Genesis: The Prehistoric Origins of Ancient Egypt」p.16から


第13図:設置された小山のの断面図  (E-92-9)

※図の解説 : a、古い砂丘 b、プラヤのシルト c、最後の遺物 d、最近の堆積物 e、最近の溝   Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」p.37から

これがよく見られる写真ですが、しかしヌビア博物館の中庭にあるレプリカです。ここに立てられている石柱の形状は、非常に現物に忠実だと思われます。次の「原形についての考察」に際して、参考になさってください。
左の第12-1図とは南北が逆になっています。なお円の内部に立っている石の復元は正確ではありません。
   「Wikipedia」から

第12-3図:レプリカ写真の遠景

これは冬至の日に撮影した遠景です。影が見事に南西の門から北東の門へ貫いています(上の写真と左右が逆です)。   「The Astronomy of Pre-Dynastic Egyptから

ヌビア博物館の中庭にあるレプリカの詳細(日本アラブ協会:山崎育子氏及び田中謙一郎氏ご提供による)



Ⅱ原形についての考察
(撮影アングルや撮影年の違う、多くの写真を整理してみました)                                       Topへ                    
第14-1図:最も権威有る書物に掲載されている写真(2001年刊)   第14-2図:左と同時期(一)                  戻る 第14-3図:左と同時期(二) ☆北(の門)×0・南×1・北東×1・南西×2
上の白い部分は空か、奥の砂丘かが不明確です。クリックして全体図をご参照ください。第15図①と見比べると奥の砂丘と思えます。撮影年月日は記して有りません、南東を向いて写した旨(=「Looking southeast」)、注記がありますが筆者は北北東を向いて写したと推定します。夕日にしては影が短すぎますし。
この撮影地点から左へ数歩移動すると、第14-4図の①と④のアングル、②と③の裏焼きのアングルになると、筆者は推察します。
特に手前に横たわっている特徴有る石にご注目下さい。なので、第14図-1の写真と、第14-4図の4枚の写真には、同一の状態の「カレンダー・サークル」が撮影されていると結論できます。
これとよく似た、ほぼ同サイズのカラー写真が、下の第14-4図の④の拡大写真です。両者を比較して下さい。影から推測してこの写真のアングルが正しいと確認できます。
Holocene settlement of the Egyptian SaharaⅠ」(2001年刊)p.465から
この写真は珍しくF.ウェンドルフが撮影しています。左の写真と同時期に撮影したのではないかと思われます。中央の白い旗が同じです。左の写真の「全体図」と比較してみてください。左の写真の撮影位置から、数歩右へ行ったところから、撮影しています。ほぼ真北を向いて撮影したのではないかと思います。 「An Introduction to the Archaeology of Ancient Egypt」から このアングルから見ると「倒れた北東の門」と「倒れた南の門」と推察できる石柱が確認できます。第12図-2図の「レプリカ」は、相当実物に近く製作されていると思われます。なので、写真の中の石柱の特定に、かなり有用だと思います。「Egyptsearch Reloaded」から



第14図のこれらの一連の写真は、第15図の⑤、⑥と同じ「石の状態」=「荒らされる前の、最後の状態」です。


第14-4図:Nature誌に発表した写真&同種の写真(=「石の状態」は上の第14-1・2・3図と同じです=「荒らされる前の、最後の状態」      ☆北(の門)×0・南×1・北東×1・南西×2         戻る

最初の発表で「Nature」誌に掲載された写真です。撮影年は特定できません。の複写・モノクロ版でしょう。
Nature 392号1998年刊)」から一部改変

これは左の写真の裏焼き・カラー版ですが、関係は不明です。恐らくは左が原版で、撮影は1998年かそれ以前なのでしょう。「Nature」誌に掲載するためにモノクロ化したのでしょう。「Astronomy of Nabta Playa」p.5(2007年刊)から


これのカラー版が左のです。これも裏焼きだと推察します。
African Cultural Astronomyの中の「The Astronomical Gnomon」p.41(2008年刊)から

「M.マルヴィルが1997年1月に撮影」と解説があります。拡大して、第14-1図と照合すると、ほぼ同じ状態が確認できます。「国立アフリカ美術館HP」から



Ⅲ変化の経緯                                                                                                         Topへ
第15図:最も古く撮影された写真=「最も原型に近い状態」                                                              戻る
最も古い状態       ☆北(の門)×2・南×1・北東×2・南西×2

この写真は掲載サイトでは裏返しになっています。恐らく右の写真と同時に撮られたものと判断して、ここでは裏焼きして掲載しています。
日光の方向も、原写真では西から差していることになりますから。掲載サイトにはR.シルトの名はありますが、撮影日も撮影者も記載されて
いません。筆者の想像ではこれと右のは同時に撮られたと推測しています。この2枚が最も古く正確な写真だと思われます。「南の門」が
1本失われている以外は、全て揃っていますから。

ここで不思議なのは、右の写真に「1999年・冬」とクレジットが付されていることです。1998年に掲載された「Nature 392号」の写真より
前に撮られたと言うことは、「北の門」、「北東の門」が健在であることから明かです。なので右の写真に付された「Black Genesis」の「1999年
・冬」が間違っていると判断できます。しかし、残念ながら撮影年を特定出来る資料がありません。

                                                          「
Empiria Magazin.com」から一部改変
左の写真と同時期のもの    ☆北(の門)×2・南×1・北東×2・南西×2

これは左の写真と同時に撮影されたと推測されます。の撮影箇所より斜め右前へ数歩進んで、ほぼ
「北」から「南」を向いてシャッターを押しています。人物はR.シルトです(1999年・冬
)。R.シルトが両手
で挟み持っているのが「南の門」の残っている片方です。(撮影:Juergen Kroenig)「Black Genesis」p.15から改変
北の門が倒れた     ☆北(の門)×0・南×1・北東×2・南西×2

これはの写真と見比べながらご覧ください。撮影箇所はの写真の撮影位置よりやや左へ寄った
所でしょう。「北東」から「南西」を向いて撮影しています。手前の2本の直立した石柱は「北東の門」、一番
奥のやや左の2本の石柱が「南西の門」です。左端の1本は「南の門」の片方で、右端に倒れているのが
「北の門」であると「The Origin Map」には書いてあります(p.152)。
                              「
The Origin Map」p.151から一部改変
北東の門の1本が倒れた    ☆北(の門)×0・南×1・北東×1・南西×2

上のの写真の「北東の門」の長い方が左へ倒れています。それ以外はほぼ同じなのですが、
奇妙なことに原本の写真説明ではそれを「南西の門」としています。クリックしてご覧下さい。撮影は2003年
ですから、未だ「荒らし行為(vandalization)」の被害は受けていないのかも知れません。
                         「Black Genesis」p.310から改変
参考:南西の門

これは「サークル」の内側から撮影していると思われます。2本の
長さからそう推測されます。
          「The Astronomy of Pre-Dynastic Egypt」から
倒れた北東の門が特定不能? ☆北×0・南×1・北東×1・南西×2
 
上の写真と見比べると中央の「北東の門」の細長い石柱の1が特定できないこと以外は
ほぼ同じです。の「北東の門」の倒れた石が持ち去られています。撮影位置はから右奥へ
数歩移動した所でしょう。右奥に「南西の門」が有ります。


この図と右の図の「石の状態」が、
「荒らされる前の、最後の状態」です。これが第14図の4
種類と同一の状態です。「ピラミッドへの道」p.63、「
The Origin of Egyptian Civilization」から
同左「荒らされる前の、最後の状態」    
左のを向こう側から見た場合です。拡大図で「倒れ
た北東の門」が識別できます。

    The Astronomy of Pre-Dynastic Egypt」から
結論:ではどれが最も原形に近い写真か?

(一)第15図のが同一の状態のカレンダー・サークルを撮影しています。「北東の門」
と「北の門」が2本揃っています。

(二)
第15図のでは「北の門」が倒れています。では「北東の門」の1本(尖端が尖った
長い方の石柱)が倒れ、では失われています。


(三)
第14-1図・2図・3図・4図は上に記したとおり、撮影地点がややずれているだけで、
「石の状態」は第15図の⑤、と同じです。


(四)第15図の⑤、「石の状態」は同じなのですが、撮影場所が南北逆になっているの
この図を見ると分かり易くなります。図1の左端の「北東の門」の残った方から一番奥の
「南の門」の残った方までの3本にご注目下さい。次に図2の右端の「南の門」から中央一番奥
の「北東の門」までの3本です。これを元に他の石の配置を見ていくと、南北逆の位置からの
撮影であることが分かります。


(五)
第15図のだけに「北の門」が健在です。これが
現存する「最も古く、原形に
近い状態」
でしょう。



Ⅳ荒らされた後の状態
                                                                                                      Topへ
第16図:現在の写真                 戻る 第17図:現在の写真                戻る
これがよく見られる現地写真です(2008年by Brophy)。但し変更や再構築の形跡が多いので原型にはほど遠い旨、注記されています。                   Black Genesisp.311」にモノクロ版あり

※注意:現在の写真(Ⅰ、)について

ご覧のように出典は明かでも撮影年月や撮影者や撮影アングルが不明なものも多く、更にBrophy氏、Bauval氏などが「GrahamHancock.com」でも報じているように、盗掘者などが岩を持ち去ったり破壊したりしていますので、現在の状態は把握できない状況です。
                         
Black Genesis:The Prehistoric Origin of Ancient Egypt」p.306~から。

2007年ボーヴァル、2008年ブロフィーが撮った写真の比較。
荒らされた跡が歴然です。
 詳細説明→「GrahamHancock.com
奥の3本の石の位置から、上の右の写真の右方向からの撮影と思われます。「The Hall of Maat」(2008年 by Bauval)から この写真はいくつかのサイトで見られますが、荒らされた後であることは明らかです。第16図か第17図上・左図のどちらかでしょう。人物はボーヴァルです。「crystalinks」から

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