ひこばえ俳句会 俳句作りのノート


   俳句作りに   



2024,10月号 つい手拍子の 助動詞「り」

 「り」は、つい間違いやすい助動詞です。編集でも助動詞「り」(連体形は「る」)の間違いを見かけます。
次の例は間違いが入っていますが、いかがでしょう。
 1見れり  2残れり 3老ゆれり 4植ゑり
 5着れり  6受けり 7思へり  8咲けり
 9静まれり 10捨てり 11果てり 12聞こえり
 助動詞「り」は動詞の「サ行変格活用の未然形」か「四段活用の已然形」にしか付きません。
 簡単な四段活用の動詞の判別は、その動詞に未然形を作る「ず」を付けて、動詞の最後の音が五十音表の一段目(あ段)になれば四段活用です。
 例えば「越ゆ」なら「越やず」とは言わず「越えず」なので「越えり」は間違い。「書く」なら「書かず」となるので「書けり」は正解です。
右記の例の正しい使い方は、2、7、8、9です。
助動詞「り」を使う時は、分かっていても、辞書、電子辞書、スマホなどで確認してはどうでしょうか。

2024,5月号 つい手拍子の ウ音便、イ音便

投句箋に、つい手拍子のウ音便、イ音便の間違いが見られます。音で読めば、違和感は無いのでつい勘違いをするのです。

  ☓ 添ふて、追ふて、咲ひて、書ひて
     ↓   ↓   ↓   ↓
  〇 添ひて、追ひて、咲きて、書きて
     ↓   ↓   ↓   ↓
音便〇 添うて、追うて、咲いて、書いて

 助詞「て」には必ず連用形が接続します。
そして、音便変化する動詞は、四段活用の動詞に限ります。
ハ行の動詞「添ふ」の連用形は、五十音表ハ行(ハヒフへホ)の二段目(ヒ)が語尾になり、「添ひて」になります。
カ行の動詞「咲く」の連用形は、五十音表カ行(カキクケコ)の二段目(キ)が語尾になり、「咲きて」になります。咲ひては、ハ行とカ行の錯覚です。
 音便にするかどうかは、作者の自由ですが、もう一度見直しが必要です。

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「一ロメモ」    (通巻634号)
「俳句と器」・某雑誌で京料理の料理人と陶器店の店主と のやり取りを知ることが出来た。その話の中で「料理は器で決まる」と、料理人が店主に伝 えていた。考えて見ると、「俳句」にも器が大切であると思った。俳句の器は「季語」であるとすれば、俳句の材料がいくら良く ても「器・季語」がその材料にそぐわなければ、「料理」が 崩れるのと同じように、俳句が崩れるのであると会話からヒントを得た。
                (洋二)
「新兵庫吟行案内」より・(俳人協会刊)
神戸市(長田神社)
 追灘鬼みそぎて浦の潮匂ふ  小河洋二
神戸市(六甲)
 ほととぎす牧場のチーズ熟成す 大平静代
神戸市(摩耶山)
 故郷の海を遠見の摩耶詣    小河洋二
川西市(多田神社)
 天を指す木の芽やここに多田源氏 大平静代

仮名使い便利帳       (通巻635号 )
○「え・ゑ」への用法
え・あ行)得・心得(二語)
(や行)甘え、癒え・噺え・怯え・覚え・消え
   聞こえ・越え・肥え・凍え・冴え
   栄え・饐え・聳え・絶え・費え・潰え
   萎え・煮え・生え・映え・冷え・殖え
   吠え・見え・燃え・萌え・悶え
               (二十八語)
○「い・ゐ・ひ」の用法  い
(や行)老い・悔い・報い(三語)
ゐ(わ行)居る・率る(率ゐる)(二語)
ひ・前記の「い・ゐ」以外はすべて「ひ」と書く。
ゑ・(わ行)植ゑ・飢ゑ・据ゑ(三語)
へ・前記の「え・ゑ」以外はすべて「へ」と書く。
○参考にして出句箋等に間違いの無きように。
             (編集部)


「 秋の珍しい季語」・角川「俳句大歳時記」より・(通巻639号)
 『海螺廻し』(ばいまはし)
  「ばいばいごま・ばいごま・ばい独楽・海螺打ち・強 海螺・勝海螺・負け海螺」
 海螺貝を使った独楽廻し。古くは重陽の頃の遊びとし て普及したもので、かつては大人も興じた。
 江戸時代、関西地方で盛んだったといわれる。もとも とは海螺貝の殼を下半分壊し、そこに砂や溶けた鉛を流 し込んだあと、断面を蝋などで固め塞ぎ、朱などを塗っ て作った。  近代以降は鋳鉄製で、名残として海螺貝の渦巻き模様 が彫られている。  桶や盥に敷いた茣蓙などの上で廻し、相手の独楽を弾 き飛ばしては、優劣を競い遊んだ。
 今も、時折り海螺廻しをしていることがあるようだ。
 顔あつめ写楽となりてばいまはし 高島 征夫
 茣蓙持ちて負海螺独楽と帰り来し    洋二
 負けた海螺独楽を、路面で角を鋭く削り、次は勝海螺 にすると思った記憶が残っている。その頃は「ゴミ箱・ ミカン箱」に茣蓙を敷いて遊んだ。

季語を歩く  講師 小河洋二(通巻641号)
 今回「季語を歩く」に 就き、歳時記に載っている季語で失われつつあるものに焦点をあてて歩いてみたい。
  「白魚」白魚舟
熊野地方(勝浦駅付近太田川)に潮が差し白波がよく伸び海が明るくなる頃、白魚漁・四つ手網が始まる。網を揚げる度にピチピチ跳ねる白魚を杓で掬う漁り法。この風景も今では稀になった。
  「田舟」田植舟  国道42号線傍・古座町と那智勝浦町境界辺りの10枚ばかりの湿地帯の田圃に小舟を漕ぎ出し、田を植えている光景を見ることが出来る。最近では田圃全体に電気柵が設けられ、こんな処にまで鹿・猪が出るのかと驚かされた。むろん稲刈期も田舟は出ていた。
  「夜振」夜振火  6月下旬頃から行われる。闇夜に灯りを振り川魚を獲る漁。一部の希望者のみに実施され、特定の旅館のみになったようだ。
  「虫送り」虫流し
 晩夏から初秋にかけ、蝗・浮塵子など害虫の悪霊を村から追い出すための行事。だがこの頃は、耕作人の老齢化と減少から(熊野丸山千枚田)では維持管理のための「田圃オーナー」制度が実施されている。この制度の取り入れで何とか田圃の管理が維持されている。
  「鯨」捕鯨  今でも太地町付近では沿岸捕鯨が行われ、捕れた鯨は町内販売されている。その他、百足・常節・那智火祭にも触れたかった。
 〈常節を採るに大島背負ひけり  洋二〉

(エコー)     (通巻641号)
俳誌「ひいらぎ」十一月号   岸本隆雄記
蝿叩き片手に昼の魚屋かな   小河 洋二
  (「俳句」2017・9月号「紀州路」より)
 大阪から東京に引越しをして、風習が違っている なと思ったことの一つに、魚屋での魚の買い方が あった。大阪では朝一番に店に行って魚を買うが、 関東では昼過ぎにならないと店頭に魚が並ばないこ とに気付いた。午後に入っても売れ残っている魚を 眺めつつ、蝿叩きを片手に、ぶらと歩き回る店 主の姿が目に浮かぶ。お気の毒でもあるが、ユーモ アも感じられる句。
俳誌「好日」十一月号     越野 雄治記
葭簾して鞴の炎色濃くしたり   小河 洋二
  「俳句」9月号「紀州路」より
 鍛冶屋の工房でのIコマ。鞴(ふいご)の把手を 押したり引いたりして炉内に空気を送り込んでい る。炉の炭火はさかんに燃えさかる。
 工房の入口に蔑簾が立て掛けてあり、直射日光は 遮られて中は薄暗く、炉の炎色がますます際立って 見える。工房内は、鉄錆や木炭で黒褐色に煤けてお り、炎や鉄の臭い、そして炉の炎の周辺から、金 床、火箸や鎚、などの道具類の黒々としたイメージ が次々に広がっていく。

「珍しい季語」角川「俳句大歳時記」より (通巻642号)
 『鮫』(さめ・鱶・葭切鮫・猫鮫・撞木鮫・青鮫
       虎鮫・鋸鮫
 軟骨漁、紡錘形で鰭が発達し凶暴。肉に臭気があるため、蒲鉾の原料として用い、鰭は中国料理で珍重されるところから、乾燥して用いる。
 鮫類を関西では「鱶」とよぶ。 *紀南地方では、「鰭」はかんそうし、身は日に干して食用とする。  干乾しの身を焼いて「酒の肴」にすると美味であるが、焼く際に「臭気」が漂うため「換気を十分に」して焼いた記憶がある。酒好きには欠かせない珍味である。
 風吹けば泣くてふ鱶の鰭を干す  平松 三平
 鱶鰭を熊野の風に干しにけり   小河 洋二

『俳句の参考資料として』 (通巻644号)
 平成七年頃の「ひこばえ」同人であった故北川止博氏の、俳句アドバイス資料が目にとまった。参考になるので要約補足して少し触れてみょう。
○向こう側の言葉・…
○こちら側の言葉・…
 向こう側の言葉とは:外界の森羅万象に名付けられた具象名詞で、眼に見える言葉であり、こちら側の言葉とは:愛とか、理想とか、観念、知識判断など外界に形をもたない抽象名詞である。俳句をするにあたり、向こう側の言葉だけを使えば視覚的な明瞭な実景として、まざまざと描くことが出来る。
 これに幾分でもこちら側の言葉を混入すると、具象性が稀薄になり観念化して理屈っぽくなる、緊密な言葉で具象化すれば見える実景を通じ、自己の心象を重層した風景として表現し得る。全体を具象名詞、具象動詞で固めた言葉で句作りをしたい。
 余り感心出来ない点をお互い同士が舐めあって、結社全体のパターン作りをしてしまっている形向かあるとすれば危い。
 お互い同士誉め合い先輩に迎合し悪い所をわからずに真似て行くと、一歩結社を出ると通用しない句となる。此の点心して作句に心がけるべきだと思う。
              北川 正博・記                                                   敏 子

後 記   (文中敬称略) (通巻644号)
 みづからの光りをたのみハツ手咲く 龍太
  『教えよう教えようとすればするほど智慧 の泉は涸れ学ぼう学ほうとすると智慧の泉は こんこんと湧いてくる』と、聞いたことがあ ります。伝える内容が何にせよ、教えよう、 伝えようという気持よりも、相手の声にひた すら耳を傾け、学ぼうとする姿勢のなかから 相手によく理解してもらえる言葉や心くば り、すなわち、自他をよりよく生かす智慧が 湧いてくるのだと思います。

  「…して」について  この頃無造作に「…して」が使われてい る。一例を挙げてみたい。
完走し大の字に見る天高し    … 某
 [評」一長距離を走り終えどっとゴールに倒れ込み仰向けに空を仰ぐ。 原句「完走して…寝て」だった。分かりやすいが、「して」をなるべく使わないことが句の要諦である。矢島渚男 選より。
 「して」[動詞「する」の連用形「し」に接続助詞「て」の付いたものから]格助詞。 動作の手段・方法などを表す。「で」の意味。           (敏子)

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