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           鞴  祭(ふいごまつり)

      元来、鍛冶屋、鋳物師、石工など鞴を使う職人が11月8日に金山彦命、金屋子神、天目一箇命などの守護神を御祭神として1年間の
      安全と仕事の繁栄を祈願した祭でしたが、そこから転じて現在は広く金属関係の方々も祝祭しております。


      私の修行した関では、この日は仕事が休みで、朝掃除をした後鞴の蓋をずらし餅をお供えし、夕刻には、四角粋に積み上げた木材を
      燃やしました。この組み上げた木の上に蜜柑が置いてあり火をつける事により皮がこげ真っ黒になります。
      この焼いた蜜柑を食べるとその冬、風邪をひかないそうです。


      鞴祭の起源には諸説ありますが、「鍛冶職由来縁起」という古文書には、こう記されています。

       神武天皇が筑紫国日向の高千穂の峰に登り、東の方をご覧になると夷敵が多く、これを平定しようと思われ、日天に向かって五百串を
       立て御祈りされると、天空から八頭の烏飛び来たり、先導すると東方へ飛立った。此れに従って出陣されると、国々から御味方に
       馳せ参じる陪臣が多く、備前の福岡まで軍を進めて着陣された。そしてこの里に鍛冶氏は居ないかと尋ねられ、味眞冶命、道臣命、
       椎根津彦命、天富命の軍勢に詮議されたところ、天津麻羅という鍛冶氏が居るということで彼を召出され、剣一千振、斧一千振を作るよう
       下命された。この時、又八頭の烏が丸鎖を銜えて飛び着たり、これを天津麻羅に与え、同時に天から鞴や金敷が降って来た。
       丁度この日が冬11月8日であり、天皇はしばらくこの地に行宮を設けて滞留された。
       この時、天皇は、46歳の御年であり、未だ即位される前のことである。天津麻羅は、鍛冶場を設け、剣、斧矛などの全ての物を作り
       献上したのである。天皇は、天津麻羅を鍛冶の庄として、天国の名を与えられた。
       以後、11月8日を鍛冶職の鞴祭として祝祭するようになったという。

           注) この中に出てくる烏とは、黒っぽい装束を着て、烏帽子を被った鍛冶屋や製鉄関係の技術者を指したと思われます。
              当時、製鉄や冶金技術は最先端の技術であり、武器の製作ばかりでは無く、鍬や鋤などの農耕具の生産も国を富ます上
              でとても重要であったと思われます。


       



   生國魂神社内鞴神社での奉納鍛錬   平成20年11月8日