1960年 |
昭和35年 |
ごく普通のサラリーマンの家庭に次男として生まれました。 神戸出身 |
何故「刀鍛冶」に? |
子供のころ、とにかく工作やプラモデルなど「モノ作り」が大好きでした。
高校に入って将来の進路を考えた時、漠然とですが、「モノ作り」をする仕事に
就きたいと思っておりました。
「日本刀」との接点は、家に一振りの刀がありました。
ある時、「日本刀」を作れたら凄いだろうなと思いました。高校2年の時でした。
高校を卒業したらすぐにでも「弟子入り」したいと思っていましたが、親に反対され
大学に進みました。
大学を出てサラリーマンになった方が安定した人生を送れるのは、わかっていましたが、
「刀を作りたい」という思いが一生、頭の片隅にあるだろうと思い、考えた挙句
「弟子入り」を決意しました。
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1983年 |
昭和58年 |
27代兼元金子孫六刀匠(岐阜県関市)に弟子入り |
関の孫六 |
室町時代、美濃の國に「兼元」という刀匠がおりました。
俗名を「孫六」といい、作った刀は、後に「関の孫六」という切れる刀の代名詞になりました。
私の師匠は、その兼元の27代目にあたります
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1989年 |
平成元年 |
文化庁主催美術刀剣刀匠技術保存研修会を終了 |
刀鍛冶になるには? |
現在、「刀」は、勝手に作る事は、できません。
「刀」を作るには、一振りごとに都道府県の教育委員会に「美術刀剣類製作承認申請書」
という書類を出します。
この書類を出す資格を得るためには、この資格を持っている刀鍛冶の下で5年以上修行を
していて、文化庁主催の研修会を終了していなければいけません。
内容は、「鎬造りの脇指」を一振り作ります。
技術や知識が基準に達していない受講生は、「研修の停止」になることがあります。
名前は、研修会ですが試験に相当するものです。
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1993年 |
平成5年 |
静岡県森町に鍛錬場を開設 |
縁あって静岡へ |
神戸の実家は、住宅地にあった為、鍛錬場を建てる「土地」を探す必要がありました。
当初、兵庫県内で探しておりましたが、なかなか思うような土地が見つからず、知り合いの
紹介で静岡県の森町で土地を借りて鍛錬場を建てました。
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2002年 |
平成14年 |
現在の丹波篠山市(当時は篠山市)今田町に鍛錬場を開設 |
2度目の「火入れ式」 |
静岡でずっと作刀するつもりでしたが、1995年(平成7年)に起きた「阪神淡路大震災」で
事態は、変わりました。
当時、神戸の実家には、両親だけで住んでおりました。
その後、老人二人だけの生活に不安を感じた両親は私に兵庫に戻って来るように言いました。
兵庫での「土地探し」の再開となりました。
随分色々な所を探しましたが、「丹波焼」の窯元さんの紹介で今の場所に落ち着きました。
鍛錬場を造った時に行う神事「火入れ式」を平成14年11月2日無事に終えました。
平成20年〜22年 全日本刀匠会理事、近畿地方支部支部長
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