|
国パルディの小部屋
NAPOLI MOBILISSIMA (4) 最終回
国パルディのナポリ滞在は、気が付くと終わっていた。旅立ちは今から約三週間前、サッカーのヨーロッパ選手権(2012)が始まり、町が活況を呈していた頃のことであった。考えてみると、初めてナポリの地を踏んだのは2010年の南アフリカのワールドカップの時であったから、それから丸2年が経過していた計算になる。途中、日本やフランスなど世界各地を放浪した時期もあるから、実質のナポリ滞在は1年半もないかもしれない。しかしその間、いや実に、様々な体験をしたものだ。カモッラ、モッツァレッラ、爆弾大みそか、エスプレッソ、ゴミ、遅刻、ピザ、海、デ・フィリッポ、フェスタ、カヴァーニ、奇声を発する隣人……。ナポリにあって我知らぬところなし。もはやそれほどまでに、私はナポリを熟知していた
つもりだった。
ナポリを発つ一カ月程前だったろうか、観光に訪れたある日本人がこう言い放った。
ナポリは愛の町である。
!!!!!え、そうなの?知らなかった。慌てた私は、必死に記憶の中を模索する。ナポリで体験したことの中に、「愛」の一文字に少しでも関与する事件はあっただろうか。ない。ない。どこにもない。このままでは…まずい!
というわけで私は、最後の一か月間、ナポリ中を歩き回りながら、街角に、海辺に、そして記憶の片隅に、「愛」を探すことにした。
X. “Cosa pensi in questi giorni?”
読者諸賢は、前回の滞在記で登場したLのことを覚えているだろうか。3月のある土曜日の夜、そんな彼から「紹介したい人がいる」ということで飲みに誘われた。待ち合わせ場所は、ベッリーニ広場の隅に位置する、通称カフェ・アラボ。国パルディが着いた頃には、アペリティーヴォは始まっていた(*ナポリでは、夜の7時から8時の間に出かけるのは、夕食のためでなく、食前酒を飲みに行くためである。夕食はその後、9時から10時頃に始まる)。Lの横には、二人の見知らぬ女性が座っていた。自己紹介をし、挨拶を交わす。一人はN、もう一人はTeresa Fattoriniという名であった。着席するや否や、Teresaはパルディに質問攻めを食らわせ始めた。どうやら彼女は、日本文化に強い興味を持っているらしい。Nの方は寡黙であまり言葉を挟んでこないが、Teresaの口ぶりから彼女も日本好きらしいことが分かる。
ところで国パルディは、今回のナポリ滞在を通して、多くの「日本好き」イタリア人と知り合うことができた。そこで分ったのは、こうした「日本好き」には大きくわけて三つのタイプが存在しているということである。黒澤映画、川端文学等を通じて日本の伝統美に興味を抱くのがタイプA、吉本ばななや村上春樹などの現代作家を介して日本人の独特の思考回路に惹かれるのがタイプB、そして、ワンピースやNarutoに代表されるアニメ文化にのめり込んでいる日本マニアがタイプC(通称giappominchia)である。現在、空前の日本ブームがイタリアに訪れていることはよく知られていることだが、これを牽引しているのは間違いなくタイプCである(これは、イタリアに滞在していれば自然と分ること)。
ところで、我が一般常識のなさは自他ともに認めるところであるが、こと吉本ばななやワンピースに関しては、生かじりの知識の欠片さえ持ち合わせていないというのが悲しき現状である。そんな訳で、ほとんどの場合、パルディは「日本好き」タイプBおよびタイプCとは会話が合わない(彼らとは、できれば知り合いになりたくないとさえ考えているかもしれない)。さて、我が眼前に座るこの二人の場合はどうであろうか。Teresaはまず茶道の話を、次いで建築の話をした。彼女がタイプAに属するらしいことが分り、パルディはひとまず胸を撫でおろす。が、ばななやワンピースに、勝るとも劣らない難敵がここで登場する。記号学者ロラン・バルトが執筆した世界一有名(?)な「日本に関する本」、『表徴の帝国』がそれである。
ここで、我が『表徴の帝国』との出会いをここでざっと紹介しておきたい。今はもう6、7年前のことになろうか、当時受けていたフランス語の会話の授業で教材となっていたのがこの書であった。今でも記憶に残っているのは、懐石料理の並ぶ食卓を目の当たりにしたバルトが、「なんてこった、これはピエロ・デッラ・フランチェスカの絵画論を具現化したものではないか」という趣旨のことを述べていた箇所である。この一節を読んだ私は、なんて強引な感動の仕方なのだとか、日本人でピエロ・デッラ・フランチェスカの絵画を見て日本の食膳の配置を思い出す者などよもやいるまいとか、突っ込んだものである。ちなみに、バルトの名誉のために言っておくと、彼がこの著において目論んだのは、奇抜な日本論を展開することではなく、以前から関心を抱いていたエクリチュールの問題に関して日本を題材にしつつ論じることであった(と、序文において明言されている)。
というわけで、『表徴の帝国』に恋する乙女たちに向かって、国パルディは自らの見解をぶちまけた。ピエロ・デッラ・フランチェスカの絵画を見たいならば、わざわざ遠く日本にまで足を運ばないで、イタリア各地の美術館を訪問しなさい…「古池や蛙飛び込む水の音」という俳句はそのリズムやニュアンスが素晴らしいのであって、“Uno stagno vecchio, una rana si tuffa. Rumore d’acqua”とかいう伊訳を読んで感動されても困る…欧米人のこうした表層的な日本理解は、無知から生じる日本に対する憎悪と同様に、非常に腹立たしいものだ………こういった趣旨のことを、三千枚程度のオブラートに包んで、彼らに投げかけたのであった。
その後、Nが帰宅し、ほどなくして謎の男ANTが登場する。この時点で日本談義はあえなく終了した。少し経つと、ピザを食べに行こうということになり、四人で店を出る。ピザ屋に向かう途中、Teresaが帰宅すると言ってきた。また連絡したいからメールアドレスを教えてくれという申し出が彼女からあったのだが、これに対しパルディは、面倒くさがって、Lが知っているから彼に訊いてくれとつれない返事をしてしまった。Teresaは、露骨に悲しそうな表情をした。その後、第三の女性Sが加わり、トリブナーレ通りにある有名なピザ屋に向かい、長い間待たされてから、ピザを食べた。ピザ屋を出ると、町行く人たちに挨拶しながら、一行は再びベッリーニ広場に向かう。ビール瓶を片手に、映画は字幕で見るべきか、それとも吹き替えで見るべきかについて議論した。LとANTは、字幕に決まっているだろうと主張する。Sは、吹き替えは音声を改変してしまう、字幕は映像を台無しにしてしまう、よって映画を音声芸術と捉えるか映像芸術と捉えるかによって対処法は変わってくるはずだ、という冷静な見解を披露する。パルディは、これを個人的な問題と捉えつつ、自分の理解できる言語を使用する映画だけしか見ないと胸を張って言い放った(本当のところ、セルビア人監督、エミール・クストリッツァが大好きであり、セルビア語は全く理解できないため彼の映画は基本的に字幕で見ているが、その点については内緒にした)。
翌日だったか、二日後だったか、パルディはLにメールを送った。日本談義に関する補足説明をするためだったが、それをTeresaとNにも転送しておくようにお願いもした。すると、またその翌日だったか二日後だったか、Teresaからメールが来た。―茶道や日本の建築についてお話しましたが、そのとき念頭に置いていたのは、岡倉天心のThe Book of Teaと谷崎潤一郎のIl libro d’ombraでした―。そんなメールに対して、私は答える。原題にある「陰影」とその訳語である“ombra”との間には、大きな意味の相違が存在しているのですよ、知っていましたか(あなたの理解の仕方は表層的ですよ…)―。岡倉、谷崎に範を得た詩人は、さらに攻め続ける。―いやそもそもね、『茶の本』にせよ、『陰影礼賛』にせよ、これは日本人だったら誰もが読んでいる本だなんて思ったら大間違いですよ、むしろ、こんな本はもう時代遅れなんです、谷崎っていうのはね、あなたは知らないみたいですが申し上げておきますけれどね、有名な小説家なんですよ、代表作は『春琴抄』ですかね、いや、中身はグロテスクですけれどね、やはり文体が素晴らしい、「文体」についてここで語っても、あなたは何も分からないでしょうがね………
(1日経過、再び国パルディ)
………申し訳ありませんでした、貴女のお話になった二冊の本は日本人なら誰もが読んだことあるような有名な作品でありまして、それにも拘らず小生が何も語るところを持たないのは、誠に恥ずかしいお話ですが、ただ単に小生の無知と怠惰によるものでして、次回日本国に帰国する際は、必ずやこれらを熟読してまいります―
国パルディとTeresaの付き合いはこうして始まった。しばらくして分かったのは、Teresaが誠に“strana”(変)な女性だということである。“strano”という形容詞は、しばしば否定的な意味合いを帯びてしまうから、人の性格を形容する時にはあまり使われない。しかしTeresaの場合、彼女があまりに「変」な女性なので、むしろ“strana”という形容詞が肯定的な意味を持ってしまうという逆転現象が生じる。ちなみに、この点に関してはLも賛同の意を表明している(“strana”?それ以上彼女にふさわしい形容詞はないね)。
ここで、具体例を用いて彼女の“stranezza”(変さ?)を簡単に説明しておくべきだろう。ベネデット・クローチェの顰に倣って、彼女から送られてきたメールを何点か引用してみたい。彼女のメールは大抵、以下のような不思議な質問を含んでいる。「ジャコミーノ、悪についてどう考えますか?」「何か、政治信条はありますか?」「友情について、どう考えますか?」。いずれも、非常に答えにくい質問である。実は彼女、同様の質問を多くの友人に投げかけ、結果その半数以上(Lを含む)に無視されているらしい(これは、本人の語るところである)。パルディは、困った質問にもできるだけ回答するように心がけていたのだが、次の質問には特に困らされた。 “Cosa pensi in questi giorni?”。最初は、自分のイタリア語の能力に問題があって文意を理解できていないのではと疑いもしたが、どう考えても「最近、何を考えていますか」という風にしか解釈できない。しかし、「最近」という副詞と、「考える」という動詞とが、国パルディの脳内ではうまく折り合いがつかない。はたして…
(読者諸賢のうちに、この一文の解釈ができる方がいれば、是非、ご一報お願いします)
XI. “Questa è una lettera irrazionale”
通称スペイン人地区に位置する国パルディ家では、毎週日曜日に映画上映会(イタリア語で言うところのcineforum)が行われていた。黒澤明の『生きる』を皮切りに、同監督の『用心棒』と『羅生門』、エルンスト・ルビッチの『生活の設計』と『極楽特急』、クロード・シャブロルの『雌鹿』、溝口健二の『夜の女たち』と『雨月物語』、市川昆の『ビルマの竪琴』、オーソン・ウェルズの『オーソンウェルズINストレンジャー』、ウォン・カーヴァイ『恋する惑星』などの映画が上映された。無欠席だったのは、主催者のパルディと映画愛好家Lであり、その一方で、自称映画監督である同居人Mは何故かあまり参加しなかった。さて、溝口健二の『近松物語』に感銘を受け、不法ダウンロードした『砂の女』をそろそろ鑑賞する予定だとのたまっていたTeresaはどうだろうか。『雌鹿』の回には、時間通りにやってきたが、帰って勉強しなきゃならないからということで、映画を観る前に立ち去った。『羅生門』の回では、高校生の妹を連れてきつつ、国パルディにデ・グレゴーリを弾き語れと無茶な要求をしてお祭り騒ぎを生ぜしめ、2時間以上騒いだ後、またしても映画を観る前にいなくなっていた(残った我々は、大騒ぎした後に『羅生門』を鑑賞することになったのだが、これには多少の精神力を要した)。『極楽特急』の回に至っては、愛用のスクーターで会場に向かう途中で事故を起こしたらしく、他メンバーを待たせた挙句、会場に到着することはなかった。
彼女が映画鑑賞を実行に移したのは、結局『生活の設計』の回だけであった。実はこの回、そもそも溝口映画を鑑賞しようという話で皆は集まっていたのだが、Teresaが、やっぱり重い映画は今の気分じゃないわと言い出し、それに彼女の親友MAが同調すると、我々は新たな映画を選ぶことになった。結局、ビリー・ワイルダーの映画を見ることで皆が納得した…はずだったが、直前になってTeresaが『生活の設計』と差し替えた。そして映画の上映中は、一人の女性に二人の男性が同時に夢中になるというストーリー展開が特にお気に召したようで、彼女は間断なく喋り続けていた。さて、当映画上映会では、映画が終わるとそれに関する議論が持たれるのが習慣なのだが、その回は、「浮気はOKか」、「二人の異性を同時に愛することは可能か」、「嫉妬しないことは可能か」などという、各自の恋愛観にまつわるお喋りが繰り広げられた。純情な男子たちは「嫉妬しないなんてこと、できるかい、だから、二人同時に愛するなんて不可能だろう」と正論を唱え、国パルディは「アイハナンダイ、ワカラナイ、ワカルモンナラ、コマラナイ」と片言ながら脚韻を踏んだ詩句を提示し、残るTeresaは「私は二人の異性に同時に恋したことがあるの、それを正直に伝えたら、結局別れることになってしまったのだけれどね、それとね、私自身、嫉妬は全くしないのよ」とセンセーショナルな体験を公にして、男子陣から顰蹙を買った。
国パルディの出発の日が近づいてくると、二人で行動する時間が増えた。二人で行動するといっても、ナポリの中心街をただ散歩するだけである。Teresaは、私はどこへでも入って行みるのよ、だから知らない場所はないの、と軽やかに言い放って、国パルディを不思議な異空間へと連れて行った。国パルディも国パルディで、なぜかナポリの隠れスポットをよく知っていて、またそういった場所に彼女を誘った。上記の通り、集団行動する際のTeresaは、まったくもって鬱陶しい人間であったが、二人でいる時の彼女はとても可憐な乙女であった(ように感じられた)。街ゆく人には、その人が知り合いであってもそうでなくても挨拶していく。すれ違う男性のジェラートを取り上げて、驚かせてみたり、国パルディの知り合いに自己紹介するとき「私もジャコミーノと言います」などとおどけてみせたりしていた。(こう文字にしてみると、二人でいる時も割と鬱陶しい人間だったのかも、と思えてきた)
不意に国パルディに疑問を抱かせたのは、夏の近づく温暖な陽気にも拘わらずTeresaがかなり厚着をしていたことである。何故そうしているのか訊いてみると、Teresaはこう答えた。だって私、周りの人からエロティックな目で見られたくないもの、高校生の頃、男の人の視線が、私の顔にじゃなくって胸に向かっていたのに気付いて、ひどく傷ついたことがあったわ―。国パルディはこれを聞いて、イタリアにもまだこんな女性がいるのかと驚いたものである。現代のイタリアでは、町を歩いていると、胸の大部分を曝け出すようなファッションをしている女性をよく見かけるし、巨大な下着姿の女性が堂々とセクシーなポーズをとっている広告があちこちに貼られている(これは、映画『ボッカッチョ’70』所収のフェッリーニのショート・フィルムを想起させる)。2012年のサン・レーモ音楽祭において、司会の女性ベレンの、深いスリットの入ったスカートの合間から股間のすぐ傍に掘った刺青をチラつかせるというパーフォーマンスが話題になった。このような露出大国イタリアにあって、Teresaの上のような発言は、非常に新鮮に聞こえるものであった。
こんな感じの娘だったらしい。
というわけで、パルディはTeresaにクローチェ研究所を紹介することに決め、二人は「一緒に勉強する」(この表現を耳にするのは、何年ぶりのことだろうか)ことになった。ナポリの連中は、友人と空間を共にしている時でも、しっかりと勉強に集中できるらしい。一方の国パルディは、生まれてこの方、「一緒に勉強」なる行為を成功させたことがない。今回はどうであろうか。パルディは、いつものように、クローチェ研究所の奥に位置する暗い部屋(いわゆるsala Chabod)の机に座る。追って入ってきたTeresaは、その対面に座った。パルディは、パスコリのCanti di Castelvecchioと、エルサ・モランテのIsola di Arturoを机上に並べた。Teresaは、勝手にそれらの本を手に取り、私パスコリ大好きよと言った。その後、彼女はシモーヌ・ヴェイユの本を読みながら、独りで相槌を打ったり、首をかしげたりしていた。パルディはそんな彼女を眺めながら、キッキリキーだとか、ピヨピヨだとか、独りごちていた。
少し経って、休憩をしようということになった(*ナポリでは普通、「休憩」と言えば、珈琲ブレイクを意味するのだが、Teresaは、苦いからという理由で珈琲を飲まないらしい)。隣の部屋にいたLも加わって、聖ドメニコ・マッジョーレ広場に位置する有名な菓子屋、Scaturchioに向かった。パルディが渋い珈琲に顔を渋らせていると、不意にTeresaが「好きti voglio bene」と言って抱擁してきた。ところで、イタリア語の “ti voglio bene”は、本当に日本語でいうところの「好き」に当たるのだろうか。日本では、恋人以外に「好き」と言われるのは珍しいだろうが、イタリア人女性は割と簡単に“ti voglio bene”と言ってよこす気がする。抱擁したり、腕を組んだり、いちゃいちゃしたりするのも、仲いい友達の間では特異なことではないだろう(もちろん男性同士ではしません)。その後、パルディの出発の具体的な日程(2週間後)を知ったTeresaは、露骨に寂しそう顔をして、お別れまでに沢山会いましょうね、と言った。ナポリでは、お別れの際、男女構わず、頬と頬を擦りよせて挨拶する。しかし、Teresaと、そこいらのおばちゃんとは、パルディの頬っぺたに思い切りぶちゅっとキスをする。この日のお別れは、なんだか長引いた。
国パルディは、帰宅するや否や、日中の不勉強の分を取り戻そうと、Canti di Castelvecchioを開いた。ページとページの間に、一枚の紙切れが挟まっている。引っ越し業者の宣伝のチラシの裏に、汚い字で次のようなメッセージがしたためられていた。
親愛なるジャコミーノ
これは、非理性の手紙です。
私はあなたに旅立ってほしくない。
あなたのことが(驚くほど)好きなのです。
これほどまでに、あなたの出発は辛いものなのです。
再び非理性と共に
Teresa
XII. “Tararirarira♪”
出発の前日は、慌ただしい一日となった。荷物をまとめつつ、知人・友人にお別れを告げに行く。モンテディディーオ通りにある哲学研究所の所長には特にお世話になったので、尊敬の念を込めて、京都の庭園の四季の風景を収めた写真集をプレゼントした。クローチェ研究所の名物司書の二人にも、非常に親切にしてもらった。彼らにも、親愛の情を込めて、同内容の写真集をプレゼントした。友人のGには、シチリアはカルタジローネの実家に泊めてもらった上に、一週間に渡り、自動車であちこちに連れて行ってもらった。そんなGには、感謝の意を込めて、ハーモニカをプレゼントした。
夕方には、サッカー・ヨーロッパ選手権の予選におけるイタリアの第二戦があった。Lやその他の友人が一緒に試合を観戦しようと誘ってくれたが、遅れて合流することにした。やはりTeresaに挨拶しておこうという気になっていたのである。いつものように、ジェズ・ヌオーヴォ広場で我々は落ち合った。試合が始まりつつあったのだろう、町中が何やら騒然としていた。プレビシート広場やダンテ広場では、巨大スクリーンが設置されていて、歓声があちこちでこだまする。そんな中、Teresaは、ベネデット・クローチェ通りの途中に位置する、Palazzo Veneziaへと私を連れて行った。外界とは対照的に、建物の中には非常に静かな空間が広がっている。そこには、夕日が沈むのをのんびりと待っているフランス人カップルと、庭の草木に水をやる管理人以外、誰もいない。少し経つと、やっぱりイタリアの試合見たいから、閉めてもいいかな?と管理人が訊いてきた。仕方なく二人は外に出て、あてもなく歩くことにした。ナポリでは、重要なサッカーの試合があるとき、町を歩いているだけで試合の途中経過が手に取るように分かる。この時点では、ピルロが得点して、イタリアが一点リードしていた。
頃合いを見計らって、国パルディは『源氏物語』を鞄から取り出し、Teresaに手渡した。Teresaは、あーこの本、ずっと探していたの、図書館にもなくって、だから本当に本当に嬉しい、そう言って抱きついてきた。が、これは少し控えめな抱擁だったようだ。そういえば、出発が近づくにつれて、Teresaは大げさな態度を取らなくなっていた。「行かないで」とはもう言わなくなっていたし、露骨に悲しそうな表情をすることもなくなっていた。Teresaは不意に、プレゼントよと言って、何枚かのCDと、何枚かの写真と、理解不能のメッセージと、よく分からないデッサンとが入ったパンドラの箱を、指し出した。お別れの瞬間は、いつもあっけないものである。パルディはそろそろ俺はLのところに行かなきゃならいないからと呟き、Teresaは家に帰って勉強しなきゃならないからと大言を吐き、二人は別れた。
国パルディはLの家に向かう途中、何度か立ち止まった。Lの家で待ち受けているだろう陽気な雰囲気と、自身の心中に渦巻く複雑な感情との間に、大きな隔たりが存しているのは明らかだった。もう、Teresaに会うことはきっと一生ないのだろうと考え、想いを清算するためにSMSを送った。ぷれぜんとアリガトウ、シャカムニガユルストキ、チジョウノドコカデアイマショウ。Lの家に着くと、イタリアの試合が引き分けに終わっていたことが判明した。その場には、長い時間を共にした友人たちが勢揃いしていて、その雰囲気がパルディの悲しい気持ちを薄れさせた。例の如く、ピザによって皆の腹を満ち足りると、二本のギターが登場する。うち一本は、パルディからLに献呈されるギターである。ある人はタランテッラを歌い、ある人はペトラルカを歌った。パルディは、西岡恭蔵の『ぷかぷか』と、デ・グレゴーリの『カテリーナ』を披露した。両者とも、自由奔放に生きる「変な」女性を歌った歌である。
突然、携帯電話が鳴った。見知らぬ番号が表示される。タラリラリラ♪リラリラリ♪(という歌声)。もはや確認するまでもないのだが、一応問い正す。ダレデスカ。Teresaよ、私、今から旧市街にまた行くことになったから、ジャコミーノ、荷物の整理とか大変かもしれないけれど、もしブッダがお許したもうならば、一瞬でもいいからもう一度会いましょう、そしたら最後にもう一度だけぎゅっと抱き締めてあげるから―。携帯電話を片手に笑いを堪えるパルディの姿を見て、Lはどうしたのと尋ねた。
国パルディは、ふと空を見上げた。刻々と流れゆく太陽とその他の恒星を動かしていたのは、「愛」の力であった。
追記、国パルディが去ったその週の日曜日、彼への敬意を表してcineforumが開催されたらしい。上映された映画は、『七人の侍』であった。
追記二、その次の日曜日、愛用の原付でどこかのcineforumに向かっていたTeresaが、自動車事故に巻き込まれて病院に運ばれた。手術も無事終わり、今は自宅で療養しているらしい。お見舞いに行こうかな。
- 8
- 7 »