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国パルディの小部屋
NAPOLI MOBILISSIMA (3)
国パルディのナポリ滞在は、早くも七ヶ月を超えた。街角で肥大化してくゴミ山にも慣れたものである。ここらで、我が愛するこの町を冷ややかな目でご覧になっているだろう読者諸賢に、一言いっておかねばなるまい。
ナポリは知識人の町である。(文化人の町と言った方が適切かもしれない)
古代においてはウェルギリウスが、中世においてはボッカッチョが、そしてルネサンス以降は、ブルーノ、カンパネッラ、ヴィーコ、レオパルディ、デ・サンクティス、ダヌンツィオ、クローチェ等等の綺羅星のごときスーパースターたちが活躍した、そんな都市である。
前回までのNapoli mobilissimaを読まれた方の中には、ナポリはカモッラとゴミとピッツァとエスプレッソの町だ、と思われているむきもあるかもしれない(これも、間違ってはいないのだよ、、、)。もし、そこに文化的な匂いが感じられなかったとしたら、その責任は、この町にではなく、偏にこの滞在記の作者に帰せられるべきだと考えていただきたい。この点を確認した上で、今回は、この古くて新しい町の、文化的側面を見ていきたい。(やはり、不安である)
VIII.“Amor, ch’a nullo amato amar perdona”
友人のつてで、ナポリ・フェデリコ二世大学で教鞭を振るうダンテ研究者の知り合いになることができた。イタリアを代表するこのダンティスタの名字はMである。わが同居人Mとの混同を避けるため、以下、下の名前を採用してAと呼ぶことにしたい(そもそも、われわれは下の名前で呼び合っているのだ)。ちなみに、このAを紹介してくれた「友人」もまた、イタリアを代表する「ダンティスタ」である。
Aの授業は、4月の頭に始まった。私は、職業詩人なので、もちろん大学に登録しているわけではない。が、イタリア本国で行われているダンテの授業がいかなるものか興味があったので、もぐりとして、授業を受けることにした。一週間に3コマ、1コマ2時間のペースで、2ヶ月間、講義形式で授業は行われた。ダンテの魅力もあろう、Aの技量もあろう、この2ヶ月間の講義は、非常に刺激にあふれるものであった。今回は、そのうちの一コマを思い出しながら紹介したい。
春の訪れを感じさせる温暖な気候。授業開始時間は12時、その少し前に私は教室についた。巨大な講義室全体を見回して、空いている席を見つけると、そそくさとそこまで行って着席する。かばんを開けて、数冊の本を取り出す。Port’Albaと呼ばれる本屋街で見つけた、ニュートン社発行の廉価版『神曲』、最初の授業でAが紹介したGianfranco Continiの名著Un’idea di Dante、そして文献学の入門書Enrico MalatoのLessico filologico。これらをちらちら読みながら、Aの登場を待った。
余談だが、コンティーニという男、哲学者べネデット・クローチェの著書のタイトルのパロディをよくするようである。Breviario di estetica (クローチェ)と Breviario di ecdotica(コンティーニ)、Letteratura della nuova Italia(クローチェ)とLetteratura dell’Italia unita(コンティーニ)、これらの類似は一目瞭然であるが、上掲のUn'idea di DanteもまたLa poesia di Dante (クローチェ)に似ていなくもない。いずれも、文法構造と音節数が同じである(第二の例に関して、エンデカシッラボになっていることにお気づきだろうか)。こういうところに、私はコンティーニ氏の、よく言えば巧妙を、わるく言えば嫌らしさを見てしまう。
閑話休題。12時頃になると、続々と学生が席に着き始める。私の前を、丸々と太った女の人が通過する。イタリア語では、こうした女の人をdonna cannone(大砲女)と表現する。フェリーニの映画に出てきては、純情な少年を羽交い絞めにしたりする、胸とお尻の大きい、というか何もかもが大きい、ああいう感じの女性を想像していただければ分かりやすいかもしれない。そういう女性が私の前を通過して、右斜め前に着席したのである。実は、ナポリには、どうも太っている人が多い。だから、こういう状況は格別驚くべきものではない。だが、それから「大砲女」が一人、二人と現れ、前列に三人並んで座ったときには、さすが驚かざるを得なかった。「大砲女」三人の真後ろに着席し、『神曲』の講義を受ける。まるで、映画の一幕のような光景。これでテレーザ・ファットリーニみたいな綺麗な女性が隣に座ったらなぁ、なんて考えていると、これもまた映画のよう、本当に綺麗な女性が現れて、「隣の席座っていいですか」なんて訊いてくるのであった。
私は純情な詩人であるので、現実の女性に弱い。緊張が長く続いて、もとより難解なコンティーニの文章は、ますます理解不能になっていく。そんな時であった。彼女が私に話しかけてきたのである。「えーと、その本、先生が紹介していた本ですよね。先生他にどんな本紹介していましたか。初回の授業に欠席してしまって、聞き逃してしまったんですよ」。コンティーニも役に立つものである。これがこれであれがあれで、なんて力をこめて説明していると、20分遅れでAが登場した。仕方なく、また後でと言って、授業に集中する素振りをした。
この日の授業のテーマは、奇しくもあの地獄篇第五歌。そう「色欲」に身を任せた人間が罰せられる、あの第五歌である。隣から漂ってくる香水の匂いにフワフワしながらも、いかんいかんこのままでは地獄に堕ちてしまう、と自らに言い聞かせ、授業への集中に努める。第五歌といえば、なんといっても「パオロとフランチェスカ」の話で有名だ。マラテスタ家のジャンチョットに嫁いだフランチェスカが、ジャンチョットの弟(兄?)パオロに恋をする。二人の秘め事を知ったジャンチョットが、二人一辺に殺してしまう。こんなゴシップじみた事件が起きたのは、ダンテが『神曲』を執筆する15年程前のことであった。ダンテは、この事件を元ネタにしつつ、想像力を存分に発揮して脚色に脚色を重ね、『神曲』の中でも最も有名なエピソードを完成させたのである。
Aはしかしこう言った。実はこのエピソード、フォスコロやデ・サンクティスが登場する以前、つまりロマン主義の時代に至るまでは、有名なエピソードであるとも、同情を誘う感動的なお話であるとも認識されていなかったのだよ。当時の読者の目線で、この挿話を読み直してごらん。面白いよ。例えば、『神曲』の注釈者のうちで最も古い部類に入る人に、Jacopo della Lanaという人がいるんだけれども、彼なんかは、フランチェスカの名文句、 “Amor ch’a nullo amato amar perdona”(愛された者に、愛し返さないことを許さない、あの愛)を、容赦なくこき下ろしているんだ。重大な罪を犯した人間が、「私が悪いんじゃないんです、愛されてしまったから仕方がないです」と、言い訳しているに過ぎない、ってね。
たしかに、西洋中世の価値観からすれば、不倫した者に同情して感動するという行為は決して褒められたものではなかったのだろう。この場面のみでなく、『神曲』において神学的な規範から逸脱してしまう場面がしばしば見受けられるのだが、ひょっとするとこういうところにこそ、時代を超えて読み継がれる『神曲』の古典作品たる所以があるのかもしれない。
さて、魂となったフランチェスカがダンテに質問されて事の成り行きを説明するその途中、イタリア人なら誰でも知っている程に有名な台詞が、いくつも登場する。「不幸な時代に、幸せだった頃のことを思い出す、これ以上辛いことってあるかしら」とボエティウスの名文句を拝借して放ったあと、フランチェスカは幸せ絶頂の頃を思い出して語る。ある日、アーサー王物語のランスロのお話を一緒に読んでいたの。胸が締め付けられる思いがしたわ。気がつけばパオロと二人っきり、読書もとぎれとぎれ、私たち、見つめ合ったの。それから、ランスロが王妃様にキスをする場面を読んだとき、パオロったら、こっちをきゅっと向いて、震える唇を私の唇に重ねたの。ランスロと王妃様の仲立ちをしたのは、ガレオーだったけれど、私たちの仲立ちをしたのは、そう、この本だわ。
“Galeotto fu il libro e chi lo scrisse”、この一行は諺化したといっても過言でないほどに、有名である。最近では、映画の中のカップルが現実の世界でもカップルになってしまうことを、“Galeotto fu il set”などと言うらしい。近い将来、“Galeotto fu l’i pad”なんていう現象が起きるかもしれない。と、ここで、私の隣に美女が座っていたことを思い出していただきたい。彼女は、授業に必要な「本」をいまだ購入していなかったのではなかったか。授業が終わり次第、本を貸してあげようかな、そうしたら次回またお話できるなぁ、なぞと嫌らしいことを考えていると、授業終了20分前、彼女は徐に席を立ってこう言った。じゃあね。“Galeotto non fu il libro e Contini”。以降、「美女」が隣に座ることはなかったし、前列に「大砲女」が三人並んで座ることもなかった。集中して『神曲』の授業を受けることができるようになったのである。
IX.“E’ vicina… quasi… esatttooo!”
せっかく授業を全部受けたんだから、試験も受けたみたいです。こんな私のわがままな要求を、Aはいつものように笑って引き受けてくれた。じゃあ、一緒にやろう。6月某日に、この教室に来てね。「facciamo insieme一緒にやる」という表現が少し引っかかったが、Aの親切な応対は素直に嬉しかった。この数ヶ月の経験から分かったのだが、イタリア人の先生、殊にナポリの先生は、不躾なお願いもたいてい笑顔で受け入れてくれる。その一方で、時間にルーズだったり、約束を平気で破ったりしたりと、律儀な日本人を困らせる大雑把さも持ち合わせているから、結局は一長一短といったところだろうか。ただし、そうした「イタリア人先生」の中でも、Aは、特別、優しくて親切である。ついでに、この場を借りて、彼への謝意を示しておく。
さて、約束の時間、約束の場所に行ってみると、そこには仲のよい友人の姿があった。彼の名はMだが、わが同居人Mとの混同避けるため、名字のイニシャルを取ってLと呼ぶことにしよう。ところで、Lは私と同じ授業を受けていなかったはずである。では、なぜこの教室にいるのだろうか。訊いてみると、どうやら二人の先生の試験が同じ教室で行われるらしい。大講義室に待機する生徒はざっと見積もって100人。一体、どのような形式で試験が行われるのか、Aの登場を待つ間、Lに訊いてみた。
イタリアの大学の試験はすべて口答試験であり、一人一人の名前が呼ばれてそれから先生と学生が一対一になり、その状態で試験が行われるのだ、とLは言う。と、すると、この場合、一人の先生が一日で50人の学生を受け持つことになる。一人10分とすれば、全員で500分?それはいくらなんでも無理があるのではないか。こうした疑問もあるにはあったが、それよりも気になった次のことをLに尋ねてみた。「口頭試験」の文化は、イタリア特有のものなのか。スペインに留学していたLいわく、スペインでは筆記試験が主流である。私は、特別な根拠もなく、南欧ではどこも「口頭試験」なのだろうと想像していたので、その回答を意外に感じた。どうやら、「口答試験」の文化がこれほど顕著なのは、イタリアのみのようである。
おしゃべりをしているとAがやってきた。挨拶もそこそこに、Aは教壇の方に向かう。Lと一緒に講義室の後ろの方で待機しようとしていると、Aのアシスタントが来て、私に言う。Aが探しているよ。何かただならぬ気配を感じながら、Aのいる教壇の方に向かった。そんな私にAは言う。国パルディ、君の席はここだよ。なんと、Aの隣に座って、学生に問題を出す側に回ることになったのである(「一緒に試験をする」!!)。学生から見れば、試験の場において先生の横にアジア人が座っているという状況は、不可思議以外のなにものでもないだろう。しかし、私は私で、時間にして4時間ほど、人数にして8人ほどの試験を観察することになるという、特異な体験をすることになったのである。
Aは、アシスタントを3人呼んで(そのうち一人は2時間遅刻!)、4人体制で試験に臨んだ。この4人が、それぞれ学生一人を対応する。こうすることで4人同時に試験を行うことができ、先ほどの計算ではじき出したものに比べ、かなり少ない時間で済みそうである。私は、最初のうち、アシスタントの一人が出す試験に耳を傾けていた(Aはちょっと外行ってくる、と言い残して席を立っていた)。『神曲』の、地獄篇第五歌以外で好きな歌を一歌選んで、コメントしてください。なんとも大雑把な出題である。学生は、確か煉獄篇の第十歌を選んで解説した。アシスタントは、間違ったところをその場で訂正しながら試験を進めていく。どこをどう間違ったのか、正確なところは気にしないらしい。一通り質問を終えて、アシスタントは言う。まあ28点というところですかな(満点は30点)。アシスタントが一人目の試験を終えた頃、Aが戻ってきた。以降、私はAの試験を追った。
(1) <A>そうですねぇ、流刑に処されて以降に、ダンテが書いた作品はなんですか。<学生1>えーとまず、そうもちろん『神曲』がありますよね、それから、、<A>いや、年代順に言えば、『神曲』より先に執筆された作品がありますよ。<学生1>えーと、『新生』、、は違うから、あの、その、書簡とか、、<A>まず『饗宴』があって、その後『俗語詩論』が書かれますね。それでは、ラテン語で書かれた作品には何がありますか。<学生1>、、、『饗宴』、、<A>『饗宴』!!!???<学生>ああっ、違う違うっ!えーっと、、あの、、、<A>『俗語詩論』。<学生>そうそう!!『俗語詩論』です。この場合の「俗語」っていうのは、要するにトスカナ語のことで、この本は、「俗語」について、その、まさにラテン語で書いたっていう点からして、、<A>(微笑)試験範囲はダンテだけなんですから、せめて彼の作品くらい覚えてきてください。
(2) <A>テキスト・クリティークについて、分かるところを述べてください。<学生2>!!!<A>、、、<学生2>えーと、えーと、えーと、いやその分野に関しては、本当は、全部知ってるんですよ。知っているんですけれど、緊張してしまって、、、<A>緊張することはありませんよ。じゃ先に次の方からやりましょうか。
(3) <A>『カンツォニエーレ』には、どのような詩形の詩がありますか。<学生3>はい、それはですね、まず愛を語る詩がありますよね。そしてその「愛」というものがまた、2種類あって、、<A>詩形、ですよ。詩・形。詩の形、形式の話です。<学生3>ああ、そっちの形式ですか、つまりあの高い詩と、低い詩とあって、、<A>(苦笑)(咳)、、ソネット、、、<学生3>ああ!はいはい!ソネット、カンツォーネ、マドリガーレ、バッラータ、、、<A>そして、セスティーナですね。それじゃ、isosillabisimoとは、なんですか。<学生3>、、、<A>いいですか。“iso”というのは、「同じ」という意味ですよ。<学生>、、、<A>はぁ。じゃ、endecasillaboから始めましょうか。<学生3>、、、<A>11の、、、?<学生>あああ!!、11行から成る、、、、(後略)
(4) <A>授業は、どうだった。<学生4、エラズムス・ムンドゥス>ワタシ神曲ダンテ難シクテ。(廉価版『神曲』を持ってきつつ、それを指差しながら)コレイタリア語ダカラ、ポルトガル語ノ買エバ、読メタカモシレナイ。<A>ブラジルでは何を勉強していたの。<学生4、エラズムス・ムンドゥス>ポルトガル語文学トイタリア文学ト、、(中略)<A>22点でいいかな。これ以上はやはりあげられないなぁ(及第点は18点)。<学生4、エラズムス・ムンドゥス>アリガトウゴザイマス。十分スギマス。
最後の学生<学生4、エラズムス・ムンドゥス>について、一応の解説が必要かもしれない。エラズムスというのは、ヨーロッパ中の大学機関が提携して行う交換留学システムのことを指す。いつ頃から始まったのか知らないが、最近では、ヨーロッパの大学生のほとんどが、他国の大学で一年間の留学生活を送るようである。エラズムス・ムンドゥスについては、私はこの時初めてその存在を知ったのだが、要するに、ヨーロッパ以外の国とヨーロッパの国との間で行われるエラズムスのことを指すのだろう。これと区別するために、ヨーロッパ内の国同士で行われる交換留学を、エラズムス・ソクラテスと呼ぶらしい。ムンドゥスにせよ、ソクラテスにせよ、エラズムスの学生は皆遊びほうけて全く勉強しないのが定番である。それでも、<学生4>の場合のように、先生が「外国人」に甘いことが多いので、結局何もかもが許されてしまうのである。読者の中には、こうしたエラズムス事情が気になるという向きもあるかもしれない。そんな方には、『スパニッシュ・アパートメント』というこの社会現象を実にうまく描いた映画があるので、これをお勧めしたい。
さて、試験のことに話題を戻したい。上に挙げた例だけを見れば、イタリアの学生は阿呆ばかりなのかと思われてしまうかもしれないが、もちろん優秀な学生もいる。テキスト・クリティークについてすらすらっと答えてしまったある学生の場合、そこからさらに踏み込んで、さらには私まで巻き込んで、議論が始まったりもした。反対に、優秀な学生ではない場合、つまりほとんどの場合は、上の例にある様なもはや喜劇的とでもいうべき惨状である。“E’ vicina… quasi… esatttooo!”(近い…ほとんど正解…正解)などというフレーズを聞いた時には、どっかのクイズショーを鑑賞しているものだと、錯覚してしまったほどである。その後、私はお昼休憩の時に、教室を離れた。Lは、夜まで待たされたが、試験自体は成功した様で、見事“30 e lode”(満点プラス賛辞)を獲得したとのことである。