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国パルディの小部屋
NAPOLI MOBILISSIMA (1)
I. "Mi raccomando, stai attento."
いいかい。くれぐれも気をつけるんだよ。上の見出しを訳すとこうなる。
わたしがナポリに行くことになったと友人・知人に言ったとき、口をそろえたようにして返ってきた言葉である。この場合の友人・知人は、ナポリに住んだ経験のないイタリア人である(もちろん、見出しのセリフはイタリア語である)。彼らの多くは、「ナポリ=イタリアの中の異国」というイメージを持っているらしい。ゴミ問題やカモッラ絡みの事件が連日テレビで報道されているし、スリやボッタクリが多くて自動車やオートバイが交通マナーを守らないというナポリの「悪評」はイタリア中(特に北イタリア)によく広まっている。こうした間接的に伝わってくる情報や、もしくは何日間かナポリに滞在して得た直接的な経験を通して、彼らはナポリが危険な町だと認識し、そしてわたしに注意を促したのであろう。
ところが、ナポリに一年以上滞在したことのある者―どういうわけか、わたしにはこうした知人・友人が沢山いる―からの返答は違う。郵便物が届かないとか、空き巣に入られたとか、カモッラの出入りする場所に恋人が住んでいたとか、ご飯がおいしいとか、特にどこどこのなになにが最高だとか、個人的な経験談を語りつつも、わたしに対するアドバイスはなぜか「そんなに心配することはない」という結論に終始するのである。
以上、二通りのアドバイスを受けてわたしは旅立った。そして、ナポリの地を踏んだときに、すなわちナポリ中央駅から降りたときに、どちらのアドバイスを採用すべきか一瞬で分かった。圧倒的なカオス。神経を痛めつける喧騒。歩行者を全く寄せ付けない乗り物たちの跳梁跋扈。
Sì, sto attento.(はい、気をつけます)。
というか、、、、
II. "Ma, che ne so io?"
EU圏外から来る者は、この国に滞在するために滞在許可証なるものを申請しなくてはならない。日本人は、日本国籍のパスポートをもってさえすれば三ヶ月以内の滞在には何の手続きも必要ないのだが、それ以上の滞在には滞在許可証を申請する必要がある。
わたしは日本でビザを取った際に滞在許可証の申請に関する案内をもらっている。そこにはたしか、郵便局(Poste Italiane)に行って必要書類を提出することと書いてあったように思う。滞在許可書の申請に郵便局に行く必要があるとは、二、三ヶ月前にイタリアから日本に帰ってきていた研究室の後輩からも聞いていた。
しかし、郵便局と滞在許可証との間にどんな関係があるというのだろうか。
謎は謎のまま、わたしはナポリに着いたその足で郵便局に向かった。偶然見つけたガレリア内の郵便局では、ここでは滞在許可証の申請には対応できないので中央郵便局に行って下さいと案内された。案内された場所は、広大な広場の中でも一際目立つ巨大な建物であった。入ってみると、入り口には日本でもよく見られる予約票発券機が置かれている。わたしは、滞在許可証申請用のボタンを押して、出てきたF―50と印字された券を手に取ると、Fという窓口にむかった。窓口の近くにいるアラブ人らしき人を数人と中国人のカップル一組を横目に見ながら、自分のチケットの番号と電光掲示板に表示されていた数字を照らし合わせて、待っているのが10人に満たないことを確認すると、腰を下ろした。しかし、滞在許可証申請用の窓口は一つで、その前に立っていた人物の手続きはいっこうに終わろうとしない。順番を守らない者も出てくる。わたしは友人から情報を得てからもう一度来ることにして、その場を離れた。
郵便局には、まず申請書を取るために行く、それからその申請書と残りの必要書類を提出しにもう一度行く、とナポリに数年前から滞在している友人Tから聞かされた。その言葉にしたがって翌日郵便局に向かったのだが、窓口の男は、申請書はもうないから来週来いと言う。そこで次の週もまた行ってみたのだが、今度は違う男が同じように申請書はもうないと言った。
一体いつくるんだと尋ねたとき、わたしは少し苛立っていたかもしれない。しかし、“Ma, che ne so io?”(わしが何を知っているっていうんだ。)という男の返答を聞いたときには、少々あきれてしまっていたように思う。滞在許可証の申請はイタリア入国の八日後までにしなくてはならないらしいが、申請書はいつまで経っても手に入らないのである。
III. "Buona fortuna!"
自分のママは以前教師をしていて、その生徒のうちに外国人がいたから「滞在許可証」の申請なんかにも詳しいはずだ。こう言ったのは、今わたしが住んでいる部屋を貸してくれている友人Mである。その後、彼の母親の慈悲の心と行動力によって、メトロで数駅を行ったところにあるダヌンツィオ広場に面した郵便局が、この町で唯一申請書を置いている郵便局だということが発覚した。メトロに乗って、申請書を取りに行く。滞在許可証の申請が面倒な手続きであることはよく聞かされていたが、申請書を手に入れるのに隣町といってもいいほどに離れた場所まで足を運ばなくてはならないとは考えていなかった。
とにもかくにも申請書を手に入れて、Mと一緒に説明書を読んだ。不思議なのは、permesso di soggiornoと言われているものと別に、carta di soggiornoというものがあることである。Mはイタリア人だから滞在許可証を申請したことなど当然なく、彼にもcarta di soggiornoが何をさしているのか分からない。なんとなく、cartaの方は我々には関係なさそうだという結論に達して、必要書類を集めることにした(ちなみに、フランスではイタリアのpermesso di soggiornoにあたるものを、carte de séjourという。やはり、イタリア語ができればフランス語も大抵理解できるとか言っている連中は、何かを勘違いしているに違いない)。
それから、Tに電話して用意周到にしてから、中央郵便局に向かった。昼飯前の時間帯にまず行って、チケットを取る。待っているのは20人ほど。前回より大分多い。チケットを手にしたまま昼食を取りに行って再び来てみると、ぜんぜん進んでいない(17人くらい?)。しかし、今回で決着を着けようと考えていたわたしは、どかんと座り人々の様子を見ながら待つ。待つ。待つ。2時間くらい過ぎた頃、突然、3つ、4つ窓口が開いた。それから、いきなり自分の番が巡ってきた。必要書類を見せると、窓口の男は、君、中国人?日本人?と訊いてきた。パスポート渡しているんだから見たら分かるだろう、内心はそう思ったが口には出さず、日本人です、と答える。すると、書類を確かめているとは思えない素早さで、どんどんスタンプを押し始めた。東欧の人たち、アラブ系の人たち、それぞれ、あれだけ時間がかかっていたのに、こんなヤッツケ仕事で大丈夫か?日本人なら何でもOKなのか?こんなわたしの困惑を、窓口の男は意に介さない。なんか武道やってた?どこでイタリア語習ったんだ?留学が終わったら何するの、残って仕事でもするのか?等々と矢継ぎ早に質問を浴びせかけてくる。会話ははずんだのか、はずまなかったのかよく分からないが、とにかく書類の提出はうまくいったらしい。次はこれこれを持って11月*日9時にQuestura(警察署)に行くこと、と男は出てきた書類に書かれた事項をペンで指差しながら説明した。ここには9時って書いてあるけれど、その時間には行列ができているから7時に行きなよ、と付け加えて教えてくれたのはいいが、それじゃあ何のための予約制度なのだろうか。そんなわたしの不安まじりの疑問を察したのか、しなかったのか、最後に男は言った。Buona fortuna(幸運を祈る)。
IV. Come si attraversa una strada a Napoli?
滞在許可証の申請に際してハプニングが起きることは、ナポリに限ったことではないかもしれない(そもそも、日本でのそれに当たる手続きがどんなものであるかさえ、わたし達は知らない)。しかし、いたるところで横断歩道がない大通りに出くわすことは、ナポリ以外ではおそらくあまりないだろう。
まず、ナポリ中央駅を降りてみる。片道三車線(?)の道路が、駅をぐるりと囲んでいる。横断歩道は、、、ない。こういう時は、日本人の習性なのだろうか、周りの人達がどうしているかを確認しようと思い立つものである。すると、ある謎のメカニズムにしたがって人々が颯爽と道を横断していく姿が目に入ってくる。わたしの場合、それを見て、ほうほう、なるほど、とは全く思わなかった。謎は謎のままなのであった。試しに横断しようと思っても、自動車や原付は全く速度を緩めない。ひとしきり悩んだ挙句、結局近くで道を渡っていたおじいさんに付いて行くことにした。おじいさんの歩く速度は極限に遅い。しかし、自動車も原付も見事に止まっていくのであった。
この「謎のメカニズム」は、わたしにだけ謎なのだろうか。それとも。
ペルージャ出身、現在ナポリ東洋大学の博士課程に通っている友人のFに訊いてみた。彼女は、すでに博士論文を提出しようとしているらしいから、少なくとも2、3年はナポリに住んでいることになる。
そりゃ、わたしにだって怖いわよ、とFは言った。彼女もまた、ナポリの生活にまだ慣れきっていない「外国人」なのかもしれない。とにかく、「謎のメカニズム」はわたしだけにとって謎だというわけではないことが分かってほっとしたが、町を歩くことが怖いという感覚がこれからもずっと続くのかと思うと、悲しくもなった。
わたしはそれから、「謎のメカニズム」を論理的に解釈することをあきらめ、ひたすらそれに慣れることに徹した。それから2週間たった。少しだけ道を渡ることに慣れてきた。
※ここで、いつの日かナポリを訪れるかもしれないという方のために少しレクチャーを。ナポリの町には、滅茶苦茶乱暴な人がいる代わりに、とっても優しい人もいます(ヴァリエーションに富んでいるのです)。だから、後ろからくるクラクションや罵声をものともせずに、自分が止まって歩行者を渡らせてくれる格好いい人に運がよければ出会うかもしれません。運に任せず自分の力で渡りたいという方は、自動車や原付に乗っているときの右折の感覚で横断するとうまく行く、ということを覚えておいてください。つまり、一台の自動車が通った直後を狙うのです。そうすると次の車は割と止まってくれます。止まってくれた車には簡単に手でも振っておくとよいでしょう。
反対に、間違ってもしてはならないのが、信号つきの横断歩道を探して歩き回ることです。そもそも信号つきの横断歩道はほとんどお目にかかることはありません。時に、大きな交差点にはついていたりもしますが、そこでは歩行者にしても自動車にしても信号を守らないケースが多いです。一方で、信号を守る人もいるので、方針の違う(?)人々の間で行き違いが生じ、結局クラクションや罵声が飛び交うことになったりします。そして、何よりも、歩行者用の信号の青の時間はなぜか究極的に短いというのが難点です(本当に困ったときはおじいさんを見つけましょう)。
V. «Le foto che i turisti scattano in questi giorni a Napoli riguardano i cumuli d’immondizia abbandonati agli angoli delle strade, più che la splendida baia o il sontuoso bugnato della chiesa del Gesù»
ここ数日、ナポリで観光客がカメラに収める光景は、光り輝く入り江でも教会の壮麗な石積みでもなく、道路の隅に積み上げられたゴミの山である。これは、Corriere della seraの一面に掲載されていた記事からの抜粋である。
わたしは、観光客ではない。だがやはり、ゴミの山の写真を撮った。ゴミ山の背景となっているのは、Castel Nuovoというお城である。近くに地下鉄の駅を作ろうとして工事を始めたら、古い時代の遺跡が見つかったらしい。周りにクレーン車が見えるのはそのためである。城自体の歴史は十三世紀に遡り(Castel Nuovo=新しい城!!)、その周辺に見つかった遺跡はローマ時代のものとも、ギリシア時代のものとも言われている。要するに、この写真には観光名所とゴミ山が同時に写っているのである。そしてこれに似た光景は、ナポリの至るところに見られる。
ゴミ問題がはじめに大きく取り上げられたのは、たしか1、2年前のことだった。たしか、闇の組織が関与して事が大きくなったはずである。たしか、みんな大好きPdLの総裁が颯爽と現れて、問題を解決したのだったかな?たしか、ゴミの山はサルデーニャだったか、ドイツだったかに運ばれていったとかなんとか、、
とにかく、問題は全く解決していなかった。闇の組織を別にしても、いくつかの理由は明らかである。第一に、消費が多い。例えば、料理は残さず食べるものだ、という倫理観は全く無く、そのため人々は料理を大量に作っては大量に捨てている。第二に、人口密度が高い。これは高台に登ってナポリの町を一望するとよく分かる。人の住まない土地はないのである。第三に、ゴミの分別回収がなされていない。結果、燃やすか埋めるかの二択、つまるところ焼却所を作るか、埋め立て所を作るかの二択になるのである。
第二の理由と第三の理由が合わさって、事件が起きた。ナポリ近郊のTerzignoという町に「もうひとつ」埋め立て所を作ってなんとかしよう、という政府の計画に住民が反発したのだ。警察と暴徒化した住民の衝突、流血事件、燃える車、等々。政府、県、市、過激な県民、過激な住民を批判する県民、政府の計画に反発すること自体に文句を言う他県民等々。
ゴミの散乱は誰にとっても心地よいものではない。だから、住民もまたいらいらしている。よって、他所から来る者にとっては二重に不愉快なの事態である。
名所も多く、ゴミも多い、、、、ううむ。
ナポリを見て死ね、、、、ううむ。
臭いものには蓋をしろ、、、、ううむ。