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国パルディの小部屋
マックス・ホルクハイマーから故ベネデット・クローチェの妻への手紙(日本語訳)
イタリアの哲学者クローチェの死後、フランクフルト学派のホルクハイマーは、故人の妻に宛てて一通の手紙を送った。以下に掲載する文章は、その全文の邦訳である。これまで、20世紀を代表するこの二人の哲学者が関係付けて論じられることは、ほとんどなかった。だから、この手紙は、その存在自体が注目に値するものであろう。しかし、さらに興味深いのはその内容である。長くないその文章の中で、クローチェの思想とその功績とが、ホルクハイマーの明瞭な分析によって簡潔かつ正確に説明されているのである。その意味で、この手紙は、クローチェ研究者にとっても、20世紀の思想界全般に興味をもつ者にとっても、示唆に富んだものであると言えよう。
敬愛する奥様へ
故人に名誉学士号を進呈したヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ大学[フランクフルト・アム・マイン]哲学科を代表し、我々の率直かつ深遠な哀悼の意をお伝えしたく思います。我々は、喪ったものの大きさを痛感しております。ベネデット・クローチェ氏は、誠にかけがえのない人物です。全体としての真実の思考、すなわち哲学は、実証科学の波に流されて消滅の危機にありました。そのような時代が過ぎ、数少ない人間によって、哲学の威厳が回復されたのですが、氏がそのうちの一人であったということを断言するために、誇張は必要ありません。その偉業は、ドイツの輝かしい伝統の文脈において成し遂げられたと言えましょうが、このことは殊に我々に氏に対する親近感を抱かせます。というのも、この伝統の遺産は、精神の世界を否定しようとしたファシズム体制が解体されて以来、我々にとって二重にアクチュアルな存在となっているからです。氏はしかし、既に凌駕されてしまった形而上学の復権を試みたエピゴーネンたちの一人であった訳ではありません。氏は、自らの環境のうちの具体的な経験から出発し、思弁哲学の伝統を復活させることに成功したのです。そして、まさにこうしたあり方が、彼をヘーゲルへと導いたのだと言えます。彼の客観的観念論の体系にあっては、ヘーゲルの精神は、その「死せるもの」よりその「生けるもの」が意義を有したのです。クローチェ氏のかくのごとき力は、アカデミズムやロマン主義に陥ることなく思弁的思考の伝統を前進させえた訳ですが、これに比類すべきものがあるとすれば、それはアンリ・ベルクソンの思想のみでしょう。ただし、ベルクソンが抽象的・一般的な形而上学的原理のうちに留まったのに対し、氏は、概念を突き詰めることによって、思想の深遠なる枠組みのうちに入り込んでいったのであります。
こうしたあり方によって、氏は、同時代の他の観念論者たちには不可能であったことを成し得ました。すなわち氏は、現実社会の問題に取り組みつつ、単に、アクチュアルな社会問題といわゆる哲学の根本問題との間に存する関係を認識するのみでなく、自らの存在を通じてその認識を表現し得たのです。恐らく間違いないのは、その理論に裏打ちされた物の見方こそが、権威主義的思考の持ち主や体制順応主義者たちによって仕掛けられた誘惑を一片の迷いもなく振り払うことを可能にしたのだろうということです。彼のような身分・立場に他の人間があったとするならば、どのような人間であっても惑わされる危機に晒されていただろうと思わるのです。我々は、氏が並外れた威信溢れるオーラを発していた理由を、そういうところに見ています。根拠の欠いた権威的要求にはいかなるものにも抗い、ムッソリーニに対してさえ「反ファシスト宣言」の検閲を妨害したクローチェ氏その人は、威厳に溢れていたのです。
しかしながら、氏の逝去の事実を受け入れるために我々がこれほどまでに苦しむのは、上の様な事柄のみに起因する訳ではありません。この苦悩は、学問の世界に収まるものでもありません。氏が美学の世界において成し遂げた偉業は、今なお精神の経験の所有者であり続ける人間全てに、つまり文化産業のメカニズムに盲目的に服従しようとはしない人間すべてに関わるものです。氏は、文芸批評からキャリアをスタートしつつ、理論的な裏付けから芸術の問題について思索し、そして、自らと芸術との間に、快活かつ自由かつ独創的な関係を築きました。ヘーゲルの時代から振り返ってみるならば、氏こそがこれを成し遂げた最初の重要な哲学者であるに違いないということが分かります。その根本にあったのは、ある芸術作品について、作品そのものの真価に関わる根源的な問題を追求せずにジャンルの問題に帰着させて評定してはならない、という考え方です。これは一つの革新的な力となり、現在に至るまで、数え切れないほど多くの芸術家たちの経験のうちに浸透しています。もっとも、その理論的寄与が、つまり美学がそのジャンル分け的発想から解放されたという事実が、クローチェ氏に負うものだということを、彼らは知りもしないのですが。
親愛なる奥様。我々は、高齢にして輝かしい生涯の幕を閉じた故人の記憶が、いつまでも現存し続けるだろうと考えています。しかし、我々の言葉よりも偉大なのは、事実の力であります。氏の哲学の意義は、それを生み出した卓越なる人物を離れてしまってさえ、自らの力によって、広がり生き続けるのです。恐らくこの事実において、奥様も何らかの安らぎを見出せるのではないでしょうか。
Da "Il confronto", Anno 39 No 1 Gennaio Febbraio 2012
日本語訳 國司航佑
翻訳協力 下田和宣(京都大学文学研究科宗教学専修)