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一汁一菜のマラソン歳時記(その4)
2002年後半(秋・冬 2002.8月〜2003.5月)

 

目   次

  (4) 2002年後半(秋・冬)〜2003年(春)

第2回びわこ駅伝大会(20002年10月6
日)
第16回あいの土山マラソン大会
(2002年11月3日)
上田上体協・田園マラソン大会
(2003年1月12日)
第11回高槻シティ国際ハーフマラソン大会
(2003年1月19日)
第45回大津市民駅伝競走大会(2003年2月2日)
第14回大阪自治労連駅伝競走大会(2003年3月1日)
第10回京都シティハーフマラソン大会(2003年3月9日)

ジョギング日誌(20021.9以降)

美浜・五木ひろしマラソン(2003.5.11)

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2回びわこ駅伝大会(2002.10.6)


 第2回びわ湖男女駅伝大会が開催されました。13人で95.5kmを走破する壮大な駅伝です。2002年10月6日(日)7時30分に滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールをスタートして、フィニッシュは木ノ本町・伊香体育館。昨年も参加した上田上ランナーズは、今年も以下のメンバーをエントリーしました。

上田上ランナーズ(登録メンバー)
 
 1区 6.0q 堀野(女性区)    2区  8.8q 北川   3区 7.0q 西村    4区 7.0q 島林
 5区 6.1q 田中(女性区)    6区  8.8q 田村   7区 7.5q 山本    8区 8.3q 和田
 9区 5.9q 吉田(女性区)   10区 10.2q 松村   11区 6.2q 奥村   12区 6.3q 東郷
13区 7.4q 古市             合計13区間95.5q


エントリーチーム数

一般の部   80チーム    学生の部          6チーム     
高校生の部 7チーム   市町村対抗の部 42チーム(36q)

大会の様子

 わがチームは5時半に上田上市民センターに集合。メンバーの車に分乗して第一乗換センターになっている琵琶湖博物館に移動しました。そこで、同じ地域でもう一チーム編成したスポーツショップ「サル」の名前を付けたメンバーとも合流しました。1区と2区の選手はすでに集合地点へ移動済みでした。

 メンバー紹介と荷物の移動のさせ方を中心にしたミーティングをして、後は自分の走る区間へのバスを乗り継いでスタート地点へ移動しました。

 私の
10区のスタート地点は彦根の琵琶湖岸にあるトヨタ保養センターでした。ここから長浜にある豊公園までの10.2qが私の受け持った区間。13区間のうち、最長区間で各チームのエース級が参加するのは確実でそれだけ責任は重いわけですが、自分の走りをするだけしか解決方法はないわけで、自分のペースで走りぬこうと決めていました。

 最初のランナーが到達したのは予定よりも早い11時02分。立命館大学Aチームでした。その後市町村対抗のチームが入ってきて、規定の20分後である11時22分に一斉に繰り上げスタートとなりました。私が決めたペースは1q当たり4分30秒。皆はもっと早いペースなのですぐに最終組近くまで落ちましたが、そのままのペースで走りました。コースは左に琵琶湖を見ながら、車道を走る風光明媚な快適なコースでした。距離表示は1qほどにありましたが、ストップウオッチの時計を持ち込めなかったため、普通の時計での計測で、時間は概略でした。半分の5qまでは快適な走りでしたが、残り2qとなってからがしんどくなって少しペースダウンを余儀なくされました。

 正式タイムは後ほどもらえますが豊公園には
46分位で到達していたように思います。`4分半で走り切れたと思っています。その後バスでゴール地点に行って参加者と合流。表彰式を見ながら、全員で記念撮影をして、また琵琶湖博物館までバスで帰ってきました。そこから自家用車に分乗して、焼肉「えん」へ移動して打ち上げを行いました。22名の参加でにぎやかでした。夕方からは雨が降り出しました。

 市民ランナーチームとしての編成でしたが参加者は実業団チームに近いチームの参加が多くなって本格的な駅伝にするのか、市民駅伝で成長するのか、当事者が少し迷っているような、チームの集まり方というのが印象に残りました。 

(正式タイム等は追って追加します。)

職場新聞のコラムで取り上げました

十月に入って本格的なスポーツシーズン。学区の運動会などが催されます▼さて過日は貴重な体験をしました。「第二回びわ湖男女駅伝大会」。浜大津のびわ湖ホール前から木ノ本町伊香体育館まで九五・五qを十三人(うち三名は女性)で一人六q〜十qを走る本格的な駅伝大会です。私の住む学区でチームを組みました。現役陸上部の大学生や箱根駅伝を走った猛者から市民駅伝で鍛えられた勇者に混じって五十歳以上が六名もいる文字通りの混成チーム。出場は一般八十チーム・学生六チーム・高校生七チームの合計九三チームでした▼私の十区は彦根から長浜まで十・二qの最長区間で、左にびわ湖を眺めながら車道を北上する快適なコースでした。十一時二二分出発と高温の中、他のチームのエースには左右されずに、`四分三〇秒のマイペースを守って何とか完走できました。現役と猛者はやはり強くて一区二位、二区三位の好成績。それ以降は若者の貯金を熟年が食い潰す形になって、トータルタイム七時間十二分、八十チーム中五六位でした。ゴール地点に全員集合して記念撮影のあと焼肉で打ち上げ▼「たすき」をつなぐという連帯感から実力差があっても楽しく異世代交流ができるスポーツです(M)2002.10.8掲載)

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第16回あいの土山マラソン大会(2002.11.3)


 マラソン大会のうちでも、昔から定評のある『あいの土山マラソン大会』のハーフマラソンの部に今年,初めて参加しました。毎年11月23日に開催されていた草津ハーフマラソンが廃止になって、この時期に走るコースとしては、土山が良いと思ったからです。

参加者(種目はフルとハーフのみ) 
    〇マラソン男子 1,002名        マラソン女子 60名
   〇ハーフマラソン男子 1,860名    ハーフマラソン女子314名


大会の様子

 
11月3日は、冬型の気圧配置になって、風が強くて寒い日になりました。
 朝、7時に自家用車で家を出発。信楽を通って国道307号線から水口に入り、国道1号線を土山に向かいしました。休みの朝は道路が空いていて、予定を大幅に上回る45分で到着しました。

 誘導に沿って、田村神社から学校の駐車場に車を止めて、会場へ向かいました。
 すでに沢山の人が集まっていました。受付を済ませて、更衣室である開発センターの建物に場所を確保して、時間があったので物産展を覗きにいきました。

 青山の林さんが経営するスポーツ店「サル」が店を出していて、あいさつしました。県の陸上の役員である星利三さんにも遭遇。今日は30キロ地点の警備とのこと。ハーフなので、そこまで行かない、と談笑しました。びわこ駅伝にも一緒に参加した青山の和田さんと守山の吉田さんにも会いました。

 スタートは10時35分。コースは日本陸連公認で、1kmごとに距離表示がされていました。
 最初の下りのあとは平坦とは言っても、ダムをめがけて少しずつのぼりになっています。青土ダムが5キロ地点。後は平坦で、ダムを見ながら奥の集落へ。折り返しての橋が10km地点でした。後はダムまで戻って、やや下りのコースを一路ゴールに向かうという設定のコースでした。問題は強い風で、行きは背中からの追い風でしたが、帰りは前からの風で、身体から体温を奪って足が冷えて、13キロ地点くらいから、古傷の右足の膝下が痛み出して、大幅にペースダウン。騙し騙しのランニングとなりました。

 ラップは以下のとおりです。

1k 2k 3k 4k 5k 6k 7k 8k 9k 10k
5:29 10:19 15:20 20:11 25:30 30:20 35:19 40:20 45:25 50:15
11k 12k 13k 14k 15k 16k 17k 18k 19k 20k
55:25 60:31 1:05:50 1:11:10 1:16:45 1:22:05 1:27:30 1:33:05 1:38:55 1:45:02

  ゴールのタイムは、正式に送付されました。1時間52分05秒 でした。 

ハーフマラソン完走者数 1,830人
順位 747位

 12kmまでは1k5分の快調なペースを刻んでいますが、向かい風となった13キロくらいから足が痛みだして、ペースはダウン。右足を上げないすり足のような走り方になってしまいました。目標は1時間45分でしたから7分のオーバー。足が痛くならないトレーニングが必要。やはり、足の筋肉を増強して、最後まで足が上がるように鍛錬する必要がある、ということがよく分かりました。

 

第10回 新春・田園ミニマラソン大会(2003.1.12)


 今年は10回目の記念大会ということで、マラソンランナー兼フォーク歌手の高石ともやさんを迎えて、ジョギングコンサートも開催された豪華な大会となりました。

種目 
   〇6km 男子・女子        〇3km 男子・女子 
   〇2km 小学生・中学生以上  〇2km ウオーキング

大会の様子

 大会参加者は例年は200名前後ですが、今年は300名を越えて、参加賞が間に合わない一幕もあったくらいに盛況でした。特に中学生の参加が多くて、バスケット部や野球部、陸上部などがクラブ活動をさいて参加してくれました。
 私は例年、
3kmの部に参加しています。中学生に交じって一人孤軍奮闘といったところです。
3.2キロの部 14分37秒
順位 19位 / 80名くらい

 大会はすぐに青山小学校体育館に会場を移して、ジョギングコンサート。体育館も沢山の人が入ってくれました。往年のフォークソングや最近の歌を聞いて、元気になる歌があったりして、楽しく盛り上がりました。

 

第11回高槻シティ国際ハーフマラソン大会(2003.1.19)


 天気予報では、ちょうど気圧の谷が通過する影響で午前50%午後70%の確率で降雨、とコンディションが悪くなるということで、直前まで高槻へ出掛けるか、迷っていました。それでも、せっかくエントリーしたのだから、と気を取り直して参加しました。
 そうすると、予想に反して空は明るく、曇り・気温6度・微風・湿度77%という、絶好のマラソン日和でした。

参加者 
   〇ハーフマラソン男子 1,923名    ハーフマラソン女子293名
   〇男子10km        633名   女子10km      237名
   〇男子5q         272名   女子5q       152名
   〇ファミリー3km      714名   合計4200名余の参加

大会の様子

 
参加者は上記の通りです。4200名余。それでも更衣室は例年と比較して随分と余裕がありました。気温6度、微風はもってこいの天候ですが、問題は雨。寒さ対策のため、お店で黒の長タイツと白の短パンを購入。いつも痛くなる左足膝の下に予めシップを貼り付けました。そして背中にはカイロ。これで膝を守れると算段しました。

 芝生の陸上競技場の号砲は10時30分。15秒差くらいで出発できました。最初は人が多くてゆっくりのペース。芥川の堤防くらいからマイペースが確保できる体制になりました。170号線を越えて淀川の堤防に上がった地点が5q。25分19秒。ちょうど1km5分のペースです。後半いつもペースが落ちるのでここから少しだけペースアップ。上牧消防署の10km地点で49分。1分早くなりました。折り返して淀川堤防を進みます。風は後ろから。15km地点は1時間11分でした(多分プラカードの場所が400mくらいは間違っている)。いつもはここからの6kmが正念場。今回は膝が痛くならないだけ、スピードのダウンがありませんでした。ランナーには結構抜かれました。芥川の十三高槻線橋の下であと3km。タイムはちょうど1時間30分でした。これからキロ5分を守ることに神経を集中して走りました。あと1キロ地点で40分を回っていました。そしてゴール。タイムは1時間46分11秒。ちょうどキロ5分のペースを最後まで維持できたということに、今回のレースの収穫がありました。 

完走タイム 1時間46分11秒
順位 602位 / 1,923人のエントリー

ラップは以下のとおりです。

5k 10k 15k あと3k あと1k
25:19 49:30 1:11:50 1:30:15 1:40:30

 JR高槻駅から臨時バスに乗りましたが、そこで市バスの世話をしているのが市バス勤務の横江さんでした。日曜出勤で頑張っている様子。大変ご苦労さまです。ランナーでは政策推進室の梅本さんに遭遇。彼も完走できたようで、明るく笑っていました。

コラム動点で取り上げました。

マラソンランナーの有森裕子さんが「カンボジアで開かれたハーフマラソン大会で一位〜三位と地元選手だったことが何よりもうれしい」とあいさつしていました。カンボジア復興支援を冠にした『高槻シティ国際ハーフマラソン大会』がこの日曜日に開催され、参加しました▼JR高槻駅から会場までは臨時バス。市バスの職員が日曜出勤で乗客の整理をしていました。「今日はハーフ?」と声がかかります。本当に「ごくろうさんです」。エントリーは全体で四二〇〇名余でしたが、天気予報で降水確率五〇〜七〇%だったためか、更衣室は広めに確保できました。気温六度・天候曇・微風。これで雨が落ちなければ絶好のコンディションです▼一〇時半スタート。キロ五分のマイペースがどこまで守れるか、が今日の課題と自ら位置づけて走りました。十q四九分、二〇q一時間四〇分。残りが六分で一時間四六分のゴールとなってまさに「計算通り」でした。安全を見て長タイツに膝サポーターで防備したのがよかったかも。先ずは満足。ボランティアから支給のあった『甘酒』が大変美味しかった。選手姿の市職員にも幾人か会いました▼対人地雷の話では最近見た映画『ノー・マンズ・ランド』が強烈でした(M)2003.1.22掲載

第45回大津市民駅伝競走大会(2003.2.2)


 毎年田上盆地を利用して開催されている大津市民駅伝競走大会。学区・中学生男子・一般クラブが  6人×6区間=22.1km。登録者クラブが5人×5区=22.1km。女子の部が4人×4区間=11.2km。以上の4部に別れて開催されています。
 声がかかることはありましたが、学区の代表としての駅伝は荷が重いのと、若い選手が出た方が良いということで、遠慮していました。しかし、今年は、頼りにしていた人の都合が悪くなって、どうしても、ということで、臨時選手として参加しました。

 参加者 

   〇学区 20チーム (上田上学区はその中でA・B2チームをエントリーしました。
          〇中学校男子20チーム。 〇一般クラブ39チーム。
        〇登録者クラブ6チーム。〇女子の部28チーム。
 

 大会の様子

 
31学区ある中での20チームですから、少数精鋭のチームが出てきています。上田上Aは昨年3位の実績のあるチームで、今年も期待されていました。Bチームは熟年チームということで、学区で参加したチームの中では、一番年齢が上ではないか、と思われるチーム編成でした。

1区 2区 3区 4区 5区 6区 合計
4.2km 3.8km 2.3km 4.8km 3.8km 3.2km 22.1km

 編集長はBチームの4区に出場しました。4.8kmの最長区間です。各チームのエースが出てきていますので、マイペースを守って最後まで完走することを目標としました。
 地元の利があって、この付近は週末には
いつもジョギングしているコースなので、コースも距離も知り尽くしているのが、唯一心強い点でした。

 タスキをもらった時点で20位だったかもしれません。前も後ろも随分と開いていて、「独走」の走りでした。それでも後ろからは1人抜かれて、前の選手を2人抜きました。いずれも一般参加チームでした。
 結果は
20分33秒。ラップは以下のとおりでした。全体としては1kmの平均ラップが4分17秒。目標としていた4分30秒を13秒上回って、個人的には〇でした。ただし、エースはどこも速くて、学区の部20名中18位の成績でした。
 先頭通過後10分で繰上スタートということで、残念ながらタスキは渡せませんでした。

1k 2.3k 3.2k 4.0k 4.8k(ゴール)
4:25 10:11 13:50 17:23 20:33

 チーム成績は、Aチームが5位、Bチームが20位でした。正式タイム等はまた、連絡があるとのことです。いい経験にはなりました。


第14回大阪自治労連駅伝競走大会(2003.3.1)

大会の様子

 今年で14回目となる大阪府内の自治体に働く職員による駅伝競走大会ですが、今年から堺の大泉緑地公園から、会場が変更となって、大阪城公園となりました。ちょうど今は梅園んぼ見ごろを迎えて、非常に賑やかになる季節です。

 ただ、今年の場合は天気予報が当たって、朝から
、昼頃には強い降りとなる生憎のコンディションでした。そのため、参加チームは例年より少なめでした。

参加チーム  〇一般 23チーム(1人3.5kmの周回コース × 5人)  
          〇女子 
3チーム(1人3.5kmの周回コース × 3人)

チームの様子

 
生憎の降雨の中の大会となりました。トップを争う競争チームと、参加を楽しむジョギングチームに2分されました。我がチームは当然後者の参加を楽しむチームです。とにかく連続出場記録を継続させようということで参加したチームです。
 20-1 松村
 20-2 山脇
 20-3 中庭聖子さん
 20-4 中庭人司さん
 20-5 高田 のメンバー構成となりました。


レースの様子

 今年はいつもトップの山口さんが欠場で、
トップが回ってきました。雨の中ですから、早く終わった方が楽ということもあって引き受けました。丁度12時スタート。初めてのコースなので距離は不明です。大阪城の内堀を回る周回コースです。最初は元気良く飛び出しましたが、あとは自分のペースを保つことに専念。丁度真ん中に梅林の庭園があるのですがそこがきついのぼりの坂になっていて大変でした。噴水まできて後1km。何とかタスキをつないで、タイムは14分50秒。丁度1キロ4分15秒のペースで走れました。目標としていたタイムをクリアできて満足。次の茨木市からの助っ人も早くて14分47秒でした。そして、5人の最終順位は16〜17位で、十分に満足でした。

 正式の順位、タイム等はまた、送られてきます。

 帰りは、皆で一緒に食事を、ということで大阪城公園北に出来ている大きなビルの最上階の
ビアホールに入って、乾杯しました。

第10回京都シティハーフマラソン大会(2003.3.9)

記念大会

 今年は10回目の記念大会ということで、参加者の募集が何と1万人でした。毎年エントリーはしているのですが、抽選もれで過去1回走ったのみの大会です。それも、自分のコンディションが非常に悪くて16キロ地点で何と回収されるという悲惨な目に会った大会です。何としてもリベンジしようと思っていました。
 さすがに1万人となると抽選はなくて、番号がもらえました。
7381番でした。

 大会エントリーは金曜日に済ませて、当日は9時の号砲に合わせて京都勧業会館へ集合でした。
 朝起きて
ビックリ、外は一面の銀世界でした。3月も中旬の雪にはビックリしました。そえでもせっかくエントリーしたのだから、と決意新たに出かける決心をしました。そして、駅まで妻に車で送ってもらって出発。滋賀県からも沢山出場する人がいるようで、それらしいいでたちの人に沢山会いました。
 JR山科駅から地下鉄に乗って、一つ手前の
蹴上で下車。駅のトイレに寄ってすっきりしました。雪の降る中を勧業館に向かいました。中はすでに人で一杯でした。
 今日は寒さ対策が重要とばかり、
長タイツの背中の所にカイロを入れました。シャツは長袖にして手袋をはめて帽子をかぶって完成です。8時からのエアロビクスの準備運動に参加して、そのあと、道路をジョギングして身体を暖めました。
 それから、スタート地点に向かって、さあ、出発です。

レースの様子

 今年は1万人なので、番号順に整列しました。7381は大分後ろの方でした。午前9時に号砲。
それから、平安神宮の大鳥井をくぐるまで
3分間かかりました。それからも道一杯の人で、スピードは流れのままが続きます。2キロほど先の御池通りに入って、やっと走れるようになりました。烏丸通りを北に折れて今出川手前で5キロ地点。27分30秒くらいでした。そこから、今出川を東に行って賀茂川沿いを一気に北山通りまで昇ります。雪が降っていて湿度が高く、喉が湿って呼吸は楽でした。北山河原町で10キロ地点。51分37秒でした。最初の3分間の遅れを1分半だけ取り戻した格好です。ここからずっと東に向かって進み、川端通りを左折して一路、国際会議場の折り返し点を目指します。ここで、青山の和田克美さんを見かけて声を掛けました。折り返し点が13.8キロ地点。14キロで1時間11分17秒でした。ここからは叡山電鉄を越える橋の登りがある以外はずっと軽く下っています。
 距離の表示が1キロおきに出ているので、自分の走っているスピードが確かめられます。ここから先は
1キロ5分のペースをどこまで守れるか、が勝負です。白川通りをずーと下っていくたびごとにキロ数が増えていきます。20キロ地点の通過が1時間41分35秒でした。そしてラストランで、大鳥居にゴール! 1時間46分58秒でした。何とか完走することが出来ました。満足、満足。
足は確かに痛くはなりましたが、走れないほどの痛みは幸いにして起こりませんでした。

5キロごとのラップは自分の時計で以下の通りです。

ランナーズネットに号砲が鳴ってからゴールするまでのタイム(グロスタイム)が掲示されていました。正式タイムは
1時間46分57秒(2,962位/5,361人)でした。1秒の差。正確です。2003.3.21記

 ★大会実行委員会から完走・公式記録証が送られてきました。なかなか立派なもので気に入っています。

画像をクリックすると大きくなります。



正式のスプリットタイムが送られてきました。(2003.3.23記)

5k 10k 15k 20k ゴール
27:35 52:15 1:16:58 1:41:27 1:46:57

 

 

ジョギング日誌(2002.8以降)


2002/08/25
○また、秋の部のジョギングを再開します。例年よりも約1ヶ月早いように思いますが、今年は、10月6日に開催される『第2回びわこ駅伝大会』(13名が襷をつないで100qを走る)にエントリーしたために、何とか完走できる力を付ける必要があるからです。最初の今日は午後6時から、家の周りの所定のコースの6qをジョギング。タイムは34分23秒でした。とにかく暑かった。ここからスタートです。

 

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