つれづれ日記 3(2001.10〜 大戸川のほとり)   

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目        次

2001年
2001年11月11日(日)
 恒例の大学時代のゼミOB会「有田会」が開催されて、参加しました。
2001年12月08日(土) ウイルスに侵入されて、駆除するまでの顛末記です。

2002年
2002年02月27日(水) 2月〜3月と職場で『ホームページ作成講座』を開いています。
2002年03月8日(金)  職場でホームページ講座の3回目を開催しました。
2002年09月7日(土)  家のパソコンのハードディスクがクラッシュ・その顛末記です。
2002年10月14日(月) 来年の準備にチュッリプの植え付けをしました。
2002年10月20日(日) 上田上学区の市民運動会が開かれ、大忙しでした。
2002年10月27日(日) 大学の有田ゼミ同窓会が開かれ、参加しました。
2002年11月21日(木) 
びわこの南湖一周徒歩旅行に挑戦しました。

2003年
2003年01月13日(月) 遅ればせながら太神山不動寺へ新年の初参りへ行ってきました。
2003年06月08日(日) 学区対抗のソフトボール大会に自治会で参加しました。
2003年09月28日(日) 高槻市労組バスツアーで「明日香めぐり」に参加しました。
2003年11月08日(土) 恒例の大学の同窓会「有田ゼミ」が開催され、今年も参加しました。

 

 新しい順に並んでいます。         

2003.11.8〜9  
恒例の大学のゼミのOB会「有田ゼミ」の同窓会が開催され、今年も参加しました。

 今年の会場は、例年使用している「ヴィラ京都」。3時半に着くように、JRと地下鉄を乗り継いで参加しました。

 今年は、有田先生が直前に鼻血が止まらなくなって入院する事故があって、大事をとって欠席でした。それで、代表幹事の沓名さんを中心にして、近況報告を交換しながら、一年の温厚を深める会となりました。

 食事に先立って、先輩の吉田さん(「サンワ」の代表取締役)から、『バレイの魅力』と題して講演がありました。代表的なバレイ曲である『白鳥の湖』に題材をとって、実際のバレイを観賞することの魅力を、ビデオ鑑賞しながら、語られました。物語性を音楽と踊りで表現するというバレイは、とても奥が深いものであることを知りました。

 食事は、5つのテーブルを囲んでの懇談。最初に記念撮影しました。幹事さんが送って下さったらここに掲載します。食事の時間は、同時に参加者の近況報告を聞くことのできる時間でもあります。今年の参加者28名の、各々の発言は大変楽しいものでした。

 2次会は和室で設定されていましたが、今年は外に出るグループが多くて、私たちも後輩の衣川さんの紹介で、四条花見小路上がるにある飲み太郎ビル3階のスナック『美和』というところに4人で出かけました。スナックに行くのは何年ぶりかの話です。唄の好きな先輩の高寺さんが帰る時間になるまで、もっともっと、と精一杯歌っていました。

 翌日は全体としての行事はなくて、自由行動でした。私はもともと、大津のソフトボール大会に参加する予定でしたので、会場を後にして、比叡平に向かいました。後輩の衣川さんが車で送ってくれて大変に助かりました。

 有田先生に今年は会うことが出来ませんでしたが、いつまでも元気に生活して欲しいものと皆で話していました。

 来年も11月の第1土日に開催することが決定されました。

2003.9.28  
高槻市労組バスツアーで『明日香めぐり』に参加しました。

 市労組バスツアーの今年の目的地は「明日香」。古代ロマンが漂う魅力的な土地です。仕事が中止になってラッキーと、ソフトボール等の日程もありましたが、このツアーを優先させて、訪れたい場所をゆっくり見てまわることができました。

(以下は訪れた史跡です)

飛鳥寺(法興寺・元興寺ともいう)
蘇我馬子が発願し596年に創建された日本最古の寺。本尊の飛鳥大仏(釈迦如来像)はトリ仏師作の日本最古の仏像である。

石舞台古墳
最初の訪問地。全体を公園化して、入場料を取っていました。国営で村が委託を受けているとのこと。蘇我馬子の墓といわれています。快晴の爽やかな天候に恵まれて、気持ちよい一日となりそう。ガイドの人の説明を聞く。石舞台は方墓の上層部の土が流失して露出したものという。石の重さの話。室内は暗渠となって水処理がされているとのこと。墓の正面に遠く二条山が展望できます。

酒船石
酒つくり、薬つくりなど何に使用されたのかは今も不明である不思議な岩。丘全体が人工に盛られたものであること。石積みが4段あって大きな土木工事がなされたことが証明されているという話。

亀形石
平成11年に発見された新しい遺跡。清水を受ける石製の方形があってその上水を流し込む丸く彫られた石が亀の形をしている。回りは石積みがあって、階段があって。豊富な水が湧き出ている。道路建設しょうとして発見された遺跡で、酒船石と南北の関係にあるとのこと。ガイドさんは、丘全体が宗教的な儀式をする施設となっていて、ここで身を清めたのではないか、と推理しているとのこと。

甘樫丘
蘇我蝦みしの館があって、子ども入鹿の館が麓にあったとされています。ここに登ると北方向が開けていて大和三山(畝傍山・耳成山・天の香具山)が一望できます。南東の方向には飛鳥の里も一望できます。上から眺めると全体像が良く分かります。飛鳥寺・入鹿の首塚・橘寺・川原寺跡など。

キトラ古墳
現在保存中で、上からブルーシートが被されていた。朱雀も含めて四方の獣画が保存されているのが特徴。それと天体図があるのが特徴。星座が描かれている。朝鮮から伝来したものであることは確かとのこと。

高松塚古墳
古墳の壁画 昭和47年3月発見される。国宝指定。非公開。隣接地に壁画館を建設して、忠実な模写を展示する。白虎 玄武 青龍 男子群像 女子群像 
付近は公園化されていて、芝生風な広場もあってゆっくりできるようになっていました。国営の公園とのこと。

昼食(あすか野)
2500円くらいはする弁当がでる。個人負担でビールを注文。

 以上の観光地をバスを利用して回りながら、雑談と残りの徒歩を楽しみました。晴天であったのがなによりでした。
いいものです、バスツアー。自転車で回ってもグー。



2003.6.8  
学区対抗のソフトボール大会に自治会として参加しました

 年に1回開催されるソフトボール大会(体協主催)ですが、我が自治会からもチームを組んで毎年参加しています。
 自治会の平均年齢が上がったこともあって、試合に勝つということはとても目標にはなりませんので、集まって、楽しんで、食事して、交流するという参加の仕方です。

 今年の第一試合は青山1丁目。14対3で負けました。このチームが全体でも優勝しました。

 第2試合は青山7丁目。ここは7対1で同じく敗戦。平均年齢が50半ばではソフトボールも少し激しいスポーツになりつつあります。

 それでも、弁当を食べながら、わいわいと騒ぐのが行事です。卓球のほうは、賞状をもらった人がいたりして、盛り上がっていました。

2003.1.13  遅ればせながら、太神山不動寺へ新年の初参りに行ってきました

 毎年、初日の出を拝むために田上山に登っているのですが、今年は曇りであったことを幸いにしてサボってしました。それで、毎年、太神山・不動寺の「交通安全のお守り」を購入する慣わしになっているのが、果たせないでいました。13日はちょうど成人の日で、式に出席する長男を石山駅に送ったあと、思いついて、田上山(600m)に登ることにしました。
 途中まで車でアプローチしてあとは歩きます。今年はひとり旅。その替わりにカメラを持参しました。社務所には
三井寺から1人詰めていて、お茶を勧めてくださいました。
 「交通安全お守り」を車2台分購入して、これで一安心。不動寺に参ったあとは、少し凍っている山道を滑らないように気をつけながら帰りました。その途中で、
新免の森田家とばったり。考えることは同じだな、と思った次第です。
  
                                  (新年を静かに迎えた不動寺)

2002.10.20  リフレッシュ休暇を利用して、琵琶湖の南湖一周徒歩旅行に挑戦しました。

20021121日(木)天候 曇り距離 46.3qスタート 午前745ゴール 午後445 所要時間 9時間

 行程表

 瀬田唐橋 7:45 2.6q−近江大橋4.6q−矢橋帰帆島8.4q−琵琶湖博物館6.3q−琵琶湖大橋1.7q−道の駅11:30 24.7q

  道の駅 11:45 4.4q−雄琴温泉2.6q−比叡辻5.4q―柳が崎2.6q−浜大津 3:00 

  浜大津 3:15  3.2q−近江大橋3.2q−瀬田唐橋 4:45   46.3q

 一日かけて徒歩で琵琶湖の南湖を一周するというプランは紙上では特別大変なものとは思いませんでしたが、一日に46.3q歩くという経験がないためにその分安易に考えたのかも知れません。
 それでも、前半は
湖周道路があるため、距離表示がしっかりしていて、一qを
10歩く快調なペースで写真を撮りながら、進みました。琵琶湖大橋西詰めまで4時間弱。15分の休憩でパンの昼食。
リュックに食料・飲料・カメラ・地図を携帯していきました。
 
後半は、国道161号線を歩くコースです。歩道があったりなかったりの単調な歩き。30q過ぎの雄琴温泉くらいから腿の付け根付近が痛み始めました。それでも頑張って浜大津3時に到着。15km3時間強で歩いたことになります。40qでは7時間ジャストの計算です。
  浜大津で15分間の休憩。この休憩が逆に足が動かなくなる方向に作用して残り6.5qが大変でした。足を引きずっての歩行となりました。パルコに立ち寄って映画ハリーポッターと秘密の部屋を予約するなどの気分転換をしながら、何とかゴールしました。
  スタートが745分と遅くなって日没を心配していましたが、その寸前の445分にゴールできました。次回は日の長い5月が目標です。

 このびわこ一周のことをコラム動点で取り上げました。 当日の写真集をPDFファイルで準備しました。クリック!

 健康ウォーキングが盛んです。かねてからやってみたいと思っていた『ワンディ・ウォーキング』に挑戦しました。リフレッシュ休暇の一日を利用▼選んだのは琵琶湖の南湖を一周するコースです。地図で大丈夫だろうと目安を付けての選択です。瀬田の唐橋を午前七時四五分に出発しました。東周りでいくと、近江大橋から先は湖岸に沿って湖周道路が整備されています。広い歩道があり、対岸は比叡の山並み。色づいた葦の群生地が所々にあります。一qごとに距離表示があって便利。矢橋の帰帆島を過ぎて、琵琶湖博物館へと進みます。ハスが群生している水生植物園もあります。その先にはエリの定置網がありました▼琵琶湖大橋を渡って道の駅までで約二四q。約四時間で到着できました。帰りは湖西側を国道一六一号線に沿って歩きました。琵琶湖を離れたことで単調な歩きに疲れが溜まってきて、腿の付け根が痛くなりました。何とか浜大津に到着。ここまで四〇qの距離です。休憩の後、なぎさ公園の湖岸を足を引きずりながら歩いて、午後五時前に最初の瀬田の唐橋に到着しました。全行程四六qを九時間で踏破できました▼浜大津から東周りで琵琶湖大橋まで、全三〇qのコースがお勧めです(M)

 

2002.10.20  滋賀大学の有田ゼミの同窓会があり、参加しました(京都・アピカルイン京都にて)

 私の卒業した滋賀大学・経済学部は今年、80周年を迎えます。独立法人化の問題に揺れに揺れている今の大学ですが、私のゼミの指導教官であった有田正三先生も、大正3年生まれで、今年88才の米寿を迎えられました。多少足が弱くなったと、話しておられましたが、そういうこともあって『有田正三先生の米寿を祝う会』も兼ねて、京都のアルカルイン京都というホテルで、同窓会が開催されました。

 午後4時からは、大学の第4回卒業生(昭和30年度卒)である箸方海三さんから、『茶の焼き物』と題して講演がありました。自ら陶芸をしておられて、見る目が高いという所から、展覧会で入選した作品などを、テレビで紹介しながらの、話で、実践に富んでいた、何とも含蓄のある話でした。

 5時からは『米寿を祝う会』。先生に、箸方さん作の陶芸品の贈呈と、花束の贈呈があって、先生から話を聞きました。10年前にジージェック統計学のまとめをしようと始めて、1年ぐらいで完成するだろうという計画が結局十年たってしまって、やっと昨日、原稿を完成させたこと。学者は、研究を続けることがボケない秘訣だとおもって、専ら勉強に取り組んでいること。などを話されました。

 今年は総勢39名の参加でいつもになく、賑やかでした。最も先輩は第3回卒で(17年先輩)、小泉さんの音頭で乾杯。あとは、テーブルに配られた料理に舌鼓を打ちながら、同じテーブルの人と一年ぶりの話をしました。私は第20回卒(昭和46年度)ですが、私よりも若い人は3名参加。後はすべて先輩達でした。こういうゼミ同窓会は非常に珍しいと思います。近況報告は今年は人数が多いため、代表して第11回卒業の柏原さん(京都銀行頭取)から、話があって、銘々の話は割愛となりました。

 二次会は、部屋に戻って開催。半数以上が定年を過ぎて、第二の人生を頑張っている人でした。 先輩たちの話を楽しく聞くことができました。

 先生がお元気なうちはとに角年一回の同窓会が続いていて、今年は第40回目となる節目の会合でもありました。

 ぜひとも,来年も参加したいものです。

 

2002.10.20 上田上学区の市民運動会が開かれ、大忙しでした。

 今年の学区の運動会は、19日(土)の日から雨模様で、開催が非常に心配されていましたが、土曜日に基本的な準備を完了させたこともあって、何とか開催したいというのが準備側の期待でした。

 20日は、夜中降り続いた雨が一旦は止んで、雲も薄くなってきました。午前6時半に会場となる青山小学校グランドに集合して可否を決定するのですが、雨が落ちていない限り決行というのが皆の心となっていて、開催の運びとなりました。幸いなことに、グランドの水はけは非常に良くて、水溜りは全くできないまま、使用が可能となりました。

 競技は走力を中心とした競技は出来るだけ控えて、楽しく取り組める競技を、ということで毎年の理事が頭をひねって考案するのですが、結局、今年は前年と比較して、新しい競技は1種目となりました。

 玉入れとか、綱引きとか、大縄跳びとか、往年の競技は顕在ですし、リレーは男女混合が2種目のみ、あとは、血圧測定とか、ジャンボボールリレーとか、3人4脚とか、の楽しめる競技です。

 今年で、35回目を迎えた運動会で、昔から続いている競技に樽ころがしという競技があります。お酒用の樽は上と下とで口径が異なるため、上手に転がさないと方向性が非常に悪い。そのため、2本の棒を操って、片道20mの旗を往復するという競技です。各町は非常に力が入っていて、事前に練習をしたりしています。最終10人がプレーしてゴールしたのに、今は7番目の人の競技といった具合で、随分と差がつく競技でもあります。

 今年は会場を上田上小学校から青山小学校へ移動させたこともあって、青山小学校の生徒が随分と沢山参加してくれて、障害物競走は、1年から6年まで合計すると200人は走ったと思います。非常に賑やかでした。

 参加者数は公式発表はありませんが、自治会が16町あって、各町に100名参加したとして、1600名、それに子どもが200名とすると1800名の参加となって、大きな大会に成長してきています。

 私の役割は『競技準備』。20のプログラムに使用する道具をグランドに準備する係りです。前日が雨模様だっただけに事前準備が大変でした。体協の理事7名と各町2名の応援を得て、合計39名の大所帯で、何とか乗り切りました。

 我が町は、高齢者世帯が多いこともあって、子どもたちの参加を出来るだけ期待しての取り組みとなりました。体育委員の奮闘もあって、どの競技も棄権なしで、すべてに選手を派遣しました。結果は、16町中同率7位。過去では最も良い成績でした。私も男女混合リレーのアンカーを走って何とかちょっとは貢献することができました。 (2002.10.21記)

            コラムで取り上げました。

私の住む市には三一の学区がありますが、何処とも市民運動会が盛んです。二十日は私の住む学区で第三五回運動会がありました。全部で十六の自治会がありますが、平均すると百名は参加します。それに小学生が二百名・幼児が三百名。合計二千名を超える大きな行事です▼走力を競うリレーは二種目のみで、大縄跳びや綱引きや玉入れなど誰もが参加しやすいプログラムに工夫されています。小学生には障害物競走、幼児にはみやげを準備する配慮もありました。中でも楽しかったのは『樽ころがし』▼内径と外径が異なる樽を、二本の棒を操って上手に転がして旗を回って来るリレー競技です。誰でも出来てしかも大人でもなかなか難しい、良くできた競技だと思います。綱引き・玉入れと並んで当初からある伝統競技となっています。一人で片道二十bを往復する十名の選手で競いました。この日のために樽を借りて練習する町もあったりして白熱したレースに。結果は経験に勝る旧町が新興の町を圧倒した形になりましたが、拍手喝采に包まれました▼私は用具準備を任されて、二時過ぎからの雨に後片づけが大変でしたが、何とか仕事を全うしました▼春の鎮守祭りと秋の運動会が地域の時を刻みます(M)2002.10.23掲載

 

2002.10.14 来年の春に咲くチュッリップの球根をプランターと植木鉢に植え付けました。

 いつも10月になると、来年の春にきれいな花を咲かすチュッリップの球根を植え付けるのですが、今年はこの13・14の連休にその作業を行いました。

 先ず、玄関から出たところの道路にシートを敷いて、以前から使っている鉢の中のを開けます。そして、均して天日乾燥します。いつも丸一日乾燥します。今回は12日に開けて13日に作業して、また、13日に開けて14日作業と、2回に分けて行いました。

 畑の肥料として使っている「油粕」と「化成肥料」とを持ってきて、土に肥料を加えて肥えた土に変えます。先ず、山から腐葉土を少し拾ってきてプランターや鉢の下に敷き詰めます。そうして、乾燥させた土を入れて、そのあと、購入したチューリップの球根を並べていきます。プランターだと6個×2列で12個は並びます。今年はプランターは2本つくりました。あとは丸い鉢です。これは大きなものだと10個くらい、小さな鉢で4個と、千差万別です。

 今年はチュッリップの球根を90個も購入した関係で、沢山の鉢が必要で、結局10個もつくりました。

 その上に、何か花を植えても、チューリップ自体に栄養素を持っているため、十分に花を咲かせます。何か適当な花が見つかれば、また、植え付けようかな、ということで、今日のところは、土盛りのまま、家の軒下に並べました。 (2002.10.14記)

 

2002.9.7 家のパソコンが突然動かなくなって、サア大変。自力で脱出したその顛末記です。

 先月からパソコンの調子がよくなかったのですが、ディバイスを触って、ひとつ前に戻して何とか動きましたので、そのまま使用していたのですが、今日の昼に、立ち上げようと思ってスイッチを入れると、会社のロゴが出て、その後ストップ。暗い画面に線が一本入っているだけになってしまいました。セイフモードで立ち上げようとしますが、それもダメ。打つ手無しの状態です。

 それでは、と覚悟を決めて、先月パソコンの購入もとの相談室からもらった「OS再インストールの手引き」を取り出してきて初めからやり直すことにしました。こうすると、ソフトもハードも今入っているものは全て失われてしまいますが、windowsが立ち上がらないではこうするより仕方ありません。

 先ず、電源のコンセントを抜いてパソコンの裏に接続しているコードを全て外しました。しかし、再インストールする場合には、購入して以降自分で増設したものは全て外して、購入時の状態で立ち上げること、とありましたので、メモリーは良いでしょうが、一番やっかいな増設用の内蔵ハードディスクの接続を外す必要があります。それでカバーを取り外しました。ホコリで何と汚いこと。掃除機で全てを吸いました。そして、どれが増設したものかよく確かめてスイッチを抜き、接続コードも抜きました。これで一応完了です。

 そこで試しに、電源を入れてパソコンスイッチを入れで見ました。するとどうでしょう、windowsがしっかり立ち上がるではありませんか。これで原因の一端がつかめました。増設したハードディスクに何か不都合がおこっているのです。立ち上がった画面でCの容量をチェックすると、9Gのうち、8.5G位いっていて、残りは殆どありません。このままでは、ずっとは使えません。

 ここは思い切ってハードディスクを買い換えることが必要なようです。「善は急げ」とばかりさっそく草津のパソコン工房へ出掛けました。30Gで8200円位しましたが、それを購入しました。大きな出費です。念のために店員の人に取り外して持参した「ハードディスク」をチェックしてもらういましたが、案の定、何の反応もしないとのこと。これでは再フォーマットして使うこともできないということで、購入以外に手はないとのことでした。

 自宅へ持ち帰って、早速取り付けです。マスターが付いていた方なので、増設は「プライマリー」に設定。その仕方が図ではよく分からなかったので、パソコン工房へ電話して教えてもらいました。無事設定が終わって、金具で固定して配線し、カバーも取り付けて一応の完成です。スイッチオンで入れましたが、問題のwindowsは立ち上がりましたが、Dの認識がありません。

 これではDが使えない。もう一度パソコン工房に聞くと、パソコンに認識させるにはFDISKによる「設定」が必要とのこと。前回やったかも知れませんが、既に忘れていて全く思い出せません。DOSの知識が必要なようです。それで、電話による指示に従って、MSDOSプロンプトからFDISKを立ち上げて、設定していきました。そして、最後にD全体をフォーマットすると、使用可能となりました。

 午後からの時間を殆ど費やしての悪戦苦闘も功を奏して、何とか元のように使用することが出来るようになりました。「パソコン」は動かなければ只の箱です。Dのデータは全て消失となりましたが、これも仕方のないところでしょう。再インストールだとCのソフトも全部ダメになったところでしたから、半分くらいは助かったと見た方が良いと思うからです。 (2002.9.7記)

 

2002.3.8 職場で開いている『ホームページ講座』の3回目を開催しました。

 職場のホームページ講座の3回目は、実際にホームページを作っていく実習を行いました。フロントページ2000を使って、表でレイアウトしながら、記事を書き込んでいく作業です。見本の作業をプロジェクターで紹介して、今度は個人のパソコンで作ってみる作業を繰り返して進んで行きました。2ページ制作するつもりでしたが、結局1ページしか作れませんでした。

 次回までの宿題として、個人のホームページを作ってくること、とホームページアドレスを取得してくること、の二つを提案しました。やっぱり自分でつくって見ることがいちばんと思ったからです。一応4回の講座ですので、次回で終了です。どこまで上達することができるか、心もとない限りですが、せっかくの講座ですので、何とか形にしたいものです。(2002.3.10記)

 

2002年2月27日(水)
職場の親睦団体の主催でホームページ講座を開いています。4回連続講座で2回まで終了しました。ボランティアとはいえ、受講生の方が満足しているか、少し不安です。

職員の親睦団体で募集したボランティアに応募したろころ、本当に実行することになって、2月8日より、2週間に一回のペースで講座を開いています。幸い、職場のOAルームを借りることが出来て、全員が同じノートパソコンを使用して研修できることになり、大変助かりました。ソフトが問題ですが、NHKの趣味講座についていた『フロントページ2002』の期間限定版を使用することにして、全員にテキストを買っていただきました。参加者は11名+事務局2名で始めました。

 初回は1時間を話、残りの1時間をソフトの基本的な操作方法の説明ということにしました。
 講義の骨子は以下のとおりです。
 

追って記入します。

 2回目は見本をつくっておいて、その見本のようにホームページを書いていく実技をしました。このホームページのトップページにある試作品の二つはそのためのものです。その進行スピードがちょっと早くてよくわからなかったのでは、と不安になっているのです。2時間で4ページを仕上げるつもりで少しあせったのが良くなかったかもしれません。助手として長女が2回とも参加してくれました。帰りにご飯をおごってやる約束で。

 3回目も同様に実技を進めて行くつもりですが、今度はもう少しゆっくりと確認しながら進めていくのと、4回目までの宿題として、自分のホームページを何ページでもよいから書いてきてもらって、発表することを提案しようと思っています。(2002.2.28記)

2001.12月8日(土)
突然入り込んできたウイルスに一日右往左往、夕方になって、やっと駆除に成功して、事無きを得たという騒動の顛末です。

事の始まり
 
朝、パソコンを立ち上げてインターネットをしようとすると、ダイヤルネットの画面が妙に重たくて、ナカナカつながらない。そして、はじめてのホームページは何とか開くのですが、リンクから次に移ろうとすると動かなくなってしまう。凍ったような状態になるので、仕方なく再起動する。その時、ダイヤルネットのソフトが強制終了の形になる。どうもおかしい。
 
ウイルス検索ソフトの入手
 そこで考えたのが、「ウイルスチェック」。但し、「スキャンウイルス」はサポート期間が終了していて、アップデートできない。もし汚染されているとしたら最新のウイルスに間違いないから、このままではダメ。
 経験を頼りに、確かシマンテックの『ウイルスバスター』がネット上で試用版が入手できると分かっていたので、一発でシマンテックのホームページに飛べるようにと、ネット接続して、「ウイルスバスター2002」にたどり着きました。そこからダウンロード。ネットが使用不能になる前の状態なので何とか対処法があったということですが、これでネットが不能だと、本当にお手上げです。
 
ウイルスバスターの起動 
 ダウンロードが完了したら「exe」からインストーラーを立ち上げて、パソコンにインストール。30日間の限定使用でアップデートできないことが一抹の不安でしたが、とにかくウイルス検索と駆除を開始しました。
 作業時間はほぼ45分間。そして、「WORM BADTRANS.B」というウイルスが介在していることが判明しました。汚染日は12月6日。二日前ということになります。問題は、ウイルスバスターでは「駆除に失敗しました」とメッセージが出て、駆除できないこと。しかも、汚染されているのはWINDOWSのシステムファイル。これでは削除することもできません。万事休すか。
 ここで考えたのが、@ウイルスバスターがアップデートできていないから「駆除」できない。A他の正式版を購入して対処すれば可能かも。 立ち寄った「ミドリ電化」の販売員は「リカバリーする以外ないですよ。」と簡単に言う。そんなアホな。大変な作業になるではないか。そんなら正式ソフトを購入するのはちょっと待とう、と購入を取りやめました。
 ウイルスの正体を知ろう
 もう一度、原点に戻って「ウイルスの正体」を知ろうと、ネットで「スキャンウイルス」のホームページを検索。そこで、ウイルスの辞典を開いて「WORM BADTRANS.B」を調べました。そうすると、確かにそのウイルスは存在していて、そのページに「手動による駆除の方法」が書いてありました。何とラッキーなこと(日本ネットワークアソシエイツのHP)。自分で駆除すればよいことが分かりました。汚染ファイル名も全く一致していますから、間違いありません。
 
MS-DOSの世界で駆除
 その方法は、@パソコンを切るA立ち上げるのは「起動デスク」で行い、MS-DOS 画面にする。Bコマンドを打ち込んで、「WINDOWS¥SYSTEM¥KERNEL32.EXE」と「¥KDILL.DLL」のファイルを削除(DEL)する CWINDOWSを立ち上げる 以上で終了。聞いてみれば簡単かも知れないが、ここまでたどり着くのが大変でした
 原因は不明、気をつけよう
 何故汚染されたか、については全く不明。「Re:」で始まる無名のメールが3回ほどあって、全て開封しないで「削除」したのですが、何処かで間違いしたということしか考えられません。メールで感染しているのはほぼ間違いないところです。「監視役」として、最新のウイルスチェックソフトを常駐させておくことが何よりの予防です。
 皆さんもお気をつけ下さい。

2001.11月11日(日)
11月10日(土)〜11日(日)は恒例の大学時代のゼミのOB会である『有田会』が京都の「ルビノ京都堀川で開催されて、今年も楽しみに参加してきました。
 右の写真が全てを物語っていると思います。先生はこの日は風邪が完全には治っていないようでしたが、それ以外は随分と元気で、相変わらずの「有田節」も健在で、「小泉人気が何故生まれてしまったのか、教育はそんな日本人をつくったのか」と、しきりに批判を繰り返しておられました。

 今回の参加者は全部で22名。私よりも若い連中が忙しいのか、まったくさんかできないのは残念なことでしたが、3年先輩から話をいろいろ聞かせてもらって、楽しいひとときでした。

 翌日は、揃って、京都・東山の特別拝観が可能だった「対龍山荘」の庭園を散策して、秋の気配を感じながら、昼は「湯豆腐」で舌鼓を打ちました。

 来年も是非、先生の元気なお姿を拝見しながら、再会を果たしたいものです。2001.11.25記

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