一法無双の自選俳句
 
 日本広しと言えども俳句を嗜む者で禅の極意に到達した者は芭蕉と私の二人しかいません。
 俳句を作っていて思うことは自分ではまあまあと思って作ったものの、何か月ぶりかで見ると大した作品ではないと思うことが多々あります。その原因は独善的要素が大半を占めるといっても過言ではありません。
 
 俳句の基本は、共感性、含蓄、余韻を含み持つ作品でなければなりません。国文学者の佐藤勝明氏は「ただごと句」が氾濫していると苦言を呈しています。「ただごと句」とは五・七・五に詠んでいるけど「えっ、だから何なの」という何の共感性も含蓄もない句をいいます。それでもグーグルやエッジで自選俳句と検索すると上位にランクされているホームページも三つ四つあります。これはもともと自選俳句を発表しているホームページが少ないのでたまたま上位にランクされているだけで、アクセス数が多いからとか作品の質が良いからとかで上位にランクされているという意味ではないと思います。
 
 多分、本人は自らの作品に満足して発表しているのだと思いますが、箸にも棒にも掛からないような、どうでもいいような「ただごと句」が大半です。俳句を見ただけでその人のおおよその偏差値が知れ渡るので油断大敵にして詠む事が肝要です。
 
 独善的作品に陥ることは、俳句に限らずありとあらゆる芸術に関わる者の宿命かもしれません。今回なるべく独善句を排してこれはと思う自選の俳句を列挙して見ました。今回、新句は合計
10句緑色にまとめました。
   
 空と海清流菜の花吉野川
 引鴨の帰りそびれてただ一羽
 行く船に帰る船あり春の海
 浮気後のあけぼのの空缶コーヒー
 古妻の白髪を染めし春隣
 この月は猫も杓子も桜かな
 大病を乗り越え眺む桜かな
    東日本大震災後の新舞子海岸にて
 見つめしがただ見つめしが春の海

 古妻の眉をひそめし昼寝かな
 嫁かぬ娘の歯の覗かせし昼寝かな
 古妻のいそいそ出掛け独り鍋
 古妻の憎まれ口や年の暮
 妻と娘(こ)の向ひ炬燵で編みにけり
 古妻の炬燵棲家となりにけり

 歳経ても見果てぬ夢や去年今年
 さまざまな末の大阪宵えびす

 
 縁ありて夫婦となりし二輪草

 倦み疲れ旅路の果ての赤とんぼ
 遠近(をちこち)の人を集めて散るもみぢ
 諍ひし妻に黙せば除夜の鐘 
 人生の後悔ばかり除夜の鐘
 悲しみの多き人生秋の暮
 運命をいつも問ひかけ天の川
 
松茸の松葉しとねに売られけり
 ため息をついてまたつく年の暮
 伊勢海老や天下に伊勢を知らしめり

 
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