一法無双の自選俳句
 
 日本広しと言えども俳句を嗜む者で禅の極意に到達した者は芭蕉と私の二人しかいません。
 俳句を作っていて思うことは自分ではまあまあと思って作ったものの、何か月ぶりかで見ると大した作品ではないと思うことが多々あります。その原因は独善的要素が大半を占めるといっても過言ではありません。
 
 俳聖芭蕉にもそういった可もなく不可もなくといった作品が結構あるので、芭蕉といえども作句するのに独善的な感慨に左右されたものがあったのではなかろうかと思います。
 独善的作品に陥ることは、俳句に限らずありとあらゆる芸術に関わる者の宿命かもしれません。
 今回なるべく独善句を排してこれはと思う自選の俳句を列挙して見ました。
   
  空と海清流菜の花吉野川
  
  引鴨の帰りそびれてただ一羽
  
  行く船に帰る船あり春の海
  
  浮気後のあけぼのの空缶コーヒー
  
  古妻の白髪を染めし春隣
  
  この月は猫も杓子も桜かな
  
  大病を乗り越え眺む桜かな
  
     いわき市の新舞子海岸にて
  
  見つめしがただ見つめしが春の海
  
  古妻の眉をひそめし昼寝かな
  
  嫁かぬ娘の歯の覗かせし昼寝かな
  
  古妻のいそいそ出掛け独り鍋
  
  古妻の憎まれ口や年の暮
  
  妻と娘(こ)の向ひ炬燵で編みにけり
  
  古妻の炬燵棲家となりにけり
  
  歳経ても見果てぬ夢や去年今年

 さまざまな末の大阪宵えびす


 
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