一法無双の俳句一家言
 
 日本広しと言えども俳句をたしなむ者で禅の極意に到達した者は芭蕉と私の二人しか居ません。禅は、茶道、華道、剣、絵画、短歌、俳句といった習い事全てと密接な繋がりがあり、それら習い事の頂点と禅の極意には相通ずるものが存在しています。

 俳句とは作為を捨て物事のありのままを描写して尚且つ、端正にして共感性、含蓄、余韻を含み持つ作品でなければなりません。松尾芭蕉をはじめ近世俳壇史を研究している国文学者の和洋女子大学教授の佐藤勝明氏は、「ただごと句」が氾濫していると苦言を呈しています。「ただごと句」とは五・七・五に詠んでみたけど「えっ だから何なの」という何の共感性も余韻もない句を言います。

 私はもっと辛らつに「二束三文句」が氾濫していると言いたいです。何の共感性も余韻もない句を平然と詠む俳人に唖然とするばかりです。

 これだけ俳句が隆盛している近代において「ただごと句」や「二束三文句」が蔓延しているということは俳句の質が低下していることを如実に表しているのです。

 江戸時代や室町時代の俳句ですら「ただごと句」や「二束三文句」は少ないというのに・・・・・という思いです。


  智の一つ足らでをかしき案山子かな
   楽翁(江戸時代)
  浮草やけさはあちらの岸に咲く
    乙由(江戸時代)
  散る花の音聞く程の深山かな 
    心敬(室町時代)
       
  猪にだかれて寝たり萩の花
   高尾(江戸時代)

 吉原の花魁の高尾大夫が客を猪に見立て、自分を萩の花に例えた句です。正岡子規は古今無比の句とまで激賞しました。

  君は今駒形あたりほとゝぎす
   高尾大夫


 この句も名句といっても差し支えありません。花魁にも及ばない俳句をつくっているのがホトトギス出身者の俳人及びその亜流の俳人たちなのです。なぜ彼らの俳句にすぐれた句がないかというと、彼らの俳句姿勢にあるとしか言えません。彼らの多くは俳句に斬新性を求めるため、独善的、作為的、観念的、衒学的と誤った道に進むからです。その傾向は平成になったいまも続いており、それが俳句を一般から遠ざけた原因の一つでもあるのです。

 俳句は決して高尚でも難解でもなく、子供でも参加できるぐらいの易しい文学なのです。田捨女が六歳のときに詠んだと言う、

  朝の雪二の字二の字の下駄の跡

 誰もが知っている名句ですが、この俳句のどこに高尚で難しいところがあるでしょうか。

  高浜虚子の句

  流れ行く大根の葉の早さかな 
     この句を見たとき川べりで大根を洗っている女や、豪雨で増水した川などが思い浮かび瞬時に名句だと感じました。
  見下ろしてやがて啼きけり寒鴉
     謂応せて何もないとは言いませんが中位程度の句としか言えません。
  鎌倉を驚かしたる余寒あり
     謂応せて何もないとは言いませんが中位程度の句としか言えません。
  春風や闘志いだきて丘に立つ 
    凡句としか言えません。
  遠山に日の当たりたる枯野かな
   虚子の次女の星野立子の、大仏の冬日は山に移りけり、の方が俳句としては上ではないでしょうか。
  酒も好き餅も好きなり今朝の春
    嗜好を述べただけの凡句です。まさに「ただごと句」でしかありません。
  足もとに春の寒さの残りをり
    句意は分かりますが「ただごと句」でしかありません。
  春惜む命惜むに異ならず
    説明的な文言で「ただごと句」でしかありません。
  秋風や眼中のものみな俳句 
    説明的な文言で「ただごと句」でしかありません。
  顔かくし行過ぎたりし日傘かな 
    句意は充分に分かるが中位程度の句です。       
 さすがに虚子の俳句には俳人にとって最もへたくそな要素である独善的俳句や観念的俳句がほとんどありませんでした。
     
   去年今年貫く棒の如きもの 
     凡句の最たるものとしか言えません。

 この句のことを高浜虚子の孫である稲畑汀子氏はこう記しています。

 この句は鎌倉駅の構内にしばらく掲げられていたが、たまたまそれを見た川端康成は背骨を電流が流れたような衝撃を受けたと言っている。感動した川端の随筆によって、この句は一躍有名になった。

 こんな凡句で、背骨を電流が流れたような衝撃と言うのだから、私は川端康成の俳句感性を疑わざるを得ません。去年今年を貫く棒に例えるとは何たる低劣なのかと唖然としました。客観描写が俳句の本道であることを鑑みれば、何かに例える如しという表現すらも原則禁句のはずであります。しかし、虚子の俳句は、如し俳句と揶揄されるほどに如し俳句が多かったのです。
 
 私は虚子に反発していくつかの去年今年の俳句を作りました。

   去年今年幾たび過ぎし齢(よはひ)かな
  齢(とし)経ても見果てぬ夢や去年今年
  古妻の便秘で騒ぐ去年今年
  去年今年常と変はらず過ぎにけり


 フランス文学研究者の桑原武夫も俳句界の最高峰にいる高浜虚子や、その他の俳人らの下手くそな俳句が、俳句という形式が現代の人生を表し得ないとして、やや侮蔑的に第二芸術と銘打ったのです。
 
 桑原武夫は俳人十人の俳句に無名或いは半無名の五人の俳句を混ぜ十人の俳人の俳句が判るか試してみたのです。

 1   芽ぐむかと大きな幹を撫でながら
 2   初蝶の吾を廻りていづこにか
 3   咳(しわぶ)ポクリッとベートヴェンひびく朝
 4   粥腹のおぼつかなしや花の山
 5   夕浪の刻みそめてる夕涼し
 6   鯛敷やうねりの上の淡路島
 7   爰(ここ)に寝てゐましたといふ山吹生けてあるに泊り
 8   麦踏むやつめたき風の日のつづく
 9   終戦の夜のあけしらむ天の川
 10 椅子に在り冬日は燃えて近づき来
 11 腰立てし焦土の麦に南風荒き
 12 囀や風すこしある峠道
 13 防風のここ迄砂に埋もれしと
 14 大揖斐の川面を打ちて氷雨かな
 15 柿干して今日の独り居雲もなし

 これらの句に対して桑原は3、7、10、11、13などは言葉として何のことか分からないということです。

 結果、桑原武夫とその友人たちは一句だけではその優劣がわかりにくく、一流大家と素人の区別はつきかねるという事実に至ったとのことです。
 ちなみに、1青畝、3草田男、4草城、5風生、7井泉水、8蛇笏、10たかし、11亜浪、13虚子、15秋櫻子の俳句です。

 水原秋櫻子は「俳句のことは自身作句して見なければわからぬものである」というが、これにたいして桑原は、こういう言葉が俳壇でもっとも誠実と思われる人の口からもれざるを得ぬというところに、むしろ俳句の近代芸術としての命脈を見るものである。十分近代化しているとは思えぬ日本の小説家のうちにすら「小説のことは小説を書いてみなければわからぬ」といったものはない。ロダンは彫刻のことは自分で作ってから言えなどとはいわなかったのである。映画を二、三本作ってから批評せよなどといわれては、たまったものではない。しかし、俳句に限っては、秋櫻子が「何の苦労もせずして、苦労している他人に忠告がましい顔をして物を言うことはないと思う」と言うのは、俳句というものが、同好者だけが特殊世界を作り、その中で楽しむ芸事だということをよく示していると結んでいる。

 秋櫻子は桑原武夫が俳句を嗜んでいないことを知って足元を見て言っているのである。しかし、私は作句して、大家である俳人達に物申しているのである。もっともその大半は故人となってしまったが・・・・・。

 
水原秋桜子の俳句は、「万葉調」「抒情的」といわれる。それに「重厚」さも少し加わる。しかし、俳句に「万葉調」や「抒情的」であることは全然必要ないと思う。芭蕉が「俳諧は三尺の童にさせよ。初心の句こそたのもしけれ」といったのもそういった言葉の取捨選択は無用であるという意味である。水原秋桜子の俳句は作品を高めようとして五七五に多くの言葉を詰めようとしているのが見え見えでわかる。しかし、そういった思惑が却って俳句をダメにしていることに本人は気づいていないのである。
 秋櫻子の有名句に
 
  啄木鳥(きつつき)や落葉をいそぐ牧(まき)の木々
 
 という俳句がある。佳い句とされているが私はそれほどでもないと思う。
 
 しかし、この句は啄木鳥が秋の季語で、落ち葉が冬の季語となり季重なりになる。五七五の限られた文字数にこれでもかこれでもかと言葉を詰めようとするからこういった冗漫な句になるのである。この事については俳壇抄3号で(道)主宰の北光星という人がこういう風に述べている。
 
 この句の季語はと問えば<啄木鳥>と答えるだろう。つまりは啄木鳥が主の季語で<落ち葉>は従の位置にあり、それが判然としていれば季重なりもまた差し障りなしとする見解が多い。しかし、詭弁といった感じがなくもない。中略 かりに<北国や落葉を急ぐ牧の木々>となれば落葉が季語となるわけで、その転嫁の安易さが気にかかるのである。
 
  <北国や落葉を急ぐ牧の木々>の添削句を見たとき、<啄木鳥や>の時はさほど感じなかった北国の光景が彷彿として浮かび、この方がはるかに名句だと瞬時に感じた。水原秋櫻子は句を高めようとして啄木鳥を入れたのだろうが却って句を低下させたのである。
 
 俳句は人類誕生以来何十万何百万もの見慣れた光景や見慣れた動作などを句にしてこそ、俳句のもっとも大事である共感性が得られるのではないだろうか。例えば、蛇が電線を伝わっていたとか、カマキリが蜂を食べていたなんて句は共感が得られず、こんなものは俳句にするべき題材ではないと思う。  

  冬菊のまとふはおのがひかりのみ

 まとふはおのがひかりのみは観念的であり芭蕉の言う、「謂応せて何か有」ものは感じられない。嘱目吟だが芭蕉の

  白菊の目に立てて見る塵もなし
 
 の方が判りやすく句意に納得出来るものがある。
 
 ホトトギス出身者の多くの俳人の句は、独善的、作為的、観念的、衒学的と文芸の極意とはほぼ反対の方向に邁進している所がある。それが訳の分からない俳句を詠む一因となっている。水原秋櫻子や山口誓子には特にそんな句が多い。それがフランス文学研究者の桑原武夫が当時の俳人達を飽きたらなく思った第一の原因ではなかったろうか。

 昔、俳人の石原八束が現代句秀品批評のはしがきにこう書いていた。

 いつぞや、といってももう十五六年も昔のことだが、仏文学者の河盛好蔵教授と雑談をしていた折、先生は私の顔を見つめて微笑されながら云われた。
「近ごろは女性俳人が多くなって、洵に良い句を作っているのを見かける。自分も俳句が好きだから機会をみては注意して読んでいるのだが、雑誌の主宰者などの専門俳人の句の方がよほどよくないね」・・・・・と。
 俳誌の主宰者のはしくれでもあった私は赤面して恐縮したのは勿論だが、その私自身もその前から同じことを考えていて、俳句は専門家と素人もあまり上下の差異のない庶民の文学なのだな、とそう改めて思い直したことを忘れない。

 と語っていたが、差異がないのではなく、河盛好蔵ははっきりと女性俳人の方が良い句を作っていると断言しているのである。俳誌の主宰者などの句に「ただごと句」である凡句や駄句が多いのは万人が感じている所なのだ。
 閑話はさておいて秋櫻子の、

  青春のすぎにしこころ苺喰ふ

 青春のすぎにしこころと苺に何の脈絡があるのか。たとえ季語を入れるにしても何らかの脈絡は必要ではないだろうか。何の感興も起こらないまさに「ただごと句」でしかない。

  利根川のふるきみなとの蓮かな

 利根川のふるきみなとに蓮の花が咲いているという情景描写の句だが、短歌的・抒情的・詠嘆的と評した文芸評論家がいたが、いくらきれいに読もうと、謂応せて何もないもの、つまりただの描写だけでは良い俳句とはいえない。同じ情景描写でも、 浮草やけさはあちらの岸に咲く  乙由

 の方が謂応せて何かあることは誰が見ても明確である。

  高嶺星蚕飼の村は寝しづまり

 秋桜子の句の中で作為もなく衒学的でもなく一番ましな句だが、やはり含蓄、余韻に欠けるものがあることは否めない。

 私が凡人に毛の生えた程度と断じた、秋月龍aの「般若心経の智慧」という著作にはこう書かれている。

・・・・・禅の公案に、「帆掛け舟を止めてみよ」というのがあります。答えは立ち上がって自分自身が帆掛け舟になりきって動くのです。私の師匠の 苧坂光龍老師がこれをやられましたときには、私は思わず「あっ」と叫んだほど見事でした。理屈で説明すれば簡単なんです。私という主観がこちらにいて向こうに帆掛け舟という客観があります。そのうえで、向こうの舟を止める、ということは不可能です。主観と客観が分かれたところでは、そんなことはできません。そこで、禅ではその主観と客観とが分かれる前の主客未分の純粋境に働く「絶対無的主体」となって働く、それが「禅」だというのです。それで、自己と帆掛け舟と「不二」のところで動いて見せれば、公案はパスするというわけです。
 
 東京帝国大学(東大)本科卒業の秋月龍aと京都帝国大学(京大)本科卒業の苧坂光龍が東大選科の鈴木大拙の誤った論理にコロッと洗脳されたのである。
 
 選科とは、旧制の帝国大学では「本科」と「選科」という区別があって「本科」に入れるのは旧制高等学校の卒業者だけで、それ以外のコースを進んできた者は、たとえどんなに学力があっても「選科」に入るしかなかった。

 東京帝国大学の選科に学んだ西田幾多郎は、当時の選科生というものは誠にみじめなものであったという。学校の立場からして当然のことでもあったろうが、選科生というものは非常な差別待遇を受けていて、二階が図書室になっていて、その中央の大きな室が閲覧室になっていたが、しかし、選科生はその閲覧室で読書することもできず、廊下に並べてあった机で読書することになっていた。三年になると、本科生は書庫の中に入って書物を検索することができたが、選科生には無論そんなことは許されなかった、と回想している。

 また、京都帝国大学の選科に学び、のち本科に転じた菊池寛は、僕は選科生であるから、一隅に小さくなっているほかはなかった。自分は、学問には自信があったから、選科生たることに絶えず屈辱を感じていた、と回想している。
 
 秋月龍aは当然、鈴木大拙門下であるから、主客未分云々という間違った禅理論の大拙の受け売りは仕方ないとしても、そういった論法では、その他の「香巌上樹」や「南泉斬猫」のような主客未分とは関係のない公案はどう解くのかという疑問は抱かなかったのだろうか。

 それに細かく言えば、私という主観がこちらにいて向こうに帆掛け舟という客観があります。という センテンスもおかしい。なぜなら向こうにいる帆掛け舟も所詮は、私から見る限りは客観ではなく主観だからである。 

 そういった細かい間違いはさて置くとしても、公案の答えは「法」を根拠に答えると無数にあるが、しかし、「帆掛け舟を止めてみよ」の問題で自らが帆掛け舟になりきるというのは、「法」に悖り決して正解ではない。帆を降ろす、と答える方がまだしも「法」に準拠しており正しいといえる。
 それに自己と帆掛け舟と「不二」のところで動いて見せれば、というが、「不二」というのは愛と憎、生と死、美と醜、明と暗、煩悩と菩提、という風に相反する観念をいうのであって、自己と帆掛け舟を「不二」というと、石ころや、草木はいうに及ばず、この地球上の全ての物質と自己は不二ということになる。こんなむちゃくちゃな論法はない。
 その他「誤解された仏教」ではこう書いている。

「仏教を学ぶ者は、「正伝の仏法」を学ばなければならない。正伝の仏法を学ぼうとする者は、正師に就かなければならない。間違っても、道元禅師のいわゆる「教者法師」(きょうじゃほっし)に学んではならない。いわゆる仏教学者とか、仏教の本を書く説教者などに就いて学んではならない。彼らは、釈尊は「<縁起の理法>を悟った」などという、とんでもない誤った仏教を教えるからである。「仏教」は仏陀の教えであり、同時に我々すべてが仏陀に成る教えである。そして、「仏陀」とは覚者である。「覚」とは目覚め・自覚・自証・悟りである。自ら覚らない者、自ら証しない者に、仏法を説く資格はない。彼らにできることは、せいぜい"教えを説く"ことぐらい、すなわち説教である。"法を説く"こと、すなわち説法はできない。だから、禅宗では、古来法を説く(説法)師家と、教えを説く(説教)布教師との、役割りの分担を厳しく区別してきた。いや、たとえ説教する師であっても、和尚なら必ずそこに何ほどかの悟り(自証)がなければならない。「ノミのキンタマ八つ割り」ほどでも、「悟り」体験がなければ、禅僧とは言えないからである。

 いかにも、自分は悟り体験をしてきた者であり、悟り体験のない仏教学者、いわゆる「教者法師」(きょうじゃほっし)とは格が違うとでも言いたげである。

 体験主義論者は、誰もが金科玉条のように、悟り体験を強調する。秋月龍aは極論して、たとえ「ノミのキンタマ八つ割り」ほどの微小でも悟り体験がない限りは禅僧とはいえないとまで言い切る。
 しかし、秋月龍aはどんな悟り体験をしたというのか。私から言わせれば、鈴木大拙にしろ秋月龍aにしろ、真の悟り体験を実感していないにもかかわらず、いっけん聞こえのいい体験主義を標榜しているだけに過ぎない。なぜならば、悟り体験をしたという割には説いている内容があまりにもお粗末だからである。
「帆掛け舟を止めてみよ」の誤った見解に、見事と思ったり、自己と帆掛け舟を「不二」と解釈するなどトンでもないことを言い出す人間が、間違っても悟り体験をした人間に思える訳がない。
 また秋月龍aは
「仏陀は何を悟ったのか。学者たちは「縁起の理」を悟ったのだ、という。そして、それを受けて、今日では仏教を説く僧尼たちまでが、「仏陀は縁起の理を悟った」という。私は、この説に強く反対である。釈尊が悟ったのは、「縁起の理法]などではない。釈尊は、「無我の我」を悟ったのである。
 と、釈迦が悟ったのは「無我の我」だという。無我とは無心あるいは我執のないことをいう。しかし、無心あるいは我執のない自己というものは立派なことで、第三者にも堂々と説き明かせるものである。
 だが釈迦は、
「困苦してわたしがさとったものを、いま、説き明かすべきではない、貪りと、怒りに従う者たちに、この理法はよくさとることができない・・・」と言った。
 私もいわゆる「悟り」に到達したとき、この内容は、人には絶対理解されないもので、場合によってはあざ笑われるがごときものに等しいと思ったほどだ。
 秋月龍aのいう「無我の我」が釈迦の悟ったものなら、それを説き明かすことは何の弊害もなく、また聞くほうも、その内容はなんの拒否反応もなく理解できるものであり共感を覚えることも可能である。決して、この理法はよくさとることができない・・・・・などという性質のものではない。
 だから釈迦の悟ったものは決して「無我の我」なんかではない。秋月龍aは何を以って「無我の我」が釈迦の悟りだと断言するのか私には判らない。

 鈴木大拙は、釈迦の悟りを問題と一体になった疑問符のような状態と言い、弟子の秋月龍aは「無我の我」と言い、師弟の見解は必ずしも一致しない。何故こういうような状態が生じるかというと、双方が釈迦の悟りを把握できていないからである。

 一方で秋月龍aは悟りをこうも書いている。

「古人は「空」を「真空無相」(否定面)と「真空妙有」(肯定面)の表裏即一として理解した。それを「悟りの心理学」風に述べると、先の木村の(「真空から妙有へ」の著作がある戦前の東大教授木村泰賢のこと)「真空」(実は「無相」)から妙有」ということになる。より体験的に言うと、「死んで生きるが禅の道である。・・・・中略
 座布団の上で自我(エゴ)に死にきって、「真空無相」の境涯に入ると、ふしぎに「自我(エゴ)がなければすべてが自己(セルフ)になる」ということで「真空妙有」の境涯に出る。この「物我(我とそれ)一如、自他(我と汝)不二」の「自己」(無相の自己=無位の真人=本来の自己)の自覚が「菩提」(悟り)である。だから、「死んで生きる」(死−復活)と言い、「<無我の我=無心の心>の自覚体認」というのである。
  
 この文を読んでも私はさっぱりわからない。観念的、衒学的の範たる文章としか言いようがない。本人以外にわかる者がいるのだろうか。これらの結果、私は東大卒の秋月龍aを凡人に毛の生えた程度と断定したのである。

 鈴木大拙は文化勲章を受章し川端康成はノーベル賞を貰ったが、だからといって必ずしも人より秀でているとは限らない。

 高野素十の俳句
 
  方丈の大庇より春の蝶

 そんなに悪い句ではない。しかし、花鳥風月的な物を単純に描写しているだけで「謂応せて何か有」かと言うと何もない。

  やがて死ぬ景色は見えず蝉の声
  鷹一つ見付けてうれしいらご崎


 芭蕉の句だが「謂応せて何か有」のである。要するに共感性があるのだ。しかし、高野素十の句にはこれという共感性もない。ただ方丈の大庇から蝶が飛んで行っただけの描写でしかない。
 高野素十の句について秋櫻子は、これは恐らく竜安寺の有名な泉石を詠んだ句ではないかと言い、その大きな庇から泉石の上に蝶が下りた光景だと言い、虚子は、此の句が単純な写生ではなくて、竜安寺といふものの精神をとらへ得た俳句であると言った。この景を写生するという頭にはこれだけの瞑想が根底をなしているといった。

 こんなふうにすべての読者が俳句の背景にまで及んで解してくれたら俳人にとってこんなラクなことはない。句が二段階も三段階も上位に引き上げられるからである。しかし、すべての人が句を詠んだ背景を知っているわけではないので、あくまでも句は独立したものとして評価せねばならない。さすればこの句は謂応せて何もない平凡な句でしかない。

  春水や蛇籠の目より源五郎  

 蛇籠の目より源五郎が泳ぎ出て来ただけの何の感興もない句である。次の四句も

  ひとすぢの畦の煙をかへりみる 
  甘草の芽のとびとびのひとならび 
  おほばこの芽や大小の葉の三つ
  もちの葉の落ちたる土にうらがへる

 
 それがどうしたという「ただごと句」でしかない。

 秋櫻子はこれらの句に対して「草の芽俳句」と呼んで、同じ東京帝国大学医学部の高野素十を軽侮した節もあった。

 山口誓子の俳句

  かりかりと蟷螂蜂の皃(かほ)を食む    それがどうしたと言う「ただごと句」でしかない。

 カマキリが蜂を食べているところを描写したのだが、ただ描写すれば俳句が成り立つと大いなる錯覚をしているとしか思えない。俳句は描写プラス共感が必要だということを理解していないのである。

  ほのかなる少女のひげの汗ばめる 

 だから少女のひげが汗ばんでも描写すれば俳句になると錯覚しているのである。当然「ただごと句」でしかない。

  夏草に機缶車の車輪来て止まる 

 この句こそ何の感興もない凡句の極まりといっても良い。同じ夏草を季語として詠んだ芭蕉の、

  夏草や兵どもが夢の跡

 は、その背景がありありと浮かび、山口誓子の句とは雲泥の差がある。私も夏草を季語に、夏草のふてぶてしさや葉も茎も     と詠んだことがあるが芭蕉には到底及ばないとしても山口誓子の句よりましだと思う。 

  夏の河赤き鉄鎖のはし浸る

 私はこの句の意味が分からない。

  海に出て木枯帰るところなし

 一番ましな句だと思うけど観念的な句であることがありありと分かる。

  炎天の遠き帆やわがこころの帆

 この句も独りよがりの観念的な句で一つも共感するものがない。   

 
 流氷の宗谷の門波荒れやまず

 名句とされているが、さまざまな間違いの多い句である。まず国語辞典などでトナミを引くと戸浪と門浪の二つが表示され門波の表示はどこにもない。門浪の意味だが、辞書を引くと瀬戸に立つ浪と説明されている。瀬戸とは両側から陸地が迫った小さな海峡。潮の干満の差により激しい流れが生ずる。と説明されている。ところが宗谷の海を見てみると両側には陸地などまったく存在しない渺渺たる海峡であり、門浪などが生じる海ではないのだ。
 
 わたしがホトトギスの俳人たちの多くが独善的、作為的、観念的、衒学的と批判するのもここにあるのだ。衒学的に固執するからこういう間違いを犯すのである。ここはせめて、流氷の宗谷の海は荒れやまずと詠むほうが背景的には正しいのである。

 山口青邨の俳句

 1  銀杏散るまつたヾ中に法科あり
         言っていることは分かるがそれがどうしたというまさに「「ただごと句」でしかない。
 2  蜆汁家計荒るるにまかせをり
        蜆汁と家計の荒れるのと何の因果関係があるのか分からない。
 3  広瀬川胡桃流るる頃に来ぬ
        何の感興も起こらないまさに「ただごと句」でしかない。
 4  上下線ともに不通ぞ夜鳴蕎麦
        だから夜鳴蕎麦を食ったとでもいうのだろうか、何の感興も起こらない句である。
 5  おろかなる犬吠えてをり除夜の鐘
       犬が吠えたので除夜の鐘を聞く妨げになったのだろうか。しかし、おろかなるは形容動詞であり、俳句は形容詞も形容動詞もなるべく使わない方が良いというきまりも知らなかったのだろうか。わたしならせめて、犬の吠ゆ途切れ途切れの除夜の鐘 とでも詠むだろうか。この方が「謂応せて何か有」のではないだろうか。
 6  敗れたりきのふ残せしビール飲む
     
ただの散文でしかない。
 7  みちのくの淋代の浜若布寄す
     
「若芽寄す」の意味が全く分からない。全ての句が何の感興もない「ただごと句」でしかない。

 飯田蛇笏の俳句

  炉をひらく火のひえびえともえにけり

 蛇笏の俳句姿勢はこの一句にあると言っても過言ではない。普通なら火はあかあかと燃えにけりと表現するのが当たり前だが、あえて蛇笏はひえびえともえにけりと表現したのである。常識を嫌った表現方法である。しかし、文芸の世界に限らず全ての道の極意は素直その物にあるのだ。ひねくれた表現方法は未熟な者のする技なのである。

 十一世紀の宋の詩人蘇東坡が詠んだ、「柳は緑、花は紅、真面目」は誰が見ても素直な表現で、簡潔だが人を納得させるものがありそれゆえ現代まで感嘆して伝えられているのだろう。
 一休禅師の道歌にも

  見るほどに みなそのままの姿かな 柳は緑花は紅

 というのがあるが、道の極意に到達すると、すべてありのままを受け入れて、飾ったり技巧を及ぼしたりすることは極力避けるようになる。

 蛇笏の俳句は、見た光景の奥行或いは裏を描写しようとしているのがありありと読み取れる。しかし、芭蕉が、俳諧は三尺の童にさせよ、と言ったのは、我々が俳句を作ろうとする場合得てして、斬新さを求めたり、技巧を凝らしたりしようとするが、しかし、そういった働きを、芭蕉は邪道と言うのである。子供は見たままを素直に描写する。芭蕉はそれこそ俳句の極意だというのである。これは一朝一夕で到達した思いではなく、さまざまな技巧を取捨選択して行き着いたものといえる。
 
 ピカソにも芭蕉と似たような言がある。晩年ピカソは、「この齢になってやっと子供らしい絵が描けるようになった」と言ったが、絵を描くときは当然、遠近、陰影、濃淡とさまざまな技巧を凝らして描こうとするはずである。しかし、ピカソは気付いたのではないだろうか。技巧をつくした絵画はしょせん作り物ではないだろうかと。ピカソが子供らしい絵を描けるようになったのは、様々な取捨選択を行って来たその作為が誤りだと気づいて、やっと辿り着いた境地だったに違いない。
 
 蛇笏に限らず虚子以降の俳人たちの句には作為がありありと見え、それが俳句をつまらなくしている。例えば

  炉をひらく火のひえびえともえにけり、よりは

  炉を開く火のあかあかと燃えにけり

 の方が分かり易くていいのではないか。ひねくったような文言にするよりは、素直に表現するほうが作品としても支持されるのではないだろうか。俳句のつまらない作為は下手な三文芝居を見ているようである。        

  芋の露連山影を正しうす

 この句を名句とする人が多いが、何をもって名句というのか私には分からない。芋の露に連山が正しく映っているのだという説や、芋の露という近景と連山の遠景を対比させたのだろいう説があるが、そんなまちまちの説があること自体、俳句としての完成度が低いと言わざるを得ない。それに、影を正しうす、などの表現は独りよがりの観念的表現で文芸の世界では未熟の部類に入るのである。

 続いて蛇笏の句

  たましひのたとへば秋のほたるかな

 取りたてて良い句とも言いがたいが悪い句ではない。魂の概念は多くの人が丸い火の玉のようなものを想像するはずである。それを何の作為もなく蛍の光に例え、比喩が軽すぎる向きもあるがそこはことなくロマンを感じる所もある。

 阿波野青畝の俳句

  葛城の山懐に寝釈迦かな

 花鳥風月的描写である。「謂応せて何か有」かというと何かあるとまで行かないが、そんなに悪い句でもない。しかし、葛城の山の小寺で見た寝釈迦の図を詠んだとの解説を見て、それなら

  葛城の山の小寺の寝釈迦かな


 の方が謂応せて何かあるのではないだろうか。葛城の山懐では大層な表現に過ぎるのではなかろうかという観がする。

  八方に走り逃げたり放屁虫(へひりむし)

 それがどうしたという「ただごと句」でしかない。「謂応せて何か有」かというと何もない。只描写すれば俳句になるという考えは誤りなのである。

  なつかしの濁世の雨や涅槃像

 この句は涅槃会の日に雨が降っていたという光景を詠んだという。なつかしの濁世の雨がひとりよがりで観念的描写になる。私なら、

  この雨で濁世洗ふや涅槃像

 とでも詠むだろうか。

  伐竹をまたぎかねたる尼と逢う

 蛇が電線を伝わったとか、カマキリが蜂を食べたとかという同じ部類の俳句である。せめて私なら、

  伐竹をまたげぬ尼の思案顔
とでも詠むだろうか。

 
 ホトトギス出身の俳人達は何処か俳句を勘違いしている部分があるようだ。
     

 
杉田久女の俳句

 杉田久女はホトトギス出身の俳人だが、同時期に活躍した女流俳人たちの中では断トツで多くの良い句を詠んでいる。むろん駄句も多いがそれはすべての俳人に言えることで、俳人の真価はどれだけ多くの良い句を詠んだかで決まるのではないだろうか。

  花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ
    謂応せて何か有る上位の句である。
  谺(こだま)して山ほととぎすほしいまゝ
    謂応せて何か有る上位の句である。
  虚子ぎらひかな女嫌ひの単帯
      謂応せて何かある上位の句
  汝を泣かせて心とけたる秋夜かな
     謂応せて何か有るが中位の句
  張りとほす女の意地や藍ゆかた
    謂応せて何か有るが中位の句
  虚子留守の鎌倉に来て春惜む
     謂応せて何か有るが中位の句
  紫陽花に秋冷いたる信濃かな 
    謂応せて何か有るが中位の句
  入学児に鼻紙折りて持たせけり
    謂応せて何もない凡句。
  かくらんに町医ひた待つ草家かな
    謂応せて何もない凡句
  風に落つ楊貴妃桜房のまま
    謂応せて何もない凡句
  冬の朝道々こぼす手桶の水
    謂応せて何もない凡句
  熟れきつて裂け落つ李紫に
     只の描写だけの俳句。謂応せて何もない。
  春潮に流るゝ藻あり矢の如し
       
  春潮に流るゝ藻あり矢の如し、この句について虚子は「これは『矢の如し』が面白いと思ふ。『春潮に流るゝ藻あり』とは極めて一直線に叙してあって其の次に『矢の如し』という形容詞が来てゐる為に、其の春潮に流るる藻の状態が明瞭に想像される」とこう述べた。しかし、当初これは虚子の取った句の中にはなかったが、この句を二、三人の人が選んだので改めて虚子は注目し、わが不明を詫びて「これは私の見落とした句である」といって採用した。

 しかし、私はこの俳句には二つの添削すべきところがあると思う。
 「藻あり」が描写でなく説明になり、「矢の如し」も描写でなく説明になるからである二つの説明文を失くし、
 
  春潮に流れ行く藻の速さかな

 にする方が「謂応せて何か有る」の度合いが増し俳句としての完成度が高いのではないかと思う。

 長谷川かな女の俳句

  生涯の影ある秋の天地かな 
     生涯の影あるが観念的。
  小雀に楓の花の降る日かな 
     謂応せて何もない。凡句
  ほととぎす女はものゝ文秘めて 
     謂応せて何か有る上位の句である。
  母思ふ二月の空に頬杖し
   謂応せて何か有る上位の句である。
  不器量の猫を愛して卯の花腐し 
  謂応せて何か有る上位の句である。
  寝てしまう子の頼りなし冷奴 
  謂応せて何か有る上位の句である。
  呪ふ人は好きな人なり紅芙蓉
    句意は分かるが凡句
  手先あぶりて又飾りたる雛哉 
    句意は分かるが凡句である。
  藻をくぐって月下の魚となりにけり   
   凡句
  虫とんでそのまま消えぬ月の中 
     凡句

 長谷川かな女の俳句には案外上位の句があり、これは夫である東京大学薬学部出身の同じ俳人の長谷川零余子のアドバイスなり添削を受けたのではないかと思われる。同じ俳人のアドバイスなり添削を受けると俳句の質が高まることは当然の理であり、上位の句が多いのは多分そういう理由からだと思われる。 

 星野立子の俳句
       
  昃(ひかげ)れば春水の心あともどり
     春水の心が観念的。
  鞦韆に腰かけて読む手紙かな 
     鞦韆などと衒学的語彙を使わずぶらんこと言えば上位の句になる。
  大仏の冬日は山に移りけり
     謂応せて何かあるが中位の句。
  ままごとの飯もおさいも土筆かな
     謂応せて何か有るまでいかない。
  秋空へ大きな硝子窓一つ 
     句意は分かるが謂応せて何もない。
  囀をこぼさじと抱く大樹かな
     囀をこぼさじが観念的になる。
  朴の葉の落ちをり朴の木はいづこ
    句意は分かるが謂応せてなにもない。
  父がつけしわが名立子や月を仰ぐ
    句意はわかるがただそれだけの凡句。
  しんしんと寒さがたのし歩みゆく
    しんしんと寒さがたのしが独善的
  美しき緑走れり夏料理 
    句意は分かるがただそれだけの凡句
  雛飾りつゝふと命惜しきかな
 
   句意は分かるがただそれだけの凡句
 
 中村汀女の俳句

  外にも出よ触るるばかりに春の月
     謂応せて何か有る上位の句である。
  ぼうぼうと燃ゆる目刺しを消しとめし
     謂応せて何もない凡句である。
  単衣来て風よろこべば風まとふ 
     風よろこべばが独善的で観念的。
  しんしんと月の夜空へ柿若葉
     脈絡のない言葉を並べただけ。
  茨咲く水の速さよ旅をゆく
     脈絡のない言葉を並べただけ。     
  坂かけて夕日美し竹の春
     脈絡のない言葉を並べただけ。     
  抱く珠の貝のあはれを聞く冬夜 
     貝のあはれが独善的になる。
  ながれゆく水草もあり冬日暮る 
    言葉を羅列しただけの凡句  
  水仙や束ねし花のそむきあひ 
    句意は分かるが謂応せて何もない。
  白菜の山に身を入れ目で数ふ
    句意は分かるが謂応せて何もない
 
 稲畑汀子の俳句

  今日何もかもなにもかも春らしく
    何の作為もなく上位の句である。
  落椿とはとつぜんに華やげる 
    とつぜんに華やげるが観念的。
  空といふ自由鶴舞ひやまざるは 
    空といふ自由が観念的。
  光る時光は波に花芒  
    光は波にが観念的。
  どちらかと言えば麦茶の有難く   
    散文的で謂応せて何もない。
  年賀状だけのえにしもいつか切れ
    散文的で謂応せて何もない。                  
  日向ぼこし乍ら出来るほどの用 
    散文的で謂応せて何もない。

 全般的に凡句の多さが目立つ

 夏井いつきの俳句

  ぼうたんに触れて子供のはにかみぬ 
     情況がぱっと浮かび上位の句である。
  ていねいにおじぎして菊日和かな 
     謂応せて何か有る中位の句である。
  仏法僧廊下の濡れている理由
     独善的俳句の範たる作品
  遺失物係の窓のヒヤシンス
  「えっ それが何なの」といった「ただごと句」でしかない。駄句
  惜春のサンドバッグに預ける
 
   惜春のサンドバックが観念的の「ただごと句」でしかない。駄句
  さっきまで音であたり霞かな
     意味が不明
  冬帝やことに手強きジャムの蓋 
    ジャムの蓋が空けづらいことを説明している安易な句である。
  ポケットに入らぬものに朴落葉 
    句意は分かるが「えっ それが何なの」の「ただごと句」でしかない。
  秋の昼とは澄めるとも濁るとも 
    独善的で観念的
  甕に秋の七草椅子に両先生 
    句意不明の俳句である。
  鶏頭や十体分の穴である  
    句意不明の俳句である。
  雪女ことことここへ来よ小鳥
    独善的句意不明の駄句
  こんなにも寒くて漢字なほも書く
    句意は分かるが散文的駄句
  たかだかと冬蝶は日にくだけたり  
    観念的な駄句 
  雪片にふれ雪片のこわれけり   
    句意は分かるが謂応せて何も感じられない句である。
  ビル群の底の離宮の松手入れ
    ただ描写しただけの句意不明の俳句
  ふるへあふ音叉のごとく曼珠沙華
    独善的で観念的駄句
  犬靴をくはへてゆける子規忌かな
    蛇が電線を伝わったとかカマキリがハチを食ったと同じ題材である。
  先生と大きな月を待つてゐる    
    句意は分かるがただの散文である。
  電線のあまねし竜田姫の空
    秋の神の空に電線が張り巡らされている光景を詠んだ句で謂応せて何か有る中位の句。
  八卦見のをぢさんと見る大花火
    それを俳句にする俳句感性の乏しさを憂慮する。
  手の甲の血は野茨のものである
    それを俳句にする俳句感性の乏しさを憂慮する。
   一本の百合のごとくに戦はぬ
    観念的俳句の見本。
  重力を離るるさびしさに蝶は
    独善的な駄句
  蝶の羽たたむにしずかなる力 
    独善的な駄句
  花びらを追ふ花びらを追ふ花びら 
    言葉遊びを俳句にしようとしたが謂応せて何もない駄句。
  海女組合理事長再婚てふ噂 
    噂話を題材にするか・・・。
  抱きしめてもらへぬ春の魚では
    独善的で駄句
  桜貝ビスコの箱に入れてある
    それが俳句になるという考えを改めないと・・・。
  夕蝉をにぎるだんだんつよくにぎる
    それを詠んだ意味が分からない。ヒステリーでそうしたのか情緒不安定でそうしたのか、いずれにしても凡句である。

 今話題の俳人だけに多くの俳句を揚げて見てみたが、どうにもならない俳句ばかりで添削する気すら起こらない。当人はプレバトでタレントの俳句を添削しているが当を得た添削とは言い難いものが少なからずある。俳句の何たるかを全然分かっていないのではないかという感じがする。
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