Viaggi
サーーー!!
チェックアウト後、宿から支給される朝食券を握り締め提携店のバールへ。賑わう朝のバールでオヤジたちに潰されながら、アホの一つ覚えのようにコルネットとラテマキアートをゲット。ベタベタのチョコをガブリとひとくち。
うむ、やはりンマい!ラテマキアートもマイルドでンマし!バールに入った瞬間漂うカッフェや甘いパーネのニオイと、なぜか終日聞くけたたましい救急車のサイレン音を聞くと「ああ、ローマに来てるんですねぇ」とシアワセな気分になる。
ナポリまで列車の道のりはこりゃ長かった。行先は合ってるか途中不安になりつつも、テルミニを出発して3時間後、何もないのっぺりとした風景に変化が。前方に高層ビル群が見える!おお!あれがナポリの街ですぞ~!。
街歩き用に地図を貰っておきましょうと寄った観光案内所で係員とダベっていたオヤジが、こちらを向き嬉しそうに自慢の英語で話し掛ける。ガイジンとお話ししたいのだろう。しかしお勉強のためつたないイタリア語で返す。ナポリの見どころをまくしたてたオヤジと別れを告げ、ガイドブックでは悪名高いチェントラーレ駅前に出よう。身ぐるみはがされないよう気を引き締めて行かねば。


ツバをつけておいたお宿は工事中であるものの、宿泊は可能との事で部屋を見せてもらう。なんと改装したて、新品ピカピカのしかもコン・バーニョ(浴室付き)!値段もお安いのでその場で3泊の予約をしてしまう。南イタリアの物価の安さを差し引いても、こんなキレイな部屋がこのお値段で泊まれるとはなんとラッキーな。
さて、荷物も置いたので外へ繰り出そう!悪名高いナポリを体感してみようではないか!
行きたいと切望していたナポリの下町『スパッカナポリ』へいざ。鼻(羽)の利くカーニボン先導で進むと、本で見るいかにも『ナポリ』な狭い路地が我々を出迎える。おお、ワクワクしてきたぞい!
時期はすでに11月も終わり。そろそろナターレ(クリスマス)へ向けての準備期間とあって、オーナメントなどの屋台が狭い路地をさらに占拠し営業している。その中で我々の目を引いたのがプレゼーピオ。キリスト生誕の場面を模したジオラマだが、村が形成され川が流れたりと精巧な作りのものから、ソーセージがぶら下がった肉屋や野菜が積まれた青果屋など、色々な商売を模った小ぶりなものもある。夜には屋台の明かりが坂の下まで続く長い光の帯となって、のけぞるほど幻想的。危険との悪名高いナポリの夜は、意外にもロマンティコな光景を提供してくれた。

おお、もう昼2時も回ってることだし腹ごしらえといこう。辺りを見回すとありましたピッツェリア。せっかくのナポリなのだから『BRANDI』などの有名店に入ればいいものを、こだわりがないのが非グルメの楽なところ。『ナポリピッツァを喰って死ね』の名言どおり、モチモチした生地のマルゲリータを冷えたビッラで流し込む。
しかもこれには店員が1本分のビッラ代をつけ忘れていたという特典付き!路地のそこかしこにマリア像が置かれている信心深いナポリ。マリア様からの贈り物をありがたく頂戴しておく。
ナポリはよく治安の悪さが取り沙汰されるが、ショーウィンドウのガラスが割れたままになっているのを見るとあながち間違いではないと思ってしまう。それも一軒や二軒ではなく、また割られるからあえて直さない感丸出し。閉鎖された地下道へのシャッター前はゴミ溜めと化し、プップカ鳴らされるクラクションの大合唱で耳が痛い。

歌で有名な『サンタ・ルチア』はそんな街のカオスからちょっと外れた、高級ホテルが整然と建ち並ぶ海辺である。目立つ石碑も特に見られず、なぜここが歌の題材となり極東の民まで知るヒットソングになったのか疑問だ。海に向かってじっと誰かを待ってるようなカステル・デローヴォ(卵城)は、これまた冬の閑散期だからか妙に寂しげ。城の屋上から海岸線の向こうまで見渡すと、明日もいい天気になりそうな明るい夕暮れ。

そのリストランテに入ったのは特に目ぼしい所もなく、駅に最も近い場所の一つだったからだ。
心くすぐるリストランテが見つからず、仕方なしに駅近のリストランテに入ると、我々の給仕を担当したのは日本語の流暢なカメリエーレであった。
発音もかなり上級で、「コンニチワ」だけで 「日本語チョト話セル」とのたまう外人とは違い、流れるように「モッツアレッラは水牛のフォルマッジョです」と説明しだした。ヴォンゴレ・ロッソも非常に美味しく、おかわりしたヴィーノ代を勘定し忘れていることを差し引いても安い。
ンマい食事を終え、宿に戻り快適な部屋で明日の作戦会議。そうですなぁ、明日は駅のオヤジも推していたポンペイへまいりましょう。明日もいっぱい歩くんでしょうなぁ。おやすみなさいカーニボン。