アフターサービス



ダイヤモンドの歴史と鑑定基準


古代〜15世紀頃におけるベニス、リスボン、フランドル地方の発展
 ダイヤモンドが初めて産出されたのはインドで古代ローマ時代から存在していたといわれます。
その後、産出はインドのゴルコンダとボルネオ島のチェンパカのみで僅かなものだったようですが
13世紀ごろからヨーロッパとの交易で欧州へ広まりだしました。
ダイヤモンドはそのままでは透明なガラスや氷砂糖のように見えて特別な輝きを放つものではありません。
カットされてこそ美しさを放ちます。
当時、インドでも研磨は行われていましたが、王族が自分達のために研磨させていたようです。
職人は奴隷のような扱いでしたので、モチベーションも低かったのでしょう。
また、商売ではありませんので時間的にもゆったりとしていたのでしょうか。
技術の発展がありませんでした。
欧州では貿易商が王侯貴族へ販売していたので、モチベーションも高かったと思われます。
特にベルギーのアントワープが宝石のカット、研磨技術に優れた職人があつまるダイヤモンド産業の1大都市となりました。

 ヨーロッパでは11世紀から13世紀の約200年もの間、イスラムとの宗教戦争で9度にわたる十字軍の遠征を行っています。
欧州対中東という図式だけではなく、戦争によくある話で遠征資金、物資調達のため、東ローマ帝国(ギリシャ)など
同じキリスト教国まで攻撃し回を重ねるごとに大儀もない領土拡大目的の侵攻となっていた側面もあります。
ただ、、戦争はそういった負の一面がある一方、経済効果や技術革新も生み出す側面もあります。
その間、アジアとヨーロッパの交易が発展しました。マルコポーロでも有名ですね。
ダイヤモンドのカット技術の本格的な進展は16世紀になってからですが、12世紀のフランスには宝石細工職人の組合が存在し
南ドイツでは14世紀ごろにはダイヤモンドの研磨技術があったとされています。
GIAの機関誌Gems & Gemologyでも1400年代には既に始まっており、現代のカットへと発展したとあります。
14世紀〜15世紀の欧州は100年戦争で混乱を極める時代でした。
そういった時代には学校、法律、紙幣や貨幣、そういった国の根幹があてになりません。
ユダヤ人はキリスト教徒の迫害により、流浪を繰り返していますがそういった中で
彼らが信頼できるものは、どこででも換金や物々交換が可能な金や宝石となります。

 一方で、インド洋にはインド商人、イスラム商人による海上交易ネットワークがありました。
エジプトが海上貿易に積極的で、アジアとヨーロッパをむすぶ中継貿易で利益を得ていたのですが
パレスチナ地域のユダヤ人もその中で欧州への架け橋として貿易を行っていたと推測されます。
特にヴェネツィア共和国(現イタリア)は11世紀から免税特権を持ち
北にはドイツ、オランダ、東にはフランスと地理的にアジアと欧州を繋ぐ
交易地点として発展し、11世紀にはすでに莫大な富を得ていたといいます。
ダイヤモンドに関しても同様に中継されていたようですが、カットに関しては
フランス、ベルギー、ドイツといった周りの国で発展します。
特にフランドル地域(ベルギー)のブルージュへはベニスやジェノヴァの商人が大西洋沿岸を経由して
訪れるようになり、金融・貿易の一大拠点として発展しました。
インドから産出されたダイヤモンドをヨーロッパへの架け橋として
ベルギー(フランドル地方)では有数の港町であったフランス経由のブルージュ
ドイツ経由のアントワープがそれぞれ技術を発展させたと思われます。
フランドルはネーデルランド一帯で力を持つブルゴーニュ公国統治下で
イギリスとも交易があったのですが14世紀から15世紀半ばまで百年戦争の狭間で
イギリスからの毛織物産業の市場進出に保護を望んだブルージュと、逆に市場を
開いたアントワープで明暗が分かれだします。

当時は各地域の自治が強かったのでしょう。
イギリスとの関係を重視し、フランスとの戦いで敗戦したブルゴーニュ。
ブルゴーニュの敗戦はブルージュに特に影響を及ぼし、またズウィン湾にも土砂が堆積し
大きな船舶の航行には支障をきたしてしまいます。
港として経済の中心地としてもその重要性を失ってしまいました。
アントワープはブルージュにかわって経済の重要性を大幅に増します。
ダイヤモンドにおいて大きなニュースとしては1477年に初めて、ダイヤモンドの婚約指輪が贈られた事にあります。
シャルル大公(ブルゴーニュ公)亡き後の公女マリーとハプスブルグ家出身のマクシミリアン1世(後の神聖ローマ皇帝)との
結婚の証に贈られました。
 15世紀末には大航海時代を迎え、ポルトガル人、ヴァスコダガマのインド航路を発見します。
そして、アジアとヨーロッパをむすぶ中継貿易で利益を得ていたエジプトとの間にポルトガルが割って入ってきました。
アントワープは南ドイツの商人との交易や以前から行われていたポルトガルからの胡椒取引で活況します。
一方1492年スペインから追放されたユダヤ人はポルトガルへと移住し商業、金融業で主要な役割を果たしていました。
宝飾産業は今では規模が小さく、薄利多売傾向になっていますが、当時は為政者や貴族といった社会の中心層との
かかわりが深く社会的にも大きな信頼をもった産業であり、当然ユダヤ人も関わっていました。
ユダヤ人が増える事でアントワープと同様ポルトガルのリスボンも発展し、ダイヤモンド原石はベニスから
リスボンが取引の中継地として大きな役割を果たすようになります。 インドのボンベイから原石がリスボンを経由し
いくつかの港に寄港しながらアントワープ、ロンドン、アムステルダム、ベニスといった大都市へと
運び込まれます。又、ブラジルをポルトガル領として植民地化もしました。
ただダイヤモンド史においてはリスボンの隆盛は長くは続きませんでした。
スペインとの政治的な関係で、ユダヤ教徒に対し強制的な改宗をさせ、従わないものは追放としました。
改宗者も差別的な扱いを受け、ユダヤ人はオランダのアムステルダムやアントワープへと移動します。
ポルトガルのほうはスペインに併合され、ブラジルもオランダの支配を受けることとなります。
アントワープはヴェネツィアやドゥブロヴニク、スペインといったリスボン以外の
各地からやって来た商人たちが集まり活気のある町となりました。
現代のニューヨークのような感じでしょうか。様々な人種、宗教の人間が集まるコスモポリタン都市となります。
そういった中でユダヤ人が多数集まりダイヤモンド取引に大きな力を持ちます。

16世紀〜18世紀 オランダ、イギリス、フランスによる覇権争いとアメリカの独立
 16世紀後半になると、オランダ、イギリスも貿易に参入してきます。
ポルトガルは利益独占のために、対抗し軍事費がかさみ、負担に耐えられなくなってしまいました。
ポルトガルは人口規模に対しあまりにも広い交易圏を独占しようとしすぎたともいわれています。
17世紀初頭、オランダの海軍と商船隊はポルトガルとの戦いに勝ち、ヨーロッパの覇権を握ります。
ダイヤモンドのカット技術が本格的に進歩したのは16世紀以降で
16世紀初頭ではアントワープがカット技術の最先端を走っていたようです。
大国フランスもお抱えの職人を置いていましたが、アントワープのカット技術に適わなかったようです。
ただ、1618〜1648年は三十年戦争があり、ドイツ、フランスといった大国は疲弊と混迷を極めた時代となります。
アントワープでは組合ができ、職人達が技術を競い、伝承されてゆきまました。
それと同時、オランダの隆盛につれて当然オランダの首都アムステルダムが発展します。
アムステルダムとアントワープは160Kmと地理的にはそう遠くはありません。
宗教的にも寛容な土地柄でスペインやポルトガルからのユダヤ人の移動や
アントワープの組合の規則が厳しかった事もあり、職人の移動もあり、オランダの商業的発展の礎を築きました。

 オランダのアムステルダムがダイヤモンド原石を殆ど一手に担うようになります。
そして18世紀初頭までアムステルダムがヨーロッパ金融の中心都市となり
ダイヤモンドの研磨センターとしても繁栄しました。
アムステルダムが反映する中で、1652年イギリス海峡の制海権を賭けて英蘭戦争が勃発。
イギリスでは前後して清教徒革命、後半では名誉革命といったイギリス革命が起こりますが
他国も干渉する力が無く、自国内で完結したのがよかったのでしょう。
また、オランダは商業重視、利便性重視で、技術はあったものの大きな軍船を備えていませんでした。
そういったこともあり、イギリスがオランダに勝利し、この戦争で商業覇権が、オランダからイギリスへ移ります。
欧州以外でも北米のオランダ植民地もイギリス領となります。オランダ人が建設した
ニューアムステルダムという町がニューヨークと名前を変えて発展したのは有名な事ですね。
 アジアではイギリス東インド会社はインドで貿易をはじめますが、綿織物で莫大な利益を上げます。
インドに対する影響力が強まるに従い、ダイヤモンドもインドから英国への供給量が増えてきます。
そしてロンドンは、ダイヤモンド流通センターの一つとしての地位を確立しました。
現代においてもロンドンは研磨においてはインドが一番多くなりましたが、原石供給でも影響力の大きな都市です。

  次いで、イギリスのライバルとして登場してきたのがフランスです。
ルイ14世時代以来、積極的な重商主義政策をとって大変な贅沢をしていました。
当時、大商人たちは欧州大陸の主要都市に支店を構えており、ダイヤモンドの取り扱い高は少しずつ増加したようです。
ヴェルサイユ宮殿に王宮を移したのは1682年です。当然資金も必要で、軍備を重視し積極的な
拡大政策をとり、各地でイギリス勢力と衝突しました。ヨーロッパ以外で北米でもイギリスと戦い
1815年まで続く第二次英仏百年戦争という長い抗争になります。
ダイヤモンド産業は苦境の時代となります。
インドのダイヤモンドの資源の消耗で原石供給が減った事もありインド以外にダイヤモンドを求め調査が始まりました。
そして、1725年にブラジルでダイヤモンド鉱脈が発見され約1世紀の間は主要な産地となります。
前述のようにブラジルはオランダ人に支配されていましたが、潔く従属していたわけではありません。
現地の抵抗が続き、撤退を決めます。そして17世紀半ばにポルトガル人による支配の下となっています。
ブラジル人がポルトガル語を話す理由が何となくわかりますね。

 今までのインドからの供給量と比べると大幅に増え、アムステルダムやアントワープでは
ダイヤモンドの加工工場ができ、産業といえるものへと転換します。
又、1783年にはアメリカがイギリスから独立しています。
そういった中で、ダイヤモンドのカット職人はこつこつと技術の研鑽に励んでいたのでしょう。
ついに最初のブリリアントカットが登場します。ブリリアントカットとは片側にテーブル面を作り
その周りのファセットを対称形にすることにより光の反射を増やす事を目的としたカットです。
現代の婚約指輪によく使われるのがラウンドブリリアントカットです。
フェイスアップ(上正面)から見て17面とシンプルなものでマザリンカット(Mazarin)と呼ばれています。
イギリスと敵対していたフランスからの依頼で、地道に頑張っていた
アントワープが再びダイヤモンドの研磨において優れた技術で注目される事となりました。
フランス、ドイツに挟まれ、対岸にはイギリスがある。
弱小国は生き残るために技術を磨くしかなかったのかもしれません。
どこか日本と似ているような気もしますね。

18世紀末〜現代 ジュエリーの普及と民主化の時代へ
 ルイ16世(1754-1793)の頃になるとフランスの財政悪化と民衆の不満が極限に達し、1789年にフランス革命が起こります。
2011年の北アフリカ〜中東の民主化を求める内戦と似た感じですが、革命が波及する事を
恐れた各国は内政干渉をしてきます。そして、フランス革命戦争へと発展していきます。
1804年皇帝となったナポレオンの登場でフランスは勝利を収めロシア、スウェーデン以外の欧州大陸を領地としました。
宝飾産業としてはナポレオンの戴冠式の絵画などでも、確かに豪奢な様子は感じられます。
古代エジプトやギリシャ、ローマ時代までにしか使われなかったティアラを復活させたのもナポレオンです。
イギリスではジョージ4世(1762-1830)の時代、ジョージアン様式と呼ばれるで貴族中心でしたが量的には僅かです。
当時のダイヤモンドの産出はブラジルが主となり、ローズカットが中心でした。
ちなみにブラジルは今でも細々とではありますがダイヤモンドは出ているようです。
フランスはナポレオンの専制政治の中、イギリスとの関係の悪化は止められず
イギリスは産業革命などを経て、最終的にはイギリス優位で100年戦争が終結します。
 
  経済の中心となったイギリスではアンティークジュエリーで有名なヴィクトリアン (1840年頃から1900年頃)
エドワーディアン(1900頃〜1920年頃)といった時代へと続きます。
裕福な中産階級の層が厚くなり、1850年代以降アメリカやオーストラリアのゴールドラッシュも始まり
ジュエリーの製作量が一挙に増えました。
又、1866年に南アフリカはキンバリーでダイヤモンド鉱脈が発見され、アフリカの他の国でも
次々と同様の鉱脈が発見されます。

  ダイヤモンド史上で大きな事といえば技術革新でオールドヨーロピアンカットが
生まれたことでしょうか。19世紀には人気を席巻します。
フランスで作られる事が多かったのですが、特にヴィクトリアン時代は
表はダイヤモンドを美しく見せるために銀を、裏には酸化した銀で洋服が汚れないように
金張りや金で作られたりしたものも多く、石がセットされた部分はスプリングのような細工で
揺れ動くようなものあります。現代ではもう作る事さえできないような手間がかけられ
高度な技術が駆使されています。逸品といえるジュエリーも多く作られています。
又、ジェットに代表されるように宝飾が一般へと広まりだした時代でもあります。
凝ったものばかりではなく、手軽に作られたものも出てきた時代です。その後には
ヴィクトリアン時代のデザインを引き継ぎ、アールヌーヴォーの時代を経て、また一つ大きな進歩を遂げます。
エドワーディアン様式では初めてプラチナが使用されるようになりました。
プラチナは硬い上に、金ほどの展性がないために扱いにくかったのです。

このころからダイヤモンド原石を取り扱うロンドン、カット技術に優れたアントワープ、フランスやアメリカの
現在における有名ブランドとなっている名だたる宝石商が王室ご用達となって宝飾の華々しい時代を迎えます。

 そしてダイヤモンドラッシュに沸くアフリカに目を付けたのがセシル・ジョン・ローズという人物。
小さな鉱山主から身を起こした彼は生産の急増による乱売で経営を脅かすことにもならないと考え
個々で採掘していたものを、集団として効率よく採掘し生産と市場の秩序を安定させようと
1888年に設立したのが有名なデ・ビアス社(De Beers)です。
セシル・ローズは1890年にはケープ植民地政府の首相まで上り詰めた人物です。
後のボーア戦争の元ともなる行動で失脚しましたが、ダイヤモンド史上では必ずといって出てくる名前です。
1899年にはイギリスとオランダ系移民による第二次ボーア戦争による不況の10年間が続きます。
1908年、ドイツ領の南西アフリカで新しいダイヤ鉱床の発見され
アントワープ以外に17世紀から欧州中部の中心であったフランクフルトでも
少ないながら ダイヤがカットされていたようです。
その後、サラエボ事件をきっかけに植民地の再分割を狙うドイツが同じドイツ民族でもあり
当時大国であったオーストリアと組んでセルビアに宣戦。
1914年にはドイツ、オーストリアVSイギリス、フランス、ロシアという構図で世界第一次大戦へと発展します。
開戦当初は圧倒的に強かったドイツ側はフランス領の一部を占領。ロシアにも侵攻しました。
オランダはベルギーは中立国ではありましたが地理的にベルギーはフランスへの通り道です。
ドイツはベルギーに対し宣戦布告はしないかわりに、通行権を与えるよう通告。
これに拒否したためドイツに侵攻されます。
当時、デビアスはダイヤモンドの原石を一旦ロンドンへ集めた後
DTC(デビアスの分類、販売部門)が工業用と宝石用を仕分けし販売するわけですが
アントワープはデビアスの拠点ロンドンのからの原石供給が止まり
中立を保っていた隣国オランダのアムステルダムへと職人は移ります。
同時にイギリス政府もベルギーからダイヤモンド産業育成のために職人を移住させました。

 当時では既にアメリカは一番魅力的な市場であり、アムステルダムやロンドンのダイヤ業者は、
開戦当初において戦争に無関係を決め込んでいたアメリカへとどんどん売り込みを増やし栄えます。
そしてロシア革命が起こり、ドイツは有利に戦線を進めていたでしたが、1917年アメリカが
ドイツに宣戦布告することで、ドイツ側は敗戦。1918年終戦となりました。
 ダイヤモンド産業で大きな出来事はカットの面で第一次大戦終戦時の1919年
数学者マルセル・トルコウスキー(Marcel Tolkowsky)によって
ラウンドブリリアントの理論が「ダイアモンドデザイン」という本で出版されました。
このカット理論はアイディアルラウンドブリリアントとして今でも研究の元とされています。
彼は4代目ですがトルコウスキー一族は2代目がアントワープのダイヤモンド取引所初代会長を
努め、現在でもGabi S. Tolkowsky氏は著名なカッターとして活躍しています。
その理論を元に研究が進められ、1940年前後にはエプラーのPractical Fineが発表されました。
特に1970年代以降にはブルース・ハーディングがトルコウスキーの限界といった論文を発表したり
ドッドソン、ユーリッツによるが新しい理論も立て続けに発表され、進化を遂げています。
ブルース・ハーディングはつい最近の2004年の国際ダイヤモンドカット協議会でも発表をし
光線分析のプログラムを発展に貢献している著名なラピダリーです。
第一次大戦終戦終戦後は戦勝国と良好な関係であったベルギーへは人が戻り、アントワープも少しずつ
以前のように活気を取り戻しました。
そして、1920年頃からアメリカ経済はバブルのような好景気。
世界的に自由貿易の志向が強まる中で輸出を順調に伸ばし、イギリスやフランスに変わり
世界の指導者へとのし上がっていきます。ダイヤモンド産業も良い時代を迎えますが
1929年には再び不景気の時代。世界恐慌を迎えます。
不景気になるとアメリカ、フランス、イギリスは保護貿易で何とか持ちこたえようと
しましたが、他の国は大混乱に陥ります。そして第二次世界大戦勃発。
ナチス・ドイツによる迫害でアントワープやアムステルダムのからユダヤ人難民は
米国、イギリス、ブラジル、キューバ、プエルトリコ、当時のパレスチナ(現在のイスラエル)
などへと移住していきダイヤモンド研磨技術を伝えました。ロンドンでは多くの原石が保管されました。

 デビアスはセシル・ローズ亡き後1930年にドイツ系ユダヤ人であり、資源投資会社であるアングロ・アメリカン(AAC)の創設者
オッペンハイマーの一族が会長に就任すると揺ぎ無い力を持ち、現在でも原石の30%を握る最大のサプライヤーです。
その少し後、第二次大戦終結後にはユダヤ国家であるイスラエルへも原石が流れるようになります。
そういった中で特に発展したのはテルアビブ(イスラエル)でユダヤ人が研磨工場や取引所を作った事で発展しました。
終戦後イスラエルが一手に担うと思われたダイヤモンド産業ですが、デビアスを通さずに
アフリカから直接買い付け使用としたことでイスラエルとデビアスの間で軋轢が生まれます。
その後アントワープへも人が戻り始め復興を果たしました。
2011年現在ではダイヤモンドの取引所は29あり、そのうち4つはアントワープにあります。

そして、ダイヤモンド産業の4大都市としてアントワープ、テルアビブ(イスラエル)、ムンバイ(インド)、ニューヨークとなっています。
又、デビアスはあのLVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)と提携し、小売業にも進出し南アフリカに拠点を移しています。
南アフリカのヨハネスブルグは多くのダイヤモンドがカットされていますし、 隣国ボツワナにもDTCができ研磨工場が作られ
ボツワナの産業育成に繋がっています。アフリカ大陸の各都市もダイヤモンド産業には大きな影響を与えるほどに発展しています。
 
 4大都市はカッティングセンターというだけでなく取引所があるという点で強みがありますが各地で特色があります。
  アントワープは今でもダイヤモンド産業の中心地として機能しています。
欧州において地理的な優位性とベルギー政府のダイヤモンド産業に対する優遇措置、長い伝統によるインフラができている事で
信頼感があったのでしょう。そして、市場として大きなアメリカは独占禁止法が制定されている事である程度分散を促します。
1つの国、企業へ集中しすぎないようになった事でアントワープが復権が可能になった面もあるかと思います。
ニューヨークは世界の一大地として有名ですが、今でも原石の70%はアントワープで取引がされています。
ただし、現在は取引が中心で残念ながら石のカットに関しては大きな石が少し研磨されるだけでカッティングセンターとしては
他地域に役割を譲り、原石や研磨石の集積地となっています。
  インドのボンベイ、スラトは16世紀末アントワープから研磨技術が伝えられた事と人件費の利点から研磨地として
大きなシェアを誇ります。小さな石を扱うことが多い都市ですが、特にスラトはそういった石の大半のダイヤモンドをカット
研磨しています。
 テルアビブは今でもダイヤモンド供給の30%をたるデビアスがユダヤ系である事の影響も大きかったのでしょう。
ダイヤモンドは1970年代に投機の対象となり、バブルと破綻を経験しましたが、そこでイスラエルに影響力を持ったのが
やはりデビアスです。 近郊のラマトガンに大きな取引所があると同時にカッティングセンターとしての
機能も大きな役割を果たしています。
 ニューヨークは触れる必要もないと思いますが、世界一といっても良い経済都市です。
大粒、高級品が集まりますが、研磨は主にプエルトリコで行われています。
又、高度な技術と自由を愛する国民性が影響してか、リリィカットなど個性的なカットは大抵アメリカで生み出されます。
 他にローマ、パリ、フランクフルト、リオデジャネイロ、香港、バンコクなども小さなカッティングセンターがあります。

そして、オーストラリア、ロシアといった産出地では現地工場で直接カットされる事も増えてきています。
同様に、中国からもダイヤモンドが産出されており、他国からの原石研磨の依頼も増えてきているようです。
流通経路が多角化してきていますし取引所は今では世界中に約30もあります。
ダイヤモンド産業は20世紀に入ってからは王侯貴族や富豪相手だけではなく
中産階級へ販売することで成長を遂げてきたのです。

 簡略化した世界史のようになってしまいましたが、王侯貴族が消費対象であったジュエリーはその国の政治や体制と
密接な関係があり特に欧州の歴史が深く影響してきます。 長々となりましたがお許し下さいね。

日本でのダイヤモンドジュリーの広がり
 日本に関しては全く話が出てきていないので、日本ではいつからダイヤモンドが広く装いに使われ初めたのかを少しだけご紹介いたします。
日本で初めてダイヤモンドを身に付けたのは江戸初期の頃、伊達政宗の家臣、支倉常長だといわれています。
遣欧使節団を率いてヨーロッパへ渡り、早くから欧州の文化に触れた人物です。
しかしながら、実際に国内で広まりだしたのは幕末から明治にかけてで、欧州やヨーロッパへ勉学に渡った人たち
が持ち帰った品々が殆どになります。
当時は女性用のものは着物文化ということもあり、多く菊の紋様などを彫った指輪、髪飾りや帯留め、 ピンのようなものをさす
といった感じで日本の技術で作られたものでした。
一方で男性用は、文明開化の象徴、知的シンボルとして西洋の技術を取り込んだ指輪が使用されています。
  時を経て、
関東大震災(1923年、大正12年)の後から昭和初期にかけては欧米ではアールデコが流行した時代です。
日本でも百貨店ができ、洋装が少しずつ広まりだしました。 モボ・モガ(モダンボーイ、モダンガール)といわれ
街がちょっとした社交場になったような華やぎを得た時代です。日本でジュエリーが一般へと広がり始めたのはこの頃からといわれています。
ただし、ほんの10年程度後になると、恐慌から日中戦争へと突入し、日本は戦争続きとなるため
短い間で華やいだ時代は終わってしまいます。
その後、第二次大戦開始から昭和20年(1945)の太平洋戦争終戦まではミシンも無く和裁の教育です。
最近でこそ言葉上のジュエリーとアクセサリーの区別でさえあいまいになるほど、装う事が身近になりましたが
本格的に誰でもが所持できるようになったのは洋服が普通の装いとなり、特にダイヤモンドに限っては
生活にもゆとりが出だした昭和30年代以降の高度成長期からといえます。
こう考えると、日本にジュエリーが根付いたのは本当に最近の事です。
ジュエリーは時代を映し、その国の文化も映し出す・・そんな物のような気がします。

複数の鑑定基準
 さて、先の歴史でご紹介しましたようにダイヤモンドの歴史に欠かせない1番の都市がアントワープです。
当然商取引も行われますので、長い歴史と共に評価基準が考えだされても何ら不思議はありません。
ベルギーでは1973年にダイヤモンド取引所など関連団体を調整する総括団体として
ダイヤモンド高等評議会HRD (the Hoge Raad voor Diamant。又はDiamond High Counci)が設立されています。
ただ、欧州ではロンドン、ドイツ、北欧でも評価基準がありシステムが乱立していました。
そういった中でも消費者保護を考え、大まかに3つの方式にまとまってそれを鑑みながら国連機関がルールを作ろうとしています。

 世界で初めて4Cを考案し格付けのレポートを発行したのはGIAです。現代では米国の経済力が今のところは最大ですし
4Cに関しては、経済的発展によるGIA基準の世界的な広がりによる欧州の危機感もあったと思われます。
消費者利益も考え、欧州基準を可能な限り統一し、GIA方式とも互換できるよう、CIBJO(国連の諮問機関)が設立されました。
基準はカット評価以外は概ね互換性が認知されていますし、カット基準もパラメーターの微細な違いで、どちらも優れたシステムで
国際会議では協力と情報の共有がされています。
又、消費者から更なる信頼の置けるカットグレーディングシステムの発展と協力のための国際ダイヤモンドカット会議(IDCC)が
2004年に開かれ評価基準に対する考察が続けられています。
世界的には米国のGIA基準も学術的、理論的に考え出されたものですので信頼されていますし
HRDの基準はIDC規則(IDC=The International Diamond Council。 通称HRD方式とも呼ばれます)にも適用され同時に大きな信頼を得ています。
IDCはダイヤモンド取引所の世界連盟(WFDB)と国際ダイヤモンド製造協会(IDMA)により設立されましたが、WFDBとIDMAは
世界ダイヤモンド評議会(WDC)も発足させ、紛争ダイヤの根絶に力を注いでいます
多くの組織がある中で、それぞれが敵対するわけではなく、検査内容と方法は似通っていますので
消費者のために可能なかぎり統一基準を作ろうと参画しています。 ダイヤモンドは世界規模で市場で動いているのです。
ちなみに日本では前頁でご紹介した非営利団体である(社)日本ジュエリー協会(JJA)がCIBJOのメンバーとなっています。

参考までに代表的な4C基準である米国、中東、アジアに多いGIA方式、欧州に多いIDC(IHRD)方式
北欧地域に一般的なスカンジナビア方式 (The Scandinavian diamond nomenclature(SCAN.D.N))があります。
そして国連諮問機関のCIBJOがあります。

Ctは万国共通ですので割愛します。
Color対比

GIA GIAの色表現 IDC SCAN.D.N CIBJO規則
D
Colorless
Exceptional White+
River+
GIA又はIDC基準で記載
E
Exceptional White
River
F
Rare White+
Wesselton+
G
Near Colorless
Rare White
Top Wesselton
H
White
Wesselton
I
Slightly Tinted White
Top Crystal
J
Crystal
K
Faint Yellow
Tinted White
Top Cape
L
Cape
M
Tinted Colour
Light Yellow
N
Very Light Yellow
O
P
Q
R
Yellow
S
Light Yellow
T
U
V
W
X
Y
Z

日本ではGIA方式を採用している事が多く、N〜Rを「Under N」、「S〜Z」を「Under S」と表記される事があります。
Zより濃いものは、カラーダイヤモンドの扱いとなり、また別格になります。
カラーダイヤモンドで色のはっきりとした物は通常のダイヤモンドの1万分の1とも言われるほど希少になります。
「Z」カラーは境界に当たるため、グレーダーとしては所持する事が必須と言ってもよいでしょう。

Clarity対比

GIA
IDC
Scan.D.N.
CIBJO
メイングレード サブグレード
FL LOUPE-CLEAN Loupe Clean FL LOUPE-CLEAN
IF IF
VVS1 VVS1 VVS VVS1 VVS1
VVS2 VVS2 VVS2 VVS2
VS1 VS1 VS VS1 VS1
VS2 VS2 VS2 VS2
SI1 SI1 SI SI1 SI1
SI2 SI2 SI2 SI2
I1 P1(I1) P P1 P1
I2 P2(I2) P2 P2
I3 P3(I3) P3 P3

全てが10倍の拡大率での検査です。どのシステムもほぼ同じですが、若干の違いがあります。

・IDCは昔は内的特徴のみとしていましたが、10倍でかろうじて発見できる外的特徴はクラリティに反映しています。
規定文から考えるにVS以上は内的特徴のみの判定かと思われます。

・ScanD.Nは 表記はIDCに近いですが、外的特徴も考慮に入れ、ぼぼGIAと同じです。
また、通常ルースのみですが、Pクラスに関しては枠つきの状態でも検査を受付してくれます。
0.47ct未満の石の場合は最高グレードはメイングレードのみとなりLoupe Cleanの記載となります。
デンマーク、フィンランド、ノルウェー、スウェーデンで一般的で、他にドイツでも比較的採用されています。
ただ、最近はスウェーデン、ドイツあたりではGIA、CIBJO方式の採用も増えているようです。

・CIBJOではリカットを思慮する程度の大きな外的特徴を除き、内的特徴のみの判定です。
0.47ct未満の石はVVS〜SIはメイングレードのみの表記となります。
2010年度のBlueBook(ガイドラインのようなもの)ではGIA表記も認めています。

Cut対比
 
カットはそれぞれの基準で行っていますが、ラウンドブリリアントにのみ行うという事は共通しています。
重複しますが、何がベストかという見解がつけにくいことから全く同じ規格というのは無理があると思われます。
逆に、そこまで同じになってしまうと機械部品のようで面白み、宝石の神秘さもなくなりますね。
宝石質の原石は貴重ですので、歩留まりを考えます。一般的に整った立方晶系は上下半分で2石のラウンドブリリアントが取れますし
双晶はファンシーカット、とても小さなメレーだと58面では人間の目には白濁したように見えるためシングルカットが多くなります。
数々の研究がなされてきました。各方式はそれらを参考にしつつ、独自の研究も重ねながら各自基準をさだめています。
どれが正しい、こうでなければならないといったことはありません。評価の基本ともいえるデータ測定機器もカットページで触れた
sarin(サリン)社やogisystemus(オギシステムズ)社以外に ロシアのoctonus software社も有名で広く採用されています。
カットについてはコンピューターによる計算で出されたものが多く有名な研究成果と各方式のプロポーションの紹介にとどめます。
特に1919年にベルギーのマルセル・トルコウスキー(MarcelTolkowsky)が提案した基準は有名で、米国を主として基準のベンチマークとして研究発展させてきました。欧州で主流なのがプラクティカル・ファイン・カットと呼ばれる基準がベンチマークです。(スカンジナビア方式を採用している場合もあります。) 北欧ではスカンジナビアンスタンダードがベンチマークとなっています。GIAの組み合わせはアプリケーション判定で詳細なデータは不明ですが、日本のAGL採用値と同等と思われます。
CIBJOは厳密に規定していません。
2010年のIDCのExcellent規格を参考に記載します。
何度も記載していますが、プロポーションが全てではありませんし、データはガードルの厚み、キューレットサイズを省いています。

 
American Ideal 1916
Tolkowsky Brilliant 1919
Ideal Brilliant 1926
Practical Fine Cut 1939
Parker Brilliant 1951
Standard Brilliant 1969
研究者
Wade
Tolkowsky
Johnsen
Eppler
Parker
Scan.D.N.C
テーブルサイズ
45.3%
53%
56.1%
56%
55.9%
57.5%
クラウン角度(高さ)
35°(19.2%)
34.5° (16.2%)
41.1° (19.2%)
33.2° (14.4%)
25.5° (10.5%)
34.5° (14.6%)
パビリオン角度(深さ)
41°(43.5%)
40.75° (43.1%)
38.7° (40%)
40.8° (43.2%)
40.9° (43.4%)
40.75°(43.1%)
全体の深さ
(直径÷全体の深さ%)
62.7%
59.3%
59.2%
57.6%
53.9%
57.7%
           
Optical Symmetrical 1972
Shannon & Wilson Brilliant 1989
IDCルールブック2010
宝石鑑別団体協議会リファレンス
   
研究者
Eulitz
Paul Shannon & Scott Wilson
-
-
   
テーブルサイズ
56.5%
58%
54-62%
52-62%
   
クラウン角度(高さ)
33.6° (14.45%)
33.5°
32.0 - 36.0°
(12.0 - 16.0%)
31.5-36.5°
(12.5-17.0%)
   
パビリオン角度(深さ)
40.8° (43.15%)
43.1%
40.6 - 41.8°
(43.0 - 44.5%)
40.6°-41.8°
全体の深さ
(直径÷全体の深さ%)
59.1%
-
58.5-62.5%
57.5%〜63.0%

米国、ロシア、EU圏、南アを主としてカットの研究は継続されています。
コンピューター性能の著しい向上もあり研究が進み、特に2005年以降は有名な鑑定機関の多くが評価基準を改定しています。
又、同時にプロポーションパラーメータを利用したHCA、OctoNusとMSUの研究開発によるDiamCalcといった
評価システムも出てきています。

色石とカット
 ここで、少しだけ色石(ダイヤモンド以外の宝石。カラードストーン)について触れておきます。
まず、色石にはカット評価はありません。ダイヤモンドとは全く別物で比較対象にならないとお考え頂ければと思います。
・結晶の形が等軸晶系以外のものが多く、歩留まりを優先するとラウンドブリリアントにしにくい。
・内包物がダイヤモンドと比べて多いため、精緻なカットをしにくい。
たとえ精緻なカットが出来たとしても、色石は硬度が低いため、研磨が比較的容易ですがシャープな輝きは出にくくなります。
石を研磨する時にはダイヤモンドの粉が塗られている回転盤に石を押し当てて研磨しますが
ルビーやサファイアでは回転数は1分間で400回転。
対して、ダイヤモンドは2,800〜3,000回転と大幅に異なります。それだけダイヤモンドはカットが大変だということです。
・色の濃淡があり、濃いものは浅くしないと暗く見える、逆に薄い色は深いカットで色をだそうとする。
そのため一概にプロポーションを決められない。
こういったことが理由に考えられます。また、たまにラウンドブリリアントに近いカットもありますが
肉眼では綺麗に見えても、 シンメトリーは崩れているものが大半でpoorにも値しないものが殆どです。
パヴェやサイドに同じサイズや色のものを複数使うジュエリーの場合は
似た色合い、品質のものをそろえる必要があります。
色石の場合は、集積地のタイ、もしくはスリランカ、ブラジルなど産出地での現地カットが多いですが
歩留まりを無視して良いような宝石は、ドイツやアメリカでデザイン性を持った
面白いカットが生み出されています。
特にドイツは瑪瑙の産地で技術が発展したイーダー・
オーバーシュタインが有名です。
色石で有名な町ですが、ダイヤモンドの取引所もあり、会員数は約40名(2012年1月現在)と1200名以上の
アントワープと比べると規模は小さいものの、品質の高い石が取引されることが特徴です。
カラーダイヤや品質の高い石をカットする工房も存在しています。

鑑定機関とグレーディングレポート

上記でダイヤモンドの歴史について触れましたが、その中で世界には宝石鑑定機関がいくつも設立されてきました。
日本にも当然多数ありますが、世界的には歴史も浅いためそれほど認知されていません。
世界的に有名な鑑定機関をご紹介します。

まずは世界どこでも通用するといってもよいのがGIAとHRDです。
一般では入場すらできないような、サザビーズ、クリスティーズといった
数千万円〜数億円といったダイヤモンドが取り扱われるオークションハウスでは
必ずといってよいほどどちらか、もしくは両方のグレーディングレポートが付けられています。
ただし、そういったダイヤモンドはグレーディングを依頼しても場合によっては1年
以上もの検査期間を要する事もあります。
特にこの2機関がなぜ信用が厚いのかというとどちらも非営利組織という点も大きいのでしょう。
そして、宝石学教育を行っているという点も共通しています。

GIA Laboratory(Gemological Institute of America 日本語で米国宝石学協会)
GIAのラボ部門。アメリカで1931年に設立された宝石鑑別機関。世界で最も古く設立され
ダイヤモンドの4Cを考案、提唱した事で有名です。
2006年1月からはラウンドブリリアントカットのカットの新基準を定め総合的なグレード表記を始めました。
ガードルにレーザー刻印をすることで同定も可能です。
米国、欧州、アジアに支部があり、日本では東京と大阪に日本校があります。
日本のラボ部門としてはAGTジェムラボラトリーがあります。

AGS(American Gem Society アメリカ宝石協会)
1934年にGIAの創設者Robert M. Shipley(ロバート・シプリー)と当時の代表的なジュエラーがアメリカで創設しました。
GIAはジェモロジスト育成目的が強く、こちらは消費者にとっての正しい知識を広める意味合いで作られたようです。
ラボ部門では特にカット評価は2番目はじめており、GIAよりも先で定評があります。こちらもガードルのレーザー刻印を
可能としています。
ジェモロジスト育成も行い、2011年度からは合成ダイヤモンドのルースに対してもグレーディングを行うようになりました。
グレーディングを数字で表記したり、プリンセス、エメラルド、オーバルカットにも
グレーディング基準を設けるなど革新的なイメージがあります。

HRD(Hoge Raad voor Diamant又はDiamond High Council ダイヤモンド高等評議会)
1973年に設立された、ベルギーのダイヤモンド産業を総括する公益法人です。
IDC規則(International Diamond Counsil Rules)を主導する機関でGIAと並びCIBJOのルールブックに
大きな影響を与え、ラボ部門はとても信頼の厚い機関になっています。
2009年1月よりラウンドブリリアントカットのカットグレードを始め
H&Aに対してもレポートを発行可能としています。

EGL(European Gemological Laboratory and College of Gemology ヨーロッパ宝石研究所)
米国で宝石学んだMargel氏が1974年にアントワープで設立。欧州、南ア、中東、インドに支部を持ちます。
クラリティグレードに関して、SI2とI1での市場価格に大きな差があることからSI3を設けたりしています。
又タンザナイトのグレーディングを導入したり、ダイヤモンドの再研磨のアドバイスを行うなど
精力的に新しい試みに挑戦し、活躍の場を広げています。
1977年にはニューヨークにもラボが設立されましたが、米国支部は1986年に独立し EGL USAとして
ロサンゼルスやバンクーバー、トロント にラボがあります。
EGL USAはGIAやAGS同様にダイヤモンドのガードルにレーザー刻印をして同定も可能となっています。
又、コランダム等のカラードストーンの産地証明、処理、真珠の色因分析などに対し
先端機器を揃え意欲的に取り組んでいます。

IGI(International Gemological Institute 国際宝石学協会)
1975年にアントワープで設立。基本的にGIA基準に準拠しており、ハート&アローに対してもレポートを発行するところ
に特徴があります。世界中に支部があり8箇所で教育も行っています。日本では東京にラボがあります。


その他
ダイヤモンドから少し話しが外れますが、カラードストーン(色石)で有名な鑑別機関、教育機関になります。
色石はグレーディングはありませんので、日本で言う鑑別書の発行になります。鉱物名と宝石名を記載するのが一般的になっています。
鉱物名は国際鉱物学連合(International Mineralogical Association、IMA)
宝石名は国際色石協会(International Colored Gemstone Association、ICA)が決めています。

SSEF(Schweizerische Stiftung fur Edelstein-Forschung)
1974年に設立され、SSEFはSwiss Gemmological Institute(スイス宝石研究財団)のラボ、教育部門。
1978年にはCIBJOでのレポート検証の機関としても認められ、厚い信頼があります。
色石レポートは2大オークションハウスでも通用します。
GIA(アメリカ)、SSEF(スイス)、CISGEM (イタリア)GIT(タイ)、とは
The Laboratory Manual Harmonisation Committee (LMHC) という委員会でカラードストーンの鑑別において
鑑別環境やレポートの表記を定め標準化に努めています。

Gubelin Gem Lab(グベリン宝石研究所)
スイスの権威ある鑑定機関で、色石の鑑別機関では歴史も長く、2大オークションハウスでも通用します。
香港にも支部があり、航空機による出張鑑別、日本語、中国語でレポート発行も可能にしています。
今ではダイヤモンドのタイプレポートや貴金属分析のレポートも可能としています。

AGL(AMERICAN GEMOLOGICAL LABORATORIES)
1977年に設立されたアメリカの鑑定機関。後述のGRSとも共同研究したり、ICA(国際色石協会)でも
発表するなど、色石研究において米国では大手になります。

GRS(Gem Research Swisslab)
スイス、タイ、香港、スリランカにあり、AGLと同様に特にコランダム(ルビー、サファイア)研究に力を入れています。

Gem-A(英国宝石学協会)
1908年にロンドンに設立された、世界で最も長い歴史を有する権威ある宝石研究機関。
GIA G.Gと同様にFGA(Fellow of the Gemmological Association of Great Britain)資格を発行しており
世界的に通用する資格です。日本では全国宝石学協会がFGAコースの教育を行っていましたが
一時日本宝石協同組合が引継ぎ、2011年度より一般社団法人宝石文化研究所が通信教育(実技の為の通学も必須)を 行っています。
どちらかといえば色石教育に力を入れたコースで定評がありました。
ロンドン本部では2008年からラボ部門はありませんが、ダイヤモンドに限りGIAへの取次ぎサービスを行っています。

日本の鑑定機関
上記のような海外の鑑定機関も良いですが、大手ばかりですので持ち込まれる石も立派なものばかりです。
費用的にもかかりますし、言語の壁もありますので、利用するにはあまり現実的ではありません。
国内の鑑定機関をいくつかご紹介します。

AGL(宝石鑑別団体協議会)加盟の機関。
加盟には検査人数や先端測定機器の使用が決められているため日本では信頼があります。
数年で見ると入れ代わりがあります。
東京宝石科学アカデミー、ジャパンジェモロジカルサービス、日本彩珠宝石研究所、メトロ宝石研究所あたりは
上記と比べると規模は1箇所と大きくはありませんが長く加盟を続けられているように思います。
下記4機関はAGL加盟機関の中でも特に有名な機関です。

AGT(AGTジェムラボラトリー)
GIA JAPANのラボ部門。東京と大阪にあります。

CGL(中央宝石研究所)
東京、大阪、名古屋、博多、甲府にあります。

DGL(ダイアモンドグレーディングラボラトリー)
東京、大阪、名古屋、博多にあります。

JGGL(日独宝石研究所)
甲府にある研究所。色石鑑別で定評があります。


AGL非加盟で有名な機関

社団法人 宝石貴金属協会
甲府にある鑑定機関で、山梨県工業技術センター内にあります。
元々は山梨県立の組織で、非営利組織である事もあり公正さでは大変信頼が置けます。
石以外に貴金属検査も可能で、FT-IR,X線分析器など先端機器による分析も可能です。

真珠科学研究所
真珠の総合研究機関で、真珠のグレーディングレポートは信頼を得ています。
所長は日本ジュエリー協会(JJA)の委員会委員でもあり、世界的にも知られた方です。
GIA Japanのパールグレーディングコースの教育にも協力したりしています。

真珠総合研究所
こちらもパールグレーディングを行う数少ない機関で真珠専門に鑑別、鑑定業務を行っています。
JJAの賛助会員でもある(社)日本真珠振興会のパールブックに基づき公正なグレーディングを行い
発行レポートには信頼を得ています。

日宝協総合研究所
日本宝石協同組合のラボ部門。 AGLには非加盟ですが、宝石学教育にも力をいれ、先端の機器も揃えています。

AGL加盟機関以外は信頼できない??
 最近はインターネットの普及で情報が簡単に入手できる時代です。宝石の鑑定機関に関しても気になる人は
情報を収集なさるかと思います。その中でよく目にするのが、AGL加盟機関以外は信用できないといったものです。
これはある意味正しい面もありますが、一言で片付けてしまうと誤解を与える間違った考えです。
それでは何が正しく、何が間違っているのでしょうか。

  信用が置けない面ですが、4Cのうち、カラー、クラリティに対する場合と、カットに対する場合で
少し事情が変わってきます。 ダイヤモンドの場合カラーやクラリティグレードが非常に細分化されているものの
天然石ですのでどうしても、グレードの境目にあたる石が出てきます。
その場合に1つ上に判定するか、下に判定するかといったことが出てくるわけですね。
規定では1グレードの誤差は認めるとありますのでそれを鑑定機関ごとに判定がずれても間違いではありません。
ただ、錯覚に代表されるように人間の目はいい加減な部分もあります。
機関によってカラーが甘い、クラリティが厳しいといったくせが出てきて、それを業者が信頼できないとするわけです。
カットに関しては、CIBJOだろうが、IDCだろうが基準が他の4Cよりも更に幅が許されます。
非常に難解かつ微妙なもので、GIA基準で知識を得た人と、そうでない場合ではグレードに差が出る可能性はあります。
また、先端機器を用いても、スキャナーのメーカーによって変わる可能性もありますし、AGSが判定システムの
比較、考察を行っていますが、同じ石でも過去よりも1グレード上がったり、下がったりする事があるようです。
市中ではFairやPoorは多数出回っています。一般の人には2グレード程度まではその違いはまず感じられないでしょう。
他に、カラーダイヤモンドのようにあまりに存在が希少なものは、中小ではなかなかサンプルもなく
とても繊細な色の違いがグレーディングに影響しますから、カラーに関して大手とは差異が出る可能性もないとは言い切れません。
又、AGL加盟ではありませんが、上記でご紹介しましたように世界的機関のIGI支部が日本にはあります。
IGIは信頼に足る鑑定機関ですが、それでも日本の業者同士ではあまり使われる事はありません。
業者の見る眼が昔に比べると失われてきているという面もありますが、1つのグレードで価格がかわるために
全く同じ鑑定機関同士で比較したほうが、取引に都合が良いというわけです。
それでAGL(特に中央宝石研究所かAGTジェムラボラトリー)でないと信頼できないとしているのです。
ダイヤモンドは世界中に取引所がある為に株式市場や為替市場とまではいかないものの
ディスクローズされた世界的な価格基準があるわけです。
ですので価格がシビアになり、1グレードに影響があるのです。
カラードストーンはそれと比べると時期や、人脈であったりと比較的ア
バウトとなります。
例え、AGL加盟機関でも世界の2大オークションハウスに出るとそういったレポートは信頼されないわけですから、同じ話です。
そういった場所で中央宝石研究所やAGTが通用しないからといって私達日本人がそれを信頼できないということはありません。
利便性のためだけで信頼できないと一言で片付けている事が誤解を生む元にもなっています。

次に信頼できる面ですが、小さな鑑定機関でもきちんと宝石学を収め、機器を揃えて業務を行っています。
まず、石ごとに屈折率というものがあり、正しい測定を行えば違う石と間違える事は考えにくいのです。
その他の検査も同時に行うため更に信頼度が増します。もう一つ最近は様々な処理がなされますがそれも基本的な機器でも
経験と勘で違和感を覚えます。経験を積んだ人間の勘というものが工業製品の製作でもよく耳に挟むこともあると思いますが
、顕微鏡検査や偏光検査などで感じる違和感は馬鹿に出来ないこともあるのです。
そして、彼らも学会に参加したり、業界紙を読んで新しい鑑別技術に触れたりと絶えず努力はしていますし
数千万円〜億単位の機器までは無理までも、紫外可視近赤外分光光度計、FT-IR(フーリエ変換赤外分光光度計)あたりは
揃えているところも多くなっています。更に、そういった違和感を感じるときや、高度な分析を要する場合のために
大手の機関と提携している場合も少なくないのです。
決して、ダイヤモンドでない石をダイヤである、ルビーでない石をルビーであると偽ったりするわけではありません。
真贋判定という意味では信頼して頂いて大丈夫です。
ただし、ダイヤモンドの場合は鑑別は問題ありませんが、鑑定(グレーディング)を依頼なさるのなら
小さな機関ではカット評価に関して、2006年度からのシステム判定には対応できず、以前の基準で判定される事もあるかと思います。
それは間違いではありませんし、以前の判定とも大幅には変わるとは考えにくいですがAGL加盟機関とは異なるグレードが出る可能背は否定できません。

気になる場合は有名機関に出されるのも宜しいかと思います。ただし、大手の場合は時間もかかる事が多くなります。

皆さんは毎日朝からドレスを着て、毎食フルコースを召し上がるでしょうか。
また、風邪を引いたと思ったとき、必ず大学病院や総合病院で見てもらうでしょうか。
おそらくそういったお客様は少ないかと思います。
朝は軽い食事でよいし、少し調子が悪いと思った時はまずはかかりつけの医院でという方が多いのでないでしょうか。
何でもTPOというものがあります。GIAやHRDに持ち込まれるような石はあまり普段は目にしないようなものが多いですし
逆に小さな鑑定機関は百万円未満の石が殆どです。高度な分析はジュエリーでは難しく、外してルース(裸石)に
する必要があります。 思い入れが強く細部まで知りたいと思った宝石、ご自身で高価だったと思うお石以外は
まずは身近なところで検査されても良いかと思います。

最後にダイヤモンドは体系的に品質を細分化し、わかりやすいように4C等で表記されますが、上級グレードでなくとも
美しい輝きを放つ石は多数あります。そして、あくまでグレードは絶対的なものではなく客観的主観を伴います。
グレードで全てを判断なさらずに、ご自身のお好みと直感が1番大切だと思います。
繰り返しになりますが、一つとして同じ石はありません。
様々な要因が無限に組み合わさり、1つ1つが美しい個性を放つのです。
石を動かしながらご覧いただくことでハッと感動を覚えられる事がきっとあることでしょう。
普段はジュエリーや宝石に興味がない方も、ずっと見つめていると必ずその美しさに魅了されると思いますよ。

さて、いよいよダイヤモンドのお話も最後、次は実際にご購入の際には何がお勧めかをご紹介します。




どんなダイヤモンドを買えばいいの?


(C)Copyright Art Jewelry All Rights Reserved.