項目、加筆修正。せーがーっ。(2001/02/04)
せ
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ゲームのデータ(途中経過、点数などの情報)を記録保存すること。記録保存したデータを「
セーブデータ」、記録保存したデータを読み込むことを「
ロード」と言う。
昔は1時間程度でクリアできるゲームがほとんどであったが、ゲームの内容・容量が大きくなるにつれて、一度のプレイでは遊びきれなくなったため、いったんゲームを終了しても続きが遊べるシステムが必要だった。
昔(「
ファミコン」ぐらい)は
パスワードコンティニューが主流(厳密にはセーブと違うかも知れないが)。ROMカセット(カートリッジ)では、
バッテリーバックアップ方式が主流(「ファミコン」後期から「
スーパーファミコン」時代)。CD-ROMの場合はフラッシュメモリが主流になっている(いわゆる
次世代機から)。
ゲームに限らず、データというものは何でもそうであるが、消えるときには消える。技術の進歩とともに消える確率は少なくなってはいるが…。
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セーブすることで保存されたデータのこと。
人によっては数十時間、100時間以上の時間をかけたものも存在するかもしれない。そうなってきたら、ある意味人生の一部、魂の結晶である。
そんなセーブデータも消えるときは一瞬で、デジタルの海のかなたへと消える。ファミコンソフト『ドラゴンクエスト3』(エニックス)のセーブデータが消えるときの音楽(ゲーム中の呪いの音楽と同じ)と、メッセージ(「おきのどくですが あなたのぼうけんのしょ1 は きえてしまいました」)は多くの少年のトラウマとなったに違いない。
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制限時間
(せいげんじかん)
[time limit]
ゲーム中で定められた制限時間。この時間内に課題をクリアしなければならない。もし時間をオーバーすると、タイムアップとなって、ミッション失敗となったり死んだり残機が減ったり
ゲームオーバーになったりする。
アクションゲームに多い。
それまで元気に動き回っていた
ヒゲおやじでも、制限時間をオーバーすると問答無用で死ぬことから、ゲームの世界ではかなり強力なルールであるようだ。
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社名。家庭用ゲーム・アーケードゲームの大手。悲劇のハードメーカー、偉大なる
バカゲーのソフトメーカーとして、業界でも最高の知名度を誇る。1951(昭和26)年に創業、1960(昭和35)年に設立。1984年に
CSKグループの資本参加によりCSKグループの一員となる。社名は前身である「サービス・ゲームズ」[
Service
Games]が由来(「サゲ」じゃなくて良かったですね)。2000年11月1日から社名を「
セガ・エンタープライゼス」から現在の「
セガ」に変更した。
アーケードゲームでは数多くの優れたソフトを出している業界最大手。家庭用ゲーム機では、「SG-3000」「メガドライブ」「
セガサターン」「
ドリームキャスト」などを発売している。
アーケード業界ではトップシェアを誇っているが、家庭用ゲーム業界では、「SC-3000」「SG-1000」は「
ファミコン」に(勝負になってません)、「ゲームギア」は任天堂「ゲームボーイ」に(勝負になってません)、「メガドライブ」は任天堂「
スーパーファミコン」に(勝負になってません)、「
セガサターン」は
SCEI「
プレイステーション」に(最初の1年は良い勝負)、それぞれ敗北を喫した。
アーケードでの利益を家庭用ゲームで吐き出している感がある。
1998年11月には「
セガサターン」の後継機として、「
ドリームキャスト」を発売した。セガの幹部である湯川専務(当時)を起用した「がんばれ湯川専務!」というCMなどで(イメージ的に)好調な滑り出しを見せたが、1999年3月に
SCEI「プレイステーション2」が発表されてからは苦戦が続いた。
CSK創業者の
大川功CSKグループ会長が陣頭指揮をとり、2000年10月にはソフトウェア開発部門を分社化したり、2000年11月には社名を変更したりと、様々な努力をしていた。
が、ついに2001年3月31日をもって「
ドリームキャスト」の製造を中止することになった。2001年2月の、同社の経済状況では再建不可能とも囁かれたが、
大川功が約850億円の私財を投じて、なんとか再建の道を歩むことになった。
任天堂「
ゲームボーイ アドバンス」や
SCEI「プレイステーション2」など、他社ハードへのソフト供給も実施され、家庭用ゲーム業界では、ソフトウェア開発に専念していくことになる。
ハードメーカーとして非常に長い歴史を持っていたセガであるが、非常に熱心なファンが多い。古参のゲームファンも多く、
バカゲーファンも多い。セガの運の悪さ、間の悪さ、要領の悪さなどからくる判官びいき的心理も少なからずあるが、技術力を惜しみなく投じたゲーム(
バカゲー率高し)の面白さは一級品である。
「ファミコン」の蔭でひっそりとしていた「SG-1000」から始まったセガという家庭用ゲーム機メーカーは、良質のソフトを出しながらも万年2位に甘んじ続けた。今後、他社ハードというかつてない「よその土俵」のなかで、ソフトメーカーとしてどれだけ地位を確保できるかが課題。
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セガの旧社名。昔から「
セガ」と略されており、2000年11月に社名が変更された。また2000年10月には、セガの中枢的存在と言える、アーケード開発の各部が独立分社化されている。
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家庭用ゲーム機のひとつ。「
SS」「
サターン」と略す。
セガ・エンタープライゼスから、1994年11月26日に発売された。32ビット機。
家庭用ゲーム業界では、シェア面で任天堂に大きな遅れをとっていたセガが、「メガドライブ」の後継的機種として発売した。
SCEI「
プレイステーション」の1週間ほど前に発売し、1年近く家庭用ゲーム機のトップシェアを争うことになる。
「
プレイステーション」と同じ32ビット機であるが、「
プレイステーション」に比べるとポリゴンなどの3D表現力は劣る。アニメーション処理などは上らしい。また本体には拡張スロットがあり、そこにパワーメモリ(セーブ用メモリ)や拡張RAMカートリッジ(処理能力が向上する)を差し込むことが可能。
セガの得意とするアーケードゲームの移植作品がウリで、特にセガサターン発売当時、人気の高かった3D対戦格闘ゲーム『バーチャファイター』はサターンの目玉商品だった。
その『バーチャファイター』人気に引っ張られる形で、一時期はプレイステーションを上回るシェアを誇ったものの、『バーチャファイター』ファン=アーケードを中心としたセガファン以外の購入層がつかず、また優れたサードパーティにも恵まれず、最終的にはプレイステーションに大きく水を開けられた。3Dではなく、2Dメインのゲーム機だったのが大きな敗因であった。
日本以上に北米での売れ行きも深刻に不調。
1998年11月に、後継機「
ドリームキャスト」が発売され、過去のゲーム機となる。末期には「セガタ三四郎」のCMで話題を集めた。
(セーブ用のパワーメモリであるが、これに関する
バグは致命的なものが多い。というか、絶対にサターンと相性悪い。ソフトによっては
バグってゲームが止まった場合に、全セーブデータを破壊するものもある。本体へのセーブも含めてである。僕の場合は『スーパーロボット大戦F』(バンプレスト)が地雷だった…。)
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セガ・バンダイ
(せが・ばんだい)
[SEGA BANDAI Entertainment]
1997年初頭(1月頃)、急速に持ち上がった
セガとバンダイの合併計画は、かなりの勢いで話が進み、「1997年10月に合併し、社名は『セガ・バンダイ・エンターテインメント』とする」と発表された。
「ピピン@」の致命的失敗から立ち直れないバンダイを、セガが事実上吸収合併する感じであった。が、
たまごっちの成功のためか、バンダイ側社員の強い反対にあい、合併計画は同年5月に白紙撤回された。
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サードパーティよりも家庭用ゲーム機メーカーに親しいソフト制作会社。おそらく
任天堂のみがこの言葉を使用する。開発されたソフトは、任天堂ブランドで発売されることが多い。アメリカのレア社など。
「
ニンテンドー64」は少数精鋭主義を掲げ、最初のうちはセカンドパーティが出す優れたゲームソフトで質・量をそろえるつもりだったようだ。「ニンテンドー64」参加するメーカーが少なく、質はとにかく量はまったくそろわなかった。
「
ゲームキューブ」もセカンドパーティで牽引するらしい。
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専用コントローラ
(せんようこんとろーら)
[exclisive controller]
あるゲームソフトのためだけのコントローラ。たいていはそのゲームソフトを作ったメーカーから発売される。アーケードから家庭用ゲーム機への移植作品に多い。専用コントローラがあるとないとでは、まったく面白さが違ってくる。
専用コントローラというだけあって、そのゲーム以外ではほとんど使えないものがほとんど。(
DDR専用コントローラで『ぷよぷよ』とかできるけど。)使わなくなると粗大ゴミ状態で置き場に困る。
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