当たり前の如く行う・・観る・触れる・感じる・考える・試す・諦めない

大自然の風景写真

事を当たり前の如く おこなうことは、大切でありますが、難しいことです。
見ているだけで、判断・評価・批評を行い、実際、やってみると意外と難しく、その時点で、「当たり前の如く おこなうこと」の難しさに気がつく人も多いのです。また、自分が出来ないとき、自分に都合が悪いとき、船のいかりのようにアンカー型の守りの姿勢に入る人々も見てきました。
集団に、そのような体質者が多くなることは、中長期的に見て、人や集団が成長する速度が減速し、集団全体にはマイナスの影響を与え、衰退・消滅していく事例は、これまでの歴史の中で、数多くあります。
急速に変化をする現代社会では、その衰退は加速的に訪れるでしょう。

代、人の流れや考えは、常に変化して行きます。
時代の変化に対応しようと、人は自己啓発、組織は内部革新や新機軸構築を模索します。しかし、そのやり方が「わからない」、また、「行いました」「やりました」という結果で終わっていることが多いのです。
「どのような実益があったか?将来にまで、実益は持続するのか?また、そのマイナスの影響は?本当に、この検証基準で良いのか?」を、常に深く検証・模索しなければなりません。これらの検証意識等がないと、場当たり的な目先の結果で満足し、また将来に大きな間違いを引き起こすことに気づかなかったりする体質になってしまいます。

れらの検証意識・危機意識が低下することは、目の前に、大津波が来ているのに、気付かないことと同じです。「今の暮らし、組織、社会は、当然に続く」と勘違いすると、大きく耐えきれない困難が訪れたとき、もろく崩れていきます。
当然、誰もが知っているように、これからの日本社会は、これまで2000年以前より味わったことのない時代に入ります。

の中で生き抜くには、一人一人自らの力で、源流・源を見据えつつ、培われてきた人間性、風土、社風、社会資質の「軸」「幹」を大切にして、少なくとも10年から15年先を見据えた革新と新機軸を築き続ける姿勢を持つことが必要です。それが出来なければ、そこから逃避するようでは、自分より強者について行く生き方しか出来なくなります。
しかし、そうなると、全体の総合力は低下してしまうことも事実です。
自分が動かなければ、皆、同じく誰も動きません。また、革新や新機軸の作り方を間違えても、将来、大きな代償が自身や周辺、次世代に降りかかるのです。

難な事を当たり前の如く おこなうことは難しいことです。
しかし、次なる迎える時代を考え、革新と新機軸構築の構想を練ることは、当たり前の如く おこなわねばなりません。そのため、管理人自身も、自己革新と新機軸構築が必要です。
現状の自身の真実の姿を捉(とら)えられず、仕方がないと諦(あきら)め、踏み出す姿勢を止めたとき、加速的な膨張と収縮を繰り返す社会・時代について行けなくなり、退行の道を歩まざる得ないでしょう。



            

平成23年3月18日