ADHDの基礎知識
AD/HD:注意欠陥/多動性障害については、すでに多くの情報が入手できるようになっています。また、インターネットホームページのAD/HD関係サイトでもたくさんの記事が紹介されています。従って、このページで最も基本的な解説をするのが適当なことなのかどうかはわかりません。
しかし、世間を見回してみればAD/HDに関する理解は依然、じゅうぶんとは言えないように見えます。そこで、このページでも診断基準をはじめとしていくつかの基礎的な情報をご紹介することにしました。
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1 特徴
AD/HDは簡単に言うと”コントロールの障害”であると言われています。自分の行動や感情の制御が難しく、入ってくる情報をうまく取捨選択したり統合したりすることが困難です。これは、前頭葉前野の働きが弱く、脳内の化学物質の分泌がアンバランスであるなど、脳の機能障害であると考えられており(詳しくは後述)、多くの臨床実験においてこのことを支持する結果が出されています。多動性の強いものはADHD、少ないものはADDと呼ばれています。ADHDとADDは病因が異なる疾患である、という説もありますが現在のところそれを支持する確実な証拠は見つかっておらず、診断基準においては単一のものとして捉えられています。
※但し、診断基準というのはあくまで「とりあえずこのように分類しておく」という基準であって、今までの改訂においても度々疾患単位や呼称そのものが変わったり、分類が変わったりすることのあるものです。AD/HDについては、別の名称を用いるべきであるという主張もあり、今後どうなっていくかはわかりません。
前頭葉前野の重要な働きのひとつに、「環境内に存在する無数の刺激の中から必要なものを選び出して不要なものをカットする」という一種のフィルター機能があります。また、必要な対象に(必要な限り)意識を向け続ける(=集中する)のも前頭葉前野の機能です。AD/HDを持つ人では、これらの機能がうまく働かないため、ひとつのことに注意を持続させたり、今何をすればいいのか状況判断をして待つといったことが苦手なのだと考えられています。また、入ってきた刺激に対して即座に反応しがちなため、考えてから行動したり物を言ったりすることも難しいのです。
同様に、複数の情報を統合したり整理したりするのも前頭葉前野の仕事です。従ってAD/HD児・者はこの能力にも困難を持つことが多く、その結果として対人関係における”暗黙のルール”を理解したり、人の表情を見て気持ちを察したりすることができにくい傾向があります。人の言葉をその通りに受け取ってしまい、その裏にある本音が酌み取れなかったり、場に気まずい空気が流れている時でも平気で発言してしまったりすることも珍しくありません。環境の中からうまく手がかりをキャッチするのが難しいのです。
認知障害や協調運動障害を持つことも多く、空間や時間の認識がうまくできないことがあります。そのような場合、物事を順序立てて見通しをつけるといったことがうまくできなかったり、歩いていて人や物にぶつかりやすかったり、身のこなしが不器用または不自然だったりといった特徴が見られます。大人であれば、仕事の計画を立てたり、計画に従って着実にこなしたりするのが苦手なので、どう見ても無理のある計画を平気で立てたりしてしまいます。また、車の運転をする人は車体感覚の把握がうまくできないこともあります。
かつてAD/HDは子どもだけの障害だと考えられていました。AD/HDの大人は、他の精神疾患と間違えて診断されたり(実際、二次的な障害としての精神疾患などの合併率も低くはないのですが)、症状の軽い人だと単なる”困った人”扱いをされるにとどまったりと、いずれにしても適切な治療はほとんど受けることができませんでした。残念なことにその名残は今でもあり、自分がAD/HDなのではないかと疑問を持って受診した大人の患者さんに「あれは子どもの障害でしょう」「大人になれば治るものです」などと説明されるケースが後を絶ちません。
さて、子ども(特に学齢期以降。幼児は基本的に注意の持続が短くて多動なため、診断が難しいのです)の問題としてよくあげられる行動特徴には以下のようなものがあります。もちろん、状態像はその子によって異なるため、ある子にあてはまることが他の子にはあてはまらない、といったことはいくらでもあります。普通の子どもたちと同じように、AD/HD児もみな、それぞれに性格も物の考え方も違っているのですから。
学齢期の特徴
・落ち着きがない(すわっていられない、あきっぽい)
・ひとつの物事に集中できない(ぼーっとしているように見える子もいます)
・衝動的で興奮しやすい。(ルール理解に難があるため)友だち関係のトラブルが多い
・自分にとって理解できないことが起こるとパニック状態になる
・忘れ物、なくし物が多い(宿題をやってこないことも多い)
・できる時とできない時の差が激しい。
・不注意によるケガやケアレスミスが多い
・机の上やカバンの中がごちゃごちゃになりがちである
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成人に達するまでに症状が軽減して、日常生活に差し障りがないくらいまでになる人たちの方も多い(全体の1/3ほどはほぼ完全に症状が消失し、あとの1/3は多動を中心にある程度の改善をみる、というのが多くの追跡研究などから指摘されている定説)と言われているのですが、一方で大人になってもAD/HD特有の症状に悩まされ、仕事や社会・家庭生活における非常な困難を持つ人たちも少なくありません。
成人の場合もベースは同じなので、基本的には学齢期と似たような行動特徴を示します。その結果、具体的には以下のような問題が生じると言われています。
成人期の特徴
・期日までにやらなければいけない仕事を先延ばしにすることが多い
・大事な約束を忘れる
・物の整理ができず、しょっちゅう何かをなくしている(大事なものでも)
・対人関係における社会的なルールが読みとれず、不用意に発言したりする
・時に独創的でアイディア豊富だが、ひとつのことが長続きしない
・事務等の、細々した情報を整理したりまとめたりする仕事ができない
・目新しいものにとびつくが、後ろを振り返らない
・子どもの養育(細やかに世話すること)に困難がある
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これだけ見ると、AD/HDを持っていることはとても大変で損で、周囲に迷惑をかけてしまうことのようですが、しかし一方で、次の点だけは強調しておかなければなりません。
AD/HD児・者は、周囲の人たちと認知や学習のパターンが異なるだけなのです。つまり、彼らに合ったやり方であれば能力を最大限に発揮できる可能性があるということです。彼らは多くの刺激をいっぺんに処理する(してしまう)過程で、独創的なアイディアをひらめくことも少なくないし、また、いったん物事に入り込んでしまえば、ものすごい集中力を見せることもできるのです(「過集中」と表現されます)。そのパワーはなかなかのものです。誰もが出そうと思って出せるものではありません。
もちろん、ひらめいたアイディアを実行に移すには、途中でやめてしまわないようにコンスタントに見守ってもらう必要がありますし、興味が持てないことには本当に集中できないため、「やりたくないけどやらなくちゃいけないこと」をどんなふうに片づけていくか、といった問題もあります。マネジメントしてくれる人、もっとはっきり言うと「お尻を叩いてくれる人」の存在が、AD/HD者のアイディアを生かすためには必要不可欠なわけです。
では、AD/HD者の持つ特徴を、どのように生かしていくのか。
これは他人ごとではありません。本人のみならず家族、そして所属集団のみなさんに考えていただきたいことです。だって、彼らが”うまくやる”ことができるようになれば、皆にとってのいい結果が待っているのですから。
2 診断基準
世界で用いられている標準的な診断基準は2種類あります。アメリカ精神医学協会(APA)による精神疾患の診断マニュアル”DSM−IV”、および世界保健機関(WHO)の”ICD−10”です。DSMは北米、カナダ等を中心に用いられており、日本でもこちらを使う医師が多いようです。一方、ICDはヨーロッパ圏で主に用いられています。
これら二つの診断基準においては、「多動」の扱い、併存する疾患の扱いなどに少し違いがあり、その結果ICDの基準のほうがより厳しいものとなっています。つまり、DSMの基準で「ADHD」と診断されても、ICDで規定する「多動性障害」の診断基準は満たさないというケースがあり得るわけです。ヨーロッパ圏でADHDの出現率が相対的に低いのは、この診断基準の違いであるとも考えられています。
なお、この診断基準は本来は医師が用いるべきものであり、自己診断のために使わないようにと強く警告されていますので、もし使う場合はあくまで参考程度にとどめてください。特に、大人の場合は「子ども時代から症状があった」という事実が前提となっていること、基本的には本人ではなく家族など周囲の人による評定が診断に用いられることなど、自己診断をすべきでない根拠があります。診断が必要だと思われる方は必ず受診してください(日本では、診断名をつけられるのは医師に限られています)。ただし残念ながら、日本の精神医療においてはAD/HDという障害そのものを認めない医師も少なからず存在するという事実があります。診断に納得がいかない場合は、セカンド、サードオピニオンを求めるのもよいでしょう。但し、「これこれの理由であなたはAD/HDとは認められない」という説明がきちんとしたものであれば別です。
なお、おとなのADHDの診断基準として国際的に標準的なものは現在のところ存在しませんが、多くの文献において引用・紹介されている「ユタの診断基準」および「へんてこな贈り物」の著者であるハロウェル&レイティーの用いている診断基準を紹介しておきます。
診断基準表など省略 ご覧になりたい方はばじるさんのサイトまで
3.鑑別の必要な疾患について
AD/HDの診断において最も難しいのはこの鑑別というプロセスであるといわれます。二次的な心理的問題や精神疾患が生じる場合が圧倒的に多いことが一つの理由ですが、もうひとつ、他の発達障害と合併しているケースがかなりの割合で見られるうえ、他の障害と重複する症状もあるので、AD/HDかどうかを確定診断するのには熟練した経験を持つ医師でないと難しいのです。
診断は、単に障害名というラベルを貼るものではなく、その子(人)がより生きやすくなるための生活上や指導上の工夫、さらに治療・療育などの方向付けをしていくためになされるものです。つまり、「○○障害です」というだけでは全く不足で、どういった治療が効果的なのか、どういう働きかけが有効なのか、行動改善のために何が役に立つのか、といった情報提供がなければ当人や周囲にとっては何の役にも立ちません(当然、AD/HDに限ったことではありませんが)。
いわゆるLD(診断名に誤解が多く、現在は特異的発達障害と呼ばれることも多い)との合併率はかなり高いと言われています(研究にもよるがおよそ4〜6割)。この中には上述した時間・空間認知の障害(非言語性の学習障害)が含まれます。自閉症やアスペルガー障害(AS)に合併することもまれではありませんが、その場合はそれぞれ自閉症、ASの診断が優先されます。
※但し、ローナ・ウィングをはじめとする多くの有力な研究者が、自閉症圏の障害にAD/HDが重複するケースが多いこと、両者に共通する症状も多いが基本的にはきちんと区別すべきことなどを根拠に、診断名の併記を推奨しています。今後、診断基準の改訂等に伴い、この慣例は変わっていくかもしれません(そうあってほしいと思います)。
さて、AD/HDの診断において、他の疾患と明確に区別するための重要な指標のひとつが、上に紹介した診断基準で定義されている、「7歳以前に−すなわち、幼児期に−発症し、集団や家庭生活における妨げになるような障害が生じている」ことです。私の個人的な考えでは、ほとんどの場合は診断名を細かく、正確につけることが本人の生活や仕事にとって必ずしも重要ではないのでは…と思いますが、いずれにしても成人の方で「これは私のここ最近(多くても数年程度)の状態に似ている」というケースでは、他の診断名がつく可能性が高いと言えます。
同じように、脳の機能不全であったり先天性の障害であったりする場合には、必ずしも幼児期から発症していたことがAD/HDとの鑑別のポイントにはなりません。確定診断にあたっては、多くの除外規定をふまえつつ幼児期の情報、可能であれば家族や周囲からの情報などをもとに、慎重に行う必要があります。
以下に、診断上AD/HDとの鑑別が必要な疾患について挙げます(これが全てではありません)。
最近、世間でのAD/HDでの認知度が高まってきたこともありますが、成人AD/HDの場合「片づけられない女」という文脈で語られてきた経緯からか、非常に安易にチェックリストや診断基準などを用い、「あてはまるから私はAD/HD」であると“自称”するケースが急増しています。その中には確かにAD/HDを持つ人もいるのでしょうが、多くの共通症状を持つ疾患がこれだけあることからもわかるように、きちんとした医療機関での鑑別診断が絶対に必要です。確かに、成人AD/HDに理解のある医療機関は決して多くないと言われていますが、だからといって医学的な診断名を占いや性格診断の結果と同様に扱うことは厳禁です。
自身の抱える問題や困難に対して向き合い、改善をはかっていくことが真の目的であるならば、基本的に診断名が何であろうと問題はないはずです。やみくもに「AD/HD」という診断名だけに固執するのは、本末転倒なのです。
4.発症要因について
AD/HDがなぜ起こるのか、はっきりした原因はまだわかっていません。しかし、はっきりしていることはこれが脳の中枢機能の不全によって生じる発達障害の一種であるということです。AD/HDを持つ人の脳をスキャンすると、前頭葉前野の活動が低くなっている(特に、集中しなければならないような状況で逆に低くなる)などの特徴が見られると言われています。その理由の一つとして、前頭葉前野の活動を活性化させる働きをもった神経伝達物質(ドーパミン)の分泌が足りない(または不安定である)という要因が指摘されています。言い換えれば、AD/HDの症状が出現するおおもとの原因は本人の性格的な問題(怠け、努力が足りない、堪え性がないなど)でもなければ、親のしつけができていなかったせいでもないということです。
このことはいくら強調してもしすぎることはありません。診断基準によればAD/HDは幼児期に発症するわけですが、彼らは他の子どもたちよりも、ちゃんと話を聞くことに困難があり、衝動的で刺激に過敏で育てにくいといえます。そして、そういった子どもたちに通常の子育てを行った結果として、注意と叱責が関わりの中心となってしまうことは十分考えられます。しかし、自分の子がAD/HDだと知らない親が、困ったことばかりする子どもに対して怒ったりイライラしたりせずにいられるものでしょうか?きちんとした診断を受ける意味は、実はここにあるのです。
また、わざとではないのに困った行動を繰り返してしまうことで叱られてばかりいる子が、それは”症状”なのだということを知らされないまま成長していくことは何を意味するでしょうか?
私たちはできるだけ、現時点でわかっている限り、脳機能障害としてのAD/HDがどのようにして起こってくるのかを知る必要があります。原因がわかれば治るというたぐいのものではなく、AD/HDという障害そのものは(場合によっては)一生つきあっていかなければならないものですが、正しい知識を持つことによって、少なくとも本人や親が間違った理解に基づく偏見や非難を周囲から受けたり、いわれのない罪悪感を持ってしまうような事態を避けることができるのです。
5.治療について
AD/HDそのものは神経学的な”障害”であり、治療によってAD/HD自体が治るということはありません。しかし、本人や周囲をサポートするための治療法は存在します。
最も重要なもののひとつは薬物療法です。AD/HDを正確に、確実に診断する必要があるのは、継続的な服薬で行動や症状が改善される可能性が高いから、というのがひとつの理由です。治療には、中枢神経刺激剤と言われる薬や、場合によっては抗うつ剤が用いられます。いずれも100%の効果は保証されておらず、中には薬物療法の効果があまり出ない人もいると言われています。中枢神経刺激剤は、普通の人が用いると依存性が生じる危険性のある劇薬指定の薬なのですが、AD/HDの人が依存性を生じることはあまりないと言われています(注意しなければ薬を服むこと自体を忘れてしまうのがAD/HD児・者の特徴です)。
また、周囲からの無理解や偏見、度重なる非難、いじめなどから生じることの多い二次的な障害、すなわち心理的要因を多く含む症状については、心理療法が必要となります。薬を服めば何もかも解決するわけではないのです。
これは大変問題だと思うのですが、生半可にAD/HDのことを知っている人が、服薬しているAD(H)D児・者に対して「薬を服んでるのに(部分的にしか)よくならないね」などと、本人や家族に向かって(無神経にも!!)言ってしまう、ということが現実にあるのです。
最も深刻なのは、学校で教師が生徒に向かってこの言葉を言う場合です。薬は、AD/HDの主症状を改善する助けにはなりますが、人間関係の中で生じてきた心理的問題と、それに起因する”問題行動”に対してはほとんど無力です。こんな言葉を投げつけられた当人は、ますます自己評価を下げることになってしまうでしょう。いじめの引き金になることだって十分に考えられます。
大切なのは、「自分はダメじゃないんだ」「自分や家族が困っていることの原因は、自分が悪いのではなくてあくまで症状なのだ」「やり方次第では、自分だってがんばれるんだ」と思えるようになること。自尊心を取り戻す(もしくは、獲得する)ことこそが、心理的に安定した状態をもたらし、二次的な障害を改善していくために最も大切なことなのです。薬物療法は、あくまでAD/HD症状の存在によって学習されてこなかった様々な行動を身につけたり、セルフコントロールをする訓練をするための助けになるに過ぎません。
従って、本人の気持ちに寄り添い、共感し、支持するというカウンセリングなどの方法は薬物療法と並んで非常に有効な治療となります。もちろん、家族のサポートという点から考えてみれば、なおさらのことです。
出典: 「LOGOSMANIA」の「ADHD」より
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