幼い頃のへんてこ
saki♪は、普通の家庭の普通の長女として生まれました。 でも、ちょっと普通じゃないところがありました。 けたたましいくせに、気が小さく、遠足などの行事の前には張り切りすぎて、 当日は熱を出して参加できないなんてことはしょっちゅうでした。 幼稚園では、担任の先生から、 「こんなお子さん、今まで40年教師してて初めてです!」と言われました。 この担任の先生は、saki♪の母親の担任でもありました。 だから遠慮がなかったのか、saki♪の欠点を論(あげつら)いました。 何がそんなに珍しい行動だったのか? 整理整頓がぐちゃぐちゃでできないのは当然のこと、気があかんたれのくせに、すぐ人のことをかまう、 ジッとしていない、先生の話は聞いていない、思いついたらすぐ動くetc、etc・・・。 saki♪にしてみれば、ちっとも悪いことをしているつもりはなく、全て自然の行動でした。 思いついたから、行動する。 それだけでした。 それも全てsaki♪的には、全部友達のことを思ったり、心配だったり、気にかけてあげたくなったり、 手伝ってあげたくなったり、どうしたのか聞いてあげたくなったりした上での行動でした。 でも、先生の目から見たら、ただただ多動で、落ち着きのない子。 そして、甲斐性がない(やれるだけの実力がない)のに、何にでもクビを突っ込む、 やっかいな子どもだったようです。 怪我や火傷も多かったです。 お弁当の時間、長机でみんなで食べていました。 大きな大きなやかんにお茶が入っていました。 saki♪の隣の子のコップにはお茶がまだ入っていませんでした。 と気づいた瞬間、saki♪はやかんを取りに走っていました。 やかんが、幼い、しかもとっても小柄だったsaki♪の手に負えるはずがないことには、 全然気が付いていませんでした。 やかんを1人で運ぼうとしました。 もちろん持ちきれず、ぶちまけてしまいました。 残念なことにそれはしゅんしゅん沸き立った熱いお茶だったので、saki♪は太股中、大やけどを負いました。 母が呼び出されました。 痛く、赤くただれた皮膚を前に、先生は 「saki♪ちゃんは、全然言うことを聞かない!! やめなさいって何回も言うてたのに!! 全然言うこときからはへん!!!」って母にお説教を延々とされました。 親切でした行動 → 結果が悪く自らも痛い目に遭う → 母もsaki♪も怒られる → saki♪は母から再度怒られる こんな理不尽なことない!って幼心に思いました。 これはほんの序章でした。 これから、人生、ずうっと屈辱と忍耐の連続になるのです。 ちょっと変わった思考の持ち主でもありました。 自分の目から見えるのは目の前だけなのかということがすごく気になりました。 saki♪っていう人間は目の後ろにもあるのに、見えているのは目より前だけってのが、 すごく不思議でたまりませんでした。 ピンクの色紙を桜の形に切りましょうという課題がありました。l どんどんみんなが終わっていきます。 saki♪は、全然終わりません。 4人3人2人・・・と、残っている人数がだんだん減ってきました。 ついにsaki♪1人になりました。 まだ粘ります。 saki♪が考えていたのは、5枚の花びらに折って一気に切り紙としてできる方法でした。 他の子は、教わった通り、4つに折りたたみ、4枚の桜の花びらを作ってすぐ終わっています。 でも、桜の花びらは5枚です。 5枚を作らなくては!それも、どこも対称に。 みんなが休み時間になっても、お帰りの時間になってもできません。 しびれを切らした先生が、ちゃっちゃっちゃと5枚に切って、これでいいんでしょ? と押しつけました。 不満でした。 私の考えてることと違う! 納得がいかないことはとてもしにくいタイプでした。 いわゆるこだわりの強い子どもでした。 5歳の頃、母のお腹に妹が宿りました。 妹がお腹に入ってる母。 その寝ている母のお腹の上を踏んで歩いていったそうです。 どういうわけでそうしたかは覚えていません。 ただ、その行動だけを延々何十年もなじられ続けることになります。 当時の私には何か理由があったのでしょうが、どう考えてもそれは許される行動ではありませんよね。 無事その後妹が産まれて何よりでした。 お手製のブラウスを着て遊びに出かけたsaki♪ 帰ってきた時は、下着1枚の姿になっています。 驚く母の「ブラウスどこやったん??」の問いに「しらん」の一言。(^^ゞ 「何日もかかって縫うたのに!」と探し回る母。 公園の鉄棒のに引っかけてあったそうです。 着てへんことにも気づかないsaki♪ こちらも手編みの毛糸のタイツ。 2歳下のいとことお揃いでるんるん。 もちろん帰ってきた時には大穴が。 一瞬にしてパー。 saki♪には「そんなん当たり前や〜ん」と思えるのでした。 服が破れない、そのままの状態で保てるなんてことは絶対に不可能で当たり前じゃないですか。(苦笑) 怪我もいっぱいしました。 溝にも落ちました。 遠足に行く前日は張り切りすぎ、当日決まって熱を出して参加できませんでした。 いわゆる緊張しいで、普段と違うことがあるっていうだけで体が勝手に緊張状態のスイッチが入ってしまうらしく、 発熱、嘔吐など繰り返しました。 「悪い子」「悪い子!」「悪い子!!!」と言われ続ける日々。 そんな中で、おばあちゃんだけは 「saki♪ちゃんはええ子や。あんな裏表がのうて、素直で屈託のないええ子はない」 と言い続けてくれたそうです。 そのお陰で、何とか今の私が存在しているのかもしれません。 ものごとにものすごく過敏でした。 痛いこと、うるさいこと、暑いこと、寒いこと、寂しいこと、悲しいこと、怖いこと、全て人以上に苦手でした。 神経質な子と言われていたようです。 それは今にして思えば、ADHD的あるいは、PDD的なんですが、 当時はただ親が干渉しすぎるからだろうと思われていました。 特に「別れ」には敏感で、遊びに来ていた従姉妹が帰るというだけで、すごく悲しく寂しくなり、大泣きしました。 従姉妹の方は、きょとんとしていました。 電話が怖かったのです。 どうしても電話に出ることができませんでした。 受話器の向こうから声が聞こえる。 見えない相手にしゃべる。 そんなことが途方もなくsaki♪には怖かったのです。 (つづく) |