学校時代のへんてこ
小学校時代 小学校に入りました。 休み時間、ブランコで遊んでいました。 チャイムが聞こえなかったのか、チャイムの意味がわからなかったのか、saki♪は授業が始まっても 教室に戻りませんでした。 ボロクソに怒られました。 saki♪は悪いとは思っていませんでした。 だって、わからへんかってんもん。 なんで怒られなあかんのん? さっぱり怒られてる意味がわかりませんでした。 高いところが好きで、ジャングルジムや登り棒は大好きでした。 するすると上っては、数回のコウモリ降りで着地することを繰り返して遊んでいました。 「アホと煙は高いとこ上る〜」っとバカにされても上っていました。 高いところはとっても気持ちがいいんです。 1年生の2学期に転校しました。 saki♪には何が何だかわかりません。 毎日泣いてばかりいました。 泣いていることを、しまいには担任の先生が怒り出したけれど、それさえまた泣く材料になりました。 家も変わり、近所も変わり、以前はすぐ近所に住んでいた助けのおばあちゃんもおらず、 学校は恐ろしい知らない世界。 周りの子ども達は全員知らない子。 それでも中でじっとしているのは苦手なsaki♪は、塀の上に上ったりして1人で遊んでいました。 2年生の時は若い女の先生でした。 学校には、少し慣れてきました。 が、ここでも怒られ続けました。 漢字の書き取りが苦手でした。 みんなが100点を取る中、どうやっても20点、30点しか取れません。 saki♪的には一生懸命書き取っているのに、不完全な字しか書けませんでした。 担任からは、さぼっていると思われました。 本当はやればできるのにとも言われました。 でも、できないのです。 まず、線が止まりません。 一画一画、かちっかちっと止めて書けず、へにゃへにゃと次へ続いてしまいます。 線が何本あって、その線の長さが微妙に違って、それが交わって出来上がってる漢字。 大体一緒に見えたらええやん!っていうか、私には正しい答えとして示される漢字と、 自分の書いた漢字の違いがよくわからなかったんです。 「この先生は細かいこと言わはりすぎる!」 saki♪にはそう思えました。 そんなもん、線の1本多かったって少なかったって、長さが違ったってええやんかぁ! そう思っていました。 ちなみに、「幸せの“幸”」と、「辛いの“辛”」が違うことを知ったのは、ついつい最近です。(笑) なんで、意味が全然違うのに、おんなじ字を使うねんやろ〜?って思ってました。 その先生は熱心でした。 何とかsaki♪ちゃんをまともな子にしたい! クラスのみんなと同じような子にしたい!と願っていました。 母が廊下に傘を届けに来た時、授業中でもすかさず 「saki♪ちゃんのお母さん!ちょっと聞いてください!! saki♪ちゃんはこんな困ったことしゃはるんです!!」 と呼び止め、母は「saki♪には恥をかかされ通し」と逃げるように学校を去ったそうです。 そんなことが毎日のように続きました。 今にして思えば、先生に悪気はなかったんだと思います。 でも、「きらわれてる!」って想いは抱え続けていました。 「なんでわかってくれはらへんねんやろう?」って不思議にも思っていたのでした。 授業中、教室の一番遠い席の子の消しゴムがころんと床に落ちます。 そんなことが45分間の授業の間に何度も何度もあちこちで起こり続けます。 その全てに気が付いて、私は授業の内容を聞くどころではありません。 消しゴムが落ちたと気づいた瞬間にはもう席を立ってすっ飛んでいって、拾ってあげます。 本人が落としたことすら気づいてない時にです。 当然、担任の先生からみたら、ただ授業中にわけもなく席を立ち歩く. それどころか走り歩くとんでもないわけのわからない子だったでしょう。 全然授業に集中してないのに、たまに聞きかじる言葉だけでsaki♪にはある程度理解する能力(勘?)も その頃は持ち合わせていました。 算数など、なんの苦労もなく解き方が思いつくのです。 文章題を見た時、それを映像に置き換えることができました。 かごにリンゴが5こ入っています。という文で、かごに入った5個のリンゴが浮かびます。 それをどうこうする問題は、映像を浮かべることで大抵解くことができました。 ただ、計算は強烈にキライでした。 あの繰り返しがたまらなく面倒だったからです。 理屈はわかるのです。 引けない場合は、隣の位から10借りてきて、まず10の補数を出し、それと元の数を足せば、その位の答は出る。 わかっているのです。 でも、じっさい計算というのは、理屈がわかった後は暗記です。 8と6を見れば、足せば14になるってのは暗記です。 いちいち理屈を考えていては間に合いません。 saki♪は、後でも書きますが、「暗記」という脳が欠如している人間でした。 全く覚えられません。 そこで、私が計算をするのは、ひたすら指を動かすしかなかったのです。 6に8を足す場合、多い方の数字(この場合8)を元に声に出します。 そして、そこからはピアノを弾くように、机の上で、ひたすら指を1本1本、 「9.10.11.12.13.14」と6本分、弾く(動かす)のです。 「saki♪さん、この計算速くできたね〜」っと褒められる時は、単に必死で指を速く動かして、 早口で数を数えてただけで、 ちっとも根本的にさっさとできるようになったわけではなかったのでした。 大人になった今でもそれは変わっていません。 今はほとんど電卓を使うことができるので、暗算する必要はないのですが、どうしても必要な時には、 弾いています。(笑) それを声を出してするか、声を出さないでするかだけの違いです。 声を出してなかったら、人はただ、ピアノの練習をしてるんだと思っていましたから。 そういえば2年生の先生は、親に「saki♪さんは、学校の机でピアノの弾く真似ばかりしたはる」って 言われてたってことも今、思い出しました。(笑) saki♪はきかん坊に見えて、超ストレスに弱い子でした。 相変わらず行事には弱く、自家中毒を起こしました。 行事というもの、運動会も遠足もみんな大キライで、「いつも通り」が一番好きでした。 何もないことが一番安心できる。 爪はもちろんのこと、鉛筆など、ものをガジガジ囓り続けていました。 まっさらの鉛筆が帰るときには、跡形もないほどバキバキに崩れていました。 毎日、そうやっていろんな自分なりのストレスに耐えていたのかもしれません。 3年生の先生が心配して、自分で病院に相談され、「芯は身体に悪いそうですよ」とクラスみんなの前で、 話をされました。 身体に悪いとか、悪くないとか、そんなもんは私の言動を止めるのに、何の歯止めにもなりませんでした。 だって、無意識だったのですから。 苦手な感触(金属など)以外は、何でも噛んでいました。 ランドセル、布製のカバン、教科書やノート、プリント類、はては木製の湯船まで噛んでボロボロにしました。 今でも、教科書の味の違いなど覚えています。 産休講師に来られた3年生の別の先生からは「小児ヒステリー」と言われたそうです。 当時は「ADHD」の概念はまだなかったのです。 ただ、その先生は正直で、何かおかしい、普通じゃないってことを親に伝えたかったんでしょう。 だけど、その病名は、親にも何も知らない私にもショックでした。 どんな病名のことかは未だにしっかり調べたことはありませんが、 とにかく、普通じゃないんだって先生から烙印を押され、そしてそれに大して何の手だても示してももらえず、 母は当時3年生だった私に、その言われた事実を伝えただけだったんですから。 給食がキライで食べられませんでした。 特に熱を加えたちくわ。 これだけはどうしてもダメでした。 姿形も、それより何より、匂いが強烈にダメでした。 「食べなさい!」と先生。 無言で抵抗するsaki♪ 掃除時間もsaki♪だけ埃まみれになりながらちくわの入った焼きそばを前に座らされてました。 その日は参観日でした。 お母さん方がゾロゾロと入ってこられます。 saki♪の母も。 それでも食べません。 やっと先生が「片付けなさい」と折れました。 勝った〜!と思ったsaki♪ いわゆるガンコな部分も十分持ち合わせていたsaki♪なのでした。 4年生の頃、初めての男の先生。 おおらかな先生は、やっとsaki♪のこともそんなに気にせず、ある程度“普通の子”として接してくれました。 初めて私を嫌いにならない先生に出会い、saki♪はその先生が大好きになり、 毎日先生のバイクをきれいにしてあげました。 ホースを引っ張っていって、じゃぶじゃぶバイク丸ごと水洗いするんです。(笑) 閉口しながらも許してくれてました。 私の精一杯の感謝の表れだったと思います。 その頃、その学年が大きな音楽会に出演しました。 いよいよ本番前のリハーサル。 舞台の上で緊張した指揮者の女の先生。 離れた子の襟を直しに走るsaki♪ 「もお〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!!!!!!!、saki♪さんっ!!!!!! ええ加減にしなさいっ!!!!! 何回言えばジッとできるのっ!!????」 怒鳴られました。 saki♪にはなんで怒られるのかさ〜っぱりわかりません。 ただ、襟が曲がっていたから直してあげただけやのに??? 給食のことでもう1つ。 すぐ記憶をなくすsaki♪は、すでによくわからないことだらけでした。 もしかして、それはsaki♪かもしれない、と思っても、記憶にないので、しょうがないのです。 ある日、 「この給食を勝手に残したのは誰ですか? 今日という今日は、犯人が名乗り出るまで帰しません!」 先生も意地だったのでしょう。 言った手前引っ込みがつかず、誰かが名乗り出るまで、あの手この手で犯人が自分から名乗り出るよう働きかけました。 が、しかし結局わからずじまい。 ど〜も、もしかしてsaki♪なのでは?と後ろめたい想いを数十年持ち続けています。 給食のことをもう1つ。 給食には大抵、半分だったら残して良いというルールがありました。 全然食べられなかったsaki♪は知恵を働かせ、まずコッペパンを半分にちぎります。 その片一方のパンの焦げ茶の薄皮だけなんとか飲み込み、 残りの白い部分をギューギューに丸めて団子にします。 それを反対のパンの真ん中にふわっと穴を空けてそこに埋めます。 で、おかずも埋めます。 そしてふわっと取り除いていたパンの一部をふたにしてかぶせてできあがり。 残り物をぎっしり詰めた重い半分のパンを見せて、まんまと全部残していたのでした。 それを6年間先生だけじゃなく、だれにも見つからなかったなんて、saki♪には詐欺師の技術があったのかも。(笑) かなり不器用だったのに不思議です。 おっと、ここからがADHD的なところです。 その半分のパンが何個もsaki♪のランドセルや手提げカバンには詰め込まれ、カチンカチンになって、 カビが生えていたのでした。 うおうっ。 学校の机は狭いです。 もちろんあっという間に机の中は満杯に。 あんな狭い中に、自分の持ち物が全部入るわけないじゃあありませんか。 授業中も授業に必要なもの(ノートや教科書や、筆箱や、その他のプリントなど)が あの小さな机の上に乗りきるわけがないじゃありませんか。 入ったり、乗ったりしてる人がsaki♪にはまか不思議! もちろんこぼれまくり、saki♪の机を中心に、半径2mぐらいはsaki♪の持ち物が立体的に散乱してたのでした。 ドッジボールがコワいし、キライでした。 人にボールをぶつけるゲームというものが、全く理解できません。 物にぶつけるのでさえ、できれば避けたいです。 それを、人にですよ?人間に!! なんで、人間が人間にボールをぶつけて痛めつけなければならないんでしょう?? saki♪には全く理解できません。 絶対にやりたくない! できません。 それは未だに変わりません。 当時の小学校のボール遊びや運動といったら、ドッジボールぐらいだけだったので、 saki♪は全くボールを触らないまま、小学校を卒業することになります。 5年、6年生の頃は強烈なイジメに遭いました。 saki♪が、所有欲の強い女の子の持ち物にされ、命令のままに動かされることになります。 1つの思考しかできないsaki♪には、どう切り抜けていいのかわかりません。 誰かに話せば殺される! 本気でそう思っていました。 他人の前では、ニコニコ仲のいい振りをさせられ、後ろに回された手で背中をつねられていました。 便器の水に足を浸けさせられたり、体育を見学させられ、その子の宿題をさせられたりしました。 何でも一番にならないと気が済まなかった彼女の答案を書き換えさせられたりもしました。 saki♪は記憶関係(社会や漢字など)は全くできなかったけれど、算数ではあまり苦労しなかったので、 それが気に入らないようでした。 当然のように、不登校にもなり、虚弱児にもなりました。 いっつもお腹が痛く、登校前になるとトイレにこもって出られませんでした。 妹を幼稚園バスまで送っていくため母が家を空けた瞬間トイレから出て、 台所に入り、その辺の食べ物を口に放り込み、またトイレに戻ります。 母が「もう今日は休み」と言ってくれるまでずうっとトイレにこもり続けました。 トイレの中でいつも「神様」に祈っていました。 「今が過ぎ去って、『昔あんなこともあったなぁ』と思える日が早く来ますように」と。 その場での解決方法はあり得ないと思っていたようです。 ある日、いつものようにとにかく「訳を言いなさい」の一点張りだった親に、メモ書きで告げます。 「○ちゃんのいない学校だったら、たとえ6時に起きて行く学校でも通います」と。 それだけで全てを悟った母が、担任に相談に行きます。 その時の担任の言葉です。 「お母さん、何勘違いされてるんですか? saki♪さんと○さんはあんなに仲良しですよ。 なんでしたら、見にきてください。」 ・・・・・・・・・・・・・・・。 担任なんてそんなものかと思いました。 告げるまでわかってもらえないのは仕方がない。 でも、告げてもわかってもらえなかった。 正面切って尋ねられて、「うん、いじめられてる」なんて答えられるわけありません。 言えるぐらいなら、とっくに言うてます。 それに、その担任は私に聞きさえしませんでした。 きっと、頭っから「心配性のお母さんの思いこみ」とぐらいに思ってはったんでしょう。 その先生は、後に校長になられたと風の便りにききました。う〜む。 そんなこんなで、saki♪は中学から私学に逃げることになります。 その子から逃れるためです。 ADHDの私が何故、受験勉強もせず私学に受かったのか? それは今でも運が良かったと思います。 算数ができたことと、後は運の強さ?でしょうか。(笑) 中学・高校時代 中学に入ってからは、小学生の頃と比べると楽しい日々でした。 中学、高校一貫教育の女子校は、丘の上にありました。 毎日結構な坂道を上がります。 桜並木でした。 その桜の木に向かって、重いカバンを手に、1本1本ジャンプしていました。 電車の時刻表にもジャンプしていました。 高いものを見ると、無性に飛びつきたくなるのです。 その感覚は今も残っています。 今は大人なので我慢してますが、それでもだぁれもいないと高いものに飛びつくことも多々あります。(笑) ミッション系の学校だったんで、そんな合宿もありました。 緊張しすぎたのか、猛烈な腹痛に見舞われ、何にもできず、ただトイレ通いと寝ているだけでした。 車酔いのひどかったsaki♪は、中学1年生の頃、たった電車で一駅なのに、いつも 車酔いで倒れていました。 中学1年の冬、母が病気になり、家族が一時バラバラになりました。 妹は親戚の家に預けられて転校。 私はおばあちゃんの家に預けられ、元々私学なのでそこから登校しました。 電車に乗る時間が長くなったのだけは辛かったです。 毎日酔って、駅の階段で休む日々でした。 駅員さんに覚えられるほど。 電車の匂いというものがたまりませんでした。 いろんなものに過敏だったsaki♪は、電車の匂いにも過敏で電車に近づくだけでダメなのでした。 でも、今まで窮屈に育てられてたsaki♪には、その他のことでは天国のような日々でした。 毎日帰ると、お店に出ているおばあちゃんから小銭をもらい、隣のお菓子屋さんに同じアイスを買いに行って食べます。 毎日、毎日、それはずうっと続きました。 お年玉を貯めていた自分名の貯金通帳を使い果たし、マンガの単行本を買いあさりました。 そこで出会ったのが、「アタックNo.1」というバレーボールの根性マンガでした。 天啓を受けたと思いこみ、夜中、親戚の家のお布団から飛び出し、 「私はやるんだ!!!」っと天井に向かってジャンプしました。(笑) そこからも一途。 退院した猛反対する母を説得し、中学3年からバレー部に入部。 虚弱で、小学生時代ドッジボールも大嫌いで全くボールに触ることさえできなかったsaki♪ もちろん中学の授業で初めてしたバレーボールも、ベチャっ、ベタンの世界でした。 それがあら不思議。 その気になった時の強さったらすごいです。 単にコミックにのめり込むだけで、ほんとにバレーボールができるようになってたんです。 今で言う、イメージトレーニングっちゅうヤツでしょうか。 毎日、毎日、「私はやる!やるんだ!!」の世界で、 バレーボールをするためだけに通学していました。 レギュラーの座も獲得。 鮎原こずえと同じく、もちろんアタッカーでした。(笑) 高校2年の頃、高跳びの着地に失敗して腰を痛め、立つことさえままならない状態に。 注射に通い、無理したら一生車イス生活になると言われました。 悩み抜いた挙げ句、一途なsaki♪は青春ドラマのように、「それでもいい!」なんて無謀なことを考え、 監督に「やらせてください!!」と頼み込みに。 もちろん説得され、やらないことになるのですが。 今のsaki♪があるのは、その監督のお陰かも。(笑) 記憶力のないsaki♪には、英語、歴史、地理、古典などとんでもなく苦労しました。 いつも赤点でした。 だって、ほんまに何にも覚えられへんのです。何にも。 歴史の先生は大キライでした。 黒板に赤点者の名前を書かれてました。 屈辱を与える教師を許せませんでした。 歴史の先生は、まるで私のことはわかってはらへんかったのです。 私が授業中、しゃっくりが止まらなくなった時のこと、「早弁は止めなさい」と。 意味さえわかりませんでした。後で人に聞いたところ、隠れてお弁当を食べてると思われたとのこと。 あほちゃ〜う? とてもある意味「真面目」な私が授業中にそんなことするはずがないのに。 それだけで、私はその先生がますます大キライになりました。 暗記教科にはそうして苦労しましたが、 それでいて数学はそれほど苦労せず、幾何の証明問題などは得意だったようです。 落第すれすれでエスカレーター式の高校にも進学することができました。 短大時代 同じように、短大にも進めるのです。 短大に進んだsaki♪は、今度は“児童教育”にのめり込みます。 自分でも、saki♪っていうのは、何かにのめり込めないと生きていけないと感じ始めていました。 それが職業に結びつくのです。 短大では、バレー部の部長、軽音楽部、児童福祉部などに所属して目一杯楽しみました。 今から考えても、人生で一番楽しい時だったと思います。 へんてこなことがいっぱいあっても、大してとがめられなかった。 友達に勧められて入った軽音楽クラブ。 人前で歌うなんてとんでもないと思ってたsaki♪ でも、フォークグループを作ってどうしても歌わねばならないと決まったら、練習しまくりました。 何事も中途半端はできないsaki♪でした。 朝も昼も晩も、練習しまくりました。 1曲だけを。(笑) やるかやらない。白か黒。100%か0%。 saki♪にはそれしかありませんでした。 無謀にもラジオ出演もしました。(笑) そんな練習に付き合ってくれた友達に感謝しています。 バレーボールクラブでは、“鬼のsaki♪”と呼ばれてました。 saki♪的には、練習せえへんなんて考えられなかったのです。 楽しみや、賑やかしで入ってるなんて信じられなかった。(笑) 友達であった副部長が苦労して間に入ってなだめてくれました。 それさえ、腹立たしかったり。(苦笑) 福祉施設にペンキ塗りに行ったり、合宿したり、文化祭に燃えたり、楽しかった。 ただ、親だけには苦労してました。 こんな歳になっても、親に怒られることがコワくて、いつもぴりぴりビクビクしていました。 門限も厳しく、いつもギリギリまでクラブなどして電車に飛び乗ってたのですが、 電車が目の前で行ってしまった時には、駅で大パニック。 大泣きして、周りのみんなを唖然とさせてしまったり。 その学校で、研修旅行がありました。 1日目、憧れの先生の家に友達数人と遊びに行き、ご馳走になりました。 そこからその研修旅行に合流するはずでした。 エビフライがsaki♪の分だけ足りませんでした。 「すぐに揚げてあげる」と先生。 だけどたったそれだけのことで機嫌を損ねたsaki♪は、みんなが2階で談笑する中、1人1階に行って、 全くウイスキーなど飲んだこともなかったのに、 いきなりサントリーオールドのボトル半分以上空け、急性アルコール中毒で意識を失い、死にかけました。 アホちゃう?っちゅう事件です。 その後、旅館に移動させられ、研修日が過ぎても回復せず、 その後数日シスター(修道女)と共に過ごすことになります。 入院代わりでした。 人迷惑なsaki♪です。 そう言えば、行事という行事は全部トラブルがつきまとってたような。 小学校の修学旅行では、旅先で風疹に。 真っ赤の顔をして校長先生と旅館の部屋から一歩も出られませんでした。 中学校の修学旅行では、行きの新幹線から猛烈に車酔いし、 その後のバスでは地獄でした。 ふら〜っと担任の横の席に座り、げえげえ吐き続けてました。 高校の修学旅行では、強力な酔い止めを飲み、貧血で倒れました。(苦笑) 集合写真には幽霊のようなsaki♪が写っています。 短大卒業、小学校教員試験に学科で通りながら面接で失敗したsaki♪は、仕方なく専攻科に進みます。 幼稚園教諭の免許を取るためです。 保母の免許は自力で試験を受け、取得していました。 幼稚園前期実習がありました。 実習先で不器用なsaki♪は、一度にいろんなことが処理できず、強烈にボロボロに打ちのめされます。 人の評価も突き刺さります。 翌日の細案、翌々日の指導案同じもの3枚、他にもピアノの練習、創作話の考案、諸々の教材作り。 もともと小学校の教員課程でしか学んでいなかった私は、幼稚園で一体何をすればいいのか、さっぱりわかりません。 教科もありません。 わからないことをすることが、まるで苦手な私、応用がまったく利かない私にとって、想像を絶する苦行。 字を書くことが全く苦手、コピーも禁止され、手書きで毎日毎日合計4部の指導案を作成することは、 一日が48時間あっても足りないほどでした。 おまけに、指導教官であった担当クラスの担任は、「厳しくすれば(私にとってはいじめれば)人は伸びる!」と 思いこんではる方で、私にとっては、いじわるの塊の「鬼」でしかないのです。 何をしても準備ができない私は、怒られ続けました。 涙が、ずうっと止まらず、ちっちゃいちっちゃいお弁当を持っていって、子ども達と一緒に教室で食べるのですが、 それさえ、全く喉を通りません。 バスでしか行けないところに幼稚園があったのですが、感覚過敏がひどくなっていた私には、 どうしてもバスの排気ガスや振動が耐えられず、何kmもの道のりを歩いて通いました。 2週間の実習で体重は激減し、食べられず、眠れず、精神的にもボロボロになります。 同じ事を平気で耐えられる友達が不思議でした。 その実習がきっかけで、学生生活に終わりを告げることになります。 やっと夏休みを迎えホッとして過ごし、9月まで後2日というとき、 代理職員の依頼がきたのです。 それは、元々saki♪がやりたかった小学校の代理講師でした。 スッパリ学校を辞め、飛び込むことにしました。 こうして学校生活に終わりを告げます。 まだまだエピソードはありそうですが、なんせ記憶力にトラブルのあるsaki♪は、殆どのことを忘れています。 それがちと残念。 また、人から聞いたり、思い出したら追加していきます。(2006/5/15加筆) |