大人になってからのへんてこ



結婚前

友達んちに旅行した時のこと。
バイクの乗り方を教えてあげると言われ、スタートとアクセルだけ教わった時点でまたがり、
走ったものの、ブレーキをまだ教わっておらず、壁に激突して止まるという事件もありました。(^^ゞ
今でもバイクにはコワくて乗れないsaki♪なのです。

そんなsaki♪も偶然が重なって、小学校に正式教員として就職することができました。
初めは講師で採用された後、翌年採用試験に無事合格したのです。

一途に思いこむsaki♪には天職に違いない!と思えていました。
燃えました。
不眠不休でのめり込みました。
仕事が楽しくてたまりませんでした。

人と交わるどころではありませんでした。
自分の思い、やること、突き進むことで精一杯でした。
そんなsaki♪は、いつの間にか新任教員の中では浮いた存在になっていました。
周りのことは、全く見えてなかったのです。
同じ学年の先生と相談して、足並みをそろえるとか、そんなことは全く頭にありませんでした。
私には、教室の子ども達が全てでした。
(仕事関係の詳しいことは、ぼちぼちblogに書いていく予定です。)

そこから事件が起こりまくります。
詳細が書けないのが歯がゆいのですが、実生活とつながっているため、具体的な
はちゃめちゃな人生全てをネットに流すわけにはいきません。
とにかく小説2冊ぐらいは充分書けそうなぐらい、かなりはちゃめちゃな人生を送ることになります。

家出、勘当、かなり年長者との結婚、出産、結婚相手がらみの借金、離婚、裁判、闘病と続きます。
まあ、ADHDやASならではと思える人生をとことん歩むことになるのです。

一部を書いてみます。



結婚生活

婚家での借金がらみでは、取り立て、差し押さえ、電話での暴力などなど、
今までの人生で考えられないほどの、コワい目に遭いました。
ほんの些細なことでも、跳び上がるほど恐がりな私にとって、地獄の日々でした。
今、電話がコワいのは、その時の記憶も大いに関係あると思います。

私名の借金もどんどん増やされました。
家に、高級呉服屋さんや、グランドピアノ屋さんを呼び、ニコニコしながら
「saki♪はどれがいい?好きなんを買うてあげるよ」と。
私は「そんなもん、絶対いらない!」って言うのに、私の名前で購入書類を書かされ、私名の借金になります。
でも、その時契約した「着物」も「グランドピアノ」も家に届くことはありませんでした。
当時は意味がわからなかったけれど、一旦私名でローンを組み、解約してお金を得(違うかもしれん・・・)、
そのお金を自分の借金返済に充ててたのかなぁと思います。
とにかく、わからん内に、私名の借金がどんどんふくれあがっていたのです。
私の苦手な分野につけこまれ、わけのわからん私を煙に巻きながら、どんどん利用されていました。

重度おそ(重いつわり)と切迫流産(流産しかけ)とで一時休職しての入院をしたときのこと。
症状がマシになったからと言って、そこからまでサラ金に借り入れに行かされました。
融通のきかない、応用の利かない、言われたらその通りにするしかないと思いこむASの私は、
当時の夫の言いなりになるしか、生きていく道が思いつきませんでした。
私の職場にまで、テレビのやくざドラマで見かけるような風貌の借金取りが押しかけてきたときに、
人生終わったと思いました。
既に、実家からは勘当され、全く助けを求められる状況ではなかったし・・・。

私にとって、全てが他人の中での生活。
Tommyをさずかったことは、唯一の私の身内であり、Tommyが生きる糧になっていました。
生活が苦しいため、産休後即働くつもりでしたが、Tommyの病気、入院、手術などがありそれもままならず、
生活は苦しくなるばかり。

まあ、その後のいろんなこと具体的に書ければ、うんと発達障害(ADHD・AS)的にはわかりやすいとは思うのですが、
今は、これぐらいで置いておきます。
まだまだ、いろんな事件が続きます。



離婚後

まあ、数年間大変な日々を送り、離婚、実家との部分和解、2つの裁判、
引っ越し、保育園の2回の転園などを経て、
その後ちょっとずついろんなことが解決していきます。
やっとやっと、これから母子2人で楽しく暮らして行こう!と思えていました。
何か、楽しいことを!とフルートを習いに行くことにもしました。



うつ病の始まり

そんな矢先、A型肝炎で病欠を取り、突然入院することになります。
4月、新学期始まったばかりの頃でした。
「まあ、人生突っ走って頑張ってきたし、ここらでちょっと骨休めに丁度ええわあ」と
軽く考えていたsaki♪に、大変な落とし穴が待っていました。
強烈なうつ病にかかってしまうのです。

入院は6人部屋でした。
周りの些細なことが気になりまくるADHDとASのsaki♪にとって、これは大変な試練でした。
人が起きているのに、気になって自分は眠るわけにはいかない。
そんな無意識の部分での闘いが始まり、あっと言う間に精神も身体もボロボロになっていきます。

1ヶ月余り入院してる間に、周りはどんどん入れ替わっていかれます。
延べ30数人とお付き合いすることになったのです。
人づきあいがものすごく苦手なsaki♪がです。

もちろんみなさん病気。
隣の人の「んん〜」とかって声が聞こえると、「あ、どうしゃはったんですか?」っとなるのです。
点滴がもうすぐ終わらはる。
痛そう。苦しそう。痒そう。寂しそう。
あ、立ち上がるのに困ってはる。
もうすぐ食べ終わらはる。
ナースボタンを押すのに手が届かはらへん。
もうすぐ回診、もうすぐ検温、もうすぐ点滴、もうすぐ食事、
もうすぐどの方の家族の方が来られてどんなこと話していかれる。
あの患者さんにはあの看護婦さんがキツイ言い方。
アッと思った時には、隣の隣のベッドのおばあちゃんにでも、すっ飛んで行ってお箸を取ってあげます。
これは小学生の時、消しゴムを拾ってあげるのんとおんなじなんです。
その内、看護婦さんに怒られ始め、ブラックリストに載せられたようです。
「saki♪さんも入院患者さんなんやから、人のことは看護婦に任せておいて、
自分が療養することだけを考えなさい」って。
すると、楽になるどころか、ますます大変なことになってしまいました。
今まで、「○○さん点滴終わられますよ〜」って直接コールできてたんが、怒られてからは、
そうはコールできなくなりました。
でも、気にはなるのです。
そこで、何気なく詰め所の前を通るふりをして、「あ、そういえば、○○さん、点滴終わりそうでしたよ」
と遠回しに言わねばならなくなりました。
余計にストレスがかかります。

職場だと、10時間ぐらい働けば、あとは自分の時間です。
ところが、病院は24時間ずうっっと延々退院するまで、全くずうっっと人と一緒であり、
それはADHDでASの、周りの些細なことでも拡声器のように人の何十倍もに感じ取ってしまうsaki♪には、
とんでもなく大変なことなのでした。
看護婦さん、ひとりひとりの方の個性も気になり、おろおろ気を遣い続けます。
その時は、もちろんADHDとかASとか、そんな知識はなかったんで、
ただただ知らぬ間に強烈な精神的な病気に陥っていったのでした。

入院したその日からの不眠、拒食、対人恐怖。
受話器が重くて、公衆電話もかけられなくなりました。
精神的にも大変な不安定に陥り、揺れに揺れます。
担当内科医の女医さんがやさしくて、かなり依存もしてしまいます。

不器用ながら数年間、頑張りに頑張りに頑張りに頑張り続けてきたsaki♪
一種の燃え尽き症候群のようなものもあったのでしょうか。
その後十数年間苦しむことになります。

様々な依存症も経験します。
買い物依存、アルコール(ウォッカ)への依存、他にも・・・。
母原病とも言われ、ACとして専門病院に掛かったり、自助グループに参加したりもしました。
休職もします。
ほんとに苦しかったです。
とくに、うつ病の苦しさは、体験したものでないと決してわからない世界です。
無知な間は、うつ病とは「落ち込む病気」と思っていましが、
体験して「なにもできなくなる病気」だと身をもって知りました。
仕事ができなくなる、家事ができなくなる、趣味ができなくなる、考えることができなくなる、
笑うことができなくなる、泣くこともできなくなる、食べることができなくなる、眠ることができなくなる。
そして、きっと最後は生きていることができなくなる病気なんです。
私も「死ぬ」間際まで行きました。
目覚めてる限り、何一つ希望的なことがないので、自分を眠らせ続けておくしなかない。
睡眠薬をいっぱい飲んだのは、自殺しようとかそんな意欲ではなく、ただ眠り続けるため。

それぞれの治療をしながら、それぞれの薬を飲みながらも、何か違う、
何でこんな自分はへんてこな行動ばかりするんだろう?と考え続けてきました。

何にでものめり込む。
一時は、日記を書くことだけで自分を何とか保っていました。
入院中も1週間で大学ノート1冊は使いました。
寝ない、食べないで、5階の非常階段からいつも外を見て、ひたすらノートに向かっているsaki♪
危ない患者リストに載っていたようです。(苦笑)
saki♪の日記帳は数百冊にもなりました。

まあ、その間、クビにもならずにずうっと同じ職業に就き続けることができているのは、
ひとえに感謝しています。
それがあったればこその今のsaki♪の生活があるのですから。
青春時代燃えたことが、その後の人生まで支えてくれることになるとは、
もちろんそこまで考えての選択ではなかったのですが。



ネットとの出会い

休職中、「何かした方がいい」というドクターの指導で、買ったまま「ただの箱」として置いてあったPCを触り始め、
ネットの世界を知ることができました。
記憶力の乏しいsaki♪には、PCの使い方を覚えるのはとんでもなく大変でした。
私の周りには1人も自分のことさえ相談できる友人がおらず、仕事も休んでるんで、
当然誰1人PCを教えてもらうこともできません。
時間がいっぱいあったからできたことだと思います。
ネットがつながってからは、ネット上である程度相談できるようになりましたが、それまでが大変でした。

ねずみぃ(齧歯類)との出会いもありました。
詳しくは別サイト「ねずみぃと一緒に」に。
休職中のsaki♪に、立ち直るきっかけをくれたのは、ねずみぃ達です。
この子達を養わねば!というのが、直接のきっかけです。
もちろんその裏には励ましてくれるネット上での友人の存在が大きいのですが。

ただし、そのねずみぃの数も半端じゃありません。
なんでこんなに次々飼い続けるのか?
初めは気づいていませんでしたが、多分にADHD的、AS的な要素も多々あります。
あっという間に自分の管理能力をはるかに超えていました。
というか、元々ADHDのsaki♪には管理能力はないに等しいのです。
ただ、1つのことにのめりこむASの特性があり、その1つのことには何とか頑張ることができているのでしょう。
それでも挫折しそうなことは多々あります。

まず、瞬間的にものごとを忘れる!という特性により、いろんな支障があります。

餌を与えるために、扉を開ける。

中の吸水器を取り替えねば!(開けたことは忘れてる)

流し台へ。そこにある洗い物を始める(吸水器のことは忘れる)

台所にあった残り物を冷蔵庫に(洗い物のことは忘れる)

冷蔵庫のヨーグルトの賞味期限を見る(残り物のサランラップのことは忘れる)

ヨーグルトに入れるイチゴを刻むためまな板と包丁を出す

まな板の汚れが気になり洗い始める(包丁を手に持ってることを忘れる)

洗剤が切れそうなことを発見(まな板の汚れのことは忘れる)

洗剤を捜しに歩く(洗い物のことは忘れる)

PCがついてるところを発見(捜し物のことは忘れる)

メールチェックを始める・・・

てな具合で、元のねずみぃの扉のことは忘れ、脱走され、後々とんでもなく苦労するはめになります。
事故につながりかねないため、大変な気を遣い、へとへとになります。

鍋をかけたまま忘れるのは100%。
なので鍋をかけた時には必ず数分間のタイマーをセットします。
鳴れば、何かがあったと考えるからです。
ところが、そのタイマーをセットすることさえ忘れることがあります。
鍋からタイマーにうつる1秒ぐらいの間に、他のことに気を取られることがあるからです。
あやうく火事に!ってなことが何回もありました。
これは、後にIHクッキングヒーターに換えて、タイマーセットできるようになったため、かなり改善します。

そうそう、早とちりでとんでもない大ごとになってしまったことがあります。
まだTommyが小さかった頃のこと。
その頃、団地に住んでいました。
夜10時頃、何だかきな臭いのです。
外で異臭がしました。
ふと隣の街の住宅を見ると1軒の家の窓が真っ赤です。
慌てて119番したsaki♪
あっという間に消防車数台、ガス会社の車、救急車、そして数百人の人だかり。
団地ゆえに野次馬の集まり方が違います。
が、しかし、ボウボウ燃え広がるはずの窓からはそれ以上の火も煙も出てきません。
そうです!
単なる赤いカーテンを火事だと思いこんだのでした。
人生最大の「穴があったら入りたい」できごとでした。
ちゃんちゃん。

まだまだつづく

その後、発達障害の診断を受けることになり、また大きく人生が変わってきます。
詳しくは、ADHDの診断PDD・ASの診断へんてこ日記など参照

(2006/5/15大幅加筆)





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