太陽

Top

Kindleで発売。

くるくる・ハングル

はなから・ハングル

てにをは・ハングル

こちょっと・ことわざ

ホラン君の楽々・韓国語

オマケの冬のソナタ

台本読んでみました

主題歌訳してみました

クイズもどうぞ

あれこれFAQ

うっかりコラム

piyapong_pepper

実はアメリカのドラマしか見ない。いや、最近はイギリスのもちょっとは見るか。

韓国語を習っていなければ韓国のドラマは見なかっただろう。冬のソナタを三回も見たのは勉強と、このサイトのアクセスアップのため、という、やらしい理由。

アメリカのドラマ、たとえばLOSTやグレイズアナトミーで魅力的な韓国人(いやまじで、みんないい味出してる)が出てくるのは大好きで見る。

LOSTに「サン」として登場する女優の、まあ美しくりりしいこと。「シュリ」で有名になった彼女は強烈な存在感で韓国女性、いやアジアの女性を演じている。サンシャイン。もと詐欺師の男は、彼女の事をこう呼ぶ。サンシャイン。無人島(実は無人島じゃない)に照りつける強い日ざしを跳ね返し、彼女は輝く。

でも、やっぱりそれはアメリカドラマだからで、アジアが映えるアメリカドラマだからで、だからきっと韓国人の韓国人によるドラマだったら、夢中になって見たりはしないのだ。

そして、同じサンでも、サンヒョク。

だからパク・ヨンハの演技は、サンヒョクのそれしか知らない。


だから、彼に関してうんぬんできない。日本でしか人気がなかったからだ、という芸能レポーターの心無い言葉に腹が立ったりはするけれど、彼の歌もそんなには知らない。

それに。

学生時代の彼が、学生服を着ていたこと、みんなはどう思っていたんだろう。

可愛いからいい、似合うからいい、って。

あれは日本のもの。しかももとは軍服だ。いつでも戦場に行けるようにと作られたものだ。

それを彼が着ているのを、彼だけでなく他の男子も着ているのを、私は今でも直視できない。

かつて占領していた国の人々が日本語を口にすると胸が詰まるように。


それでも、私は彼の肌の美しさ、少し寂しそうな笑い方が好きだったのだ。

母も韓国ドラマには興味が持てなくて、ヨン様はにやけているから嫌いで、でもあのライバルの男の子はお父さんに少し似てて可愛らしい、と言っていた。

父は目がもっとぱっちりしていたし、緩い天然パーマだったが、確かにかっちりした顎のラインはちょっと似ている。

人を、微笑むだけで癒せる力を持てることは、稀なことである。

不治の病を患い、せっかく当選した彼のサイン会に行けなかった女性がいた。けれどそれを耳にした彼は、飛行機の時間を遅らせて彼女のベッドのそばに駆けつけた。

機械に繋がれたままの彼女は、心拍数を頬の上気でなく急上昇した数値で現わした。あんな心拍は見たことがない。主治医は懐かしげに語る。彼女は、今でもベットのそばの彼の微笑みをはっきりと思い出せる、という。

その笑顔だけで、その微笑みだけで、人を勇気づけ和ませる、そういう力を大人になっても持ち続けているということはすなわち、その力をもって人に幸せを与え続ける人生を歩むよう義務づけられたのである。

その人はそうして生きていくべきで、生き続けていくべきなのである。

決して決して、みずからの命を断ってはいけないのである。

おそらく彼はその優しさゆえ、人の苦しみを我がこと以上に受け止めてしまったのだろう。それが愛してやまない父ならなおさらのこと。私たちの想像以上に、韓国の若者たちは親を尊敬し慈しんでいる。

私の父は私が30になってすぐに亡くなったが、そこまで生きてくれてよかったと思う。立派なものだと思う。晩年は病気がちで筋肉が落ちてしまい、一番辛かったのはスポーツマンだった本人だろうから。

でも韓国の若者たちはそんな私を薄情だと責めるだろう。親には長生きして欲しい。どんなことがあっても長く生きて欲しい。それを願うことこそが親孝行だと、ああやっぱり日本人は冷たいと、言うだろう。

冷たいかもしれない。だが、人は、自分の人生を生きなければならない。誰かの親である前に、誰かの子供である前に、自分の人生を生きなければならない。

だから、病に倒れた親の前で悲しむことはない。自分は親を思いやれるほど大人になっている。親を思いやって背中をさすったり足をもんだりできるほど、立派に大人になれている。親を慰めたり励ましたり、時には叱責したりできるほど、きちんとした大人になれている。

そのことに感謝すべきなのだ。

たしかに、衰えていく親を見るのは辛い。けれど、親はそうやって自分がどう生きて死んでいくかを、子供に教えているのだ。病とどう闘い、そして敗れるかを、まさに身を持って教えてくれているのだ。

だから、親より先に死んではいけない。不慮の事故で命を断たれてしまうこともあるだろうけれど、なるたけなるべく、親より先に死んではいけない。必ずしも貴いとは限らない親の死に目を、できればふた親の死に目を、しっかりと見定め見据えるべきである。それが子供の責任というものである。


先週の韓国語ジャーナルは表紙が彼で、今週は追悼の雑誌に入れ代わっていた。

彼は今頃きっと、天国で後悔しているだろう。こんなにまでみんなに愛されていたのなら、その愛に答えなければならなかったと。きっと、ぽろぽろ泣きながら、後悔しているだろう。

だから、いきなり逝ってしまった彼を、薄情な彼を、私たちは赦そう。

彼が安らかに眠れるよう、彼の死を悼み、失われるべきでなかった命を惜しもう。

2010年6月

Copyright (C) 2022 大宮ししょう all right reserved