もらいもの画像展示室


枠つきの画像をクリックすると大きな画像が出ます。

7:警察装甲車大隊のADGZ(シュタイヤー)装甲車(提供:滝口 彰さん)
長男慶紀の1歳の誕生祝いにいただきました。
1942年8月から9月末にかけて警察装甲車大隊がスロベニアのクラインブルク(Krainburg=Kranj)に駐屯したころの記念撮影と思われます。ADGZ(シュタイヤー)装甲車の右側フェンダーの花のマークは大隊マークと思われる「エーデルワイス」です。
この写真ではわかりませんが、「20433」号車はフレームアンテナを装備した無線装備増強型で、1941年から1942年にかけて追加生産された内の1両です。

上の写真から「エーデルワイス」の部分を拡大して傾きを補正したものです。

人物の軍装は1937年から登場した装甲車輌搭乗員用オーバーオールで、パンツァージャケット登場以前の典型的スタイルのようです。
階級は警察准尉と思われ、左胸に第1次大戦時の1級鉄十字章と戦傷章を佩用しています。
人物の軍装についてはppkさんにご協力いただきました。ありがとうございました。

人物の左上半身のクローズアップです。クリックすると大きな画像が出ますのでジックリご覧下さい。1級鉄十字章と戦傷章が鉤十字のない第1次大戦時のものであることがはっきりとわかります。
胸ポケットの上に付けられている略綬は向かって左から
1:第1次大戦時の2級鉄十字章
2:第1次大戦従軍章
3:正体不明
4:警察勤続章
5:ズデーデンラント併合メダル
の5種類と思われます。3番目の略章の正体をご存知の方はぜひ教えてください。
略綬と勲章についてはSTEINERさんにご協力いただきました。ありがとうございました。

・軍装や勲章についての資料があるSTEINERさんのホームページはこちらへ
・略綬と勲章についての資料がある揖保川大佐さんのホームページはこちらへ(通信途絶中)

8:警察装甲車大隊のADGZ(シュタイヤー)装甲車その2(提供:滝口 彰さん)
めずらしいADGZ(シュタイヤー)装甲車の砲塔部分のクローズアップです。撮影時期は最初の写真よりも少し前で、1942年7月から8月の初めにかけて、アルプスで訓練中に撮影されたものではないかと思います。
フレームアンテナを装備したADGZ(シュタイヤー)装甲車は、「20433」号車以外では、最初に生産された車輌の内の1両に試験的に装備された例があるのみで、写真の車輌は機銃カバーの形状から「20433」号車にほぼ間違いないと思われます。
2001.4.30 更新

9:ドイツ軍が捕獲使用しているT26軽戦車(提供:滝口 彰さん)
1941年秋、ロシア戦線の泥濘に足をとられた衛生隊のトラックを牽引する第30歩兵師団所属のT26軽戦車。

第30歩兵師団は独ソ戦開始以来、北方軍集団戦区の第16軍・第10軍団に所属して第126歩兵師団、第290歩兵師団とともにリトアニアからラトビアを進撃しました。1941年8月上旬にはイリメニ湖南岸の要衝、スタラヤ・ルッサの攻略戦に参加し、その後のソ連軍第34軍団による強力な反撃に対してはイリメニ湖を背にして文字通りの背水の陣で防衛戦を展開し、第56戦車軍団による反撃まで持ちこたえました。

T26軽戦車のアップです。左側フェンダーに戦術マークが記入されているようです(牽引式対戦車砲中隊のようにも見えます)が、はっきりしません。
T26軽戦車はイギリス、ビッカーズ社のMk.E戦車(通称・ビッカーズ6t軽戦車)のライセンス生産型で、1931年から1940年までの間に各形式合計でなんと1万両以上が生産されていました。
写真のタイプはT26S(1939年型)で、当時の軽戦車としては強力な45ミリ戦車砲を搭載していましたが、装甲は砲塔前面が最大25ミリ、砲塔の他の部分や車体は15ミリから16ミリしかなく、防御力の弱さがビッカーズ6t軽戦車シリーズの共通の弱点となっていました。

トラックのアップです。左側フェンダーに衛生隊の戦術マークが記入されています。車種はオペル・ブリッツ3.6のようですが、2輪駆動の36Sか4輪駆動の6700Aかはこの写真からでは判断できません。
オペル・ブリッツはドイツ軍の使用した代表的なトラックで、2輪駆動の36Sが7万両以上4輪駆動の6700Aが25,000両以上生産されました。
2001.10.18 更新



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