もらいもの画像展示室


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14.警察官その1の裏面(画像提供:acjさん)
最初に紹介した巡査部長(下士官)クラスの警察官写真の裏面には下のようなスタンプが押されていました。

 この写真の撮影時期や場所を推定するのに、この裏面のスタンプは今のところ唯一の手がかりです。当時の写真事情については詳しい知識があるわけではありませんが、一般的な工業表記の法則に沿って一応下記のように推定してみました。

「L.E.HARTWIG:S-KA」=印画紙の製造者または製造会社名
「000696」=製造ロット番号
「LUBLIN,KAPUCYNSKA2」=製造者または製造会社の所在地

この写真の印画紙がポーランドの「ルブリン」で製造されたらしいことが推定できます。そこで、「地元で製造された印画紙を使用」して「警察署内部で焼付けが行われた」との前提により以下の推定を進めてゆきます。

ルブリン(ポーランド)
 1939年9月のポーランド占領以後、ルブリンは「総督府」の地域内となり、クラクフに置かれた高級SS及び警察指導者「オスト」の下に、SS及び警察指導者「ワルシャワ」、SS及び警察指導者「クラクフ」、SS及び警察指導者「ラドム」、SS及び警察指導者「レンベルグ」、SS及び警察指導者「ルブリン」の各司令部が設置され警察部隊が駐屯しました。
1943年から1944年にかけてポーランドのルブリンに駐屯していた警察部隊は第25警察連隊の3個大隊(第65、第67、第101警察大隊)と警察騎馬中隊「ルブリン」(1944年9月にルブリンにて編成)及び警察砲兵大隊「ルブリン」(1944年8月にルブリンにて新編成)がありました。
 このうち第25警察連隊の3個大隊はドイツ国内の警察管区で編成された大隊であり、第65警察大隊とは第67警察大隊は共に第6警察管区(各警察管区は国防軍の軍管区とほぼ対応)のレークリンクスハウセン(Recklingshausen)とエッセン(Essen)で編成され、第101警察大隊は第10警察管区のハンブルクで編成されました。そして、前項のようにハンブルク警察は青島の植民地警察に指定されており、第101警察大隊の可能性が一番高そうです。

第101警察(予備)大隊
 1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドに侵攻を開始し戦端が開かれました。開戦に伴い警察部隊が動員されて戦線後方での捕虜の駆り集めや武器の収拾、捕虜収容所の警備任務に従事しました。第101警察大隊は第10警察管区のハンブルクの警察官により編成され、第10軍に配属されてシレジアのオペルンからポーランド国境を越えチェンストホヴァ経由キェルツェまで進出して現地に駐屯しました。
 1939年12月17日、大隊はハンブルクに帰還し警察大隊拡大のための編成替えが行われました。大隊から約100人の職業警察官が新設部隊の要員として転任となり、代わりに1939年の秋に予備役から召集された中年の予備警察官が配属され、大隊は第101警察予備大隊となりました。
 1940年5月、大隊はハンブルクからポーランドのヴァルテガウ地区へ派遣され、6月下旬までポーゼン(ポズナニ)、リッツマンチュタット(ウッチ)に駐屯しました。
 1941年5月、大隊はハンブルクに帰還し、ここで古参の下士官以下の警察官はすべて他の部隊に転出となり、補充はすべて予備役から応召した予備警察官で行われました。1942年6月まで本国で訓練を行った大隊は1942年6月20日にポーランドへの出動命令を受け、6月25日にルブリン近郊のザモシチに到着しました。
 1942年から43年の冬の間に比較的年齢の高い者(1898年以前の生まれ、44歳以上)はドイツ本国へ帰還し、替わりに補充要員を受け入れましたが、このときにはハンブルク地区からの要員が不足したためベルリン地区からの補充要員が第2中隊に編入されました。
 1943年11月以降大隊の任務は対パルチザン作戦が主任務となり大隊の戦死者も急増しました。大隊は1944年6月8日から23日までの対パルチザン作戦に参加した以降は大きな作戦には参加しておらず、ソ連軍の接近に伴いドイツ本国へ撤退したようですが詳細は不明です。

 写真をもう一度見てみましょう。この警察官たちは比較的若いようですから、1942年から43年の冬の間に補充要員として大隊に到着した補充要員たちかもしれません。一番可能性のありそうな状況としては
「ハンブルク警察の警察学校などの訓練施設内での交代要員たちの壮行会で撮影され、ルブリン到着後に写真に焼付け配布された。」
さて、実際はどうだったんでしょうか。

15.警察官その3(画像提供:acjさん)
 以下の2枚は焼付け時の汚れや指紋跡などの特徴が同一とのことで、少なくとも同時に焼付けされた可能性が高いとのことです。パーティーの音楽演奏に狩り出された「音楽隊」の警察官たち?

16.警察官その4(画像提供:acjさん)
 余興の出し物でもあったのでしょうか。状況不明の1枚(笑)
2006.10.31 更新



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