もらいもの画像展示室


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12.警察官その1(画像提供:acjさん)
警察官たちのパーティーでの記念撮影の1枚。盛り上がっているこのグループの警察官たちは主に巡査部長(下士官)クラスのようです。


 
背後の壁面のアップです。
「Wir folgen!」(私は続く!)の標語と兵士らしき絵が見えます。この場所がどうやら町の酒場などではなく、兵営内の食堂あたりの可能性を示しているようです。
よく見ると袖の折り返しが色違いの警察勤務服が描かれていますので、警察関係の施設内のようです。

A)左から三人目の警察官のアップです。この写真の年代特定のカギとなりそうな人物です。
1.制服
襟の形状が直角に近いことから、制服は1940年型の官給品の警察勤務服で1941年以降に生産されたもののようです。警察の勤務服は陸軍より緑色の濃いブルーグリーンで、8つボタンである点と、襟と袖口の折り返し部分が濃いダークブラウンの生地となっているのが特徴でした。

2.階級章
肩章は星1つと横棒で、階級はRevieroberwachtmeister(上級巡査部長)です。この形式の階級は1941年4月から導入されており、すくなくともそれ以降の時期であることがわかります。上級巡査部長は陸軍の階級でいうとFeldwebel(曹長)に、武装SSでいうとSS-Oberschafuhrer(上級小隊指揮官)に相当します。

3.SSルーン(ジークルーン)
全国の警察組織は1936年6月からNSDAP(ナチス党)の党内組織である親衛隊の管轄下に取り込まれ、国家組織である警察と党組織である親衛隊は渾然一体となってゆきました。その後、SS全国指導者でありドイツ警察長官でもあるヒムラーは両組織の融合をさらに進めるため、1943年ごろから警察官が親衛隊にも登録することを推奨し、二重登録した警察官は左胸ポケットの下にモール刺繍によるジークルーンを着用しました。

4.ドイツスポーツ技能章(または体力検定章)
不鮮明で今ひとつはっきりわかりませんが、左胸ポケットに着用しているのはドイツスポーツ技能章(または体力検定章)であるように見えます。

B)左から四人目の警察官のアップです。
1.階級章
肩章が見えにくいのですが、星1つと横棒で、階級はRevieroberwachtmeister(上級巡査部長)です。

2.ドイツスポーツ技能章(または体力検定章)
上記の警察官と同様に不鮮明で今ひとつはっきりわかりませんが、左胸ポケットに着用しているのはドイツスポーツ技能章(または体力検定章)であるように見えます。

C)左から二人目の警察官のアップです。
1.階級章
階級はUnterwachtmeister(下級巡査)です。

D)左端の警察官のアップです。
1.階級章
階級はAnwärter(候補生)で、配属されたばかりの一番下っ端のようです。
2.襟章
襟章の色が他の警察官(例えばC)と比較して濃い色に見えますが、この違いを説明できる適当な資料を生憎と持ち合わせていません。

3.ポリツァイ・イーグル
襟章と同様に左腕のポリツァイ・イーグルの色が下の写真のイーグルと比較して濃い色に見えるのに注意。こちらは都市防備警察の下士官・兵用のもので、円形の台座にライトグリーンのポリツァイ・イーグルが刺繍されていました。

E)手前の人物のアップです。
制帽に注目。なぜか警察ではなくて真新しい「武装SS」の制帽です。制服の方は襟元の感じはどうやら普通の警察勤務服であるように見えます。

13.警察官その2(画像提供:acjさん)
上の写真のやや右よりの位置での撮影。こちらの5人グループは先ほどのグループよりも偉いサンの様子。左から二人目の警察官の階級はRevierleutnant der Schutzpolizei(都市防備警察の警察少尉)、右から二人目はRevieroberleutnant der Schutzpolizei(都市防備警察の警察中尉)です。なぜ都市防備警察かは後ほど出てきます。
下士官たちの制服に比べて皺が少なく、制服の仕立てが良いことがわかります。士官になると各自テーラーメイドで制服をオーダーすることができました。


そして右から二人目の警察官の左袖にある見慣れない袖章に注目!。一見外国人義勇兵の国籍シールドにも見えるこの袖章の正体は「植民地警察」の「Kreus des Sudens」(南十字星)と呼ばれる袖章です。資料のイラストでは見ていましたが、実際の着用写真は今回始めて拝ませてもらいました。

F)右から二人目の警察中尉殿のアップです。
1.植民地警察章
 ドイツは第1次世界大戦の敗戦によりアフリカ東海岸と西海岸、中国大陸(青島)および太平洋の島々にあった海外植民地のすべてを失いました。 これらの「失われたドイツ領土」の回復はヒトラー・ナチス党の重要政策の一部であり、国民に人気のある「公約」でもありました。1935年、ナチス党のプロバガンダ政策の一環として、伝統ある「植民地警察」の名称が「名誉称号」として都市防備警察に与えられることとなり、次の3つの都市防備警察と国家警察集団「ゲネラル・ゲーリング」に対して与えられました。

ハンブルグ都市防備警察=青島(Kiautschau)警察
ブレーメン都市防備警察=南西アフリカ警察(現在のナミビア)
キール都市防備警察=カメルーン警察
ベルリンの国家警察集団「ゲネラル・ゲーリング」の第1中隊=東アフリカ警察(現在のタンザニア)

これらの警察署員は左袖の袖口に「Kreus des Sudens」(南十字星)の袖章を着用しました。1938年になると「植民地警察」の名誉称号の付与範囲は縮小され、各都市防備警察の中の儀丈中隊の名称として引き継がれ、これに伴い袖章の着用も儀丈中隊の警察官のみに縮小されました。国家警察集団「ゲネラル・ゲーリング」については部隊が警察から空軍に移管され連隊「ゲネラル・ゲーリング」となってからも騎馬小隊が着用しましたが、1938年11月、制式にベルリン都市防備警察の騎馬中隊に称号が引き継がれました。

2.略綬
2個の略綬を佩用していますが、残念ながら種類についてははっきりとしません。左胸ポケットに見えるピンの痕のように見える影は勲章を取り付けるためのループの影です。

3.ポリツァイ・イーグル
左腕のポリツァイ・イーグルは士官用のシルバーグレイで、フラッシュ(?)のせいもあって明るい色に写っています。

G)左から二人目の警察少尉殿のアップです。
先ほどの巡査部長たちの表情に比べて、こちらの士官クラスの表情がこころなしかさえないように見えますが、気のせいでしょうか。1943年以降という年代推定が正しいならば、あるいは彼らにも外地出動の順番が回ってきた・・・というわけかもしれません。妄想が膨らみます(笑)

ここにも登場しました。B)の警察官と同一人物と思われます。あるいはこの写真の持ち主か?
前の写真でははっきりしなかった階級章が星1つと横棒で、階級はRevieroberwachtmeister(上級巡査部長)だとわかります。
2005.3.8 更新



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