泡沫戦史研究所/ドイツ治安警察部隊史/警察装甲車/戦車部隊(1942年〜1945年)

警察戦車(装甲車)大隊
Polizei-Panzer(kraftwagen)-Abterlung

 1942年1月になるとすぐに警察山岳猟兵連隊への装甲部隊の配属が計画され、1942年2月18日付けの計画では、装甲車×14両、小型乗用車×2両、兵員車×5両、トラック×20両、オートバイ×14両および兵員161名からなる装甲車中隊の配属が計画されました。
 1942年5月23日付の治安警察長官通達によると、警察山岳猟兵連隊の編成は次のとおりでした。


警察山岳猟兵連隊
Polizei-Gebirgsjager-Regiment

連隊本部
第302警察大隊
第304警察大隊
第325警察大隊
警察山岳猟兵重装備中隊
警察工兵小隊
警察騎兵小隊
警察通信小隊
警察装甲車大隊


警察装甲車大隊の編成(1942年5月1日現在)
Polizei-Panzerkraftwagen-Abterlung

大隊指揮班:小型乗用車×1両、サイドカー×2両、オートバイ×2両
  補給段列:小型乗用車×1両、兵員用トラック×1両、中型トラック×9両
  修理工場小隊:中型乗用車×1両、サイドカー×1両、中型トラック×3両、大型トラック×3両
第1小隊:シュタイヤー装甲車×3両、
  サイドカー×1両、オートバイ×3両、兵員用トラック×1両、中型トラック×2両
第2小隊:シュタイヤー装甲車×3両(またはオランダ製装甲車L202(h)?×3両)
  サイドカー×1両、オートバイ×3両、兵員用トラック×1両、中型トラック×2両
第3小隊:ルノー装軌式装甲車×5両、
  サイドカー×1両、オートバイ×3両、兵員用トラック×1両、中型トラック×2両
第4小隊:ルノー装軌式装甲車×5両、
  サイドカー×1両、オートバイ×3両、兵員用トラック×1両、中型トラック×2両


警察装甲車大隊(1942年5月1日現在)

中隊指揮班: 

Stkw.4

Krad Bwg.

Krad
補給段列

Stkw.4

Stkw.14

Wkw.

Wkw.

Wkw.

Wkw.

Wkw.

Wkw.

Wkw.

Wkw.

Wkw.
修理工場小隊

Stkw.8

Wkw.

Wkw.

Wkw.

Krad Bwg.

Wkw.

Wkw.

Wkw.
第1小隊

Krad Bwg. Krad

Krad

Stkw.14

Wkw.

Wkw.

Pzkw.Steyr

Pzkw.Steyr

Pzkw.Steyr
第2小隊

Krad Bwg. Krad

Krad

Stkw.14

Wkw.

Wkw.

Pzkw.hollandish

Pzkw.hollandish

Pzkw.hollandish
スタイヤー装甲車または
オランダ製装甲車L202(h)?×3両
第3小隊
 
Krad Bwg. Krad

Krad

Stkw.14

Wkw.

Wkw.

K-Pzkw. Renault

K-Pzkw. Renault

K-Pzkw. Renault

K-Pzkw. Renault

K-Pzkw. Renault
第4小隊
 
Krad Bwg. Krad

Krad

Stkw.14

Wkw.

Wkw.

K-Pzkw. Renault

K-Pzkw. Renault

K-Pzkw. Renault

K-Pzkw. Renault

K-Pzkw. Renault
 このスケールで縦1m、横5mです。

 警察装甲車大隊は装甲車輌×16両、小型乗用車×2両、兵員用トラック×6両、中型トラック×20両、大型トラック×3両、オートバイ×21両を装備し、兵員150名で構成されました。当初の計画では中隊であった部隊が、実際に編成された時には大隊に変更されるとともに、戦力や主要な車輌装備数が変更された理由ははっきりしていません。

 1942年6月4日付けの通達により、警察山岳猟兵連隊のための警察装甲車大隊はウィーンの自動車・戦車学校から派遣された要員により編成されることになり、6月15日には編成を完了しました。
1942年7月の半ばになると、警察装甲車大隊は当初編成・配属されたウィーンから警察山岳猟兵連隊の駐屯するGarmisch-Reutte-Ehrward-Leermoos地区(インスブルック北西のバイエルンアルプス地区)のMittenwaldに移動して連隊と合流し、編成中の警察山岳猟兵連隊には「第18」の番号が与えられて第18警察山岳猟兵連隊となり、これに伴い警察装甲車大隊も「第18警察装甲車大隊」と改称されました。

 1942年7月26日、第18警察山岳猟兵連隊はユーゴスラビア(スロベニア)のOberkrainへ向けて出動し、装甲車大隊は1942年8月1日から連隊本部とともにクラインブルク(Krainburg=Kranj)に駐屯しました。


補足(2001.3.18)
フォトアルバムに警察装甲車大隊の写真を追加しましたのでご覧下さい。(写真提供:滝口さん)この時期にクラインブルクの駐屯地で撮影されたものと思われる写真で、装甲車の右側フェンダーに記入された大隊マークの「エーデルワイス」もはっきりと見えます。


 連隊は1942年8月3日から8月30日までOberkrainでパルチザンに対する戦闘で5回の作戦行動を行っています。大隊もこれらの作戦行動に参加した後、8月31日から9月2日までの間はドイツとイタリアの国境地域に出動しました。その後連隊はOberkrainで9月8日から9月26日の間に3回の作戦行動を実施し、大隊もこれらの作戦行動に参加しています。

 1942年10月4日、連隊はGarmisch-Reutte-Ehrward-Leermoos地区に一旦帰還した後、1942年12月1日にはダイチヒ地区へ鉄道輸送され12月24日にはフィンランドへ海上輸送されました。しかし警察装甲車大隊は1942年12月8日にフィンランドへの移動を取りやめ、1942年12月9日には高級SS及び警察指導者「中央ロシア及び白ロシア」(HSSPF. Rusland-Mitte und Weisruthenien)の管轄地域で活動中の第2警察連隊に転属となりました。

 1943年1月6日から1月26日まで大隊はパルチザン掃討作戦に従事し、1月19日には1個戦車小隊がSluzkでSS特別大隊「デルレヴァンガー」に分遣されたりもしています。1943年2月18日付けの第2警察連隊の報告によると、連隊の兵力として戦車大隊(兵力194名)と整備小隊(兵力13名)が報告されています。
 大隊はこの間ミンスクに駐屯し、1943年1月中には『第1増強警察戦車中隊』に改称されましたが、詳しい時期についてははっきりしていません。


2000.8.27 新規登録
2000.9.17 編成表をアップデート、内容を一部訂正
2000.12.24 gifによる編成表を追加。編成表に使用したCG素材はkimkimさんと裕乃妃さんにいただきました。お礼申し上げます。
2001.2.12 編成表を一部訂正
2001.3.18 補足の追加、編成表の変更、内容を一部訂正。

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