世界遺産.com 〜美・巡り旅〜
本文へジャンプ
                                 インドネシアは貴重な自然遺産が多いのが特徴




the World Heritage
Copyright (C) 2007 世界遺産ドットコム All Rights Reserved
 

世界遺産.com 〜美・巡り旅〜 世界各地の世界遺の魅力を紹介します。

インドネシアの世界遺産

                世界遺産ドットコム 
    

遺跡名 登録年、種類
ボロブドゥル寺院遺跡群 500体以上の仏像,天をめざすストウーパ(仏塔),回廊に彫られたレリーフなど,9層からなる寺院全体は仏教の宇宙観をあらわす。
ジャワ島で仏教文化が栄えた8世紀後半〜9世紀前半頃の建築とされる。ユネスコが約10年かけた修復は1983年に完成。
1991年、
文化遺産
  ブッダの教えが彫られた回廊
 
 ポロブドウル寺院遺跡群は,インドネシアのジャワ島中部にあります。
ジャワ島は,古くからインドとの交流が深く,仏教やヒンドゥー教が伝わりました。ポロブドウルは,8世紀未から9世紀半ばにかけて,ジャワ島に栄えた,仏教を信仰するシャイレンドラ朝によって建てられたといわれています。
ポロブドウルは,丘の上に切り石をつみ重ねた階段状のストウーパ(仏塔)の集まりです。一辺の長さが約120メートルの基壇に,5層の四角い壇が重なり,各層には回廊がめぐらされています。回廊にはブッダの一生やその教えが,物語のように彫られています。いちばん下から頂上までの回廊の長さは4.8キロ,高さは約33.5メートルです。
毎年5月のブッダの誕生日には,世界各地から僧侶たちが集まり,お経をとなえます。
ジャングルのなかから発見される。
ポロブドウルは11世紀以降,仏教の衰退とともに密林におおわれます。
1814年に発見され,1885年には人間の欲望の姿が彫られた「かくされた基壇」も見つかりました。1900年代初め,オランダが最初の修理を行いますが,1960年代には崩壊の危機も心配されるほどでした。
 1973年からユネスコなどのよびかけにより、専門家が動員され、最新技術による遺跡の解体修理、地盤の強化と排水設備の設置などが国際協力で行われました。日本からも技術者や研究者が協力し、1982年にボロブドュルはよみがえりました。
現代は、同じジャワ島のヒンドュー教寺院プランバナンとともに、年間1000万人以上の観光客が訪れています。

  多民族国家インドネシア
インドネシアは、ジャワ島・スマトラ島など、約1万3000もの島々からつくられる国です。さまざまな民族が暮らしており,人口は1億9,987万人で世界4位です(1997年)。石油,天然ガスなどの鉱物資源にも恵まれています。
紀元前後から仏教やヒンドゥー教が伝わり,15世紀には西から伝わったイスラム勢力によりイスラム教国家ができました。
16世紀から約300年の問は,オランダの植民地支配を受けました。現在,国民の約9割がイスラム教を信仰しています。日本は第2次世界大戦でインドネシアを侵略し,多大な迷惑をかけました。現在は,インドネシアにとって最大の貿易相手国となっています。

  空から見たポロブドウル
ポロブドウルは,ふつうの寺院とはちがって内部に部屋はありません。寺院自体が仏教の宇宙観である曼陀羅を象徴していると考えられています。

  ストウーバと石仏
仏像を取りがこむ釣鐘形のストウーバ(仏塔)は72基。円をえがくように建っています。仏像の数は504体。ストウーパは古代インドの仏教寺院にも見られます。
第1回廊の浮き彫り仏教の教えをえがいたものです。ボルブドウルの浮き彫りには,1万人以上の人物が登場します。船や乗り物なども彫られており,当時の高度な文化を伝えています。

ウジュン・クロン国立公園 ジャワ島南西部のウジュン・クロン半島と周辺の島からなる地域は,ジャワサイの生息地。角が一本のジャワサイは,その角が漢方薬となるために密猟された。園内に生息する野生のウシ,ハンテンとともに絶滅の危機にある。 1991年、
自然遺産
コモド国立公園 バリ島の東,小スンダ列島のコモド畠には世界最大のトカゲ,体長2〜3メートルのコモドオオトカゲが生息する。肉食で,恐竜に似た姿はコモドドラゴンとよばれる。コモド島と近隣の島と海域からなる国立公園には,サンゴ礁も広がる。 1991年、
自然遺産
コモド国立公園  インドネシア コモドオオトカゲの生息地
  
  世界最大の爬虫類
(はちゅうるい)
コモド国立公園は,インドネシアの小スンダ列島と周辺の海域からなっています。サンゴ礁が広がる海にはイルカやクジラも生息しています。コモド島には,体長2〜3メートル,体重100kg以上という巨大なトカゲ,コモドオオトカゲが生息しています。コモドオオトカゲは,ウシやシカ,イノシシなどの大型動物をおそって食べます。狩りの方法は,まず大きな尻尾で獲物に一撃をくらわし,するどい歯でかみつき,殺してから食べるというものです。

  絶滅の危機にあるオオトカゲ
コモドオオトカゲは,絶滅危惧種のリストに加えられています。
インドネシアでは,世界遺産のウジュン・クロン国立公園にジャワサイ(イッカクサイ)が生息していますが,このジャワサイもまた,角を売買するための密猟により,絶滅の危機にひんしています。
ジャワ島では,すでにジャワトラが絶滅しました。放っておけば,コモドオオトカゲもジャワサイも,おなじ運命をたどるおそれがあり,そのための対策が急がれています。

    コモドオオトカゲ
長い舌をだし,ものすごいスピードで獲物を追うコモドオオトカゲ。コモドドラゴンともよばれます。インドネシア政府は,その生息数を約5,700頭と発表しています。しかし,700から1,000頭しかいないと報告している専門家もいます。
プランバナン寺院群 ジャワ島中部に8〜9世紀に栄えたヒンドゥー教と大乗仏教の寺院群。中心はヒンドゥー教寺院チャンデイ・ロロ・ジョングラン。3層の石垣が四角形をなすが,修復されたのは110メートル四方の内側部分。高さ約47メートルの主堂には叙事詩(じょじし)「ラーマーヤナ」が彫られている。 1991年、
文化遺産
サンギラン初期人類遺跡 19世紀末ジャワ島で約180万〜10万年前のそれぞれの地層から人類の化石が発見され,ピカテントロブス・エレクトウス(ジャワ原人)と名づけられた。類人猿から人類への進化をしめす貴重な発見。 1996年、
文化遺産
 アジアで発見された原人の化石 インドネシア1996
  ジャワ原人
1891年,ジャワ島中部の村で,オランダの解剖学者ユージン・デュボアは,約120万年から70万年前に生存していたと考えられる人類の骨の化石を発見しました。この化石は大腿骨(だいたいこつ)の部分で,ラテン語で「直立した猿人」を意味するピテカントロブス・エレクトウスと名づけられました。その後,猿人よりも進化した原人(ホモ・エレタトゥス)に分類されました。これが,ジャワ原人です。ジャワ原人の大腿骨は,現生人類によく似た形で,それまでの人類よりもいっそう進化した形で直立二足歩行を行っていたと考えられています。脳の大きさは現代人の3分の2程度の900ccくらいでした。
ジャワ原人の化石は,1930年代にも,ジャワ島のサンギランでドイツの人類学者ケーニビスヴァルトにより発見されました。化石はその後も発見されつづけ,1969年には,5本の歯がついた,完全に近い形の頭蓋骨(がいこつ)の化石が発見されるなど,一帯は人類の進化を知るうえで重要な場所になっています。発掘された頭蓋骨,歯,大腿骨などの化石は,サンギラン博物館で見ることができます。

   ジャワ原人の化石とデュボア
ダーウィンの進化論に関心をもっていたデュボアは,ジャワ島を調査し,ジャワ原人の化石を発見しました。

   人類の進化
最古の人類とされているのは,アフリカで発見された約300万〜400万年前のアウストラロピテクスなどの猿人です。野生の動植物を食料とし,単純な打製石器を使うものもいたとされます。
約120万年前以降になると,原人が出現しま・した(ジャワ原人や北京原人もこれに属します)。脳は猿人の約2倍で,1,000cc以上のものも多かったようです。握り斧(おの)など形のととのった打製石器を使いました。約10万年前になるとさらに進化し,旧人があらわれました。ヨーロッパなどに分布したネアンデルタール人はその代表です。彼らの脳の大きさは現代人(1300〜1600cc)と変わらず,剥片(はくへん)石器を使い,毛皮の衣服を着て炉をそなえた住居に住み,死者の埋葬も行っていました。約4万〜1万年前になると,現生人類と同様に分類される新人が出現しました。フランスで発掘されたクロマニヨン人をはじめ,世界各地でその化石が見つかっています。
ロレンツ国立公園 雪をかぶった山頂から熱帯の海までが,ひとつづきに守られている世界でただひとつの保護地域。この地方固有の種のほかさまざまな生物が生息し,進化について教えてくれる。 1999年、
自然遺産
スマトラの熱帯雨林遺産 2004年、
自然遺産

中国でも原人化石発見!
周口店の北京原人遺跡 中国 1987

周口店の北京原人遺跡

北京原人の頭蓋骨が発見された洞窟。周□店では,石器やさまざまな哺乳類の化石も数多く発掘されています。

 北京原人(ペキンげんじん)
1920年代初め,中国の北京から南西へ約50キロの周口店でヒトの臼歯(きゅうし)が発見され,ペキン原人(シナントロブス)と名づけられました。つづいて頭蓋骨も発見され,1930年代にかけてペキン原人の化石の発見がつづきました。約50万年から20万年前の人類と考えられるペキン原人は,ジャワ原人よりずっと現生人類に近く,ことばを使い,火も使用したとされています。その特徴から,モンゴロイドの直系の祖先であるとも考えられています。