一年ぶりのフェスティバルホール。 
                                    昨年もちょうどこの時期、大阪国際フェスティバルに出演した大植英次/大フィルが、今年も参加。 
                                    実は昨年のこのコンビの演奏を聴いた後、来年は止めておこうと思ってました。 
                                    大植英次のブルックナーは、期待通りの演奏ではなかったし、フェスティバルホールの音があまり好きでないから。 
                                    大フィルと大植英次の演奏は、シンフォニーホールで満喫したい。 
                                     
                                    ところが、今年のこのフェスティバルでの演奏曲目が発表されるや、すぐに買うことになってしまった。 
                                    なんと、マーラーの交響曲第1番をやってくれるのです! 
                                    私の“青春”の音楽! 
                                    これはなんとしても行かなくっちゃ! 
                                    2004年、大植英次/大フィルのコンビがシンフォニー・ホールで聴かせてくれた。 
                                    この演奏も素晴らしかったが、最近とみに音楽に深みを増してきた感のある大植英次が、若きマーラーの青春の伊吹をどう聴かせてくれるか? 
                                     
                                    そんな思いで臨んだフェスティバルホールでの一夜、さてどんな演奏になったか・・・・ 
                                     
                                    この曲の開始は大分変ってる。 
                                    弦楽器が高音の持続音を弱音で始める。その強さはピアノが3つ(ppp)書かれている。 
                                    大フィルのこの開始、非常に弱くしかもきれいに揃った音が静寂感をもたらす。 
                                    その合間にオーボエがため息のようなフレーズを奏で、この曲の世界に誘ってくれる。 
                                    第一楽章と第二楽章は比較的オーソドックスな演奏で、大植英次はこの極の溌剌とした部分をストレートに演奏している。 
                                    第三楽章、ここは葬送行進曲。ティンパニーのリズムに乗ってコントラバスの独奏がテーマを演奏するという、やや得意な音楽の出方。 
                                    最初のティンパニーは素直というかややあっけない入り方で、ここでは大植英次はまだ何もしない。 
                                    続くオーボエのとぼけたようなフレーズは、マーラーの音の世界に引き込まれてしまう。 
                                    私が大植英次のマーラーにぐっと惹きつけられたのはこの楽章の中間部、葬送行進曲の重々しさとは一転して、夢見るような美しいメロディーが奏でられたとき。 
                                    このメロディーは、マーラーが作った歌曲集「さすらう若人の歌」の第4曲の旋律をそのまま引用してきたもので、苦悩にさいなまれた若者が、菩提樹の木陰で休み、そこでまどろ見ながら夢を見る・・・・そんな情景を歌った歌。 
                                    大植英次はこの部分を非常にゆっくりと、若者の苦しみを噛み締めるように進めてゆく。 
                                    しかも非常に小さな音で! 
                                    ともすれば、やりすぎ!と言われかねないようなやり方だが私には非常に効果的な素晴らしいやり方に思えた。 
                                    聴く人の心にしっかりとその思いを刻み込むような、切ない音楽になった。 
                                    大きなフェスティバルホールでもこれだけ静かな音がはっきり聴けるのだから、シンフォニー・ホールだったらもっと効果的だったに違いない。 
                                    この部分が終わると再び葬送行進曲が戻ってくるが、音楽は徐々に静かになってくる。 
                                    そして最後は消え入るように終わるが、音楽は終楽章にそのまま続く。静から動への変化。 
                                    この楽章は荒れ狂うような音楽がメインだが、第二主題は一転して静かな音楽。 
                                    ここでも大植英次は前楽章と同じように、テンポを落とし弱音で静かに歌い上げてゆく。 
                                    弦の染み入るような音とオーボエなどの管楽器が絶妙の掛け合いを展開する。 
                                    そして第一楽章のテーマを交えて曲は長いコーダ(結尾部)に入り、圧倒的なクライマックスに達する。 
                                    最後はテンポを速めてゆき、一気呵成に進んでゆく。 
                                    振り終わった後の大植英次、片膝をついて指揮棒を抱え込むようなスタイル。 
                                     
                                    終わってみれば、久々の感動的なひと時を過せた満足感でいっぱい。 
                                    はじめはおとなしい平均的な音楽かな?と思わせたけど、楽章を追うごとに“大植節”に引き込まれていた。 
                                    大フィルも熱演、弦はもちろんオーボエ・フルート・クラリネットなどの木管が素晴らしかった。 
                                    特にオーボエが浅川さんじゃなく、まだ入団数ヶ月の大森さんがいい音を聴かせてくれた。 
                                    金管ではトランペットの秋月さんが特に素晴らしかった。 
                                    ホルン、徐々に素晴らしくなってきたけれど、もう少し頑張って欲しいというのが唯一のお願い。 
                                     
                                    この演奏会では、アンコールが演奏された。 
                                    その曲は何と、マーラーの交響曲第1番の第2楽章にと作曲されながらながら(つまり、当初は全5楽章の曲として作られていた!)削除されていた楽章で、今では「花の章」として知られている音楽。 
                                    弦楽合奏が穏やかに奏でる中、トランペットが主題を吹くというもので、本当に美しい。 
                                    考えてみれば、私がはじめてこのマーラーの第1番を実演で聴いたのが、数十年前(?)のこのホール。 
                                    記憶に間違いがなければ、大阪国際フェスティバルの公演で、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団の演奏だった。 
                                    そしてこのときにこの「花の章」を含む全5楽章の音楽として聴いたはず・・・ 
                                    それはともかく、大植英次はいいアンコール曲を聴かせてくれた。 
                                    マーラーの意志としてこの楽章はどういうものだったのかわからないし、今このシンフォニーを4楽章の音楽として聴くことに何の抵抗もない。 
                                    むしろ「花の章」が入るとやや冗長な感じがするのはやむをえないこと。 
                                     
                                    「花の章」を演奏する前に、この楽章の削除のいきさつを大植英次が説明。 
                                    「この曲の楽譜を出版する祭に、出版会社がこの楽章を饒舌だとして削除してしまったから。」というはずのところを、「どこかの知事が、紙代が無駄だからと言ってカットしてしまった。」と笑いながら話したものだから、大うけ。 
                                    大阪府のオーケストラへの補助金カットの問題を絡めたものだから、会場は爆笑。 
                                    (この問題はまた別のところで触れてみたい) 
                                     
                                     
                                    この日のもう一つの曲はモーツァルト。 
                                    正直、大植英次の古典派音楽は期待してなかった。 
                                    でもこの日のモーツァルトは安心して聴ける音楽だった。 
                                    ゆるやかで重々しい序奏で始まる「リンツ」、大植英次のテンポは速めであっさりしている。 
                                    でも主部に入ると普段聴いているとおりのモーツァルトが聴け、全曲を通じて安心して聴ける演奏だった。 
                                    第一楽章の提示部を繰りかえさないのはちょっと驚いた。 
                                    もう一つ驚いたのは三楽章のメヌエット。この中間部のトリオは、オーボエなどの木管楽器と弦楽器が掛け合う穏やかな部分。 
                                    ここで大植英次は弦楽器群にそのまま演奏させるのではなく、トップ奏者だけのアンサンブルにした。 
                                    弦楽合奏じゃなく、弦楽四重奏のように演奏したのである。 
                                    これは聴いていて全く違和感がなく、もしこれがもう少し小さいホールなら更に効果的な、楽しいアンサンブルになったことと思う。 
                                    大きなフェスティバルホールでも、これは楽しめた。 
                                    大植英次は一度、モーツァルト特集をやってみるべきだ。 
                                    古典派の音楽にじっくり取り組むことは、大編成の効果抜群のレパートリーより難しいとは思うが、オーケストラ・レパートリーの核である古典派音楽をしっかり聴かせるという基礎こそ大切に考えて欲しいもの。 
                                     
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