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2006/7 大阪フィルハーモニー交響楽団


第397回定期演奏会 2006年4月20・21日


指揮: 大植英次
オーボエ: フランソワ・ルルー

曲目: ベートーヴェン作曲 「コリオラン」序曲 作品42
R.シュトラウス作曲 オーボエ協奏曲
R.シュトラウス作曲 交響詩「英雄の生涯」

今年度第1回目の定期、出だしはやや緊張気味。特に「コリオラン」のアインザッツは合わせにくい曲。
オーケストラも手探りで演奏しており、後半になってようやく落ち着いたベートーヴェンになってきた。。
R.シュトラウスのオーボエ協奏曲は比較的小編成のオーケストラで、オーボエの独奏者をサポート。
独奏者のルルーは綺麗な旋律を聴かせてくれた。オペラの中でもオーボエに独特のエキゾチックなメロディーを吹かせるこの作曲家、ここでもつやっぽい音が魅力的。
ルルーの音も、派手すぎることなくメロディーの美しさを楽しませてくれた。
明るい音色のオーボエと、室内楽風にしっかり纏まったオーケストラのアンサンブルが心地好くさせてくれた。
ただ、キーを押さえるときのカタカタという音が大きくてやや興を削ぐところが残念。
でも、オーボエの優しい音色はオーケストラを聴く時の大きな楽しみの一つ。
 後半の「英雄の生涯」は、オーケストラをフルに使った大曲で、演奏時間も50分近くかかる。交響曲に匹敵する交響詩。
英雄のテーマで始まるが、思ったよりあっさりとした開始。その英雄の部分が過ぎ、第2部はフルートの嘲笑するような旋律で始まるが、野津さんのフルート、やや力みすぎ。
でも大植英次の爽快なテンポは、英雄の生涯をきちんと筋道を立てて説明してるようで心地好い音楽であった。
大植英次にはこういう標題音楽が一番似合ってる。
欲を言えばもう少しロマンチックな音楽になっても面白かったかもしれない。
シーズンのスタートを切る演奏としては上々だった。
ただ、R.シュトラウスの描写音楽はあまり好きではないので、どんな名演を聴いても心底満足したという経験はない。指揮者にとっては自分の腕試しにもってこいの作曲家のようで、名指揮者たちが競い合うように録音を残している。カラヤン・小澤なども重要なレパートリーになってるし朝比奈も時々取上げていた。
わたしの嗜好に合わないだけですが・・・・

今日の一言

シーズン開幕にふさわしい華麗な演奏





第48回大阪国際フェスティバル 2006年4月26日


指揮: 大植英次

曲目: シューマン作曲 ピアノ協奏曲 イ短調 作品54
マーラー作曲 交響曲第5番 嬰ハ短調

大植英次のマーラーは、多分こういう演奏になるだろうという予想が出来るようになって来た。
そして今回の5番もその期待にたがわぬ名演奏。
トランペットの葬送行進曲風テーマで始まるという異色の交響曲開始、このテーマを大植英次は思い入れたっぷりの演奏をするかなと思っていたが、意外とあっさり吹かせていた。
オーケストラが安定しており、弦のアンサンブルも良く、何よりも金管群の頑張りが見事だった。トランペットはもちろん、ホルンの底力がこの日の好演のいちばんの殊勲。
金管楽器の中でいちばん演奏の厄介なホルン、長い管にたくさんの空気を送り込む必要があり、音を外しやすく、それが聴く側にとっては耳障りな音になってしまう。
でも今日の様にドッシリした音で堂々と演奏された時の安定感は、聴衆に2倍3倍の好印象を与える。
3楽章までは比較的速い音楽、そして四楽章になってアダージョ。ここがこの日一番の聴き所になった。大植英次の渾身の力とそれに応えたオーケストラ、特に弦楽器群が心に響く音楽を堪能させてくれた。
この日唯一の問題は終楽章のコーダ。盛り上がった音楽が最後の輝きを見せる部分、テンポを速くしてピークに持っていこうとするため、やや落ち着きを各結果になってしまった。
そういうやり方も一つの方法かもしれないが、もっと堂々とオーケストラに演奏させたほうがより効果的だと思うのだがどうだろうか?
それはともかく、大植英次のマーラー演奏の中でも好演と言える第五であった。

大阪国際フェスティバル閉幕式 淀川工業高校吹奏楽部のファンファーレ
大阪フィルの「蛍の光」につづき、フェスティバル閉幕式として団伊玖磨作曲のファンファーレが、日本の高校吹奏楽界で常に上位を行く淀川工業高校の吹奏楽部によって演奏された。
かつてテレビで高校の吹奏楽部の特集を見たときにその練習の厳しさ、演奏のうまさにびっくりしたことがあるが、実際に聴いてみてその実力にはびっくり!
個々の音の良さ、アンサンブルとしてのまとまり、いずれをとっても非の打ち所がなかった。
高校の「ブラスバンド部」の実力って、こんなに高かったのか!

今日の一言

<大植英次のマーラー>が大阪フィルの新しい名刺になった




第398回定期演奏会 2006年5月23・24日


指揮: 若杉弘

曲目: ドビュッシー作曲 歌劇「ペレアスとメリザンド」演奏会形式



ドビュッシーのオペラという認識はあっても、この「ペレアスとメリザンド」は一度も聴いたことがないし、映像で見たことも無い作品。ぶっつけ本番!という感じである。
物語はさておき、音楽はヴェルディのような華やかな響きではなく、プッチーニのような旋律の際立った美しさもない。
どちらかといえば、室内楽風の細やかな音楽で、「牧神の午後への前奏曲」などを髣髴させる。
若杉の指揮は派手ではなく、緻密に音を重ねて安定感があった。
最後の場面、メリザンドが静かに息を引き取る場面、ヴァイオリンの静かな動きが大変きれいだった。 マーラーやブルックナーの分厚い響きだけじゃなく、こんな繊細な音が出せる大阪フィルの実力の程を見せ付けられた。
歌手も好演。なんといってもメリザンドを歌った浜田理恵が光る。ヒロインではあるがもう一つ性格のつかみにくい役どころではあるが、安定した歌いっぷりであった。
そしてゴローを歌ったバリトンの星野淳、声量もあり安定した歌い方と性格をきちっと把握した役者ぶりに感心した。
ペレアスを歌った近藤正伸のテノールも聴き応えがあった(高音部で少し苦しい場面もあったが)。
子供のイニョルドを歌った日紫喜恵美のコケティッシュな歌も大成功!
忘れてならないのがメゾソプラノの寺谷千枝子。 出番の少ない役どころに彼女を起用できたことが驚きである
何よりこれらの歌手全てのフランス語のきれいな発音に感心した。 この公演の成功の大きな要因だと思う。

今日の一言

大きな期待を持たないときの名演はすごい感銘を残すことが多い




第399回定期演奏会 2006年6月15・16日


指揮: 広上淳一
フルート: シャロン・ベザリー

曲目: 武満徹作曲 弦楽のためのレクイエム
グヴァイドゥーリナ作曲 フルート協奏曲
シューマン作曲 交響曲第3番変ホ長調 作品97「ライン」



武満徹の「弦楽のためのレクイエム」は、3年前の定期でベルティーニが演奏した曲。
あのときは、非常にストイックな響きだったと記憶しているが、広上の演奏は弦楽器が大変豊かになっており、レクイエム(鎮魂歌)という先入観なしに音楽を聴くことが出来た。
おりしも、武満と親しかった岩城宏之がなくなった直後なので、その死を悼むというコメントが当日出されていた。
岩城も何度か大阪フィルに客演してるはずなので、タイミングのよい曲目となった。
 2曲目のグヴァイドゥーリナ、フルート協奏曲となっているが、一聴した感じフルートと打楽器のための協奏曲という印象。太鼓の連打で始まり、フルートの独奏はあまり目立たない。また旧ソヴィエト連邦、タタール生まれの女性作曲家の作った現代の音楽、日本の音楽と相通ずる響きがあり、楽しく聴くことが出来た。
ペザリーという女性フルーティストの柔らかな音、よどみなく自然に流れる音は聞き手に安心感を与える。楽器を持ち替えてアルトフルート・バスフルートでの落ち着いた低音も魅力的だった。
 そしてシューマン。大上段に構えるでもなく、ロマン派の音楽を聞かせるという態度でもなく、スマートなたたずまいの演奏開始。
シューマンの音楽といえば重々しい演奏になりがちで、オーケストレーションがあまりうまくないと言う先入観があるが、広上はそういうことには無頓着にストレートな演奏を心がけている。
響きがスマートで、変に重苦しくないし曲の全体像が判りやすく演奏してくれた。オーケストラもその考えに沿ったいい演奏をしてくれた。
個人的には、フルトヴェングラーのようにもう少し重々しく分厚い響きのシューマンのほうがいいのだけれど、これくらいスマートな音楽、これはこれで大変嬉しいものであった。

今日の一言

日本の若い指揮者、いろんな才能を持った人がたくさんいて今後が楽しみ




第400回定期演奏会 2006年7月6・7日


指揮: 大野和士
打楽器: 中村功

曲目: モーツァルト作曲 交響曲第33番 変ロ長調 K.319
細川俊夫作曲 打楽器協奏曲「旅人」
ショスタコーヴィチ作曲 交響曲第15番 イ長調 作品141

大野さんの名前は最近よく見聞きするが実際の演奏を聴くのは初めて。
しかも細川の曲は全く初めて、ショスタコーヴィチの曲も10年以上前に一度聴いたきりでほとんど覚えていないのでこれも初めてといっていいくらい。
まずモーツァルト。
正直に言えば、あまり楽しい演奏ではなかった。オーケストラの反応が機械的で、モーツァルトの生き生きした明るさがあまり感じられなかった。
モーツァルトには軽妙な躍動感が必要だが、大阪フィルの演奏はまじめすぎてやや平板な印象しか残らない。
アンサンブルが多少乱れていても生き生きとした推進力があればそのほうが魅力的。
モーツァルト演奏の難しさを改めて感じてしまうことになった。
 細川俊夫の協奏曲は大変興味深いものだった。
2000年に作曲されたまさに現代の音楽。舞台に所狭しと並べられたさまざまな打楽器群を操るのは、この曲の初演者でもある中村功。
中村さんが静かに右手を上げて行き、まるで祈りを捧げるかのように乾いた音の太鼓(ボンゴのようなもの)を鳴らす。そして次第にいろんな打楽器とオーケストラのコラボレーションが始まる。
オーケストラの音は小さな音が次第に楽器の和を増していって音の塊となって打楽器と協奏する。日本音楽の電灯を感じさせるような響きもある。
オーケストラの音が膨れてゆくと、客席の左右・後に配置されたブラスの音と重なって会場いっぱいに広がる。
協奏曲の常として後半に独奏者の腕の見せ所、カデンツァが置かれている。正確なリズム、風鈴を吹き鳴らす息使い、決して派手さだけではない中村さんの音は大いに楽しめた。
そして曲の最後は、お遍路さんのような「旅人」が手に持った鈴を<チリーン、チリーン>と鳴らしながら歩くように、中村さんが舞台を、そして客席を歩きながら<チリーン、チリーン>と鈴の音を響かせる。そしてその音は会場の外へと消えてゆく・・・・・・・

後半は、ショスタコーヴィチ最後の交響曲。
ロッシーニの「ウィリアム・テル」序曲のテーマやワーグナーの楽劇からいくつかの動機などをちりばめた曲。
交響曲といえば重々しい響き、威力あるオーケストラの咆哮などと思いがちだがこの曲は軽いという印象が強い。
ヴァイオリンやチェロのソロ、2重奏や室内楽的な小さなアンサンブルの部分が多く、大阪フィルの奏者達のすばらしさと大野のスマートな音楽がうまくマッチしたいい演奏だった。
コンサートマスターとして着実にその腕前を披露してくれた長原幸太も、こういう音楽になると生き生きとしている。

ショスタコーヴィチの交響曲は今一種のブームになりつつあり、マーラーの次はショスタコーヴィチの時代と言う人もいる。これから15曲のシンフォニーを聴く機会が増えることを願っている。

今日の一言

若い人が新しい曲に目を向けさせてくれることが嬉しい




第401回定期演奏会 2006年9月14・15日


指揮: ビエロフラーヴェク
チェロ: 長谷川陽子

曲目: ヤナーチェク作曲 歌劇「死の家の記録」序曲
シューマン作曲 チェロ協奏曲イ短調 作品129
マルティヌー作曲 交響曲第4番 

3年ぶりに登場したビエロフラーヴェク、今回もベテランらしい安定した演奏。
前回も<お国もの>のドヴォルザークとヤナーチェクだったが、今回もメインはチェコの作品にはちがいないが、シューマンの協奏曲をあいだに置いたプログラム。
マルティヌー(1890-1959)は、ヤナーチェクに次ぐ20世紀前半のチェコを代表する作曲家で、戦争による混乱の時代を生きてきた人。アメリカへ亡命、自国に思いをはせながら作曲活動を続けこの曲も1945年にできたもの。
チェコの作曲家がアメリカで作曲した曲といえば、ドヴォルザークの交響曲「新世界から」を思い出す。
マルティヌーのシンフォニーは初めて聴いたが、民俗音楽の匂いの残った新鮮な響きが楽しめた。
ビエロフラーヴェクの指揮は前回同様オーケストラをほぼ完璧に統率していて、安心して聴ける。時に難しいリズムになったりしても乱れることもないし、金管の響きもまとまっていて、やはり名指揮者だと思う。次回はぜひドイツ音楽をメインに聞かせて欲しい。二十世紀のシンフォニーはもう一つとっつきにくいというのが本音です・・・・・
今回注目だったのはシューマンのチェロ協奏曲
最近でこそ結構聴く機会が増えてきたが、イゼンはどちらかというとマイナーなイメージの曲だった。
チェロ協奏曲といえば、豪華絢爛なドヴォルザークのもの、古典的なハイドンの曲、哀愁漂うエルガーなどのイメージが強く、どちらかと言えば地味なシューマンの曲は印象が薄かった。
そんな曲のイメージを持ったまま聴き始める。オーケストラが静かに出てすぐにチェロが入ってくる。ややくすんだ音色のメロディーをイメージしていたのだが、長谷川さんの音が少しそれとは違い、抜けるように響いてくる。音そのものが輝いてるようにストレートにこちらにやってくる。シューマンの暗いイメージがほとんどないのである。かといってチェロだけが浮き上がってるというのではなく、輝かしい音色がすすり泣くような音楽を聴かせてくれるのである。そしてテクニックも完璧なのだ。
じつはこのチェリスト、名前は知ってるが一度も聴いたことが無く何の予備知識も持っていなかったのだが、こんなすてきなチェリストがいたんだなと驚き、また嬉しい経験をさせてもらいました。
テクニックがすごいなと思うし、楽器もいいものなんだろうな・・・・・・?

ちなみに、NHK朝の連続ドラマ「純情きらり」のテーマ曲を演奏してるのがこの長谷川陽子さん。テレビで何度か耳にした演奏です。

今日の一言

素敵なチェリスト発見!




第402回定期演奏会 2006年10月10・11日


指揮: 大植英次
ヴァイオリン: 長原幸太
チェロ: 秋津智承

曲目: ブラームス作曲 ヴァイオリン・チェロと管弦楽のための協奏曲イ短調 作品102
                (二重協奏曲)
チャイコフスキー作曲 交響曲第5番ホ短調 作品64

体の中から何か熱いものがこみ上げてくる-----
目頭が熱くなり、頭が真っ白に-----

青春時代に何度も何度も聴いてきた曲で、ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルのレコードはチャイコフスキーの三大交響曲を2枚に納めたもので第5番は2枚にわたっているため、二楽章が終わるとレコードを取替え、「いよいよ後半のクライマックスに行くんだぞ」と言い聞かせながら3・四楽章を聴く。そして終楽章の最後、コーダが終わる時には全身が昂揚し、その後しばらくは放心状態。
心の中がもやもやしてる時、やりきれない思いがあるとき、<自分の弱さに何とかして打ち克ちたい>と思うとき・・・・
この曲はそんな時に聴いてきた。そして今まで聴いてきたたくさんのレコードの中で我が家のターンテーブルに最も数多く乗ったレコードだと思います。
以来40年近い年月が経ち、最近聞きたいと思うことはそんなにありませんが、大植英次と大阪フィルが一気に昔の思い出の世界に連れて行ってくれました。

クラリネットが低くゆっくりとにメインテーマを吹く。静かな開始だ。急ぎすぎることなくじっくりと落ち着いた足取りで音楽が進んでゆく。第一楽章後半の盛り上がりも決して力ずくにならず自然に大きな起伏を作っている。金管も充実し、弦とのアンサンブルもいい。
第二楽章も同じような流れで進んでいくのだが、中間部の後半あたりから様子が変わってくる。
ホルンの主題が美しいし、クラリネットとオーボエがもの悲しいアンサンブルを聴かせてくれた後、全曲を通して何度も出てくる主要主題が出てくるところから熱くなってくる。そして盛り上がった後の長いゼネラルパウゼ(総休止)、その静寂が頭の中を真っ白にしてしまう。静寂こそ最高の音楽!−−そんな瞬間。
優雅なワルツの第3楽章も終盤から熱く激しい音楽にかわり、終楽章に繋がってゆく。
ここまでの大植英次は落ち着いた音楽を聴かせていたが、終楽章は一転して速めのテンポ。序奏が終り主部に入ると一気呵成の音楽になってゆく。この曲を得意としてた朝比奈の終楽章は決して急がなかった。悠然とした大人の音楽だった。でもここは「アレグロ・ヴィヴァーチェ(はやく 生き生きと)」、大植英次のテンポでいいのだ。
この楽章はもう言葉は要らない、ただただ大きくまい進する力を感じるだけ。それまでオーケストラを煽ることはしなかった大植英次が腕を伸ばしトランペット・トロンボーンに向かって<もっと もっと!
いつしか目頭が熱くなり、自分が興奮の坩堝に身を置いていた。
いい音楽を聴いて感動したというより、自分の世界に入り込んだだけなのですが、音楽にはそんな力もあるということかもしれません。

この日のオーケストラも好演。ホルンの独奏もよかったし、金管群が力を出し切ってた。そして弦の皆さんも奮闘、弓を強めに当てていたのでしょう、何人もの奏者が弓の毛を切っていた。

ちなみにこの曲のオーケストラの配置がいつもと違う。

この配置、音を聴いてみてはじめて納得。
後方最上段のコントラバスの重低音が全体に大きく広がり、チェロ・ヴィオラが中央でしっかり低音部をさえる。これは効果大だった。

前半のブラームスの協奏曲について書きたいこともあるけど、オーケストラの看板奏者二人の独奏に拍手を贈るだけにしておきたいと思います。
今日はチャイコフスキーの感激に浸るのみ!

今日の一言

青春の熱き血潮まだ消えず!




第403回定期演奏会 2006年11月17・18日


指揮: ヴィンシャーマン
ヴァイオリン: 長原幸太

曲目: バッハ作曲 ブランデンブルク協奏曲 全曲 

一昨年の管弦楽組曲全曲以来のヴィンシャーマンのバッハ演奏。
なんの衒いも無く、淡々とした演奏をしているだけのようだが、大編成の現代的オーケストラとして活動している大阪フィルに編成の小さなバロック音楽を成功させているように思えた。
最初の第1番では、少し戸惑ってるような部分も感じられたが、次の2番では編成が弦楽合奏だけということもあり、アンサンブルが見事にまとまりを見せてきた。
そして前半の最後第3番は、独奏楽器としてトランペットが加わり、その輝かしい高音は見事だった。
小さなバロック・トランペット(?)の素晴らしい音に、リコーダー(我々が学校で吹いた縦笛)のひなびた音が絡み合い、とても楽しい音楽だった。
 後半のスタートは第5番。幸太君のヴァイオリンと野津さんのフルートがいいアンサンブルだった。二人とも自己主張の強いタイプの音楽家なので、どちらかが突出するのではという危惧を抱いていたが、あっさりといいほうに外れた。
次の第6番、独奏楽器がヴィオラ2とヴィオラ・ダ・ガンバ2という風変わりな協奏曲。
ヴィオラ(当時の楽器としてはヴィオラ・ダ・ブラッチョ)と、聴くのはこの日はじめてのヴィオラ・ダ・ガンバ(小型のチェロ)という、低音楽器が活躍する渋い音楽が、今回いちばん聴き応えがあった。
ヴィオラの2人はもちろん、ヴィオラ・ダ・ガンバを弾いた客演奏者の2人も素晴らしかった。オーケストラの中ではどちらかというと埋もれてしまいがちなヴィオラがその存在感を示してくれた。
最後の第4番では独奏バイオリンが活躍。コンサート・マスターの“幸太”クンが大活躍。でもバロック音楽と言うより、技巧を見せ付けるような弾き方になっていったのが少し残念。

バッハ演奏の権威ヘルムート・ヴィンシャーマン、かつては<ドイツ・バッハ・ゾリステン>を率いて一時代を作った人。
1920年生まれだからもう86歳。とてもそうは見えないし、まだまだ生き生きとしたバッハを聴かせてくれると思う。

今日の一言

室内楽こそオーケストラの基本




第404回定期演奏会 2006年12月7・8日


指揮: 大植英次
ソプラノ:
アルト:
テノール:
バス:
澤畑恵美
秋葉京子
佐野成宏
R.ハニーサッカー

曲目: ヴェルディ作曲 レクイエム 

今シーズンの定期の中でいちばん注目していたのがこのヴェルディのレクイエム。
大曲をまとめていくことに非凡な才能を発揮する大植英次にうってつけの曲だと思うし、オペラに意欲を見せている時期だけに大いに期待していた。
もう一つ、この曲はレクイエム、つまり死者のためのミサ曲だということが個人的に大きな意味を持っていた。
キリスト教の儀式としてのミサは、日本人であり非キリスト教徒の私にとってはどこか遠い所の話でしかないのだが、音楽作品としてのレクイエムは何度も聴いているので違和感は無いし、死者を弔う、あるいは偲ぶことは洋の東西を問わない。亡くなった人を偲ぶいい機会になるという思いがこの<レクイエム>に向かっていた。

大きな期待を持って当日の会場、シンフォニー・ホールに入る。
ステージにはたくさんのマイクがセッティングされている。中央の集音マイクだけじゃなく、オケのそれぞれのパートに補助マイクがたくさんあり、合唱用には大きなノイマン型のスタンドマイクがにょっきり顔を出してる。客席中央にも集音マイクがおかれている。これは放送用じゃなく、CD用の収録だなとは一目でわかる。

いよいよ演奏者の登場、こちらも襟を正して集中する。

弱音器をつけた弦が小さな音でそっと入ってくる。なんという静かな音楽、そして大阪フィルの弦のそっとささやくような響き、背筋がゾクッとする。そして男声合唱が<Requiem・・・>と歌いだすと、はやばやと感極まってきた。
涙するのは<Lacrymosa-涙なる日->の部分と思っていたのだが、開始わずか数十秒で胸がつまってきた。

2曲目は<怒りの日>。荒々しく恐怖の音楽、オーケストラは吼えまくり合唱がそれに追随してゆき、大音響がこだまする。オーケストラも合唱も熱演し効果満点だったことは間違いないが、大音響の割に恐怖心はそれほど強く感じなかった。大太鼓を舞台の袖に離して金管群との対比も鮮やかだったが、音量の割りには厳しさを感じなかったのは私だけかな?
次の<Tuba mirum-くすしきラッパの音−>では、舞台上のトランペットと2階客席の左右に2本づつ配置されたトランペットが呼応して最後の審判の合図をする。ここもこの曲の大きな見せ所となる。
曲が進んで<Rex-みいつの大王->。ここも独唱のバス・ソプラノと共にダイナミックな音楽になるのだが問題はその後。大きな音から一転して弦がユニゾンで静寂感いっぱいの音楽を奏でる。
大阪フィルの弦はここでも素晴らしい透明感を発揮! 出だしの部分にも劣らない素晴らしい演奏。
そしていよいよ<Lacrymosa-涙なる日->。
メゾソプラノが、そしてバスが<涙の日>を切々と歌う。ここを待ってたのだが、哀切感が今ひとつ感じられない。
バスは素晴らしい声で、おなかの底までずっしり響く歌だったが、メゾソプラノの声がやや聞こえにくかったのが残念。録音ではしっかり入っているかもしれない。
でもこの曲はやはり素晴らしい歌であり、詩の内容と本当にぴったり合った音楽だと思う。
同じような意味で<Sanctus-聖なるかな->もソロの女声二人が切々と歌うところも美しく、心に訴えてくる曲。

演奏者についてもう少し言えば、声楽陣。男声二人は共に素晴らしかった。
テノールの佐野さん、張りのある輝かしい声は一級品。第3曲で歌った<Hostias>の部分、オペラのアリアを聴いてるような錯覚を起こすほど。そして全曲暗譜で歌ったのはこの人だけ。
バスのハニーサッカーも素晴らしい声だった。決して力いっぱいの歌い方ではないが、正確でしっかりした歌だし低音で全体をしっかり支えるという役目を果たしていた。
それに比べて女声陣がやや弱かった。あれだけの男声陣の声に負けじと歌うのはちょっと難しかったのだろう。
コーラスはよく訓練されてたようで、<Sanctus-聖なるかな->では大植英次が指揮棒を置いて両手で指揮していたが、八声部のコーラスをしっかり歌ってた。
大阪フィルは弦を中心に力演。フルートもよかった。これでトランペットが完璧だったら言うことなし。
大植英次の指揮は予想通り素晴らしかった。これだけの大編成の曲を長時間にわたってコントロールしていくのは至難の技と思うが、彼はそういうことをほとんど感じさせない。
ただこれだけの大編成になると、ホールが響きすぎてフォルテシモでやや音がかぶさってしまうように感じられる部分があった。
次の定期、マーラーの交響曲第9番が大いに期待できそう。

最後に、今回よかったのは終演後の聴衆の拍手。
<Libera me-我を許したまえ->という歌が静かに終わったあと、誰一人拍手することなく固唾を呑んで静寂の時を作ったこと!
終わると同時にわれ先に手をたたいたり叫んだりする人が多いが、レクイエムを静かに終わってくれたことが本当に嬉しかった。

今日の一言

宗教を超えた崇高さを、時に音楽がもたらしてくれる




第405回定期演奏会 2007年2月22・23日


指揮: クラウス・ペーター・フロール

曲目: モーツァルト作曲 交響曲第40番ト短調 K.550
チャイコフスキー作曲 交響曲第6番ロ短調 作品74「悲愴」

大植英次の指揮でマーラー作曲交響曲第9番の熱い演奏が聴けるはずだった。
その大植英次が首を痛めて入院ということで急遽、フロールの登場となった。
マーラーへの期待が大きかったためがっかりしたことは事実だが、考えようによってはこれは神の采配かもしれない。
マーラーの9番をやるにはもう少し時間をかけてじっくり熟成した方がいい>という啓示があったのだと解釈しよう。
まだまだ深化し続けてる大植英次、なにも急いでマーラー・チクルスをやり終える必要もないと思う。1年たてばそれだけ素敵なマーラーになるのは間違いないから。

そんな思いで出かけた演奏会、フロールという指揮者は初めて聴くので一切の先入観なし。
CDも聴いた記憶がない。

まずモーツァルト40番
第1・第2ヴァイオリンが左右に分かれる配置で、ノンビブラートの古楽奏法を基調としたテンポの速い音楽。
颯爽と駆け抜けるように音が走り去る。
第一楽章はオーケストラがまだ本調子じゃなく、聴き手ともども少し緊張していた。
途中休符を入れて途切れるようなリズムもあって、爽快感とちょっとした違和感の入り組んだ音楽。
でも第2・3楽章になるとそれもこなれてきて、終楽章ではフロールの指揮の下、大阪フィルの弦楽器奏者たちも乗ってきて爽快な音楽を聞かせてくれた。
この終楽章、提示部を繰り返しており、このテンポでは当然の成り行きだと思っていたらなんと、展開部・再現部をも繰り返した。初めての経験なので一瞬びっくりしたが、終わってみればすごく満足できている自分に気がついた。
大阪フィルがビブラートを抑えて古楽器風に演奏することはほとんどなかったと思うけど、これだけしっかりしたアンサンブルに仕上げた指揮者のフロール、こんなモーツァルトを聴かせてくれてありがとう。

後半は、チャイコフスキーの「悲愴
4ヶ月前に大植英次の第5番に酔ったばかりなので、チャイコフスキーをこうして続けて聴けたのは嬉しい誤算。
この曲は「悲愴」という副題のとおり、第一楽章から陰鬱な主題が出てくる暗いイメージの曲。それは曲の構成からもはっきりしており、終楽章が<アダージョ・ラメントーソ>(遅く・痛ましく)という暗い音楽で終わるようになっている。
フロールはこの曲を、終楽章に焦点を合わせて演奏していたのだと思う。
曲の開始はコントラバスとチェロという低弦だけで深淵からかすかに音が漏れてくるように始まり、次いでファゴットが低くうめくように入ってくる。主部に入ってテンポアップするけど、楽章の終りはまた静かに消えていく。フロールはこの楽章で決して悲しみにのめり込みはしない。やや速めのテンポで一貫している。
第2・第3楽章も、決して金管楽器や打楽器が突出することなく、インテンポを心がけている。特に3楽章は、大きく盛り上がってゆく音楽なのでややもするとここで金管を咆哮させるような演出をしたくなるところだが、フロールはそうはしない。大きく盛り上げるけど、ホルン・トロンボーン・トランペットそれぞれがしっかりしたアンサンブルを保つように心がけており、決して荒っぽくならない。
その興奮がなり終わると、一瞬の間をおいて終楽章に流れ込んでゆく。この“”が絶妙!
館内に残っている嵐のような響きがスーッと消えていく瞬間に、終楽章の主題が、涙を搾り出すように始まるのである。
こんな演出は計算されたものなのだろうか・・・・?
あとで思ったのは、<大植英次だったらどんな悲愴を聴かせてくれるのだろうか?

指揮者には、本当にいろんなタイプの人がいるんだなとつくづく感心させられた一日でした。

今日の一言

<代役>じゃなく、名曲を堪能させてくれたフロールに拍手!





第406回定期演奏会 2007年3月29・30日


指揮: 秋山和慶
チェロ: ジャン・ワン

曲目: エルガー作曲 チェロ協奏曲ホ短調 作品85
ホルスト作曲 組曲「惑星」 作品32

エルガーのチェロ協奏曲がメインになる。
そもそもこの曲を知ったのは、夭逝した女流チェリスト、ジャクリーヌ・デュプレの演奏によって。
天才少女といわれた彼女の演奏は、その後の彼女の不幸と相俟って、強烈なインパクトがあった。
イギリスの作曲家エルガーの代表的なこの曲は、シベリウスのヴァイオリン協奏曲に相通ずるほの暗い音楽。
北欧の厳しい寒さをイメージさせるメロディーを音にするには、まさにチェロがぴったり!
デュプレの演奏は、そのほの暗さを内に秘めた熱い血潮で音にする・・・・そんな演奏で、今聴いてもその情熱的な、それでいて繊細なチェロは、エルガーの協奏曲の決定的名演といえる。
デビュー直後に録音されたバルビローリ指揮によるものが一般的に聴かれているものだと思うが、彼女の死後相当たってから発売された、チェリビダッケ指揮のライブ録音のCDが私の愛聴盤。これはスウェーデンでの演奏会のもので、あの名指揮者チェリビダッケとがっぷり四つに組んで一歩も引けをとらない。それでいてエルガーの哀愁を聴かせてくれる。
そんなエルガーの協奏曲が、大阪フィルの定期で聴けるとは思わなかったので興味津々。果たしてその演奏は・・・?

名前だけしか知らない未知のチェリストだが、非常になめらかな音を朗々と奏でる人。
テクニックも全く危なげなく、淀みのない甘い音は魅力的。
エルガーの哀愁のあるテーマが、流れるように歌われる。実際に聴いたことはないが、かつて“チェロのプリンス”といわれたフルニエがこういうチェリストだったんじゃないかなと想像する。
決して名人芸を披露するという姿勢じゃなく、音楽は奏でるものとでも言うような演奏。
エルガーの協奏曲を、暗く悲しい音楽としてではなく、美しい作品として聴かせてくれた。
秋山の指揮もストレートで安定していたし、オーボエなど大阪フィルの木管のサポートもよかった。

ただ一つ欲を言うなら、この曲の特徴である“哀愁”をもう少しゆっくりと味わえるような演奏だったらもっと大きな感動を味わえたのではないだろうか?
私の個人的な気持ちです。

それにしてもエルガーのチェロ協奏曲、心に沁みる音楽です。
オーケストラの静かな伴奏のあと、チェロが奏でる主題はまるで人間の心のひだにいきなり入り込んでくるようなメロディーで、日本の古い言葉「愛し(かなし)」という表現がぴったりするように思える。

後半の「惑星」。
冥王星の話題や、平原綾香の「ジュピター」で一躍有名になった第4曲「木星」など、オーケストラ作品の中で比較的よく取り上げられる曲ではあるが、全曲通して聴いてみると、それほどいい曲だとは思えない。
音響的には聴き応えのある、スペクタクルな曲だが、それ以上ではない。
宇宙の神秘を思わせるような、極上の映画音楽を聴いているように感じてしまう。
大きなスクリーンに宇宙の映像を映し出し、それを見ながら聴いていたら楽しめただろう。

今日の一言

エルガーのチェロの響きは日本人にぴったり!