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リヒャルト・シュトラウス作曲 交響詩「英雄の生涯」

オーケストラ音楽の技法を駆使したR.シュトラウスが、その前半生に書き上げた交響詩の最後を飾る大作。
“音で表現できないものは何もない”と豪語した彼が、自分の半生を主題にした交響詩がこの作品で、英雄=R.シュトラウスなのである。表面上は、ある英雄の生涯ということになってるが、自己アピールの音楽でもある。
これを書いた時、彼はまだ34歳。そしてこの作品を最後に、交響詩というジャンルをやめてオペラ(楽劇)に創作のエネルギーを集中してゆく。
音楽史に交響詩の作曲家としてその名を残す程の交響詩群を残したわけだが、それらはすべて30歳代半ばまでにつくられたもので、モーツァルトやシューベルトに勝るとも劣らないともいえる。


作曲年 1898年で作曲者34歳。
構成 六部構成。
1.英雄(の姿)  2.英雄の敵(対立)  3.英雄の伴侶  4.英雄の戦い  5.英雄の業績  6.英雄の引退
全体は単一楽章になっており、大きなソナタ形式。
特徴 近・現代オーケストレーションの大家の地位を築いた交響詩群の中で最も完成されたものの一つ。それを34歳の若さで成し遂げ、以降交響詩は一つも創らず、オペラに集中することになる。
作曲された時は以下のような標題が付けられたが、後にそれは削られる。
この曲を標題音楽として聴くか、一つの大きな管弦楽曲として聴くか・・・・・・
第1部 「英雄」の登場を描く。英雄とは作曲家R.シュトラウス自身である。
英雄のテーマがホルンと弦楽器で始まり、これを中心に様々に展開されていく。
第2部 「英雄の敵」が描かれる。敵と言うのは、対立する存在、つまり批評家・先輩・同僚のことである。英雄である彼を批判し難癖をつける存在でしかない連中を描く。
フルートが嘲笑するようにおどけたメロディーを吹く。
第3部 「英雄の伴侶」
独奏ヴァイオリンが甘い旋律を奏でる。英雄のテーマとこのメロディーが様々に絡み合う音楽で、途中オーボエの愛らしい旋律も出てきて、二人の愛情を表現する。
そして突然舞台裏からトランペットが鳴り響く。第4部への移行である。
第4部 「英雄の戦い」が始まる。
トランペットのファンファーレが戦いの始まりを告げる。
英雄は伴侶とともに敵と勇ましく戦う。その行動力でついに敵を破り、勝利を金管の勇壮な演奏で飾る。批評家などの敵も弱々しくなり、非難・嘲笑も断片的となる。
第5部 「英雄の業績」英雄の過去の業績が示される。
音楽は落ち着きを取り戻し、R.シュトラウスは自分の今までの作品の主要主題を次々と出してくる。
交響詩「ドン・キホーテ」「ドン・ファン」「死と変容」「ツァラトゥストラはかく語りき」「ティル・オイレンシュピーゲル」などの断片が次々と披露され展開されてゆく。
第6部 全てに満足した英雄は、田園生活の平安を満喫し、よき伴侶とともに安楽な余生を送ることとなる。音楽も穏やかでゆったりとしたものとなる。
自然のざわめきだけの中、英雄は昔の闘争を回想し、伴侶との愛を確かめる。
そして英雄の主題がトランペットで華やかに演奏されるがそれもやがて静かになり、消えるように曲を閉じる。
★★★


マーラー作曲 交響曲第5番嬰ハ短調

2番から4番までの交響曲は声楽を伴ったグループ。それに対してこの5番から7番の交響曲は声楽を用いない器楽だけのグループ。
独奏トランペットが葬送行進曲風のファンファーレで開始するというやや風変わりな曲で、そのイメージを引きずる。
そして第四楽章のアダージェットは、ヴィスコンティ監督の映画「ベニスに死す」(1971年)で使われ有名になった。


作曲年 1901年作曲されたが、のち何度も手を加えている。
構成 5楽章構成だが、二楽章から五楽章の4つだけ見れば、古典的な交響曲そのもの。
第一楽章を全体の長い序奏部と考えれば、純粋器楽による古典的なシンフォニーと見ることも可能。
第1楽章 「葬送行進曲」
葬送のテーマがトランペットのソロで吹かれる。オーケストラが悲壮感を掻き立てた後、ヴァイオリンとチェロが第一主題を奏する。これも悲壮感あふれる音楽で、これらを中心に展開される。
葬送のトランペットのリズムが最後まで印象的。
第2楽章 「嵐のように激しく」 ソナタ形式
低音部が動きまわる激しい序奏の後ヴァイオリンが力強く動きまわる第一主題、チェロがゆっくり歌う第二主題を中心に展開するが、途中第一楽章の旋律が出てきたり、葬送のリズムも使われる。
第3楽章 「スケルツォ」
ホルンの動機に続いて、木管の楽しい主題が出てくる。舞曲風。
中間のトリオもヴァイオリンののどかな楽しいテーマ。
葬送のイメージから離れた楽しい音楽。
第4楽章 「アダージェット」 三部形式
有名な主題はハープと弦楽器による、美しく透明感いっぱいの音楽。
マーラー音楽の真骨頂はこういう音楽にあるのかもしれない。
映画音楽に使われるのも頷ける。
第5楽章 「ロンド」
さまざまな楽器で断片が示された後、ホルンの主題が出てくる。
副主題はチェロで忙しそうな感じの音楽。
この二つがさまざまに展開されていくが、変奏曲風に進む。
最後は金管で強烈なクライマックスとなる。
演奏会で最も聴き応えのあるクライマックスの一つと言える。
★★★


ドビュッシー作曲 歌劇「ペレアスとメリザンド」


作曲年 1895年
特徴 印象派の詩人マラルメに強い影響を受けたドビュッシーは、マラルメの詩『牧神の午後』に触発され、「牧神の午後への前奏曲」を作曲したのが94年頃。
同じ頃、『青い鳥』で有名なメーテルリンクの戯曲『ペレアスとメリザンド』に出会ったドビュッシーがメーテルリンクの許可を得てオペラにしたのがこの曲。
従来型のオペラではなく、アリアのような一曲一曲はっきり分かれた歌ではなく、レチタティーヴォ(叙唱:歌で語る)で出来た歌劇である。
フランス語独特の抑揚をうまく生かした作品と言われている。
登場人物 中世(?)のとある国アルモンド。老国王アルケルと異父兄弟の孫二人、兄のゴローと弟のペレアス。美しい乙女メリザンド(ゴローの妻となる)。ゴローの先妻の娘イニョルド。
第1幕 ゴローは狩の途中森で迷い、泉のそばで泣いている乙女メリザンドと出会う。
彼女は何を聞かれても答えず、泉に落ちてる王冠をゴローが拾おうとすると、この場で死ぬと言う。
 ゴローがメリザンドを妻にしたことを手紙で王アルケルに報告し許しを請うとアルケルは許しを与える。
ペレアスは、危篤の友人を見舞いに行きたいと言うが、アルケルはお前の父のほうが重態だし、ゴローも帰ってくるからと許しを与えない。
第2幕 城の前でメリザンドと二人になったペレアスは、明日出発すると告げる。その理由を尋ねるメリザンドに彼は答えない。泉の前で、メリザンドは結婚指環をもてあそんでるうちに泉に落としてしまう。
 正午の時報に驚いた馬から落ちて怪我をしたゴローは、そばにいるメリザンドの指輪がないことに気づき、厳しく問い詰める。
ゴローは洞窟で落としたと言うメリザンドに、すぐ探しに行くよう命ずる。
ペレアスについていってもらった彼女が洞窟に入るとそこに乞食が寝ている。
今この国に飢饉が起こってるという事実を知らされたメリザンドは驚く。
第3幕  星の夜、窓辺で髪を梳きながら歌うメリザンドに近づいてきたペレアス。明日旅立つと告げるペレアスにその訳を尋ねるが彼は答えない。
そして、旅立つ前に手に口づけをとせがむペレアスは、窓から身を乗り出した彼女の黒髪が手に触れるとそれを抱きしめ驚喜する。その髪を柳の枝に結び付けて愛撫する。
人気を感じたメリザンドは放してと頼むが、髪が解けない。そこにゴローが表れ二人を疑いの目で見るがかろうじてたしなめその場を去る。
ゴローはペレアスを城の地下の死臭漂う穴倉に連れて行きおびえさせる。そしてペレアスに、メリザンドは身重なのだからそっと遠ざかるようにと警告する。
ゴローは先妻の子イニョルドに、メリザンドとペレアスの様子を聞き、二人は一度キスしたことがあると言われる。
第4幕 部屋で、メリザンドは隠し事をしてるとののしり、逃げるメリザンドの髪をつかみ引きまわすゴロー。アルケルが制止しゴローが立ち去ると、メリザンドは「彼はもう私を愛してません。私は幸せではありません。」と涙ぐむ。
 庭にいるペレアスは夫が寝るのを待って駆けつけてきたメリザンドに明日永久に旅立つと告げ、彼女に『ジュ・テーム(君が好きだ)』と愛の告白をする。
ジュ・テーム・オスィ(私も好き)』と応じるメリザンド。
激しく抱き合う二人に、剣を持ったゴローが近づきペレアスを刺す。
第5幕 ベッドでメリザンドが眠り、アルケル・ゴロー・医者が見守る。
医者は彼女が助からないとしてもそれは傷のせいではないと言う。
意識を取り戻した彼女に執拗にペレアスとの仲を問いただそうとするゴロー。
アルケルがメリザンドに彼女が生んだばかりの娘を見せるが、もはや彼女には子供を抱く力もない。
ひっそり息を引きとるメリザンド。アルケルは「彼女の代わりに今度はこの子が生きなければ。」と言い、幕となる。
★★★


シューマン作曲 交響曲第3番変ホ長調 作品97「ライン」

ベートーヴェンに遅れること40年、ブラームスに先んじること23年、二人の交響曲作家の間に生まれたシューマン。
ロマン漂う音楽を作ってきたシューマンは4曲のシンフォニーを書いたが、先に上げた二人はドイツ音楽のがっしりした構成の≪これぞシンフォニー!≫という交響曲を作曲したのに比べ、ロマン的な交響詩の延長線上にあるようなシンフォニーを書いた。
これは、「ライン」という副題がついてるように、ライン川の流れるデュッセルドルフに住んだシューマンが、雄大な川とその地方の伸びやかな気分を表現した音楽。

<シューベルトの交響曲第9番ハ長調 D.944>の楽譜を発見し、シューベルト存命中演奏されたことのないこの名曲の初演に尽力したのがこのシューマン。
1838年に初演され、文才のあったシューマンが立派な紹介状を書いている。
そしてこのとき演奏したのが、メンデルスゾーンの指揮するライプチィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団。
現在のような、指揮者がオーケストラをまとめるという形態の始まりはこのメンデルスゾーン。
また現存する最古のオーケストラがこのライプチィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団である。

作曲年 1850年
構成 古典的な四楽章に、間奏曲的に荘厳な響きの楽章を終楽章の前に挿入したような形。
第1楽章 序奏なしにいきなり明るい第一主題がオーケストラの強奏で出てくる。ベートーヴェンの「英雄」(交響曲第3番)と同じである。
このメロディーと独特のリズムがこの曲全体を支配している。
オーボエ・クラリネットの第二主題とでソナタ形式の展開。
第2楽章 スケルツォ
<きわめて穏やかに>という指示があり、素朴な民族舞曲風の音楽。
ベートーヴェンのスケルツォのように激しく速い音楽ではない。
第3楽章 <速くなく>
一種のロンド形式で、穏やかな落ち着いた音楽。
主題はクラリネットとファゴットが<ドルチェ>で甘く切ないメロディーを奏でる。
第4楽章 <荘重に 儀式のように> 三部形式
間奏曲のように挿入された楽章だが、その響きは荘重なもの。
この楽章で始めて登場するトロンボーンがホルンと共に荘厳な主題を吹き鳴らす。
主題が戻ってくる第3部では、金管群がよりいっそう壮麗な響きを出して大聖堂の伽藍を意識したような音楽で締めくくる。
第5楽章 <いきいきと> ソナタ形式
元気のいい単純明快な第一主題が行進曲のように出てきて、その気分がこの楽章の最後まで続く。
★★★



ショスタコーヴィチ作曲 交響曲第15番イ長調 作品141
 20世紀最後の交響曲作家ショスタコーヴィチの最後のシンフォニー。
ハイドンが確立しベートーヴェンが大きく発展させ、シューベルト・ブラームス・ブルックナーが個性的な花を開かせたシンフォニー。
ドイツ・オーストリア以外でもチャイコフスキー・ドヴォルザーク・シベリウスなどが独自のロマンを展開させ、西洋音楽の中心的な存在としてあり続けてきた。
そして19世紀後半から二十世紀のはじめにかけて、マーラーが書いた9曲の交響曲がロマン派の終焉であり交響曲の最後の大きな遺産となった。
その後音楽は調性の枠をはみ出して行くことになり、交響曲というかたちも少数派となってゆくが、社会体制の違うソヴィエトにあってシンフォニーにこだわった作曲家がショスタコーヴィチ。
19歳の時の第1番から、亡くなる4年前の65歳の時の15番までのシンフォニーは二十世紀の最大の交響曲群として、マーラーブームのあと注目を集めている。
ショスタコーヴィチの交響曲はまさに現代の、そして最後の(?)交響曲である。

作曲年 1971年、作曲者65歳
構成 「この曲は拡大された打楽器群を含むオーケストラのための」ほぼスタンダードな形の、4楽章制の交響曲。
大きな特徴は、重厚長大のなシンフォニーではなく、独奏部分や室内楽的なアンサンブルの部分が多い。
そして、ロッシーニやワーグナーの引用があり、精神性を感じさせたベートーヴェンの姿も、ブラームスの深遠さもない、どちらかと言えば“軽さ”を感じさせる。
第1楽章 4分の2拍子を基本とするアレグレット
弦楽器のひそかに弾むようなリズムに乗ってフルートが楽しげな旋律を吹く。
そしてトロンボーン・トランペットなどの金管が、ロッシーニの「ウィリアム・テル」序曲の有名なメロディーが出てくる。
ショスタコーヴィチは「夜中のおもちゃやさんの中を想定して書いた」といっており、彼が幼少の頃最初に好きになったメロディーでもある。
このメロディーが5回出てくるが、そのほかにも自作のいくつかの作品からの引用があるようで、それらをまとめた≪重くない≫音楽になってる。
第2楽章 アダージョ 葬送行進曲
金管のコラールで始まる音楽は葬送行進曲を思い浮かべさせる。
といっても、深く沈みこむ音楽だけではなく、“明るさのある葬送行進曲”とでも言えるような部分もある。
中間部で演奏されるチェロの独奏は無調的な音楽で、その響きは暗い。
それに続くトロンボーンの旋律は葬送行進曲そのもので、これに続く全奏はこの楽章のクライマックス。オーケストラが全奏する部分がほとんどないだけに印象的。
静けさを取り戻した後、弦楽器が奏でるコラール風の合奏は悲しみを感じさせると同時に浄化された美しさをも感じさせる美しい音楽。
第3楽章 アレグレット
前の楽章から切れ目なしに演奏されるスケルツォ。
おどけたようなクラリネットの主題で始まる無調的な音楽。
中間部ではヴァイオリン独奏が主役で、スタッカートで飛び跳ねるような主題である。
第4楽章 アダージョ−アレグレット
いきなりワーグナーの「ニーベルンゲンの指環」の有名な「運命の動機」が聴こえてくる。そして「神々のたそがれ」から「ジークフリートの葬送行進曲」のリズムがティンパニーで出てきたり、「トリスタンとイゾルデ」を暗示する音型も出てくる。
中間部は大規模なパッサカリア形式(3拍子の変奏曲)。
そして最後はオーケストラが盛り上がって終わるというのではなく、不思議な静けさで終わる。従来のシンフォニーのパターンとは全く違う。
 この楽章では14種類もの打楽器が使われるが決してうるさくなく、オーケストラの全奏部分も非常に少ない。



チャイコフスキー作曲 交響曲第5番ホ短調 作品64


作曲年 1888年
構成 全曲を一貫した主題で統一しており、「運命」の主題と言われる。
第1楽章 アンダンテ−アレグロ・コン・アニマ  ソナタ形式
まずこの曲全体に顔を出す主要主題がクラリネットで出てくる。暗く重々しい旋律。(「運命」の主題)
主部に入ると第一主題をクラリネットとファゴットで美しく奏でる。
愛らしい感じの推移主題を挟んでヴァイオリンが第二主題を優しく歌う。下降旋律のもの悲しく優しい音楽。
展開部・再現部と進み、最後は大きく盛り上がった後にどんどん沈みこんでいくように暗く、低い音が消えるように終わる。
第2楽章 多少の自由さを持つアンダンテ・カンタービレ 3部形式
基本的にはアンダンテ・カンタービレの緩やかな音楽だが、突如として激しい音楽になり起伏の大きな楽章。
弦の導入の後、主旋律をホルンが独奏で奏でる。非常にメランコリックで、甘美でありながらどこか哀愁の漂う音楽。チャイコフスキー独特の美しさをここでも発揮。
この後続くオーボエの旋律も美しい。
中間部はクラリネットの旋律で始まるが、次第に高揚して行き激しい主要主題で最高潮に達する。
そして元の速度に戻って第三部になるがここでも音楽は強く激しい顔を見せる。
第3楽章 アレグロ・モデラート ワルツ 三部形式
通常スケルツォ楽章で動きの大きな音楽になる部分だが、ここでは優雅なワルツを聴かせる。チャイコフスキーの得意なワルツ。
優雅なワルツが終わる直前、あの主要主題が入り込んできて優雅な気分が現実の厳しさに戻され、終楽章へと続いてゆく。
(終楽章を続けて演奏することが多い)
第4楽章 アンダンテ・マエストーソーアレグロ・ヴィヴァーチェ ソナタ形式
やや長めの序奏があり、重々しい主要主題を弦楽合奏が歌う。続いてそのテーマを管の合奏で荘厳に演奏。
強く叩きつけるような弦の第一主題でアレグロ・ヴィヴァーチェの主部に入る。
優雅で愛らしい移行部分を経て木管楽器の奏でる第二主題が提示された後、ソナタ形式通りに展開され再現される。
再現部で大きく盛り上がり、金管群とティンパニーの連打がクライマックスを創るが、総休止のあとあの最初のテーマが堂々と表れてきて、最大のクライマックスを作り上げて全曲を終える。それはまるで「運命」に打ち勝った勝利宣言なのかもしれない。



バッハ作曲 ブランデンブルク協奏曲 全曲 BWV1046-51 


曲の成立 1721年5月にブランデンブルク公クリスティアン・ルートヴィヒに献呈
構成 6曲の協奏曲から成る。
協奏曲といってもその構成はまちまちで、ソロ楽器のための協奏曲もあるが、ほとんどが複数の楽器のための合奏協奏曲。
ヴァイオリン・ヴィオラ・トランペット・オーボエ・フルート・ホルン・チェンバロなどのソロや、室内楽的アンサンブルが変化に富んだ音楽を聞かせてくれる。
第1番 ホルン2、オーボエ3のソロ楽器による協奏曲。
独奏のヴァイオリンも加わり、4つの楽章から成る。
ホルンが狩の音を響かせ、全体に華やかな音楽。
第2番 トランペット、オーボエ、リコーダー、ヴァイオリンが独奏楽器で、3つの楽章から成る。
トランペットが加わり、勇壮かつ壮麗な響き。
中間楽章ではトランペットは無く静かな音楽になるが、終楽章では華やかな主題をフーガ風に展開する色彩豊かで華麗な音楽。
第3番 ソロ楽器が無く、弦楽合奏のみの曲で二楽章構成。
弦の合奏のみで管がないとその響きは柔らかく落ち着いた音楽。
第4番 2本のリコーダーと独奏ヴァイオリンによる協奏曲。
3つの楽章から成るが、リコーダーというややひなびた音と華やかで技巧的なヴァイオリンの掛け合いが一種独特な効果をもたらす。
第5番 ヴァイオリン、フルートの独奏にチェンバロもソロ楽器として加わる3楽章構成。
単純明快な合奏主題ではじまり、フルートとヴァイオリンの柔らかな響きがこの曲のポイント。
通奏低音として用いられるチェンバロがソロ楽器としてかなり長い部分を占める野もこの曲の大きな特徴の一つ。
第6番 ヴィオラ2、ヴィオラ・ダ・ガンバ2、チェロ及びチェンバロがソロ楽器と言う一風変わった構成の協奏曲で、もう一つ大きな特徴はヴァイオリンが姿を見せないということ。
高音域の楽器が無く大変渋い音楽になっている。




ヴェルディ作曲 レクイエム 

ミサとは キリストが最後の晩餐において、パンと葡萄酒を持ち「これは、あなたがたのために渡される、私の体である。これは私の血である。私の記念としてこれを行いなさい。」 という言葉を受けて、その行事を繰り返す。この聖餐と礼拝を組み合わせたものがミサ。
ミサ曲 ミサは決められた典礼文にのっとって行われるが、古来その典礼文と音楽が不可分の関係で共存してきた。
ミサの典礼文はいくつにも分かれており、大きくは「通常文」と「固有文」に分かれる。
一般にミサ曲と呼ばれる音楽にはこの通常文の五つが中心となる。

 1.キリエ(Kyrie)-あわれみの賛歌
 2.グロリア(Gloria)-栄光の賛歌
 3.クレド(Credo)-信仰宣言
 4.サンクトゥス(Sanctus)-感謝の賛歌
 5.アニュス・デイ(Agnus Dei)-平和の賛歌

※ミサの典礼文はラテン語(最近はそれぞれの言語で行われる)
レクイエム 通常のミサではなく、亡くなった人のためのミサ、死者を偲ぶためのミサをこう呼ぶ。
通常のミサの中の<グロリア>と<クレド>を省いた曲(栄光の歌を歌うことが不自然だから)と、レクイエム固有の典礼文のいくつかを組み合わせて使われる。
ちなみにこの<死者のためのミサ曲>を<レクイエム>と呼ぶのは、このミサの冒頭が<Requiem aeternam・・・永遠の安息を与えたまえ>ではじまるから。
曲の成立 やや複雑な経緯をたどる。
まずこの曲をヴェルディが書こうとしたのは、イタリアの大作曲家ロッシーニが1868年11月に亡くなった時にさかのぼる。
大先輩の死に接したヴェルディは同士12名との合作でレクイエムを創り、その死を悼むことを考え、自分はその最終楽章<リベラ・メ>を担当することになった。その作曲はほぼ完成したのだが、残念ながらその企画が中止になってしまう。
失意のヴェルディは自身の大作オペラ「アイーダ」に集中することになる。
そして1873年、こんどはイタリアの大詩人のマンゾーニが亡くなり、今度は自分ひとりでレクイエムを完成しようと思い、5年前の<リベラ・メ>を元にこのレクイエムを完成させる。
構成 全体は7曲から成るが、第2曲の<怒りの日−Dies irae−>が全曲の4割を占めるという大きなものになっているのが大きな特徴で、この曲が重要な意味を持っている。
また、最後の<リベラ・メ>には、第1曲・第2曲の主題が再現、ベートーヴェンの第9を思わせる手法もとられていて、1時間半を越える大曲を効果的にまとめている。

もう一つの大きな特徴は、4人の独唱者が大変重要視されていること。
オペラのアリアを歌うようにそれぞれが単独で歌い、また合唱と交互に効果的なまた劇的な効果をもたらすような曲になっている。
オーケストラ・合唱・独唱、それぞれが渾然一体となって一大叙事詩を壮麗に歌い上げるような、感動巨編!

いまでは、宗教音楽という範疇ではなく、一つの大きな音楽ドラマとして演奏会で聴かれることが多い。
第1曲 レクイエムとキリエ  -Requiem ed Kyrie-
二つの部分から成る
<永遠の安息を与えたまえ>
弱音気をつけた弦楽器の伴奏に乗って合唱が小さくつぶやくように、Requiem aeternam(主よ永遠の安息を与えたまえ)と歌い始める。男声ではじまり、次いで女声の合唱も加わる。

<主よ憐れみ給え>
曲は一転してテノールの独唱が印象的な主題、Kyrie eleison(主よ憐れみ給え)を歌う。ファゴットとチェロがこれに絡んでいき、大変きれいな音楽。
第2曲 怒りの日  -Dies irae-
全体の5分の2を占める長大な曲で、レクイエムの中心をなす「続(セクエンツァ)」という部分。
そのテキストに従う形で9つの部分から構成されている。
最後の審判の恐ろしさとそれを免れるための祈りの音楽。

@ 「怒りの日-Dies irae-」
一転して強烈な音楽。
全管弦楽によるフォルテシモの和音が4つ、つづいて「怒りの日」の到来を告げる合唱が最後の審判の恐ろしさを告げる。
この音楽は一度聴いたら忘れられない強烈な音楽で、このレクイエムの大きさの象徴でもある。
A 「くすしきラッパの音-Tuba mirum-」
最後の審判の時を知らせる音楽。
4本のトランペットと、舞台裏に配置されたもう4本のトランペットが呼応しながらファンファーレを奏する。
嵐のような音楽が過ぎると、死の足音のようなバスの独唱が恐怖心を表現する。つぶやくように<Mors-休止符>を3度繰り返し、死の恐ろしさを印象付ける。
B 「書き記されし書物は」-Liber scriptus-
「そのときこの世を裁く、すべてのことが書かき記されている書物が持ち出されるであろう」という言葉が、メゾソプラノで歌われる。
最後に@のDies irae の主題が強烈に出てくる。
C 「あわれなる我」-Quid sum miser-
「そのとき憐れな私はどんな弁護者に頼もうか」とメゾソプラノが歌うアダージョの曲。メゾソプラノに絡むファゴットのソロが印象的な音楽。
D 「みいつの大王-Rex tremendae-」
合唱のバスがフォルテシモで、「恐るべきみいつの大王よ」と歌う凄みのある音楽ではあるが、合唱バスが歌う<Rex tremendae>という恐怖の音楽に呼応するように4人のソロが歌う<Salva me-我を救いたまえ->というフレーズが挿入されていて、効果的。
E 「思い給え-Recordare-」
「慈悲深きイエス、思い給え、地上に御身が降り給うたのは、私のためでもあった。その日私を滅ぼし給うな。十字架の刑にあって私をあがない給うた主よ、その労苦をむなしくし給うな。」という歌詞を、ソプラノとメゾソプラノの二人が透明な二重唱を繰り広げる。そこに木管楽器が絡んで夢のような音楽を繰り広げる。
F 「われは嘆く-Ingemisco-」
テノールの独壇場で、オペラのアリアのように歌い上げる。
「私は自分のあやまちを嘆き、罪を恥じて顔を赤らめる。神よ、ひれ伏してこい願う私を許したまえ。」
G 「判決を受けたる呪われし者は-Confutatis-」
「呪われし者を罰し、激しい火の中に落とし給う時、私を選ばれた者の一人として招き給え。」とバスが歌う。
曲は突然「怒りの日」の冒頭の<Dies irae>の旋律が荒れ狂う。最後の審判の厳しさを再現するが、ヴァイオリンの流麗な経過部を経て次の<ラクリモサ>へ。
H 「涙の日なるかな-Lacrymosa-」
全曲中最も叙情的な部分で、悲しみと美しさを凝縮したような音楽。
メゾソプラノのソロで始まりバスのソロが続く。

「罪ある人が裁かれるために、塵からよみがえるその日こそ、涙の日である。」

ソロの歌う主題を男声合唱も感動的な流れに乗って歌う。
そのあとで4人のソロだけで繰り広げるアンサンブルも効果的。
「主よ、やさしきイエズスよ、彼らすべてに安らぎを与えたまえ、アーメン」と結ぶ。
第3曲 奉献誦  -Domine Jesu (Offertorio)-
「栄光の王、主イエズス・キリストよ、死んだ信者のすべての霊魂を、地獄の罪と底なしの深淵から救い出し、獅子の口から解き放ちたまえ。」
チェロが静かに主題を出しメゾソプラノとテノールがこれを歌う。その後に加わったソプラノが高音の保持をしている時に、二人の奏者が奏でるヴァイオリンが美しい。
後半は、<ホスティアス>と呼ばれる部分、「賛美といけにえの祈りをわれらは主に捧げ奉る。」の部分をテノールが歌い上げる。ここもテノールの美しい高音が披露される箇所
第4曲 サンクトゥス(聖なるかな)  -Sanctus-
「聖なるかな、万軍の天主なる主よ、主の栄光は天地に充ち満てり。」
全曲で唯一の合唱曲。
4本のトランペットによる力強い斉奏に導かれて、男声合唱とオーケストラの全奏によって、<Sanctus>と3回叫ばれる。
二つに分けられた混声4部合唱(つまり8つのパート)がサンクトゥスの主題を次々と歌う壮大な二重フーガとなっていく。
コーラスの美しさと力強さと壮大なオーケストラのみごとな、聴き応えのある曲。
第5曲 アニュス・デイ(神の子羊)  -Agnus Dei-
雄渾壮大な前の曲から一転、きわめて素朴で簡潔な、それでいて感銘深い曲。
「世の罪を除き給う神の子羊、彼らに安息を与えたまえ。」
ソプラノとメゾソプラノの二重唱が無伴奏で主題を歌う。、心洗われる音楽である。
この二重唱とコーラスが交互に繰り返され、最後は弦が上昇句で静かに終わる。
第6曲 ルックス・エテルナ(永遠の光を)  -Lux aeterna-
「主よ、永遠の光明を彼らの上に照らしたまえ、とこしえに主の聖人らと共にあらんことを」
これもきわめて透明で叙情性あふれた曲で、メゾソプラノの独唱がその主題を歌い、テノール・バスの独唱が加わり三重唱が繰り広げられるが、その主役はメゾソプラノ。
コーダは、フルートとクラリネットが<急ぐことなく静かに、きわめて美しく>と指定された音楽で、感動的な部分。
第7曲 リベラ・メ(我を解き放ちたまえ)  -Libera me-
これはミサ終了後、司祭が柩に近づいて祈る場面であり、この曲でも音楽と祈祷が渾然一体となっている。音楽的にも全曲を締めくくるにふさわしい大きさと統一感を持たせるための工夫がある。(もともとロッシーニ追悼の音楽として作られたものであり、この音楽を基にぜん曲を構成したと考えられる。)
まずソプラノが朗誦で祈祷文を朗読するところから始まる。
「主よ、かの恐ろしい日に、私を永遠の死から解き放ちたまえ」
同じくソプラノが「私は来るべき裁きと怒りを思っておののく」と歌うと曲はアレグロに変わり、冒頭の「怒りの日」の<Dies irae>のテーマが戻ってくる。
嵐のような音楽が終わるとソプラノの朗読が戻り、アルトの合唱が<Libera me, Domine>と歌いだし大きなフーガに発展してこの局の最後のクライマックスを築く。そして最後にもう一度ソプラノの祈りのつぶやきがあって静かにこの長大なレクイエムを締めくくる。





モーツァルト作曲 交響曲第40番ト短調 K.550


モーツァルトの<最後の三大交響曲>の一つで、明るい第39番変ホ長調と崇高な建築物を思わせる第41番“ジュピター”にはさまれた、悲しみに充ちた印象のシンフォニー。
この3曲のシンフォニーは、モーツァルトの集大成ともいえる音楽で、古今の名曲の中に必ず入るもの。
驚くべきは、これら性格の全く違う交響曲がわずか1ッヶ月半という、恐ろしく短い期間で書き上げられたという事実!
頭の中に次から次へと湧き上がる音たちをそのまま譜面に書いただけ・・・・モーツァルトだったらそう言うかも知れない。

この40番のシンフォニーの大きな特徴は、彼の40曲を超える交響曲の中でたった2曲しかない短調の作品であるということ。(ちなみにもう一つの短調作品は第25番ト短調で、これも聴く必要あり!)
始めの数小節を聴いただけでこの曲のイメージがわかる。それほど悲愴感の漂う曲で、終楽章もでその印象は変わらない。この項の始めにあるモーツァルトの写真は、この曲のイメージそのもの。

日本でも昔からそういうイメージで聴かれてきて、有名なエッセイイスト・文芸評論家の小林秀雄の有名な作品「モオツァルト」の中にこんな部分がある。終楽章の主題の思いでである。
(この文章の前に、第四楽章の主題の楽譜が書いてある)

もう二十年も昔のことを、どういうふうに思い出したらいいのかわからないのであるが、
僕の乱脈な放浪時代のある冬の夜、大阪の道頓堀をうろついていた時、
突然、このト短調のシンフォニイの有名なテエマが頭の中で鳴ったのである。
僕がその時、なにを考えていたか忘れた。
いずれ人生だとか文学だとか絶望だとか孤独だとか、そういう自分でもよく意味の分からぬやくざな言葉で
頭をいっぱいにして、犬のようにうろついていたのだろう。
ともかく、それは、自分で想像してみたとはどうしても思えなかった。 
街の雑踏の中を歩く、静まり返った僕の頭の中で、誰かがはっきりと演奏したように鳴った。
僕は、脳味噌に手術を受けたように驚き、感動で慄えた。
百貨店に駆け込み、レコオドを聞いたが、もはや感動は還ってこなかった。
自分のこんな病的な感覚に意味があるなどと言うのではない。
モオツァルトのことを書こうとして、彼に関する自分のいちばん痛切な経験が、
おのずから思い出されたにすぎないのであるが、いったい、今、自分は、
ト短調シンフォニイを、そのころよりよく理解しているのだろうか、という考えは、
無意味とは思えないのである。

作曲年 1788年7月
構成 旋律線をはっきりさせるため(?)、ティンパニーやトランペットが使われてない。
第一稿ののちに、最初省いていたクラリネットを加えた別の稿を書いていて、今は二通りの演奏が聴かれる。
第1楽章 モルト・アレグロ ソナタ形式
序奏もなくいきなりため息をつく様な第一主題がヴァイオリンで歌われる。下降音形の哀切極まりない音楽で、一度聴いたら忘れられない。
第二主題も下降音型で、気分はあくまでも暗い。
第2楽章 アンダンテ ソナタ形式
ここではいくぶん気分は穏やかになるものの、全体的には穏やかながらも寂しげな音楽。
第3楽章 アレグレット メヌエット 
簡素なメヌエット主題と穏やかなトリオで構成された音楽だが、決して楽しげな気分にはならず、どこか不安げな印象は消えない。
第4楽章 アレグロ・アッサイ ソナタ形式
第一主題は、小林秀雄が前述のように表現したテーマ。小気味よく上昇する気分をすぐに打ち消すように不安感を募らせるような、すごく印象的な音楽。前半はピアノ、後半はフォルテというのも大きな特徴。<疾走する悲しみ>とは言いえて妙。
第二主題もこの不安定な気分を解消するようなものにはならず、曲は最後までこの気分を持ったまま最後まで突き進む。





チャイコフスキー作曲 交響曲第6番ロ短調 作品74「悲愴」


チャイコフスキーの手紙にこの曲の作曲までのいきさつが語られている。
 「私は自分の創作の最後を飾るような雄大な交響曲を作りたい欲望に駆られている」
 「今度の交響曲には標題性があるが、それは誰にも謎であるべきで、想像できる人に想像させよう。」

そして初演後、弟のモデストと相談して、その標題を“悲劇的”じゃなく“悲愴”と決めた。

作曲年 1893年。 そしてその年の10月の初演から9日後に彼は亡くなる。
構成 終楽章がアダージョという、今までになかった形をとる。
“悲愴”という標題からすれば納得でき、第一楽章の序奏部分も同じような気分のアダージョで、全編を通じて悲愴感漂う音楽といえる。
マーラーのシンフォニーの先駆け的な存在。
第1楽章 アダージョ−アレグロ・ノン・トロッポ ソナタ形式
序奏はアダージョ。コントラバスがピアニッシモでうめくように始まり、そこにファゴットが低音でこれも呻くような旋律を出す。あまりにも暗い音楽!
主部はアレグロになるが、第一主題は序奏の旋律から来たもので気分は変わらない。
次の第二主題は、弦の合奏でより悲しみを引き立てるような切々と訴える力があり、心のひだに直接入り込んでくる。むせび泣くような旋律である。
そしてクラリネットの下降する音が消えると曲は一転アレグロ・ヴィヴァーチェの荒々しい部分へと入っていく−展開部である。
暗いイメージの主題を激しく展開して行き、曲は元の落ち着きを取り戻し終結部へ。
最後は消え入るように、呻くように終わる。
第2楽章 アレグロ・コン・グラツィア 三部形式
四分の五拍子というロシア民謡によくあるリズムで、2+3という拍子。三拍子の踊りではなく、2+3というやや特異な印象を与えるリズム。
軽快になるはずの音楽が、どこか不安定なまま進む。
第3楽章 アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ 行進曲風のスケルツォ
八分の十二拍子という快活なスケルツォ主題が忙しく動きまわる。続いて行進曲の部分がピアノで入ってきて徐々に盛り上がっていく。
この二つの主題が繰り返され、行進曲風のテーマが最高の盛り上がりを作って圧倒的な終結を迎える。
第4楽章 アダージョ・ラメントーソ 自由な三部形式
きわめて重く暗い音楽。今までの交響曲の常識を覆す終わり方。
主要主題は、あえぐような下降音型。弦楽器で始まり、次第に楽器を増やしフォルティシモになるが、やがて弱々しく絶望の淵にまで落ち込む。ファゴットの音が絶望感を増す。
中間部の主題も下降音形の暗いもので、沈みこんだ気分をますます重いものにしてゆく。
タム・タム(どら)の暗い一撃、トロンボーン・チューバが喘ぐように奏すると終結部。中間部のテーマがどんどん暗く重くなってゆき、絶望の淵に落ちていくように終わる。







エルガー作曲 チェロ協奏曲ホ短調 作品85




作曲年
構成
第1楽章
第2楽章
第3楽章
第4楽章